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「中島貞夫監督の20年ぶりの長編時代劇が30代最初の主演作。
こんなに贅沢で幸せなことはありません」
『多十郎殉愛記』高良健吾インタビュー

『木枯し紋次郎』などで知られる時代劇の巨匠・中島貞夫が、“殺陣の魅力を存分に見てもらうこと”をコンセプトに描いた時代劇映画『多十郎殉愛記』が、4月12日(金)より梅田ブルク7ほかにて公開される。幕末の京都を舞台に、長州藩を脱藩し浪人として生きてきた男・多十郎の姿を通し、一本の刀に込めた男の情念や殉愛を映し出す本作。キャストに高良健吾、多部未華子、木村了など若手実力派俳優が結集し、大阪芸術大学で中島監督の教え子だった『私の男』の熊切和嘉が監督補佐を務めている。特に、中島監督の英知を結集させた、ラスト30分の多十郎の人生を賭けた死闘とも言える戦いのシーンは必見だ。

元々は長州でも名の通った侍だったが、親の残した借金から逃れるために脱藩浪人となった多十郎は、京都の貧乏長屋で怠惰な生活を送っていた。多十郎は、ワケありの小料理屋の女将・おとよの自身への想いに気付きながらも、孤独に生きていこうとしていた。そんなある日、多十郎の存在が、新撰組の勢いに押されている京都見廻組に知られてしまい、急襲を受ける。負傷した腹違いの弟・数馬とおとよが京都から離れるまで、町中を逃げ回り、見廻組と戦う多十郎を待つ運命とは…。そんな本作の公開を前に、主人公・多十郎を演じた高良健吾が来阪し、作品について語った。
 
――中島監督の20年ぶりの新作時代劇の主役のオファーを受けた時はどのように感じられましたか? 
今でも覚えています。ラッキーだと思いましたし、嬉しかったですし幸せでした。中島監督の20年ぶりの長編で、時代劇で、京都で撮影ができて、殺陣の稽古もできる、こんなに贅沢なオファーはないので、すごくラッキーだなと思いました。中島監督の最後の長編と言われていたので、そんな役が自分にできるなんて、しかも主役はひとりしかできないことなので、本当に幸せなことだと思いました。今まで時代劇のアクションをやりたいと思っていたのですが、タイミングがなかったんです。しかも、今回は30代最初の主演作だったので、本当にラッキーが続いていると思います。こんなにいいことばっかり重なっていいのかなと思いますが、有り難く頂戴します(笑)。
 
――今まで高良さんが出演されてきた時代劇では“ちゃんばら”のシーンはほとんどなかったと思うのですが、中島監督の“ちゃんばら”を撮りたいという思いを受けて、高良さんはどのように“ちゃんばら”のシーンを演じようと思われたのでしょうか?
「“ちゃんばら”にはドラマがある。それをちゃんと表現したいんだ」と監督から言われていたので、とにかくその監督の思いに応えられるように、僕はまず“ちゃんばら”をできるようにならなきゃいけないと思って、とにかく殺陣をしっかりやることを念頭に置いていました。撮影期間を含めて約2ヶ月、みっちり殺陣の練習をやりました。
 
――高良さんにとって“ちゃんばら”は初めてだったと思うのですが、今までやってらっしゃったアクションとは全く違うものでしたでしょうか?
今回の“ちゃんばら”は早くて綺麗なものではなかったですし、今流行っている時代劇の殺陣というのはとにかく人をバタバタ斬っていくものが多いと思うのですが、今回の“ちゃんばら”はそんなに人を斬ってないんですよね。ひと太刀ひと太刀が愛する人を守るための時間かせぎで、自分の逃げ道を作るためのひと太刀で、目的が人を斬ることではないんです。斬ったのは数人ですし、ラストの寺島さんと対峙するシーンも決して派手ではないんですよね。決着も数手でしたし。それを監督に聞いたら「手練れの剣士が戦ったら数手で決まるんだ」とおっしゃっていて、なるほどと思いましたし、監督はそういうことがやりたかったんだと思うんです。
 
――竹林の中でたくさんの武士とひとりで高良さん演じる多十郎が戦うシーンは、特に生々しさと泥臭さを感じました。物語のキーとなるシーンだったと思うのですが、高良さんはどのように意気込んで臨まれたのでしょうか?
通常の映画ですと大掛かりなアクションの前は事前に練習して本番に向かうものなんですが、今回の現場はそこに行くまで自分がどんな殺陣をするのかわからないんです。現場に行って、段取りをして初めてわかるんです。その時に何十手も覚えて本番を迎えるんです。それも20分か30分ぐらいしかない中で、50手ぐらいを覚えなきゃいけないので、正直、覚えてられないというか、覚えられて6、7割ぐらいなんです。だけど、稽古期間があった分、(殺陣の)ルールが沁み込んでいるので、そのルールにのっとっていれば、次に何が来るのかわかりますし、ちゃんと人の動きを見ていれば対応できるんです。それが本番中に起こっているので、命のやり取りに見えるんだと思います。実際、撮影していてもわからないんですよ。覚えてられないので。それが東映剣会のやり方なんです。それが泥臭さに繋がっているんじゃないかと思います。大人数と戦うためにはやっぱりああいう所に逃げなきゃいけないんです。わざとみんなが戦いにくいところに逃げているんですよね。そうじゃないと一人で何十人もと戦えないんですよ。それと疲れているからこそ木を背にして、そこで休憩しながら戦っているんですよね。全部理由があるんです。すごく広いところだったら途中で疲れて絶対やられちゃいますよね。ちゃんと計画があって、そして時間稼ぎにもなる、それがドラマがあるということだと思うんです。
 
――ふんどし姿で太ももを露わにして“ちゃんばら”をされていました。その衣装も今まで見たことのない生々しさが演出していたと思うのですが。
確かに、この映画にとってふんどしは効いていますよね。あのふんどしに関しては、監督が一番衣装合わせでこだわられたのじゃないかと思います。長さや色など、ふんどしでこんなに種類があるのかというぐらいたくさん出てきました。ふんどしを見せていくことで、それぐらい泥臭い殺陣を見せていくという意図が確かにありました。ふんどしを見せることを良しとしない殺陣もあるんですが、今回はふんどしを見せていくことになって、僕はそれで多十郎のキャラクターもわかってきましたし、そういうこともしていいんだという知識を得ることができて面白かったです。
 
――実際に中島監督の現場を体験してみて、どのように感じられましたか?
京都の太秦の東映で撮影することが、まさに中島監督の現場ですよね。現場にいらっしゃる方は時代劇の職人の集団なので、準備も用意されるもの何から何まですごいですし、感動しました。だから、現場に行くのが楽しいですし、セットを見るのが楽しいので、自分の入り時間より30分前ぐらいに入って、セットを見て、こんな風になっているんだ、面白いなぁと思っていたら、多部さんも早く来てるんですよ。多部さんもセットを見て楽しんでいたんだと思います。

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――多部さんの印象は?
ひと言では言えないですが、とにかくすごい方です。天才と言うのは簡単ですが、魅力的な方ですね。この映画を観られた方は絶対に感じると思うんですが、何と言っても(多部さん演じる)おとよが魅力的ですから。あそこまで持っていく方なので、すごい方だと思います。現場では、「中島監督が今日こんなこと言っていたよ」とか、「こんな現場にいられて幸せだよね」というような会話をしていました。
 
――この時代の侍を演じるにあたって何か勉強などはされたんでしょうか。
元々この時代は好きだったので、書物を読んだりしていました。以前大河(「花燃ゆ」)で高杉晋作の役をやっていたので当時の長州の教育や、なぜ長州が尊王攘夷に向かって行ったのか、そこで尊王攘夷に過激に走った人と諦めた人の流れも知っていたので、ある意味多十郎の下準備ができていたところはありました。長州の流れに関しての勉強っていうのは1年かけてやっていたので、覚えていました。高杉というのは案外所作を無視しながらやれる役だったんですが、稽古の時から着物を着て行っていたので、今回も着物さばきはある程度ルールを守りつつ破りつつという感じでやりました。
 
――なるほど。「花燃ゆ」が『多十郎殉愛記』に繋がっていたんですね。
本当に、ここに繋がっていたんだという感じですね。でも、そういうことばかりだと思いますこの世界は。この撮影が終わった何ヶ月後かに、この作品で監督補佐だった熊切監督とNHKのドラマでご一緒しましたし。本当にこういうことは多いですね。
 
――この映画は、この時代の男の生き様を映し出した映画だと思います。
男の生き様というか、この時代の人たちの“粋”というのは何なんだろうと考えました。それは、多十郎にも通じることですが、秘めることだと思うんです。さらけ出しすぎないということですよね。大切なものは秘める。だけど大切にする。そういうところがかっこいいなと思いますし、それが多十郎の色気なんだと思います。それ以上に中島監督をすごく近くで見られたっていうことが僕にとってすごく大きくて。この言い方があっているかどうかわかりませんが監督もサムライだと思うんです。切れ味鋭いですし、それがかっこよかったし。今まで経験してきたからこその言葉もありますし。50年以上を映画にずっと捧げてきたその生き方もかっこいいですよね。これだけ自分が好きな事と言うか情熱を注げることにずっと命をかけられるかなとかそういうことを考えるきっかけになりました。
 
――公開の映画に出演が決まってから改めて見られた中島監督の作品はありますか。
僕は菅原文太さんが好きなので色々見直しました。『まむしの兄弟』もそうですし『日本の首領』などの首領シリーズもそうですし、『沖縄やくざ戦争』や『真田幸村の謀略』も見ました。やっぱり往年の大スターの方が若かりし頃に出られている作品なので、まず目が違いますよね。中島監督に「何が違うんですか」って聞いてみたんです。そうしたら「昔の俳優は飢えていたんだよ。だから目が飢えているだろ」とおっしゃったんです。だから、眼力というのは僕は意識してないですが、飢えているって事は大切なんだと思いました。やっぱり戦後ですからいろんなものが満たされてない恵まれてない時代だったと思うんです。やってやるぞっていう飢えもあると思いますし。その飢えが目にも芝居にも出ているんですよね。本当に目がギラギラしてますもんね。どうやったらこのギラギラが出せるんだろうと思いますし、ちょっとヤクザっぽいけどかっこいいですよね。あれがあの時代のかっこよさだったと思うんです。
 
――それが多十郎の粋や色気に繋がったんでしょうか。
そう見てくださったんだとしたら、ふんどしだと思います。監督がすごく意識していて、本当にふんどしを大切にしてらっしゃったんです。ふんどしに僕も助けられていると思います。後は、小道具とライティングですね。やっぱり太秦のライティングは違うんですよ。独特の影を作るんです。この映画も影がすごく印象的だと思うんです。影が色気を作り出していると思います。多部さんの髪型もすごくキュートでしたし、髪型ひとつにしても監督の知識と言うか感性と言うか、監督の経験がすごいからだと思います。多十郎が髪を束ねるものも色々皆さんが意見を出していたんですが、監督が「筆でいいじゃないか」と。それが多十郎のキャラクターにも繋がっていますし、着物のはだけ方にしても本当に監督の経験が生きていると思います。
 
――完成した作品は何回観られましたか?また観るたびに印象は違っていますか?
3、4回観ましたが、観るたびに印象が違いますね。やっぱり映画ってそういうものだと思うし、より楽しめますよね。この映画って初めて見た時と、こうやって僕たちが話した知識を入れてから観るのと全然違うと思うんです。個人的にはいろんなことが見つかりました。僕自身に対して。時代劇だからこそ、自分の伸びしろを感じました。これが限界だとは思えないので。そこに関しての悔しさも出てきますし、期待も出てきました。後は、現場で寄りのショットを取っていたはずなのに寄りのショットがないと思いましたね。でもそれはきっと監督が映画のスクリーンの大きさで考えていて、引きの画でも人にはちゃんと伝わるんだと信じてるからだと思うんです。説明的なものがだいぶなくなっていたので、そこに監督の潔さを感じました。すごいことをすごく見せないすごさがあるんだと教えられました。
 
取材・文/華崎陽子



(2019年4月12日更新)


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Movie Data

(C)『多十郎殉愛記』製作委員会

『多十郎殉愛記』

▼4月12日(金)より、梅田ブルク7ほか全国で公開
出演:高良健吾、多部未華子
  木村了、寺島進
監督:中島貞夫
監督補佐:熊切和嘉
主題歌:中孝介「Missing」

【公式サイト】
http://tajurou.official-movie.com/

【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/175663/


Profile

高良健吾

こうら・けんご●1987年11月12日、熊本県生まれ。2006年『ハリヨの夏』で映画デビュー。その後、『軽蔑』(2011)、『武士の献立』(2013)、『横道世之介』(2013)、『きみはいい子』(2015)、『万引き家族』(2018)など数々の映画に出演。今後は、『アンダー・ユア・ベッド』、『葬式の名人』、『カツベン!』(2019.12月公開予定)などが待機中。また、NHK連続テレビ小説「おひさま」やNHK大河ドラマ「花燃ゆ」など、ドラマでも活躍している。