日本で育ったアメリカ人監督が女性ならではの視点で描く
美しさを感じるドキュメンタリー
『ひろしま 石内都・遺されたものたち』
リンダ・ホーグランド監督インタビュー
日本映画の字幕翻訳者としても活動するアメリカ人監督、リンダ・ホーグランドが女性写真家、石内都に密着し彼女本人ではなく彼女の作品を主役にしたドキュメンタリー『ひろしま 石内都・遺されたものたち』が、8月3日(土)より梅田ガーデンシネマにて公開。広島の被爆をテーマに作品を発表した石内の想いと、彼女の写真展に触発された人々の声や歴史を積み重ねながら、広島・長崎の被爆を国境を越えて語り継ぐために何ができるのか? を問いかける真摯な作品だ。そこで、公開を前に来阪したリンダ・ホーグランド監督に話を訊いた。
――監督は、京都生まれで幼い頃は日本で育ったとのことですが、広島についてはいつ知ったのですか?
「小学校4年生のときに授業で原爆投下の事実を知りました。もちろん4年生の授業なので南京虐殺や真珠湾攻撃の話も抜きで、青天の霹靂で原爆投下という話だったので、クラスメイトは皆とんでもない国の人がいるという感じでわたしを見ました。その瞬間は罪を犯した責任を自分でとらなくてはいけないような、おぼろげな罪悪感に見舞われたことを今も覚えています」
――子どもの時のその経験は監督にとってかなりのトラウマになったのでは。
「わたしは周りの友達と違うんだという気持ちになりましたね。原爆投下に関してはアメリカが謝罪していないままで謝罪するつもりもないでしょう。国家が謝罪していないのに個人が謝罪して意味があるのかは難しすぎる問題ですが、贖罪はあってもいいんではないかとわたしは思います。わたしが「ごめんなさい」と言ったところで何も始まらないけど、映画を使って贖罪と追悼することは出来るのではないかと。意味のない大げさなことはしたくないけど、これならわたしに出来るなと思ったんです」
――写真家、石内都さんとの出会いは?
「大学以降はアメリカに住んでいるのですが、日本で育ったわたしにはアメリカで聞かされる話にすさまじいギャップを感じて、その隙間を少しでも埋めたくて自分でいろいろと勉強したんです。それで、まずは『TOKKO/特攻』という映画をプロデュースし、その後『ANPO』を監督して。そんなことをしてる内に石内都さんと出会いました」
――石内さんの作品を最初に見たときはどんな気持ちになりましたか?
「写真集になる前のダミーで初めて彼女の作品を見ましたが、やっぱりすごい感動しました。それで「この写真だったら今までのギャップが理屈じゃなく埋まるんじゃないかな」と思ったんです。写真を見ることで、美しいワンピースを遺して原爆投下で亡くなった方の追悼をする。これで勝ち負けを抜きにした何かが生まれてくるんじゃないかなと思ったんです」
――そこから映画を撮ることになったのですか?
「石内さんにとって北米で展覧会をするということがどんなに大事かは知っていましたし、『ANPO』がバンクーバー映画祭に呼ばれたときに博物館の館長に話を持ちかけたらすんなりうまくいって、それで展覧会が決まって。あんな素晴らしい博物館のすごい展示会場であれだけの数の作品を展示して、それで終わるのはもったいないなと思って「映画にしたいな」と言ったら、プロデューサーを紹介していただけて映画になりました」

――カナダとアメリカではやはり状況が違うものですか?
「全然違いますね。カナダには原住民がウランを掘らされていたという歴史はあるものの、もちろん原爆投下に直接は関与していないし、第二次世界大戦後も、戦争を続けていない。やっぱり戦争に対する意識がすごく違う、中立国であり平和国家というか。なぜアメリカ人が原爆を直視できないかというと、直視するとアメリカ人は世界で一番素晴らしい人間だという自分の中の位置づけが壊れてしまうんですよね。あまりにも根本的だから辛いんじゃないかな」
――修学旅行で来る広島の子どもたちも含め、アジア人が結構出てきますね?
「バンクーバーという町は6人に1人がアジア人で映画に出て来る方々はごくごく自然に会場に来てくれた方々なんです。広島の子たちもカナダ指折りの観光名所にもなっている博物館のトーテムポールを見に来たんです。トーテムポールがそこにもともと在って、それに合わせてガラス張りのすごい素敵な博物館が作られたというだけあって、原住民の霊が宿っているような空間なんですよ。カナダでは原住民のことを「ファースト・ネイションズ」と呼びます。まず最初に彼らの国だったと。アメリカでは「ネイティブ」とか「ネイティブ・アメリカン」と呼びますが「ファースト・ネイションズ」ほどの経緯を表していないし、あんな博物館はアメリカにはないですね」
――その学生らが石内さんの展覧会「ひろしま」で記念撮影する場面が印象的です。
「わたしの目に写った学生たちは、原爆投下寸前の広島にいたであろう女子学生たちと重なって見えました。服装はもちろん違うけど、カメラを前にみんな生き生きとしていて。記念写真を撮る楽しさみたいなものは68年前と全然変わっていないだろうなという気がしました。あの場面を入れたのは、こういう美しい少女たちが亡くなっていったんだ、というわたしの無言の主張です」
――今回映画に出てくる方々はみなさん偶然なんですか?
「展覧会の会場に来ている方は、ほぼ自然に足を運んでくれた方々です。子連れのお母さんは展示内容を全然知らないで子どものバースデープレゼントにトーテムポールを見に来たと言っていました。ただ、映画の中で長く話してくださっている方々は『ANPO』絡みで知り合った方に「是非会場に来てお話してください」と声をかけていた方もいます。「収容所で生まれたので故郷がない」と言っていた方は、わたしの友達の友達でバンクーバーに住んでる方なんですが、そういった生い立ちについては友達も知らなかったそうです。あの展覧会場は、どんな傷を持った人が行っても被爆体験者に比べると自分の傷は浅いと思うのか、何かこの場所だったら語ってもいいと感じるような会場だったんじゃないですかね」
――ひとりひとりの話がとても興味深かったです。
「父親がマンハッタン計画に科学者として参加していたけど、爆弾を作っていると知って降りたという一言で、ではほかの残った人は降りない決断をしたんだ、とか。退役軍人のカナダ人がひろしまでケロイドを気にしていた被爆者の女性に一目ぼれをしたんだ、とか。ひとつのシンプルな発言で小さな事実がひとつの発見として全然違うように見えてくることがあるんですよね」
――確かにそこまで話しているわけではないですが見えてくるものがありました。
「この映画ってたぶん偉そうにいろんなことを言うより、ひとつのことをポツンと言うだけで良くて、それを並べていくと自然にいろんなことが違って見えるんじゃないかなと思っています。わたしは本でも映画でも解釈を自分で発見できる方が記憶とか感情に残ると思うんです」

――この映画はとても美しくて女性監督らしさが漂っています。
「写真家の石内さんも、学芸員の下村さんも、プロデューサーの橋本さんも、わたしもみんな女性ですからね(笑)。映画作りでまっ先に決めたのが昔の悲惨なモノクロの映像は使わないということ。あの映像がトラウマになっているというのをうかがったことがあったので、そのトラウマの逆の映画にしたかったんです。ギリシア時代から戦争の後の弔い、喪の仕事みたいなものはずっと女性の仕事だった。最前線に行くのではなく、誰かが亡くなった人の面倒をみて、残された人とか残された物たちを見守る役があるんですよね。石内さんは撮影をするときに遺品を跨いだりしていますが、あれは失礼なことではなく、より近くで親密に撮りたいという現れ。こういった勇敢さは、もしかしたら女性だからなのかもしれない」
――石内さんの写真も本当に美しいですね。
「ワンピース自体はグレーかベージュのような色をしたものもあるんですが、ライトボックスに入れることでどこか天使のように見える。基本的に実際に遺品に触るのは学芸員だけで手袋もはめて触れていて、無造作に扱ってはいないんですが、石内さんの心を注いだ演出によってより美しく見えるんですよね。時々、それを「美しすぎる」と批判的に言う人がいますが、石内さんは「原爆の前はもっと美しかった」と言っていました。美しすぎるとか、そんな複雑なことじゃなく、もっとシンプルにもともとはもっと綺麗なワンピースだったんですよね。とくに展覧会では、キャプション無しで展示しているので何も分からない。事実を抜きに、ただただ美しいワンピースを見ると、どうしても想像したり、自分の戦争体験を思い出したり何か連想してしまう。そういう作品なんだなとつくづく思いました」
――美しい映像にこだわられる理由、何か今までで影響を受けたものは?
「やっぱり、黒澤明さんや市川崑さん、宮崎駿さんなど200本以上の映画に字幕を入れたことがわたしにとっての映画学校だったのかなと今思います。美しい映像を見て、画面に身を乗り出してしまうような体験が好きなんです」
――映画のリズムについてこだわりはありましたか?
「「80分で560カットしかない映画は今のアメリカで誰も作っていない」とラボの方にも言われたんですが、これは一緒に息をしてゆっくり見て欲しい。一緒に暗闇の中で時間を過ごして何かがじわじわ伝わってくる。そういう空間を作りたかったんです」
――原発の是非が問われている今の日本と本作の関係は?
「石内さんは「リンダ、呼ばれてきたね」と冗談で言うんですけど(笑)、この映画の撮影のために来日した日がたまたま311で東日本大震災が起きた数時間後に来て余震を体験しました。福島でああいうことがあったから、この映画の意味が急に過去のものから今のものになったと確信しました」
(2013年7月30日更新)
Check
リンダ・ホーグランド 監督 プロフィール(公式より)
Linda Hoaglund●アメリカ人宣教師の娘として京都に生まれ、山口、愛媛の小中学校に通う。エール大学を卒業後、ニューヨークをベースに活動。1995年以降、字幕翻訳者と して宮崎駿、黒澤明、深作欣二、大島渚、阪本順治らの作品を始めとする200本以上の日本映画の英語字幕を翻訳する。2007年、映画『TOKKO/特 攻』(監督:リサ・モリモト)をプロデュース。2010年には長編ドキュメンタリー映画『ANPO』で監督デビュー。同作品はトロント、バ
Movie Data
©NHK / Things Left Behind, LLC 2012
『ひろしま
石内都・遺されたものたち』
●8月3日(土)より、梅田ガーデンシネマ、
9月7日(土)より、京都シネマ、
神戸アートビレッジセンターにて公開
【公式サイト】
http://www.thingsleftbehind.jp/
【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/161040/