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市川海老蔵らキャストの魅力など本作の話に加え、
最近の日本映画に思うことを語る。
『喰女-クイメ-』三池崇史監督インタビュー

 『一命』(2011)の三池崇史監督と主演の市川海老蔵が再度タッグを組み、鶴屋南北の歌舞伎狂言『東海道四谷怪談』の人間関係をモチーフに描くホラー映画『喰女-クイメ-』が、8月23日(土)より梅田ブルク7ほかにて公開。劇中、舞台の上で展開する『四谷怪談』と、それを演じる役者たちの私生活での愛憎が絡み合い、美しくも不気味な世界が繰り広げられていく。そこで、来阪した三池崇史監督にお話を伺った。

――今回、『一命』のときのインタビューを読み返したんですが、また海老蔵さんとタッグを組むなら「彼の色気を撮りたい」と当時話されていました。『喰女-クイメ-』ではそういうところをやはり重要視されたんですか?

『一命』のときは、彼の実年齢よりずっと上の設定で、しかも定年を間近にリストラされたような状態の人の役。海老蔵が持つ色気は、所作の中からこぼれ見える程度に留めておかないと映画にとってプラスにならなかったんですよね。歌舞伎に出てくる「色悪」というのは色っぽいですから、今回はその部分を生かせればいいなと思ったんです。でも、歌舞伎の色気そのものが見たければ歌舞伎を見ればいい。そこで、現代劇のダメ男だけが放つ色気みたいなものが出せるといいかなと。本人がホントに色っぽいですからね。

 

――では『一命』以降、そういったお話をされていたんでしょうか?

お互い忙しいし、友達ではないので「また何かやろうね」とか、そんな気持ち悪いことを言っていたわけではないですよ(笑)。もともと僕はスタッフとも“仲間”にはならないようにしているし。別に戦っているわけでもないけど、必要だからいるという関係。なので、今回も雰囲気でしかなくて。今回のスタッフらと撮る流れが生まれた中で、プロデューサーが海老蔵に声をかけたんでしょうね。

 

――ということは、海老蔵さん主演というところから始まった企画なんですね。

「海老蔵さんで、さぁ何を撮りましょう」というところで、彼はもともと古典の人間だし、鶴屋南北が歌舞伎のために書いた『東海道四谷怪談』がいいんじゃないかと。スタート地点はそこなんです。例えば、部数がいくらいった漫画が原作で、今人気のだれそれが出るとお客さんが入りそうだから映画にしようというパターンに海老蔵は全くはまらないし、はまる必要もない。もちろん僕は映画が本業だけど市川海老蔵と作る映画は、興行的なそういったところとは関係なく“別もの”でありたいと思いますね。

 

――海老蔵さんと作る映画は特別と言われるほどの魅力はどういったところにあるんでしょう?

彼の事情の中で、『一命』のころの市川海老蔵と今の市川海老蔵は大きく変わっているんです。團十郎さんが亡くなって、跡継ぎである男の子が生まれた。世襲の意義、重み、その宿命を見せつけられたような気がしましたね。やっぱり自分の持っているものを全て伝えなければいけない対象が生まれたのは大きいですよ。そこで伝統が本当の意味で引き継がれていく。海老蔵は変わりましたよ、内面がね。表面は変わらないんだけど。やっぱりカッコいいですよ。

 

――天衣無縫なイメージもありますが。

無邪気な人だけどね(笑)。すごくやりやすい役者ですよ。実は、凄く優しいし、繊細で研究熱心でその上、学習能力が高い。本人は語らないけど、俺らとは全然違うなって思いますね。浩介という役に関して言えば、作りこむのはやめようと最初からを言っていて。「じゃ、普段の俺でいいのか。恥ずかしいね」なんて言っていましたよ(笑)。それで、彼が昔プライベートで着ていた服とかそれに似たメーカーの服を今回映画の中で着ているんです。海老蔵が信頼している衣装さんとかメイクさんを集めて、その人たちが持つ“海老蔵像”を浩介の中に埋め込んで。それが自分にとって、どうなのかとか小さいことは考えずに楽しんで演じている。

 

――海老蔵さんは今回、主演と企画にもクレジットされていますが、彼からの提案などはあったのでしょうか?

彼にとっての映画って、未知の世界なんですよ。映画を支配して、自分の思うように何か表現したいというわけではなく、吸収したものを舞台に持ち帰り、本能的に芝居の幅にしていく。柴咲コウと歌舞伎で共演することは100パーセントありえないわけですから、演技の仕方が全く違う役者らと一緒に芝居をするだけでも面白いはずですしね。逆に思い通りにならないところを楽しんでいたように思います。なので、撮影現場は楽しかったですよ。

 

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――撮影現場といえば、中西美帆さんが三池監督はグロテスクなシーンを撮る現場で、少年のように楽しそうだったとおっしゃっていました。

うん。やっぱり楽しいよ! 決して、そういう映画が好きなわけではないんだけどね。ホラー映画は絶対観ないし…。だって、本当に怖かったりしたらヤバイじゃない(笑)。なんでお金払って、怖い思いしないといけないのって(笑)。グロテスクなものもあんまり観ないですね。

 

――ははは(笑)! 三池監督が怖いの苦手なんて意外ですね。

僕にとって一番怖いのは、主人公のために脇役がいるという差別化を感じるとき。例えば『ダーティハリー』では、主人公を強く見せるためにカッコよくマイノリティーたちを殺していくけど、死んでしまった人たちにも家族はいますよね。だけど、そういう匂いもさせない。観客にダメージを与えず、表面上のショックだけ与えて、映画を綺麗に見せている。演じている人も悔しいだろうけど、その悔しさも写さない。あと3コマあれば、死に際にどんな目をしていたかとか入れられるけど、それもことごとく編集で切ってしまう。僕にはそういうものもホラーに見えるね。人間を描くと絶対ホラー的な要素って出てくるんですよ。結局は人間の怨念。『喰女-クイメ-』で言えば、これだけ酷い目にあったら、「怨念だけでも残ってほしい」と逆に願ったり、「絶対復習するよね」って思いますよね(笑)。

 

――ははは(笑)! 確かに思います。(柴咲コウ演じる)美雪が(海老蔵演じる)浩介の洋服を洗濯するシーンでさりげなくポケットの中を探るとか、何気ないけど心当たりのある男性から見ると怖いかもしれませんね。

ある種、両方のにおいが漂ってくるんですよね。男の俺としては理想を求めてしまうところがあって、そういったことを普段からしている女性にも見えるけど、何か詮索しているようにも見える。あのシーンは柴咲さんにふるだけふってどう出るか見ましたが、「分かった」と即答で説明は必要ありませんでした。美雪がそうするのを僕らは撮っているだけで、そこに理由はなく、秘めていなければ広がらないもの。柴咲さんは、そういったものを監督に求めてこない賢い女性です。自分で生理的に「こんな女いるよね」みたいな解釈で演じているんでしょうね。

 

――美しくて、そして賢い。あと度胸もありそうです。

事務所がNGを出しそうな場面も本作にはありますが、彼女はそんなもの関係ない様子でしたよ。よく“必然性”とか言うけど、「そんなの関係ねぇよ」と僕は思っています。例えば、脱ぐ必然性とか。そんなの「見たいから」だし、「魅力があるから」だよね。だからこそ隠しておくというパターンもあるけど。役者ってすごいセンサーを持っているので、曖昧な部分に対して結構敏感なんですよ。そのセンサーに引っかかるところをこちらはさりげなくカメラに収めていく。理屈で台本を構築してもらって、それを生理的に演じて、思うままに撮っていくという作業ですね。計算ではなく、人間的なものがゴロッと反映されているような映画こそ、ドキドキするエンタテインメントになると思うんです。

 

――マイコさん演じる加代子が醸し出す雰囲気も怖い。

綺麗な顔して、感情を表に出さず、付いている女優の台詞を全部覚えているという。アレ怖いよね。でも、そこを直接的な怖さに結びつけるのではなく、淡々と積み重ねていく中で根拠の分からない嫌な気配がしてくるというのが一番の怖さに近づいているんだと思うんです。

 

――確かにそうですね。クレジットには山岸きくみさんが原作・脚本とありましたが、この作品には原作があったんですか?

根っこにあったのは鶴屋南北の『東海道四谷怪談』。それを基に山岸さんが脚本という形で書かれたんです。脚本というのは流れを見せるために抜粋して書いていくものだから、映画のラッシュを観るうちに物語の中に海老蔵らキャラクターを反映させて、それらをひっくるめて元になっている地点にもう一度帰って、何故そういうことを言ったのかとか本人の中で書き足したい部分を入れて原作を書いたという形なんです。

 

――なるほど。映画の後から原作が出来たということなんですね。

映画って、飽きられてはいけないので1時間半~2時間におさめないといけないメディアになってしまっているんですよね。それで、書き手や作り手はフラストレーションがいつも溜まるわけ。今ってごく一部の人しか映画を観なくなっていて、そのごく一部の人を大事にするしかない。その人たちの意に沿うようなものを作らざるを得ない。昔はもっといろんな人が観たから身の丈にあったいろんな興行が出来たんだけどね。オリジナルビデオやVシネマでさえ無くなって…。その理由を、娯楽が増えてネットでうんぬんって言うけど、それは無くしてしまった我々のいいわけで、作り手側の問題だと思いますよ。面白いものを作る熱というか能力が足りないよね。

 

――最近の日本映画のことですか?

お客さんの喜びそうなものをヒットしそうだから作っているような映画は、もう死んでいるも同然。綺麗な死体を見ているような感じ。俺自身、映画を観ていても少しもワクワクしない。「何でこういう風に作って、こんなになっちゃったんだ」って思うこともあるね。ハリウッドは世界中の熱みたいなものを吸収して、「これ1本作ると一生食えるぜ」みたいなギラギラした夢があるんですよね。作る側がどんな形でもいいから、夢を持って作ったものは商品になりえると思うけど、その辺が今の日本映画には難しい。僕なんかこの業界で長くやっているのでそういった常識に揉まれてしまっているけど、それでも疑問に思うことはいっぱいありますからね。

 

――例えばどういったところですか?

日本人はまとめる能力は長けているけど混ざり合うのが苦手なんですかね。バブルのころアメリカの会社を買収して映画会社そのものを日本人が持っている時代があって。そのころ中国はハリウッドに人を投入して10年、20年経った後にきちんとその社会の仕組みの中に入り込んでいる。韓国もそう。撒いた種は必ず育つのに日本にはそれがない。外にも中にもなく孤立してしまっている。いい意味でのガラパゴス化が起こればいいけど、なかなかそうもいかないというのが現状なんだろうな。ホント独自の面白さが出ればいいんですけどね。

 

――確かに最近の韓国映画などアジア映画の勢いはすごいですね。

そもそも日本の観客が日本映画に対してそういったことを期待していないのかな。テレビシリーズで人気のあるものを映画化して「そうだよね」「まぁ、よく頑張っている」というところで付き合えている。それで安心している。こんなだと、ものすごく面白い映画が出来たら「置いて行かれた」と戸惑うんじゃないかな。少なくとも僕らが現場で我々の後輩とか近辺を見ていて「映画が面白くなりそうだな」という予感は今一切感じないですね。このままだと俺死ぬまで映画撮れるなって(笑)。怖いですね。

 

――ファンとしては死ぬまで撮ってほしい気持ちもありますが(笑)。最後に、今回の『喰女-クイメ-』に関しては自由に撮れましたか?

そうですね。映画のいわゆる“きっかけ”を独立して作っている中沢(敏明)さんという方が今回関わっていたのが大きいですね。そういうちょっと昭和チックな動きをするプロデューサーが減っている中で僕らにとってはありがたい存在です。好き嫌いの問題はあっても、昔は角川春樹さんや徳間康快さんらがいて、彼らが共通してやったのが、新しい才能と古い才能のミックス。それが必ずしも成功するわけではないんだけど、そのときに撒いた種は何かしらの形で今も生きている。そういった動きが、今はなくて…って、暗い話ばかりになっちゃってるけど(笑)。とにかく、『喰女-クイメ-』、よろしくお願いします!




(2014年8月22日更新)


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Movie Data





©2014「喰女-クイメ-」製作委員会

『喰女-クイメ-』

●8月23日(土)より、
 梅田ブルク7ほかにて公開

出演:市川海老蔵 柴咲コウ
   中西美帆 マイコ 
   根岸季衣 勝野 洋/古谷一行
   伊藤英明
企画:市川海老蔵 中沢敏明 
監督:三池崇史 
原作・脚本:山岸きくみ
      「誰にもあげない」(幻冬舎文庫)

【公式サイト】
http://www.kuime.jp/

【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/162745/