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「メディアは社会の合わせ鏡。自分自身を見るつもりで見てほしい」
~「ゴーストライター騒動」があぶりだす極端に二分化された世の中と、その行く末~佐村河内守氏に密着したドキュメンタリー『FAKE』森達也監督インタビュー

オウム真理教を内側から捉えたドキュメンタリー『A』『A2』をはじめ、作家としても精力的な活動を続けている森達也監督。その15年ぶりとなる単独監督作『FAKE』が、関西では6月11日(土)から第七藝術劇場を皮切りに順次公開される。2014年世間を賑わせたゴーストライター騒動の佐村河内守氏に密着。「僕はあなたの名誉を回復する気はないし、そんなつもりで映画を撮らない」と宣言して撮影に臨んだという森監督ならではのドキュメンタリーは、常に傍で佐村河内氏を支える妻の姿や、森監督からの様々な問いかけに時には苦悩し、時には神妙な面持ちで答える佐村河内氏の心の変化も読み取れる。記憶の彼方にある騒動だからこそ、改めてメディアや社会の反応がいびつであったことに気付かされるだろう。それまで観てきたことが全てひっくり返りそうなラスト12分間は、必見だ。来阪した森達也監督に、『FAKE』を通して浮かび上がる現代社会やメディアの姿、ドキュメンタリー映画のあり方について、お話を伺った。

普遍性が獲得できるもの、「怒りの奥にある悲しみ」を撮る。

――なぜ、佐村河内守氏を撮ろうと思ったのですか?

そもそも、佐村河内さんのことは知らなかった。新垣さんの記者会見で初めて知ったぐらいです。それから数カ月が過ぎたころ、編集者から佐村河内さんの本を書かないかと連絡があった。その編集者は何度も佐村河内さんに会っていて、メディアで言われている事実にはかなり誇張があると感じたとのことでした。気乗りがしないので一度は断ったのですが、熱心に声かけいただいたので、会うだけと佐村河内さんのご自宅に足を運んだのが2014年8月です。2時間ぐらい佐村河内さんと話してから「あなたを被写体として映画を撮りたい」と言いました。というのも、とてもフォトジェニックだったのです。佐村河内さんだけでなく、手話で僕に佐村河内さんの発言を伝える奥さんがそばにいて、猫もおり、暗い部屋のカーテンを開けると電車が走っている。それら全部を含めて、これは活字ではなく映像で表現したいと思いました。

 

――当時、佐村河内さんは世間からの風当たりも強く、ほとんど外に出ず自宅で過ごしておられたそうですが、マスコミに対する不信感が強い中、すぐに撮影を受け入れてもらえたのですか?

最初は、ドキュメンタリー映画なんてとんでもないとの雰囲気でした。でもメールのやり取りや僕の作品『A』を観ていただいたりして、9月ぐらいにはもう撮り始めていました。奥さんも佐村河内さんと一心同体のようにして暮らしておられるので、撮るべきだと思いました。それまでワイドショーなどで奥さんが映り込んでいるにも関わらず、一切言及されてこなかったのはむしろ不自然です。絶対NGとおっしゃっていましたが、本当にダメなら撮影する気はありませんでしたから。

 

――最初に森監督が佐村河内さんに「あなたの怒りではなく、悲しみを撮りたい」とおっしゃったのが、非常に印象的でした。

最初は新垣さんや神山さん(『週刊文春』に掲載された新垣氏独占インタビュー記事のライター)への怒り、『週刊文春』やメディアに対しての怒りが凄かったです。でも特定の標的に向けられた怒りには普遍性がありません。怒りのさらに奥には悲しみがあるはずです。それなら普遍性を獲得できる。だから、撮るなら悲しみだと思い、それを口にしました。ほとんど密室の中ですが、ペドロ・コスタの『ヴァンダの部屋』のような作品もありえると思いました。


ドキュメンタリーはメタファー。
取材に来たテレビ局の人間は、僕の姿でもある。

――森監督の作品は、テレビ局の取材の様子や、メディアでの取り上げられ方など、必ずその時のメディアのありようが映り込んでいますね。

メディアは市場原理によって社会の合わせ鏡となります。だからメディアの振る舞いは、社会を端的に表しています。本作では新垣さんがテレビや雑誌に取り上げられ、有頂天になっているように見えるかもしれませんが、それはメディアがもてはやしているからこそ起きている現象であり、さらには社会がそれを求めている訳です。ドキュメンタリーはメタファーですから、社会がいかに歪んでいたか、自分自身を見るつもりでメディアを見てほしい。新垣さんをもてはやし、佐村河内さんを叩いているのは、結局は自分なのだという気持ちで撮っています。また、取材に来たテレビ局の人間は、僕の姿でもあります。そのシーンを編集していた時、横で橋本佳子プロデューサーは「これは私の姿よ」と何度も吐息をついていました。

 

――誰かが“叩かれる”状況は2年前より、今の方がより頻繁かつ、度を越している感があります。

森:ゴーストライター騒動の前には食品偽装問題で、「大正エビと思って食べていたら、バナメイエビだったとは許せない!」と話題になりました。STAP細胞騒動もその頃ですし、朝日新聞の従軍慰安婦報道もありました。あの時は全メディアが朝日を「国賊」などと叩いたけれど、吉田証言をベースにして記事を何度も載せていたことについては、産経や読売を含めてほぼすべてのメディアも同罪です。ところが自分たちは正義となって朝日を捏造したと罵倒する。これらの騒動や事件が象徴する「偽物と本物」という単純な二分化が、すごくグロテスクで気持ち悪いと感じていました。例えばテロという言葉が示すように、悪と正義がどんどん二分化することで、それぞれ純度が強くなっている。ならば成敗や駆逐するしかないとの意識が立ち上がる。こうした状況に対して、苛立ちがすごくありました。まあでも確かに、今はこうした傾向が加速しているように感じます。

 

撮る側の意図を隠すことこそ、フェイク。
ドキュメンタリーは主観を呈示するべき。

――森監督が佐村河内さんや奥さんに様々な質問を投げかけ、被写体を刺激する様子が映っているのも、本作の醍醐味ですね。

そのシーンについては、テレビの制作現場の人から、「なぜ自分の声を残すのか」と質問されたことがあります。つまり、撮影する側が被写体に干渉した痕跡を残すことが不思議なのでしょうね。でも僕は、ドキュメンタリーは撮る側と撮られる側の相互作用だと思っているので、撮る側の気配を切りません。だってそれは隠しているだけなのだから。被写体を刺激したり、誘導したり、時には騙したり、挑発したり、これがドキュメンタリーの演出です。逆に被写体から挑発されたり、誘導されたりもします。つまり相互作用。ところがテレビのドキュメンタリーは、「ドキュメンタリーは公正中立でなければならない」という妙なドグマがありますから、撮る側の意図が見える部分を切ってしまいます。ならばそれこそフェイクです。隠すべきではない。主観を呈示すべきです。

 

――佐村河内さんに「僕を信じている?何%?」とも問いかけています。『FAKE』というタイトルから連想される「嘘」やその逆の「真実」、そして「信じる」ということを意識しての質問ですか?

「信じる」、「信じない」も二分化ですね。100%信じるなどありえない。ほとんどの人間関係においては、グラデーションが常にあるはずです。ところが二分化によって消えてしまう。それはつまらない。もっと色々な感情が入り混じっているはずです。

 

――奥さんは、何があろうと佐村河内さんの傍にいるという強い意思が感じられます。ラスト2分ぐらいまでは、辛苦を乗り越える夫婦のラブストーリーにも映りました。

ラブストーリーと見てもらっていいですよ。先ほど「100%信じるなどありえない」と言いましたが、もしかしたら恋愛とか親子の情は、時にはそういう瞬間があるのかもしれない。

 

メディアは社会を矮小化するが、優先権があるのは社会。
僕らが意識を変えれば、メディアは変わる。

――騒動で疑惑を持たれた聴覚障害についても、単に「聞こえる」「聞こえない」というくくりでは語れない、繊細な部分があることを映し出していますね。

佐村河内さんの場合は感音性難聴なので、音によっては振動は分かるけど曲がって聞こえていると説明してくれました。その日の体調によっても全然違います。奥さんのようにずっと一緒にいる人は、口話(口の形で言葉を理解する)である程度は分かるのですが、初対面の人は分かりづらい。そのように、聴覚一つをとっても色々なグラデーションがあるのに、メディアはイチかゼロで表現してしまいます。視聴者に分かりやすくするために情報をある程度整理することは理解するけれど、それがルーティン作業になってしまっている。無自覚に四捨五入して微妙なニュアンスを切り捨ててしまうと、世界がつまらなくなってしまいます。本来もっと色々な豊かな世界を伝えるはずのメディアが、逆に世界をどんどん矮小化してしまう。メディアと社会の相互作用で、どちらかが変わらなければいけないなら、優先権があるのはやはり社会の側です。メディアは営利企業ですから、簡単には変わらない。ただし僕らが少し意識を変えるだけで、メディアは簡単に変わります。

 

二分化に対するアンチテーゼから生まれたラストシーン。

――それまでの流れを変えるぐらい、あっと息をのむようなラストにした意図は?

「白か黒か」を「黒か白か」に置き換えても仕方がない。つまり180度の転換じゃないんです。だからこそ最後に、「黒と白をぶつけて、どちらもゼロにする」ことを思いついた。佐村河内さんにとっては心外かもしれませんが、最初の段階で「僕はあなたの名誉を回復する気はないし、そんなつもりで映画を撮りません。僕は映画のために、あなたを利用しますよ」と言い、彼も了承してくれました。「あなたを撮らせてください」と言ったすぐ後に「利用しますよ」ですから佐村河内さんも驚いたでしょうが、彼も表現者ですし、そこはきっと理解してくれると思っていました。

 

――『A』『A2』以降、撮りかけた題材はありながらも映画化に至らなかった中、今回15年ぶりの新作として『FAKE』を撮りきることができた要因は何ですか?

やはり、チームプレイにしたのが大きいですね。『A』『A2』は安岡卓治と二人で作りましたが、今回はドキュメンタリージャパンが制作で、撮影は山崎裕さんに早い段階からお願いしていました。だから止めたくなっても止められなかった(笑)。

他には、ドキュメンタリーは加害性が強いから被写体や観客を時には傷つけます。もちろん僕にも副作用がある。特に『A2』撮影直後は、ゲームでいうHP(※体力や生命力のようなもの)が相当下がってしまっていた。何よりもドキュメンタリー映画だけでは家族の生活を維持できないから、しばらくは執筆に専念していました。そんな時期を経て、ようやくHPも上がってきたのが今回だったと思います。

 

fake_sub3.jpg

 

――是枝裕和監督作品をはじめ、ドキュメンタリーも多数手がける山崎裕さんの撮影は、横たわる猫、度々登場するお客様用のケーキなど、思わず目を止めたくなる何気ない日常や、被写体に寄り添う雰囲気がいいですね。

寄り添っているようで寄り添ってはいないですよ。寄り添ったらピントが合わなくなる。 ……まあ、僕の弱点は「画」なんです。つまりカメラワーク。撮影していると、どうしてもクールではなくなり、それが撮影にも出てしまう。『A2』公開後には、原一男さんから「お前には美学がない」と言われたこともありましたし、次に撮るときは山崎裕さんにお願いしたいと思っていました。

 

違う見方を持ってメディアに接するだけで心豊かに。
そして、世の中はやさしくなれる。

――作家、大学教授と様々な肩書を持つ森監督にとって、映画を撮ることの意味とは?

僕は出発点が映像です。学生の頃に自主映画を撮り、テレビの仕事をしてから、映画を撮るようになり、それだけではやっていけないので、本を書き、また映画に戻ってきました。「現住所は活字だけれど、本籍は映画です」とよく言っていたので、やっと本籍に戻ってきた感じがします。やはり映画館が好きなんですよ。映画館で自分の映像が上映され、それをお客さんが観に来てくださる。その空間がすごく好きで、今回プレス試写でもDVDは出さず、劇場の試写に観に来てもらうようにしました。映像の流出を恐れているのではなく、劇場の大きなスクリーンで観て、笑いやどよめきを体験する。それを含めての映画だと思っているからです。

 

――最後に、森監督は現在、大学でメディアリテラシーを教えておられますが、メディアリテラシーを身に付けるため、日ごろどんなことを心がけたら良いでしょうか?

コップは下から見ると丸ですが、横から見れば長方形です。見る角度によって形が変わります。実際の現象も多面的で、どこから見るかによって変わって見えてきます。ところがメディアは、刺激的で一番分かりやすいところばかりを強調しがちなので、残りの視点が消えてしまう。それではつまらないし、もったいない。少し視点を変えるだけで、色々なものが見えてきます。日々ニュースを見たり、ネットで検索をしながら、「この記者やカメラマンの見方はこれだが、違う見方もある」と思って接するだけで、すごく豊かな気分になれるし、それがリテラシーです。ゆとりにもつながり、やさしくなれると思います。

 

取材・文/江口由美




(2016年6月 9日更新)


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森達也 Profile(公式より)
もり・たつや●1956年、広島県呉市生まれ。立教大学在学中に映画サークルに所属し、自身の8ミリ映画を撮りながら、石井聰亙(現在は岳龍)や黒沢清などの監督作に出演したりもしていた。86年にテレビ番組制作会社に入社、その後にフリーとなるが、当時すでにタブー視されていた小人プロレスを追ったテレビ・ドキュメンタリー作品「ミゼットプロレス伝説 ~小さな巨人たち~」でデビュー。以降、報道系、ドキュメンタリー系の番組を中心に、数々の作品を手がける。 95年の地下鉄サリン事件発生

Movie Data

©2016「Fake」製作委員会

『FAKE』

●6月11日(土)より、第七藝術劇場、
 6月18日(土)より、
 神戸アートビレッジセンター、
 7月2日(土)より、京都シネマ
 にて公開

監督:森達也 
撮影:森達也、山崎裕 
出演:佐村河内守/他


※森達也監督作品『A』『A2』
6月25日(土)~7月1日(金)
シアターセブンにて1週間限定公開 

【公式サイト】
http://www.fakemovie.jp/

【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/169961/

Event Data

舞台挨拶決定!

日時:6月11日(土)
   12:25の回上映後トークショー
   14:45の回上映前舞台挨拶
会場:第七藝術劇場
登壇者:森達也監督(予定)
料金:通常料金