ラジオDJで翻訳家の野村雅夫が聞き出す!
永井豪原作のアニメをモチーフにした
イタリア映画『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』
ガブリエーレ・マイネッティ監督インタビュー
イタリア映画でスーパーヒーロー? なおかつ、鋼鉄ジーグ? どういうこと? その疑問、来阪したガブリエーレ・マイネッティ監督にぶつけてみました。ちなみに、監督は僕のふたつ年上で、現在40歳。ローマ第3大学で映像論を学んだ。実は僕もその大学、同じ学部への2年にわたる留学経験があり、当時直接の交流はなかったものの、言ってみれば先輩後輩の関係にあることが、インタビューで判明。それもあってか、マイネッティ先輩、かなりの早口で大いに語ってくれました。
首都ローマの郊外。スラムとまでは言わないものの、かなり荒廃したエリアでその日暮らしのゴロツキが、ふとした拍子に超人的な力を身につける。当初は私利私欲を満たすためだけにその能力を使う彼だったが、辛い経験から家に閉じこもり、「鋼鉄ジーグ」のDVDばかりを観続けるうら若き女性と知り合ったことをきっかけに、彼女を守るため、ひいては社会を救うため、次第に正義感に目覚めていく。言わば、永井豪の「鋼鉄ジーグ」の2次創作だ。
――監督はこれが長編デビュー作ですが、これまでも『タイガー・ボーイ』(Tiger boy/2012年)や『もみあげ』(Le basette/2008年)といった短編で、タイガー・マスクやルパン三世といった日本のアニメからの2次創作を行っています。
物心がつく頃には、僕はテレビを通してどっぷりと日本のアニメにハマっていた。アメリカよりも日本のアニメにね。当時、月曜日から金曜日まで、1日3時間は放映されていたから。学校から帰ったら、日本アニメ。そうやって育ったし、イタリアではこれは普通のこと。その証拠に、97年から続く人気テレビ番組に「レ・イェーネ」(Le iene、これはタランティーノ『レザボア・ドッグス』のイタリア語タイトルから来ている)というのがあって、これはイタリアの政治腐敗や社会問題を告発する内容なんだけど、そこでもジーグのメロディーが使われている。つまり、もはや日本のアニメはイタリアの大衆文化の一部なんだよ。だから、僕も短編を作り始めた時にルパン三世をモチーフにするのはとても自然なことだった。ただ、あの『もみあげ』はいい感じなんだけど、ルパン三世を知らない人にとってはまったくピンと来ない映画なんだよね。そこで、『タイガー・ボーイ』では、タイガー・マスクをたとえ知らなくても通じるようにアレンジした。しかも、単なるノスタルジーとしてアニメのアイデアを拝借するのではなく、そこからさらに深みのあるものを作りたかったんだよね。そして、それが評価もされた。さて、次はどうするか。世界で今最も人気のあるジャンルは? スーパーヒーローものだよね。これを徹底的にイタリア化してみようと思い立ったんだ。
そもそも、大学で映画論の授業を受け始めた頃、教授から「これまで君らが観てきたような映画ではなく、ここではもっとシリアスな巨匠の作品について学んでいく」みたいなことを言われたわけだよ。それはそれでいいかもしれない。ただ、フェリーニは「鋼鉄ジーグ」を観てなかったけど、僕は観て育ったわけで、「なぜアニメを?」って聞かれるけど、僕にとっては自然なことだよ。
――イタリアはかつてジャンル映画を量産していた歴史がありますけど、ヒーローものは少なかったですよね。どんな監督から影響を受けたんですか?
そう、70年代前後はあるにはあったんだけど、すっかり廃れてしまった。たとえば、SFコメディの『ピューマ・マン』(L’uomo puma/1981年)なんてのは、ずいぶん昔に日本でも紹介されたんじゃなかったかな。でも、僕に言わせれば、スーパーヒーローという概念はアキレスとかギリシャ神話に起源があって、もともとイタリアのものじゃない。とにかく、そうしたスーパーヒーローは第二次大戦を経て冷戦時に困難な現状を打破する存在として再利用されるわけ。ただ、イタリアはそこに本質的には関わっていなかったからね。
好きな監督ねえ… パク・チャヌクは大好き。日本人も相当好きだよ。黒澤や小津といった巨匠はもちろんだけど、三池崇史や北野武。それから中島哲也の『告白』や『嫌われ松子の一生』。『下妻物語』もいいね(ちなみに、インタビュー時には監督の言うイタリア語タイトルと結びつかなかったのだが、『下妻物語』は、イタリアでは『カミカゼ・ガールズ』となるらしい)。アメリカならタランティーノ。イタリアの監督ももちろん観てるよ。ロッセリーニ、デ・シーカ、ジェルミ、ペトリ、モニチェッリなどなど。でも、また陳腐な例にはなるけど、有機的な画作りをするスピルバーグもすごく好みだよ。特に夢の描き方が、子供は当然として、大人も自分の中にある子供心を刺激されるんだよね。
――本作の構想はいつから?
2010年だね。まず15ページほどのプロットを用意して資金集めをした。それがとにかく難航したのさ。だって、イタリアではかつてのスーパーヒーローものの歴史なんて忘れられてるから。プロデューサーたちには必ず聞かれたよ。君が撮りたいのは作家性のあるものなのか、それとも娯楽性のあるジャンル映画なのかって。僕にとってはそんな区別に意味はない。作家性のあるなしは、テーマで決まるわけじゃなくて、パク・チャヌクを例に取ればわかるように、その監督にしかできない方法で映画を撮ることを言うんだ。話が噛み合わないから、僕は仕方なく短編を作り続けるしかなかったんだよね。
――この作品では、結局プロデュースにも自分で関わりましたよね。きっとこの作品は受けるはずだっていう確証はどうやって持てたんですか?
それは僕が平均的な観客だからだよ。もちろん、映画作りを職業とする人間として、映画に対して注意深くはあるけど、同時に観客としては何も特別じゃない。普通の観客なんだ。そんな僕が、これは観てみたいと思えた。それだけのことだよ。
――予算は2億円弱。ハリウッド作品に比べれば、それはそれは限られているわけで、アメリカのヒーローものをなぞることはどうしたって無理です。そんな中でオリジナリティを出すにあたり、イタリア映画の伝統を踏まえた部分もあるとどこかでおっしゃっていたように思います。何か具体的な監督なり作品なりを挙げることはできますか?
フェルナンド・ディ・レオ(1932年生まれ。マカロニ・ウェスタンやアクション、ホラーなどB級と言われる作品を多く手掛け、カルト的な評価を受けている)かな。彼は特に刑事ものでハリウッド的な題材をうまくイタリア的コンテクストに落とし込んでいたから。それはひとつのお手本だね。コピーをしたのでは、映画に力が宿らない。それから、グラフィック・ノヴェルだけど、ハリウッド映画化もされた『ディラン・ドッグ』のティツィアーノ・スカルヴィもそう。こうした天才肌の作家は、自分にしかできない物語世界を構築する。その意味で飛び抜けていたイタリア人監督は、セルジョ・レオーネだよ。彼はローマの下町トラステヴェレ出身だけど、たとえアメリカ人俳優が登場しても、そこにローマっ子ならではのニュアンスが込められてる。彼は真の意味での巨匠だね。
――観終わった後では、この映画もローマならではというか、他のロケ地はありえないとすら思ってしまいます。まあ、ナポリならギリギリありえるかな…。ともかく、ローマを舞台にした訳は?
学生時代に演劇をかじったことがあって、ロンドンを舞台にしたコックニー訛りバリバリの翻訳劇が、イタリアで演じられると、台詞がきれいな標準イタリア語に変換されていることに強烈な違和感を覚えた。僕はローマをよく知ってる。生まれ育った場所だから。美しいところも汚いところも。人の魅力も恥ずべきところも。良からぬことが持ち上がってることも知ってる。もちろん、方言もよくわかる。将来的には、他の街や州を舞台に映画を撮ることもあるかもしれないけど、少なくとも今のところ、ローマ以外には考えられなかったね。
――オープニング・タイトルで日本語表記を画面に入れたのはなぜ?
そりゃ、永井豪『鋼鉄ジーグ』への一種のトリビュートだよ。あるいは、もっと広く、特に当時の日本のアニメ文化へのトリビュートと言ってもいい。
――監督の作品では、よく子供がそのまま大きくなったような、子供の心を持った大人が登場しますよね。彼らは往々にして、現実と虚構を混同しますが、監督は彼らにシンパシーを寄せているのでしょうか。
僕自身が彼らみたいなものだよ。彼らのフラストレーションや社会からの疎外感の成せることだろうね。
――気が早すぎる質問かもしれませんが、ジーグがスクリーンにカムバックすることになりそうですか?
うん、気が早すぎるね(笑)
――今後も、ジャンルを問わず日本文化があなたの作品のアイデアの源泉になることはありえますか?
こうやってプロモーションで来日すると、どうしても予定が詰め込まれるから、本当はもっとゆっくり色々と見て回りたいんだ。ともかく、僕はこちらの文化に興味津々だから、十分ありえる話だよ。
――これは私見ですが、この作品がアニメファンだけでなく、多くの観客を獲得することに成功したのは、あくまでもリアリズムに基づいているからだと思うんです。移民、ドラッグ、テロリズムの問題が底流にあって、社会の中で居心地が悪い人々が蠢いていますし。
そうだね。僕は映画の中に欺瞞は要らないと思ってる。登場人物はできる限りそこに実在する人間として画面にいてほしい。この作品では、主人公はスーパーパワーを身につけても、どこかのヒーローのようにいきなり正義感に目覚めたりはしない。力に対して責任がどうとか微塵も考えてない。彼はローマの底辺、周縁に生きていて、何をするってATM強盗にその能力を使ってしまうわけだろ? そのあたりが、この作品が他のヒーローものとかなり違う理由だろうね。

今イタリアでは、かつてのイタリア映画のイメージを刷新するような作品が多く作られている。その監督たちは、70年代半ば以降に生まれた世代。つまり、マイネッティ先輩が語ってくれたように、日本アニメを始めとした、外国産のポップカルチャーを浴びるようにして吸収して映画を撮り始めた世代だ。もしかすると、10年後、20年後には、この2010年代半ばというのが、イタリア映画史のひとつの分水嶺になるのではと僕は感じている。そんな転換点を象徴するのが、イタリア版アカデミー賞で新人監督賞など7冠という快挙を達成したこの『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』だ。見逃す手はない。
取材・文/野村雅夫(ラジオDJ/翻訳家)
(2017年5月18日更新)
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