大阪を舞台にしたモノクローム・スリラー
映画『VIDEOPHOBIA』宮崎大祐監督インタビュー
『大和(カリフォルニア)』や『TOURISM』が国内外の映画祭で高い評価を得た宮崎大祐監督によるスリラー作品『VIDEOPHOBIA』が、11月7日(土)より、第七藝術劇場で公開される。大阪を舞台に、クラブで出会い一夜を共にした男によって、ネット上に情事の動画を拡散されてしまった女性が味わうことになる恐怖や苦悩をスリリングに映し出している。鶴橋や十三など、関西に住む人には見慣れた大阪の街並みが、どこかディープな異世界にもリアルな現実世界にも感じさせる近未来的なモノクロームの映像が印象的な作品だ。3月に開催された大阪アジアン映画祭で行われた国内プレミア上映では2回とも満席になるなど、注目を集めている本作の劇場公開を前に、宮崎大祐監督が作品について語った。
――映像がモノクロームであることによって、大阪の風景が全く違って見えました。まずは、モノクロで撮った理由を教えていただけますでしょうか。
端的に言うと、余計なものを映さないようにしたかったんです。規模の小さな映画になればなるほど、フィクションの世界を崩してしまうものが映ってしまうと、白けてしまうんですよね。観ている方の気になる要素を減らして、役者や物語に集中してもらうためには白黒がいいかなというのは、脚本を書く前から考えていました。特に大阪の場合は、色や人がたくさん行き来しているので、物語に集中してもらうためには色を減らしたほうがいいと思いました。
――脚本は5日間で書き上げたということですが、本作の物語のアイデアはどこから生まれたんでしょうか?
今回の映画の、“リベンジポルノ”というような大きいテーマは唐突に思いつきました。その後で全体の流れを考えたんですが、それは大きいテーマをもとにして、いくつかその時にやりたいネタを鍋に入れておくと、ある日突然それが混ざって出来上がるみたいなイメージです。毎日少しずつ進むというよりは、それが物語となって生まれてくる感覚なんです。実際は5日間ずっと考えて書いたというよりは、何ヵ月か待っていたら、ある日突然物語が見えたのでそれを全て文字にするのに5日間かかったという感覚です。
――“リベンジポルノ”というテーマはどこから生まれたんでしょうか?
そもそもは、『ザ・スクエア 思いやりの聖域』(2018年に公開されたカンヌ国際映画祭パルムドール受賞作で、ブラック・ユーモアあふれる風刺ドラマ)という、映画があるんですが、ああいう話をやりたいと思っていたんです。あの映画もお客さんに委ねると言うか、お客さんが映画を観て考えることを求めている作品だと思うんです。お客さんとコミュニケーションを取れる作品を作りたいと思っていたので、観客が映画の一部として参加するような作品を目指して、今回の映画を作りました。“リベンジポルノ”については、2013年に起こった、女性が家に侵入した元恋人に殺されて“リベンジポルノ”が問題視されるようになった事件があったんですが、それが記憶に残っていたんです。どうしてこういうことを起こしてしまったんだろう、こういう事件を起こすということは、加害者には未練を超えた何かがあったんじゃないかとすごく考えていたんです。そこから、SNSがまさにそうなんですが、現代人は見せなくていいものを過剰に見せようとしている、というところまで考えが及んで、大体のイメージができていきました。
――そこからタイトルの『VIDEOPHOBIA』も生まれてきたのでしょうか。
タイトルのVIDEOがビデオテープなのか、動画一般を指すのか、そこは曖昧につけたんですが、記録されること、また、見て記録することなど、見て見られることを考える映画にしたかったんです。もうひとつは、タイトルの最初と最後が尖っているのがかっこいいかなと思いました(笑)。「VIDEOPHOBIA」を、Googleで調べてみると、言葉として存在しているんですが、ヒット数がすごく少なかったんです。Googleでヒット数が少ないものには価値があるような気がして、このタイトルにしました。
――登場シーンは多くありませんが、主人公と一夜を共にする男性を演じた忍成修吾さんの、怪しさや色気もすごく印象に残りました。
忍成さんは、めちゃくちゃいい方なんですが、普段から何を考えているのか分からない雰囲気を持ってらっしゃるんです。普段から遠くを見て、何を考えてらっしゃるのかなと感じることが多いんですよ。あるスタッフにも、忍成さんがあの役にはまったことで、映画がまとまった気がすると言われました。僕も、忍成さんでなければ、あの役はできなかったと思います。
――モノクロの映像に加えて、ノイズのようなBGMが、より不穏な空気や不安感を演出していたように感じました。
音楽に関しては、脚本を書く段階ではそこまで考えていなかったんです。普段から脚本を書くときは、台詞や音楽がなくてもわかるように書くようにしているので。全部編集し終わった後に、音楽家の方に渡して、この辺りに不穏な空気が欲しい、とか、わりと静かなカットが多いので、音楽がないとお客さんが飽きてしまうかなという部分に音を乗せてもらいました。具体的にはわからないけれど何か嫌だなという感覚を、観てくださる方の深層心理に引きつけるような演出をしていたので、ノイズというのは何らかの影響を与えられるんじゃないかと思いました。私たちがあまり気づかないだけで、よく耳を澄ますと、ノイズは世界に溢れているんですよね。それもロケ地と同じで、人によって気づくか気づかないかという違いだと思います。
――映画の中で使われたロケ地は、ユニークなところだけど、あまり映画では使われていない場所ばかりでした。大阪でのロケ地選びについてお聞かせください。
僕は景色の見方が人と少し違っているみたいで、普通の人は喜ばないけれど映画にすると面白い場所なんじゃないかという感覚で風景を見ているんだと思います。十三に関しても、あんまりみんな気づいてないと思うんですが、前から面白いなと感じていましたし、鶴橋や桃谷の界隈も面白いのになぜか映画で使われていなかったんですよね。
――監督は、今は関東にお住まいですが、以前は西宮市に住んでらっしゃいました。関西から離れたことによって、大阪の見方が変化したのでしょうか?
僕は今、神奈川県の厚木市と横浜市と藤沢市と町田市という有名な市に挟まれた、大和市という所に住んでいるんですが、すごく退屈な街なんです。どうやったらこの街を面白く取れるのか考え続けて、そこで映画を撮るまで10年以上かかったんです。その経験があったのでコツみたいなものが分かってきて、映画的な場所を察知できるようになったんです。前の作品はシンガポールで撮ったんですが、シンガポールの人たちからすると全然面白くない場所らしいのに、映画にするとすごく面白いと言ってもらえたんです。大阪も多分それに然りで、大和の面白いところでさえ見つけることができたんだから、大阪なんて宝の山だと思っていました。大和市はイオンとセブンイレブンしかないようなところで、特徴と言えば、米軍の基地があるぐらいなんです。でも、僕はそれを特徴だと捉えていなかったんです。ある日、友達が家に来た時に「5分に1回ぐらい鳴る轟音は何?」と聞かれて、言われてみればずっと飛行機の騒音が鳴っていたんです。それがきっかけになって『大和(カリフォルニア)』を撮ることができたんです。
――では、宮崎監督は、どこに大阪の魅力を感じたのでしょうか?
東アジアやアジアの一員であることを、僕は東京にいるとほとんど感じられないんです。東京のファッションにしても、ニューヨークやパリに似ている気がするんです。でも、大阪に来るとアジアの一員だという感覚がすごく強くなるんです。中国人の観光客の方がすごく増えたことや、大きなコリアンタウンがあることなども要因としてはあると思うんですが、アジアに来たという印象をすごく強く感じるんです。また、ふとした瞬間に戦争を思い起こさせるような街並みが大阪にはあるんです。きっと、戦前や明治、大正、もしかしたら江戸時代からこんな感じだったのかもしれないと感じさせる町並みがある一方で、梅田界隈の東京っぽい街並みもあって、それがモザイク状になっているのが面白いと思っています。東京を歩いていても、戦前や明治に思いを馳せることはありませんから。東京は、異常な速度でとにかく全てを壊したり埋め立てたりしているので、歴史が全然感じられないんですが、大阪は長い歴史の上に、色んなものが混ざりあって街ができたんだな、と感じます。
――大阪の風景の切り取り方が、ものすごく新しく感じました。
僕は、大阪は水の街だと思っているので、そこも意識的に取り入れました。以前、イザベル・コイシェ監督が東京を舞台にして菊地凛子さん主演で撮った『ナイト・トーキョー・デイ』という映画のオープニングカットが、日本橋を川から見るカットなんです。それを観た時に、東京も船から見ると面白いんだなと思ったんです。ちょっとセーヌ川っぽいと言うか。それで、大阪でも川を撮りたいと思ったんです。セーヌ川には見えませんでしたが(笑)。川が海に向けて広がっていく感じが、日本の他の場所にはないだろうなと思いながら撮っていました。特に、空中庭園に登ると、海と川を中心に大阪と関西が広がっていることを実感できて、雄大な気持ちになりますし、大阪は唯一無二の素晴らしさがあると感じるんですよね。そういうスケール感は映画にとってすごく大事だと思っているので、空中庭園からのカットも1ヶ所入れているんですが、その景色も大阪で映画を撮ろうと決意したきっかけになっています。
――鶴橋駅も普段歩いている時とは全く違って、すごく近未来的な雰囲気のある風景になっていました。近未来的に見えることは意識されていましたか?
鶴橋駅は、僕としては全部撮りたかったんですが、少ししか使えなくて残念でした。映像は白黒ですし、大阪を再解釈するのもテーマのひとつだったので、人気がないところや、人がいてもロボットっぽいような、そういうイメージで風景を取り込むようにしていました。
――本作を撮るに当たって、参考にされた映画はありますか?
『鉄男』や、あの時代の日本映画は頭の片隅にはありました。それと、デヴィッド・リンチ監督の『イレイザーヘッド』のような、いつの時代かわからないような感じを意識していました。大阪の街が持つ、いつの時代なのかわからない感じが、白黒になると余計に浮き彫りになって、抽象的な空間になるんじゃないかと思いました。
――既に、大阪と東京で先行上映を行ってらっしゃいますが、観客の感想は違いましたか?
大阪を舞台にした作品なので、大阪の方がどんな風に受け止めてくださるのか心配していたんですが、割と評判が良かったです。「僕たちの大阪が全然違うように見えて、すごく良かった」と言ってくださる方もいました。東京では全く違って、「大阪ってこんなに怖い場所なんだ」と言う方もいました(笑)。
――最後に、宮崎監督が尊敬している映画監督、または影響を受けた映画監督を教えてください。
僕は、子どもの頃は80年代のアメリカ映画で育って、2000年頃のミニシアターブームの時に青春真っ只中だったので、日本の監督では青山真治監督と黒沢清監督が好きで、尊敬しています。海外では、フランスのレオス・カラックス監督やギャスパー・ノエ監督がすごく好きですね。撮影前には、必ず儀式のように青山真治監督の『EUREKA〈ユリイカ〉』と、レオス・カラックス監督の『ポーラX』を観直しています。
取材・文/華崎陽子
(2020年10月29日更新)
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