『そこのみにて光輝く』呉 美保監督インタビュー
『海炭市叙景』の原作者、佐藤泰志。41歳で自ら命を絶った作家が、死の前年に書き残した唯一の長編小説「そこのみにて光輝く」が映画化された。社会の片隅でさまよう男が出会った姉弟。求め合う魂は新たな明日を見出していくが…。佐藤文学の結晶をスクリーンに見事に結実させた、呉 美保監督に話を訊いた。
――監督としてオファーがきたとき、どう思われましたか?
「なんで私なの?」と思いました。そうしたらプロデューサーから「あえての指名なんだ」と言われて。「作品の内容からすれば、普通は男性監督にオファーするし、男と女の話だからある程度人生経験のある人に頼むのが当たり前なんだけど、あえてそうしない方を選んだんだ」と言われたんです。ただ女性監督に撮らせるにしても、私よりも適任者はいるだろうから、どなたかに当たってだめだったのかなと内心思ったのですが、それはあえて聞かず(笑)、なぜ私なのかと考えてみたんです。原作を何度も読み返しました。
――それで、見えてきたものがあったわけですね。
描かれている人間の姿に最初は驚きましたが、何度も読むうちにベースは主人公ふたりの恋愛だけれど、ヒロインの千夏には、彼女がなぜこういう人間なのかということを示す家族の話がきちんと描かれているのに気づいたんです。私はこれまで家族をテーマにした作品を2本撮ってきていたので、それでかなと。
――監督としても、家族の映画を撮りたいという思いはあったということですか?
あったんですが、いままでと同じようなものは嫌だったんです。どちらかと言えば、家族よりも恋愛映画を撮りたかった。というのも、前の2本を撮ってから「呉監督は恋愛映画は撮れなさそうだね」とか「性の匂いがしない」とか言われて悔しかったんですね。それと、私自身が最近の恋愛映画というかラブ・シーンのある映画を観て、あんまり気持ちが乗らなかったということがあって、じゃあ自分の求めるラブ・シーンってどんななんだろうと探ってみたかった(笑)。あとは、映画監督は最初の3本で方向性が決まると言われたことがあって、3本目は大事だぞと思っていたんですね。でも、前の2本の印象からか、いただくお話のほとんどが同じような家族の物語だったところにこのオファーがきて、家族の話も入っているけどベースは恋愛だし、それも背景がきちんと描かれている。きつい物語だけれど、3本目でこれを撮れたら意味のある一歩になるのではと思い、つまり、今やりたいことがすべて満たせるかなと思って挑戦することにしたんです。
「人間の肉感的な存在感、熱い台詞、なにより夏の物語なので色や光が強く出ている。『海炭市叙景』とはトーンの違う映画になると思っていました」
――撮影は近藤龍人、照明は藤井勇という『海炭市叙景』と同じスタッフを使ってもそうなると。
そうです。今回なぜ近藤さんと藤井さんにお願いしたかというと、まず私が観客として二人の画が好きだからというのがあります。それとプロデューサー陣に、『海炭市叙景』で冬の函館を情熱的に撮ってくれた近藤さんに、今度は夏を撮ってほしいという思いがあったこと。あとは、他の作品を含めて、二人の作る画が二人でなければ撮れない画ばかりだからです。それで今回もお願いしようということになった。ちょっと面白かったのは、近藤さんは引きの画に定評があるけど、私はどちらかというと寄りの画が好きなんです。そう言ったら近藤さんも逆にやり甲斐を感じてくださったみたいで、現場では「もう少し寄ろうかな」なんて独り言みたいにつぶやきながらそーっとカメラを寄せてくれたりしたことですね(笑)。
――確かに以前よりも寄った画が多いと思いました。ただ、『桐島、部活やめるってよ』も『夏の終り』も近藤・藤井コンビの仕事だけれど、毎回少しずつ距離感を変えているように思います。
そうなんです。作品ごとに最適と思えるものに変えている。なのに、二人の仕事だってわかるんです。いい感じで自分たちを変えながら、いい感じで自分たちのハンコを押している(笑)。そういう仕事ぶりが好きだなと思いました。
――監督はこれまで自分で脚本も書いてこられたわけですが、今回は『婚前特急』や『さよなら渓谷』の高田亮さんの脚本で撮られたのはどうしてですか?
今回も始めは私が書いていたんですが、一部と二部に分かれている原作を一つにまとめようとして迷ってしまったんです。それで前からいい仕事をされるなと思っていた高田さんにお願いした。すると私が悩んでいた部分を、私の意見を取り込みながら腑に落ちるやり方でまとめてくださった。例えば、火野正平さんが演じた松本という男は原作では二部にしか登場しないんですが、彼と綾野剛さん演じる主人公の達夫との関係を少し変えて、巧みに取り込んでくれた。話をつくる引き出しが多いんですね。高田さんの脚本で映画が絶対よくなると思いました。
――確かに、松本の登場は、タイミングも設定も違和感なかったですね。
そうなんです。でも、そこには高田さんと共に火野さんの力もあると思います。火野さんが醸し出すちょっと不気味な感じがするほどの、なにか背景を感じさせる存在感は凄いですから。火野さんが入られると現場の空気が変わるんです。綾野さんや、千夏の弟・拓児を演じた菅田将暉さんとか、火野さんが来られると緊張していましたから(笑)。火野さんと初めてお会いしたとき、あの独特の口調で「なんでもやるよ」と言ってもらって、私ももう引き込まれました。やっぱり色男ですよね(笑)。
「綾野さんは、5年程前にお会いしていて。しばらくして、映画やドラマで見かけるようになったときには「ああ出てきたな」と思いましたね」
――達夫役に綾野剛というのは監督の第一志望だったわけですか?
そうですね。綾野さんに関しては私、5年程前にCMのオーディションでお会いしてるんです。そのときは最後の二人にまで残ってもらったんですが、女の子に騙される男の子っていうCMの役柄に合わないと思い最終的にはもう一人の方を選んだんです。そのオーディションで見せた綾野さんの空気感が、その後もずっと気になっていたんです。だからしばらくして、映画やドラマで見かけるようになったときには「ああ出てきたな」と思いましたね。それで今回キャスティングで名前が挙がったとき、達夫というのはずっと受け身なんだけど映画を背負って立つ役で、ただ歩いたりお酒を飲んだりするだけで画になる人じゃないと駄目だな考えたとき、彼の独特な空気感を思い出したんですね。あと私の周りに綾野剛が好きだという女子が多かったのも決め手の一つでした(笑)。やっぱり映画って“今”のものだと思うので、そういうことって大事なんです。それで声を掛けさせてもらったら快諾してもらいました。
――資料によると、脚本の冒頭の3行を読んで出演を決めたとあります。
そうなんです。冒頭の3行には「扇風機が回っている…」ぐらいしか書いてなくて、達夫はまだ登場していないんですけどね(笑)。
――きっとそれだけで作品の世界観に感じるものがあったんでしょう(笑)。
すごい嗅覚ですね(笑)。
――それで実際に演じてもらっていかがでしたか?
これは綾野さんじゃなきゃできなかったなと思いました。彼は、達夫に入るために毎日お酒を飲んでどよーんとした感じで現場に入るんですよ。もちろん役作りですよね。達夫のキャラクターは中途半端な雰囲気でやれるものじゃないから、ほんとに身体の芯から達夫になるための努力をしてくれました。地元に呑み仲間もできて、方言の会得などもそのなかでやってましたね。
――背景にそういう状況があったと思うと、なんとなく映画の奥行きが深まりますね(笑)。
素敵ですよね。また、すごいなと思ったのは、映画の前半は飲んでばかりいる達夫が、後半、千夏を愛したことによって家族を持ちたいと思うようになるんですが、ある日、酔っぱらいのシーンを撮ったすぐ後に「家族を持ちたい」と決意を語るシーンを撮ったんです。正直、大丈夫かなと心配でした。でも彼は見事にその2つのシーンを演じ分けてくれました。さっきまでのむくんでいた顔がシュッと引き締まってて。どうコントロールしてるんだろうと感心しました。決意のシーンはすごくいい表情をしていて。しかも編集で観るともっといいんですよ。フォトジェニックってこういうことなんだなって、さらに感心しました。
――役者さんはすごいですね。ヒロインの千夏を演じた池脇さんはどうでしたか?
難しい役を見事にやり切ってくれました。私は、千夏の造形を失敗したら誰も感情移入できない映画になるなと、ホン(脚本)づくりの段階から不安だったんです。映画全体が達夫から見た千夏の物語で、見ていくうちに千夏の“闇”みたいなものも見えてくるわけだから、それが一人よがりの感じになったり、「勝手にしとけよ」という印象をもたれたりしたらアウトなんで、千夏はもう初めから池脇さんしかいないと思ってました。池脇さんには儚さとか可愛らしさはもちろんあるんだけど、そこに30代になった彼女の大人の色気、艶っぽさが加わり、さらにこの街でしか生きられないという土着感、そしてなにかをすでに諦めてもいるんだけど、それでも助けてくれるのなら助けてよと訴える気持ち、そういうものを込めてほしかったんですが、すべて表現してくれたと思います。
――ラブ・シーンのことも含めて、事前にかなり話し合われたんですね?
しました。でも、初めてお会いしたときから、私が「千夏を独りよがりのキャラクターにしないためには、すべてを曝け出してもらわないと駄目だと思うんです」と言ったら、池脇さんも「私も中途半端では駄目だと思います」と言ってくださって。池脇さんは20歳のときに『ジョゼと虎と魚たち』でラブ・シーンをされていて、するとその後も同じオファーがずいぶんきたらしいのですが、彼女はあれ以来一度も受けていないんですね。でも今回は千夏を体現するために躊躇なく応じてくれました。
――プロの表現者ですね。
そして、なんといっても綾野さんと池脇さんの相性が良かった。二人、呼吸が合うんです。だからベッドシーンになんの違和感もないし、海辺を歩いているだけのシーンでも、二人の身長とか肉付きとかがすごくマッチしているんです。二人でいる佇まいが画になるというか、色気を感じるんです。さらに、ときに千夏が達夫を包み込み、ときには達夫が千夏を包み込むという、瞬間瞬間で二人の立場が逆転する感じ、あれは私自身が観ていてゾクゾクしました(笑)。千夏なんて、生まれて初めてじゃなかったのかな、誰かに包み込んでもらうなんて。
――気持ちを乗せられるラブ・シーンとはどんなものか、わかりましたか?(笑)
ラブ・シーンがすごく難しいというのはわかりました(笑)。ただ今回、綾野さんと池脇さんのラブ・シーンがいいのは、呼吸が合っているのもあるんですが、二人がおたがいを思いやるやさしさを持っているからだと思いました。大人なんですよ。結局、そういったやさしさが感じられることが、いいラブ・シーンなのかなと思います。
――千夏の弟・拓児を演じた菅田将暉さん、くされ縁的愛人の中島を演じた高橋和也さん、助演ですばらしい演技を見せている二人についても教えてください。
菅田さんは2年程前にテレビで見たとき、ちょっと浮いてるというか、他の人とは違う芝居をしていて気になったんです。すぐに名前を調べて、いつか一緒に仕事したいとずっと思っていました。そんななか、彼が受けの演技をしている『共喰い』を観て、逆に感受性を剥き出しにした彼が見てみたいと強烈に思ったんです。それで今回キャスティングさせてもらってその気持ちを伝えたら、菅田さんもちゃんと演技で応えてくれた。映画の後半はもうカメラの前にいるのが拓児なのか菅田将暉なのか私にもわからなくなる感じで、観ていて楽しくヒヤヒヤ、ゾクゾクしてました。
――役と一体になってたわけですね。
そうなんです。でも、それは綾野さんもそうで、終盤、アパートの前で二人が絡むシーン、あそこで達夫が拓児を殴る芝居は脚本にないんです。それをある日、綾野さんが「拓児を殴ろうと思うんです」って言い出したんです。「殴ると自分の手も痛いけど、きっと達夫はそうすることで拓児に愛を注ぐと思うから」って。私も「やってください」と即答しましたが、そのことを菅田さんには黙っていたんです。二人ともすごい芝居をしてくれて、役になりきってました。
――あそこの衝撃と迫力は本物だったんですね。高橋さんはどうでしたか?
私『KAMIKAZE TAXI』や『ハッシュ!』の高橋さんが大好きで。まあ、もともと男闘呼組のファンだったんですが(笑)。でもほんとに時代を超えて地に足のついた芝居をされているな、歳や経験を重ねた表情をされている俳優さんだなとずっと思っていたんです。それで出てもらったら、ご本人はものすごく紳士な方なのに、お芝居では嫌悪さえ覚える中島像を造ってくれた。でも、実は中島が一番人間的なんですよね。
――そう、中年男性から多くの共感が寄せられると思いますね、あのキャラクターは。
確かに「よくわかる」って言ってくださる男性は多いですね(笑)。いろんなものにがんじがらめになっていて、実は気の小っちゃい男なんだけど、それは見せられない。唯一、自分を曝け出せるのが千夏の前だけなんですね。千夏もそれがわかっているから、ずぶずぶの関係を続けてしまう。
――わかるなー(笑)。
それも経験を積んだ“今”の高橋さんの演技の力ですね。
――こういう人間の悲しみを背負ったドラマを観ていると、60~80年代に製作されたATG(アートシアター・ギルド)の作品を想起する人も、ある世代以上の映画ファンには多いと思います。
私もATG作品は大好きですが、かつての世界観をなぞった旧臭い感じの作品にはしたくなかったんです。でも、それは杞憂でした。綾野さんや池脇さん、菅田さんなど現在活躍している俳優さんたちが出演すれば現在の映画になるということがわかりましたから。函館の寂れた繁華街に綾野さんが立つとなぜかスタイリッシュに映ってしまう。そういうことなんです。だから、今回の作品はどう見ても現代の作品で、それを観て「久しぶりにATGのような作品を観たよ、ありがとう」とか言ってもらえると、それは素直にうれしいです。
――監督がこの映画で観せたかったものは何か、最後にうかがえますか?
愛を知る、ということですね。人間だれもが愛を求めているし、できれば与えもしたい。愛にまっとうな形なんてなくて、全部不器用だし不格好。でも愛を知ることで人は生きていける。ここに描かれた千夏も達夫も拓児も愛を知ったことで変わることができ、きびしい人生だけれども、それでも明日は来るというのを信じられるようになったと思う。そういうことを感じてもらえると嬉しいです。
(取材・文:春岡 勇二)
(撮影:森 好弘)
(2014年4月18日更新)
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