昨年、20周年を迎えた「おジャ魔女どれみ」の完全新作映画
『魔女見習いをさがして』関弘美プロデューサー、
佐藤順一監督、脚本家・栗山緑、大和屋暁インタビュー
1999年に放送を開始した、魔法に憧れる自称「世界一不幸な美少女」・春風どれみを主人公にしたTVアニメ「おジャ魔女どれみ」。2019年に20周年を迎え、迎えたことを記念して製作された完全新作となる新たな映画『魔女見習いをさがして』が、11月13日(金)より、梅田ブルク7ほか全国にて公開される。TVシリーズの始まりの場所“MAHO堂“で、年齢も悩みもまったく異なる3人のヒロイン、帰国子女で会社員のミレ、教員志望の大学生ソラ、フリーターのレイカが出会い、大人になって忘れてしまった大切な何かを取り戻す旅に出る様を描く。佐藤順⼀や馬越嘉彦、栗山緑をはじめとするTVアニメオリジナルスタッフと、当時「おジャ魔女どれみ」を見ていた世代のクリエイターが集結し、大人だからこそ観たい新たな“魔法”の物語を作り出す。20周年を迎えた「おジャ魔女どれみ」、そして新作映画の公開を控え、関弘美プロデューサー、佐藤順一監督、脚本家・栗山緑、大和屋暁が「おジャ魔女どれみ」について語った。(2019年12月に掲載したものに加筆・修正しております)
――まずは、20周年を迎えた心境をお聞かせください。
関弘美プロデューサー(以下、関):「おジャ魔女どれみ」は、1999年に始まったテレビの番組なんですが、実際に放送されていたのは4年間なんです。終わってからはかれこれ16年経っているのですが、その間もライトノベルや、声優さん達がライブなどで「どれみ」のことを話して下さったり、ブルーレイのパッケージが出たりして、細々とした動きがあったことに加え、放送が始まってから20年経っているのに、昔見ていた子ども達が大きくなって「どれみ」のことを語ってくれるようになり、今回20周年記念イベントを全国で開催することができて、映画を作ることもできました。もう感謝しかございません。
――ファンの皆さんの声が集まって、こういう機運になったという印象でしょうか?
関: そうですね。特に会社におりますと、昔「どれみ」を見ていた子達が会社に入ってくるんです。ここ数年は男の子も女の子も「どれみ」を見ていた子が入ってきますし、当然、うちの会社とお付き合いをしている会社にもそういう世代の人が入社してきているので、そのおかげもあると思います。
佐藤順一監督(以下、佐藤):娘の友達が、ちょうど「どれみ」世代なので、娘から「どれみ」ファンの子の話を聞いていました。作っている当時は、当時の子ども達に見て楽しんでもらいたいと思って作っていて、自然と忘れ去られてしまうものなんだろうという気分で作っていましたが、子ども達がしっかり楽しんで、心に残ったんだなと、今だから実感しています。
栗山緑脚本家(以下、栗山):僕は、違う現場に行くと「栗山さん「どれみ」書いてらっしゃいましたよね。見ていました」と言われたり、ライターの子からは、「私も脚本書きたかったんです」と言われたりしていました。でも、20年経って復活するなんてことはこれっぽっちも考えてなかったところに、映画の脚本も書かせてもらって、すごく光栄だと思いますし、こんなに愛されている作品に携われて幸せです。
大和屋暁脚本家(以下、大和屋):ありがたいですね。このころはまだ僕もデビューしたての頃でした。関さんと栗山さんに鍛えられたおかげで、今もライターをやっていられているので、「どれみ」をやっておいて良かったなと思います(笑)。
――皆さんはそれぞれ、たくさんの作品に携わってこられています。他の作品と「どれみ」との違いを挙げるとすると?
大和屋:オリジナルのメンバーがまた揃うということがすごいことだと思います。大体再始動などになるとみんな変わってしまうことが多いので。
栗山:確かに、これだけ集まることは奇跡に近いかもしれない。
関:そうですね。タイミングも良かったんです。昔のスタッフに声をかけていったら、この時期だったら大丈夫というタイミングがあって、皆さんが是非参加しますと言ってくださったので、それはありがたいことだと思っています。
栗山:スタッフ全員が「どれみ」のことを好きだったんですよ。
――「どれみ」がスタートした時のどれみたちの学年が小学3年生だったことに、今でも新しさを感じます。
関:今もそうだと思いますが、小学生が主人公のお話というのが非常に少なかったんです。「戦隊」ものや「仮面ライダー」は大人の男の人が演じていますし、「プリキュア」や「セーラームーン」も、中学生や高校生の大人に近い等身のお姉さんが主人公です。一方、「どれみ」は、子どもの等身で描ける小学生が題材で、しかも小学生の生活にリアルに密着するかたちで作っておりました。少女ものの番組として作っていたんですが、笑いの得意な方々が関わっていらっしゃったことで(笑)、笑わせる要素もあって、「戦隊」ものや「仮面ライダー」を見ていた男の子達が、少女漫画としてではなくて、笑える作品として見てくれていたようです。視聴率を見ても、3~8歳の女の子が90%ぐらい見ている時に、3~8歳の男の子の95%が見ている回もあったりしたんです。こういう現象が起こったのは多分「どれみ」だけで、「プリキュア」ではこういう現象は起こりませんし、実際に「セーラームーン」の時もここまでではなかったんです。「どれみ」は非常に多くの男の子が見てくれていたんです。小学生の子どもたちが、笑えて、自分たちと背格好が似ていて、舞台が学校という要素で、見てくれていたんじゃないかと思います。
――最初からシリーズものとして作られていたんでしょうか?
栗山:いや、そうではないですね。1年続けばいいかなと思っていたら、割と評判が良くて。26話ぐらいで延長が決まったので、これがうけるんだと思っていたところに、一気に小学校卒業までやっちゃおうよという話になったんです。
――2020年11月に公開される『魔女見習いをさがして』は、完全新作の映画だとうかがいました。完全新作の映画を作ろうと思ったのはなぜでしょうか?
関:最初は、大人になったどれみたちの話もありかなと思ったんですが、20年前に「どれみ」を始めた時のような、ワクワク感やドキドキ感がないと思ったんです。昔作ったものの延長線上で作っているみたいな感覚で、それはそれで安定感があるんですけれども、オリジナルの作品が20年ぶりに映画として蘇るという時の志としては、低いんじゃないかと思いまして(笑)。初心に立ち戻ろうと思ったんです。
栗山:当時「どれみ」を見ていた人に贈りたいという気持ちが大きかったですね。
関: 当時ターゲットだった子ども達が、ちょうど20歳~27歳ぐらいになっていると思うので、昔と同じような魔法ものでいいのかということも皆で話しました。魔法なんてさすがにないよねと分かっている大人になっていると思いますが、お守りを買ったり、お正月になれば参拝に行って祈ったりすることは、実際にしていますよね。そういうことも考えて大人の女性に見せられる物を作る方向に向かいました。
――テレビアニメの時は、各シリーズにテーマがありました。新作映画のテーマは決まっているのでしょうか?
栗山:夢の再生だと思います。かつて夢を持っていたけど諦めてしまったところに、「どれみ」を観ていた子が3人出会ったことも魔法みたいだし、3人が出会ったことで化学反応が起こって、夢をまた追っていこうと思うようになることって、魔法ではないんですが、魔法にかかっている雰囲気はあるんじゃないかなと思います。
関:ここにいるメンバーは最初からのメンバーなんですが、年寄りばかりが集まっていても仕方ないですし(笑)、私達よりも二回り下の世代の監督や、さらに若いアニメーターさんなど、若い世代に入ってもらって作っているところが、実はミソだと思っています。そういう方たちに入ってもらうと、私たちが机上で作った映画のお話に「これはないです」とちゃんと意見を言ってくれるので、そういうことも反映できて、よりよいものを作ることができると思います。
――昔を懐かしむのではなく、今に合わせた作品になっているということでしょうか?
関:ここには来ていないんですが、キャラクターデザイナーを務めた人気アニメーターの馬越嘉彦さんに、監督や栗山さんと相談したプロットを見てもらったんです。そうしたら、読み終わった後に「攻めにいくんですね」って言われたんです。もちろん「うん」って言いました(笑)。
佐藤:最初の「どれみ」を作っている時も、そういう意味では、確かに攻めていましたよね。
栗山:やっぱり、オリジナルだったから攻められた気がします。
関:原作ものではなくて完全にオリジナルだったので、毎回みんなでアイデアを出し合ってやっていましたから。当時の世間にはないと言われたアニメでしたし、そういうものを作ったという自負があるので、今回の映画を作る時にも攻めなきゃという感覚はありました。
大和屋:僕は、傍から見ていたんですが、映画の話を聞いた時は驚きました。
佐藤:僕はえっ!? と思いました(笑)。
関:またあの大変なことをさせるのか、と佐藤監督と栗山さんは絶対にそう思ったと思います(笑)。
――今見ても、「どれみ」は他のアニメと違って、すごく新しく感じる方が多いと思います。
栗山:作っている時は、そんなに新しいものを作っているという感覚はなかったですね。
佐藤:そんなに新しいものを作っているという感覚はなかったですが、子どもは何が楽しいのかをすごく考えました。例えば、魔法で事件は解決しません、とか。
関:悪い人をやっつけたりはしませんし。
栗山:人を治したりもしませんし。
大和屋:どんどん魔法が邪魔になっていったんですよね(笑)。
佐藤:その方が楽しいだろうな、と思いましたし、その方がどれみ達を好きになってくれるだろうなという予感があってやっていました。
栗山:どれみが「ステーキ出しちゃおう」って言って、魔法でステーキを出しても食べられませんし(笑)。いまだに食べてませんもんね(笑)。20年間、彼女はステーキを食べてないんですよ。
大和屋:可哀想に。そのせいか、ステーキが出てくる度に、作画に気合が入っていますよね(笑)。
――魔法を使うアニメはそれまでにもあったと思いますが、笑いの要素が強いところ、そして気づけばキャラクターを応援したくなっているところが人気を博した理由ではないかと思うのですが、「どれみ」に登場するキャラクターはどのように作っていかれたのでしょうか?
栗山:最初は、佐藤さんに「どれみ作ってよ」、五十嵐さんがはづきちゃんで、じゃあ俺あいこやるから、みたいな感じでした。そのうちにどんどん肉づけができてきて、愛すべきキャラクターになっているなぁと感じていました。
佐藤:これは「どれみ」に限らずなんですが、子ども向けのものだとドジをふんでひっくり返ったところで笑いますよね。その時に、なんで転んだのかという理由がちゃんとある方がいいんです。誰かのために一生懸命になって転ぶのは笑えるんですが、意味なく転んでもそんなに笑えないんです。笑うことによってキャラクターを好きになってもらわないといけないので、それは「どれみ」の時は徹底してやっていました。基本的にどれみは友だちをすごく大事にしている子だということが根底にあるから、安心して笑えるし、好きになってもらえたんだと思います。「どれみ」のメインキャラクターはみんなそうで、全員が友だちのことを思っているということをずっと外さないでいました。
栗山:それは揺るがないことでしたね。成長しながらも、そこは変えずにやっていました。
――皆さんの心の中で「どれみ」は、どのような位置づけなのでしょうか?
佐藤:僕は、「どれみ」の前に「セーラームーン」をやっていたんですが、割と女児向けのものが多かったんです。今お話しした主人公の属性なども、こういう風にした方がいいだろうなと思ってきたことを、「どれみ」は全部盛り込むことができた作品で、それを認めてもらえたんです。クラスメイト30人を決めて、席を決めたりするなんてことは、他のアニメではまずやらないことですけど、子ども達が毎週テレビで教室を見る時に、絶対その方が、自分がいつも行っている場所のような感覚になるだろうなと前から思っていたので、それを提案したら、受け入れてもらえたんです。
関:30人分の設定を作る時に、小学校の卒業アルバムを実家から取り寄せて、持ち寄って、思い出そうとしたんです。そうすると、フルネームでは思い出せないのに、あだ名は思い出すことができて、その子に関するネタを思い出せたんです。
栗山:あの時は、関さんが一番骨身を削ってネタを出してくれていましたよね。
佐藤:すごく覚えているんですよ。
栗山:男は馬鹿だよね。全然覚えてないもん(笑)。
関:自分がけっこう覚えていたことに気が付いて、すごく面白くなりました。小学校でキャンプに行った時に、班ごとに飯盒でお米を炊いて、鍋でカレーを作ったんです。私の班にアキラっていうガキがいて、カレーの鍋をひっくり返してしまって。だから、うちの班だけカレーがなかったので、お皿に炊き上がったご飯だけを載せて、色んな班にカレーをめぐんでくださいって言って回ったんです。あの屈辱を思い出した時には、アキラお前~と思いました(笑)。
栗山:そういうのって、ひっくり返した方は覚えてないんだよね(笑)。ひっくり返された方は覚えているんだよね。
佐藤:あの頃のシナリオの打ち合わせは、こうやって関さんの思い出話を30分ぐらい聞くところから始まっていました。
関:私にとって「どれみ」は、子どもみたいなものですね。私自身の子どもの時の記憶を背負った子どもなので。それは、やはりオリジナル作品だからできたことだと思います。
栗山:うちは娘がふたりなんです。どれみとぽっぷみたいな感じでした。どっちかがピアノを始めるとどっちかが私も~と言い出して、でも妹の方が要領いいので、どんどんうまくなっていくみたいなことはありました。「どれみ」に出てくるステーキにしても、一度上の子が何かで一等賞をとった時に、「何でも好きなものを食べていい」って言ったら、「ステーキを食べてみたい」って言ったんです。ご馳走と言えばステーキなんだと思って、「どれみ」で使わせてもらいました(笑)。
関:佐藤監督のところもお嬢さんふたりで、私も妹がいたので、色々共通点があって、話が弾みました。
大和屋:僕はそういう会議の席にはいなくて、決まった後に割り振りされた話を泣きながら書いていました(笑)。
栗山:大和屋さんは1期からやっているもんね。
関:1年目の第6話でのぶちゃんという嘘つきの女の子の話を大和屋さんが書くことになって、みんなして苦労したんです。どれみ達が魔法を使えるようになって、クラスメイトが絡んで、どういう話にするのかというすごく大事な回だったんですが、大和屋さんが何回も何回も書き直してくれたおかげで、「どれみ」の方向性が見えた感覚がありました。
栗山:脇の子を主役にできることってなかなかないですよね。それはクラスメイトをちゃんと作ったからだと思います。
関:嘘つきの女の子に嘘をついちゃいけないと教えるか、懲らしめるというのが今までの魔法の使い方だったんですが、うちの作品はそうではないので、皆びっくりしたみたいです。
大和屋:僕にとって「どれみ」は、おかげさまでという気持ちが一番大きいですね。色々勉強させてもらいました(笑)。
取材・文/華崎陽子
(2020年11月 9日更新)
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