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「詩が自分に刺さってくるような感覚を初めて味わって、
それを手がかりに“詩の映画”が撮れるんじゃないかなと…」
『谷川さん、詩をひとつ作ってください。』
杉本信昭監督インタビュー

 詩人・谷川俊太郎が東日本大震災について書いた詩「言葉」を入り口に、様々な土地で暮らす人々のかけがえのない言葉を追ったドキュメンタリー『谷川さん、詩をひとつ作ってください。』が第七藝術劇場にて公開中。詩人・谷川の創作現場から、福島の女子高生、大阪の日雇労働者、東京の農家、長崎の漁師、青森のイタコなど、年齢も立場も様々な人々のそれぞれの苦しみや喜びの“言葉”を映し出す。また、それらを受け止める谷川自身もまた自分の“言葉=詩“を生み出していく。そんな今までにない異色のドキュメンタリーを撮った、杉本信昭監督にインタビューを行った。

――映画誕生のきっかけから教えていただけますか?
プロデューサーが谷川さんのファンだったんですよ。DVDで『詩人 谷川俊太郎』(紀伊國屋書店2012)を制作した人で、せっかく谷川さんと知り合いになれたんだし、谷川さんに会う機会を単純に増やしたいからっていう(笑)。で、監督を頼まれてOKはしたけど、彼はその時点でとくにビジョンもなく…(笑)。
 
――何も決まってないまま谷川さんに声をかけられたんですか? 最初にお話したときの谷川さんの反応はいかがでしたか?
「いいよ」って(笑)。一緒に映画を作っていくようなイメージを持っていたらしくて、ありがたいことにそこに何の支障もありませんでした。
 
――ということは、監督は谷川さんについて後から調べていったんですか?
今は教科書に載っていたりするらしいですが、僕らの時代は載っていなかったし、名前は知ってるけど正直よく知らなかったですからね。それで、プロデューサーから10冊ほど詩集が送られてきたので読んでみたら、「俺のことを言ってるんじゃないか?」と思う詩があったんです。詩が自分に刺さってくるような感覚を初めて味わってびっくりしました。自分の駄目な部分を書いてるような詩で、なんだか「こういうことなのか」と興味が沸いて。それを手がかりに“詩の映画”が撮れるんじゃないかなと漠然と思ったんです。
 
――谷川さんの密着ドキュメンタリーと思われている方が多いかもしれませんが、この映画は、“詩人の映画”ではなく“詩の映画”なんですよね。
そういう「密着ドキュメンタリーみたいなものを撮りたい」と頼んだわけではないので断言はできませんが、たぶんご本人は承諾しないと思います。ただ、別に谷川さんのファンでもなかったボクの中に詩が入ってきたときの何とも言えない感じを、ボクのように詩を知らない誰かが感じることはできるかもしれない。音楽家や絵描き、映画作家みたいな人ではなく、普通の人の中に谷川さんの詩をみつけれたらいいなと思って、いろんな人を探していきました。
 
――映画は、様々な人が出てきて自分の言葉を発する。そこに谷川さんの詩が見事にはまっていくわけですが、登場する方々はどういう風に選んだのですか?
漠然と「普通の人の中に谷川さんの詩をみつけれたら」と思っていたときに、谷川さんの「言葉」という詩を読んだんです。震災のときの言葉について書かれた詩なんですが、それが“言葉になる前の、言葉にならずに沈殿している何かがある”というようなことを言ってるのかなと思ったんです。なので、そういうものを持ってる人に登場してもらいたい。第一次産業の人がいいなとか、ちょっと困った状況を抱えている人、順風満帆に暮らしている人ではないんだけど反対していく言語をしっかり持っていない人。結果的にですが、それでも堂々と生きている人になりました。
 
――そこから震災についても少し触れるような内容になったのですか?
震災については、はずせないと思っていました。天災の後に人災が起きて、かさぶたのようにずっと消えないで残っている。そこに関係のある誰かの言葉を捕らえたいとは思っていました。
 
――被災者の中でも女子高生を選んだのは?
実はネットで偶然みつけた子たちなんです。彼女たちは相馬高校の放送部員なんですけど、映画に出てもらった子たちの先輩が震災後の自分たちの日常を芝居にして発表していたんです。それで、面白いなと思って顧問の先生に連絡をして。
 
――ネットでですか。では、ほかの方々はどのように? イタコのおばあさんとかどうやってみつけるんですか?
イタコは以前から興味があって、(映画に出ている)小笠原さんは以前から知っている方です。八戸の方なんですが、青森とか東北の辺りって、人も土地も昔からいろんなものを都会に取られている。そういうところで長年、人の話を聞いてきた目の不自由なおばあさんというだけで、どんな方なんだろうと思っていました。今はないけど、当時は職業別の電話帳に10人くらい載っていたんですよ。いろんな感覚を研ぎ澄まして言葉を発する。谷川さんは「ある意味、ボクと一番近い仕事だ」と言っていました。
 
――そうやって様々な方の言葉を集めていく中で、映画の完成図みたいなものは見えていたのですか?
いや。全然見えていなかったので、喋ってくださった方々は、何にどう使われるのかも分からない中、「映画にしたいんです」というボクの言葉をありがたいことに信用してくださったんですね。取材を進めて素材が集まっていくのと同時に、制作に対するエンジンもかかっていきました。集めて貯めてどうしようという感じではなく、集めていくうちにイメージも沸いていくちょっと珍しい制作になりました。
 
――「言葉」の映画だから、映画を観ているわたしたちの耳がその「言葉」に集中することで、普通の言葉にも美しさや面白さを感じているような気がしました。
こちらの狙いみたいなものとはみなさん全然違う話になっていく。大変な話をしてたのに、いつの間にかのろけ話になったり。こういう話ってどこでもあるし、何でもない話なのかもしれないけど、こういう映画の中だから際立つというのはあるかもしれないですね。でも、そこに狙いはなくて、結果的にそうなったという感じですね。
 
――いろんな方々の言葉を聞いて、映像を見て、谷川さんが自身の詩を選んでいったということですか?
最初に映画を撮る話が始まって、1年半くらいかけて撮ったいろんな方々の映像を編集して「こんなの撮ったんですが」って見てもらって。「なんだ、やめたのかと思ってた!」と言われ、忘れられていたようですが(笑)、見たらすごく気に入ってくれて、すぐに合う詩を選んできてくれました。イタコに「闇と光」の詩を当てて、闇から光の言葉を生み出すみたいな話にすると、どこかイタコが一般的なメジャーなものになったような広がりを感じましたね。相馬の高校生も一般的な若い女性に感じるし、詩ってやっぱりすべての人に当てはまるということなんですかね。
 
――それが詩の魅力なのかもしれませんね。
個別なのに普遍的なものにする力が詩にはあるんだなと本当に思いました。およそ結びつかないようなものを結びつけて新しいドラマを生むとか、違う見方を作り出すとか、そういうことをこの映画はやれたと思っています。何もビジョンがなかったところから、詩のようなことを映画でやれました。どうぞよろしくお願いします。



(2015年1月 5日更新)


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杉本信昭 Profile(公式より)
すぎもと・のぶあき●新潟県新潟市出身。1977年、法政大学中退後、フリーランスの劇映画助監督に。1986年、シナリオ「燃えるキリン」執筆(未映画化)。以降、フリーランスのPR映画・展示映像監督となる。1993年、ドキュメンタリー映画「蜃気楼劇場」監督(製作:スタンスカンパニー)。2003年、ドキュメンタリー映画「自転車でいこう」監督(製作:モンタージュ)。2013年、羽仁進監督ドキュメンタリー「PARADISE」編集。

Movie Data




©2014 MONTAGE inc.

『谷川さん、詩をひとつ作ってください。』

●1月23日(金)まで、第七藝術劇場
 1月31日(土)より、
 神戸アートビレッジセンターにて公開

【公式サイト】
http://tanikawa-movie.com/

【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/166151/

Event Data

舞台挨拶&トークショー決定!

【舞台挨拶&トークショー&サイン会】
日時:1月12日(月・祝)
   14:00の回上映後
会場:シアターセブンイベントホール
受付:第七藝術劇場
ゲスト:谷川俊太郎/杉本信昭監督
料金:通常料金
※当日ご鑑賞の方のみ入場可。 
※サイン会は、当日劇場で購入したパンフレット、詩の本のみ対象。

【舞台挨拶】
日時:1月12日(月・祝) 19:00の回
会場:第七藝術劇場
登壇者(予定):谷川俊太郎/杉本信昭監督
料金:通常料金