裸体を通して人間の魂の在りかを問う――
シカゴ国際映画祭で絶賛された≪映像美≫で贈る
命を巡る旅の物語『ボヤージュ』SCUD監督インタビュー
とにかくおびただしい数の裸が映される映画である……香港から現れたアジアきっての異才、SCUD監督による『ボヤージュ』。本作が日本での初の劇場公開作品となる。抽象的、あるいは絵画的なイマジネーションに富んだ映像表現のなか、男たちの裸体が美しく示され、そして、うつ、自殺、あるいは魂の彷徨……といったことが語られていく。いったいこの才能はどこからやってきたのか。なぜこれほどまでに美しい裸体を映すのか。SCUD監督は驚くほど気さくに話してくれた。
――ほとんどの日本の観客にとってSCUD監督の作品を観るのははじめてのこととなると思いますので、今日は監督の作品がどこからやって来たのかお聞きします。まず、やはりここから質問したいと思います……なぜあなたの映画は、たくさんの裸が出てくるのでしょうか?
ヌードというものは世界各国で文化的に異なるものですが、より多くの国で自然な表現となっています。たとえば欧米ではヌードに対して非常にオープンになっていますよね。いっぽうで国によっては、顔も覆い隠さなければならない。隠せば隠すほど、表現というものはぜい弱なものだと感じられます。裸が晒されていることは、文化としてもオープンなのです。日本の感覚はわからないけれども、わたしとしてはこの「オープンな感覚」で裸にフォーカスを当てているのです。日本でも、とくに3、40年前には愛やセックスを豊かに表現した映画監督はたくさんいますよね。
衣服自体、もともとわたしたちには関係のないものなのです。わたしはまず、そう言いたいのです。そうして身体を隠せば隠すほど、消極的な表現になるとわたしは考えています。俳優にも「もっと自分の魂をさらけ出してほしい」とよく言うのですが、そういう意味でも生まれたままの姿というのは非常に大切なことです。
――美しい肉体にこだわるのはどうしてですか?
それは芸術作品として考えたときに、美しい身体を見せたほうがいいだろうという、とてもシンプルな理由によるものです。『ロミオとジュリエット』のような古典作品が受け継がれているのは、美によるものが大きいでしょうしね(笑)。
――なるほど。では、監督の作風がどういうところから来たものかをお聞きしたいのですが。ヨーロッパの映画監督から影響を受けたそうですが、具体的にどういった名前が挙がりますか?
パゾリーニと……。
――だと思いました!
(笑) 彼は僕のナンバーワンですね。
――パゾリーニだけではなく、アントニオーニやヴィスコンティなど、イタリアの映画監督が思い浮かぶところがあります。
そうですね。小さい頃たくさんのヨーロッパ映画を観ていたから。映画というものはヨーロッパがはじまりなのです……アメリカではなくてね。ハリウッドの商業主義には感心しません。僕の映画は、古い時代の偉大な映画を新しい世代に伝えたいというところからスタートしています。ほかにもペドロ・アルモドバル、ピーター・グリーナウェイ、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー、デレク・ジャーマン、それに三島由紀夫に影響を受けていますね。
――では『ボヤージュ』という作品についてお聞きします。うつがテーマとなった本作で、時代や空間を超えた群像劇となったのはどうしてでしょうか?
まず、ここで取り上げたエピソードはすべて実話なのです。はじめに文化大革命の頃のモンゴルのエピソードを持ってきたのは、後に続くストーリーのイントロの役目を負わせるためです。昔はこういう作りの映画が多かったですよね。そうして、いくつかのストーリーを繋げているのです。
――視覚的な意味で、非常に抽象的かつ印象的な場面がたびたび現れますが、これは監督にとってはロジカルなものなのでしょうか? それとももっと感覚的なものなのでしょうか?
映画にあるすべてのシーンは脚本にあります。だからすべての場面は撮影の前から出来上がっています。この映画はうつや自殺をテーマにしていますが、わたしにとっては、そうした死にまつわることというものはそれだけでスペクタクルなのです。リアルでもあります。ですので、(観るひとによっては)大げさであったり理解しがたかったりする場面もあるのでしょうが、わたしにとってはただ「真実」であると考えて表現したものなのです。
――ここでのうつというテーマは、セクシャル・マイノリティにフォーカスしたものでもないですか?
この映画に関してはないですね。同性愛というテーマは他の作品においてはありますが。
――ところで、監督の映画は香港でカットを命じられたこともあるそうですが、アートを通して社会に抵抗している意識はありますか?
何かに対して特別に抵抗しているという意識はありません。ただ、カットを命じられたことに関しては、観る権利を奪われるということに強い疑問を覚えました。アメリカやヨーロッパではあまりそういったことはありませんが、アジアではいまだによくあります。けれども、「観たい、想像したい」という権利も同時にあるはずなのです。もちろん観たくないものを見せるつもりはありませんが、誰かに「観るな」と命じられるのはおかしいことだと思います。
――なるほど。では、うつをテーマとしたこの『ボヤージュ』という作品は、この世界で生きづらい想いをしている方々に向けて撮られたものなのでしょうか?
ここで描かれている様々な人びと―― 精神的に追い詰められた人たちですね、そうした人生もこの世界にはあるのだ、というメッセージがまずあります。ですので、特別に誰かに向けて撮ったわけではないのですが、そうした側面もあるとは思います。ある知人の女性は自殺を考えた経験があり、この映画を観る前、「どうしてこんな映画を撮ったんだ」とわたしにとても怒っていました。つらい感情を思い出すから、と。ですが、映画を観た後、自分は孤独ではないとわかり、楽になったと伝えてくれました。
この映画の香港でのプレミアはサマリタンズ(自殺を考えている人びとの相談を受ける慈善団体)がスポンサーとなっています。この映画を観ることで助けられた、と言ってくれるひとたちもいます。この映画が何かしらの癒しとなることはあるのだと思います。
(取材・文:木津毅)
(2015年12月 9日更新)
Check