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震災以降の映画表現に思いを巡らせる傑作
『ポッポー町の人々』鈴木卓爾監督インタビュー

 『私は猫ストーカー』、『ゲゲゲの女房』などで知られる鈴木卓爾監督の新作『ポッポー町の人々』が、5月18日(土)より神戸映画資料館にて公開に。本作は、映画監督や役者として活動する山本政志がプロデュースの映画塾「シネマ☆インパクト」の第一弾として制作された作品で、東日本大震災の発生から1年後というタイミングで、架空の町ポッポー町を舞台に大地震から1年後の物語をつづる群像劇。映画の中の設定と現実が交錯する中、フィクションの在り方を問う野心作だ。また、今回の特集上映では「1シーン1カット固定画面、アフレコダビングなし」がルールの短編企画「ワンピース」の新作4本と、仙台短篇映画祭制作プロジェクトのオムニバス映画『311 明日』の中の1本『駄洒落が目に沁みる』の特別ロングバージョンも上映。そこで、公開を前に鈴木卓爾監督にインタビューを行った。

 

――登場人物ひとりひとりが個性的で、彼らがチグハグながらも絡んでいく様にとても惹かれました。映画塾「シネマ☆インパクト」にて制作された作品とのことですが、撮影はどのように?

 

「受講者のうち12人は俳優志望だったので、3日という限られた撮影日の中で、その全員を映すことが出来るのかという点で少し苦労しました。まず準備段階で、親戚のおばちゃんと姪っ子や恋人同士、友人同士や兄弟などの関係性をそれぞれに作ってもらいエチュードをやってみました。普通の町にありそうなシンプルな人間関係を個々に作って、人と人をリレーのように繋げていけたらと思ったんです。結果としては、綺麗なリレーになっていない編集になりましたが、そうやって関係を作ってもらい、エチュードを見ながら「この人はどう撮ったら面白くなるのか」「どういうところがこの人らしさなのか」みたいなことを気にかけながら探っていったという感じでした」

 

――この作品は震災からちょうど1年を迎えた2012年3月に撮影されたとのことですが、当時の東京の町に漂っていた空気を巧みに切り出しているんだろうなとすごく感じました。

 

「「3.11」に関して言えば、東京は被災地なのか? そうではないのか? でも、起きた出来事はダイレクトに響いてきていた反面、町自体に壊滅的な打撃はあまりなかった。それでも、大変なことが起きたという空気は誰もが感じていて、しかもそれは現在も続いています。今回上映してくださる、神戸映画資料館のある新長田も阪神・淡路大震災で被害に遭われたということは知っていますが、僕は震災前の町の姿を知らない。資料館までの道は復興を終えた姿だと思いますが、(発生の1995年)当時、東京にいた僕はどこか“向こう側の世界”としか認識出来ていなかったように思います。映画を撮ることで、その映像が何かの本質に触れられるかというと、それは難しいかもしれない。
 

震災あとの2011年の夏頃でしたが、朝、京王線の代田橋の駅のホームに立っていたら、反対側のホームに通勤するサラリーマンの方々が沢山いて、何故か皆一様に途方に暮れているように見えたんです。主観でしかないけれど、朝の光が妙に白くて、とても強烈な印象を受けました。内側にポコッと穴が空いたような自分の気持ちと、たまたま同じ風景を見た気がしました。

映画にする事の根拠って、むしろ自分がその時見て感じた、かたちのない実感に拠る事が多いのかもしれないです。
 

『ポッポー町の人々』の中で起きることは、あくまで“自分の知り得たこと”や“実感の中の範囲”でしかありません。それでしか3.11を描けない。ですから、作品にあるのは目に見えないものへの漠然とした不安に近いものだったりします」

 

――そうですよね。

 

「大事なのは、それを元にフィクションをどう作るかということ。震災があった上で、どうフィクションを語るか、どうやって物語=映画を作るか、でしかないと思うんです。『ポッポー町の人々』や(同時上映される)『駄洒落が目に沁みる』は、今はこれしかない。という気持ちで作りました。映画って、その多くは人を撮るものですし、“物語にいる人”を見てもらえることで始まるものしか出来ないと思って作っています」

 

――ドキュメンタリーでなくフィクション=虚構を出発点にして社会と向き合った『ポッポー町の人々』には、現実からの大きく痛快な飛躍を見て取れます。

 

「撮影した中にまったく存在しなかった、架空の設定の“電車虫”というのが出てきます。でもそれを構築してるのは、仕上げで加えた『テロップ・文字』と『音』だけなんですね。それだけで、現実の町を撮影していながら、普通の町とはちょっと違った場所に見えて来てしまう。この異化効果は、今私達が曝されている、目に見えない放射線を意識しようがない中、不安感いっぱいで過すこの現実の異化に対する、裏返しみたいな気持ちでやっている気がします」

 

――通常の撮影スタイルでは取り込まないような音を入れた音響も、画面に躍動感を与えてますね。

 

「録音の島津(未来介)さんには、「とにかく騒がしい、うるさい、常に起きている事の音が聴こえているのと同時に“向こう側”とか奥の方とか、“聞こえてくるもの”をガンガン入れてほしい」とお願いしました。聴覚って普段は意識していないけど、いろんな音を聴いてるんですよね。

例えば、屋上でコタツを囲むシーンで鳴るヘリコプターの音。あれは、実際にヘリが飛んできているときに、カメラを回してみました。映画を撮るときの僕たちは、音に敏感になっています。その上で、「ポッポー町の人々」は音の鳴るものはどんどんウェルカム状態! 町っていう意味で、映画に思わぬ、観念的・抽象的な立体感が出てくるし、俳優さんたちの顔も違って見えてくる。そこが面白いところなんじゃないかなと思ってやっています。そんな感じで撮影しているから、それらを効果的に聴かせたり見せたりする編集作業はとても楽しかったです」

 

――制御できないものをあえて効果的に活用した訳ですね。設定にある“境界”は、この作品全体の鍵のひとつでもあります。終盤のある場面では映画ジャンルの境界をも踏み越える熱を感じました。

 

「映画の終盤では、自分たちではコントロールの利かない大きな動きの中にカメラとマイクや役者と一緒に参加していきます。そうすることで、私達全員の緊張度の度合いも凄いものになりました」

 

 

 虚構の描写の果てに、映画に大きな波が訪れる。それは監督がインタビュー中に幾度か挙げた言葉“向こう側”へ到達する瞬間であり、震災以降の映画表現に思いを巡らせる瞬間でもある。今回の特集上映初日には鈴木監督が神戸映画資料館に来館。舞台挨拶やトークを行う予定。新長田にはプライヴェートでも何度か訪れ、お気に入りの揚げ物お惣菜の売ってる精肉屋さんもあるほど馴染みのある町、アットホームなトークが期待される。

 

(協力:シネマキネマ)




(2013年5月14日更新)


Check
鈴木卓爾 監督 (PHOTO:奥村達也)

Movie Data


『ポッポー町の人々』

●5月18日(土)~28日(火)、
神戸映画資料館にて公開 [(水)(木)休館]

※同期間、鈴木卓爾短篇集(5作品)の上映あり、
初日は鈴木卓爾監督による舞台挨拶も予定。
詳細は劇場HPを参照ください。

【料金】
『ポッポー町の人々』
一般1300円/学生・シニア1000円
『短篇集(5作品)』
一般1000円

【シネマ☆インパクト】
http://cinemaimpact.net/vol1/b.html

【神戸映画資料館】
http://kobe-eiga.net/

★観た人の感想をチェックしてみてください!
http://coco.to/movie/19988

【STORY】

2011年3月11日、日本で大地震が発生した。それから約1年、路面電車が行き交う東京のとある下町、ポッポー町に住む人々は、それぞれが自分の生活や人生、身の回りの小さな問題を抱えながら生きていた。その中で震災や原発事故といった大きな問題と自分たちなりの仕方で向き合っていくのだが、いよいよ2012年の3月11日を迎え、雑谷田の人々は、何かに導かれるようにして次なる一歩を踏み出していくのだった。