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「あんたはあんた、わたしはわたし。私は踊りたいように踊るだけ!
 という感覚が生き方にも繋がるんでしょう」
『長嶺ヤス子 裸足のフラメンコ』大宮浩一監督インタビュー

 日本フラメンコ界の先駆者であると同時に、世界的なトップダンサーである長嶺ヤス子。ステージで華やかに舞うだけでなく、100匹以上の捨て猫や犬と暮らしながら油絵を描くなど、多彩な面を持ち合わせる彼女の現在を映し出すドキュメンタリー『長嶺ヤス子 裸足のフラメンコ』が5月4日(土)より、第七藝術劇場にて公開。彼女は東日本大震災から間もなく直腸癌に倒れるが、それから約1か月後にはすでにステージで華やかに踊りを披露していた…。そこで、公開を前に来阪した大宮浩一監督にインタビューを行った。

 

――まず、どういう流れでこのドキュメンタリーを撮ることになったんですか?
 
「3月の末に被災地を撮影しに行ったんですが、何も撮れなくて悶々とした時期があったんです。それで偶然、その時期にある人を介して長嶺さんが体調を壊して入院していると知り、あまり深く考えずに「お見舞いを兼ねてご挨拶に行ってみよう」と。もちろん僕らが行くということは、少しは撮影したい気持ちがあったんですが、ある程度の準備を踏んでお会いしたという感じではありませんでした」
 
――知り合いでもないのに急な見舞いですか! 「撮影したい」と話して、長嶺さんはどんな反応でしたか?
 
「初対面の時が手術した直後で健康な状態じゃなったんですが、すごく穏やかで撮影も快諾してくださり、一気にいろんなことを話されたんで「ちょっと明日カメラ持ってくるんで」と(笑)。1度聞いてしまうと、どうしても「昨日の話をもう1度」と言うのが好きじゃなくて。なるべく僕もカメラマンも初めて聞くことを一緒に体験、経験したいと思っています」
 
――もともと長嶺さんがご病気と知って撮り始めたというところで、どういう内容のドキュメンタリーを撮ろうかテーマのようなものはあったんですか?
 
「長嶺さんのことをそれまで全然知らなかったんですが、僕の中のイメージとして、漠然とたぶん復活するだろうと思っていました。半分予想で半分希望ですね。ちょっと後づけっぽいですが、3月11日の直後で東京はすごく薄暗くてみんなうつむき加減で…。僕の気持ちの中では長嶺さんを撮ることで、僕自身も世の中も元気になっていって欲しいなという希望がありました」
 
――多彩な方ですし、長嶺さんをひとつのドキュメンタリーで描く上でどこに焦点を合わせて見せるか大変だったんでは?
 
「これは今回に限った話ではなく僕の好みなんですが、とにかく振り返りたくないんです。今、喜寿を迎えつつある長嶺ヤス子を描くのに「1936年福島県会津若松で生まれ…」ということは情報でしかない。全人生を90分そこらの映画で描くことは僕は難しいと思うんです。僕らが会った、しかも初めて会った長嶺さんと撮れるものを撮りたい。今現在感じたものだけで作りたいということを最初から考えていました。幼い頃の写真や若くて華やかしいころの素晴らしいフラメンコの映像ももちろん残っています。でも僕らは今の長嶺さんを撮って残したかったんです。」
 
――確かに過去は出てきてないですね。
 
「お見舞いに行って出会った翌日の4月の頭から2月の末のお誕生日まで。長嶺さんのほぼ1年間を、僕の気持ちとしては震災とシンクロしながら撮ったんですが、思いのほか長嶺さんの復活が早かった(笑)。」
 
――ハハハ(笑)! 1ヶ月で復活してますもんね。でも勝手に過去をあれやこれや想像してしまいました。
 
「それは本当に嬉しいです。想像が事実と反しても良くて「このおばちゃんお転婆だったろうな」「周りの人間は大変だったろうな」とかいろんなことを今の時点で想像してもらう。或いは、長嶺さんを追いかけた1年間を観て、これから先のことを想像してもらうとかね(笑)」
 
――映画の中で長嶺さんが「日本人のフラメンコを気持ち悪い」というようなことを話されますよね。
 
「フラメンコって、アンタッチャブルな流れ者の芸能なんですよね。そういうものを当時23、4歳のうら若き長嶺さんは単身で学びに行った。そんな経験がある私だから出来るのよという自負もあると思います。戦後まだ15年で、一般の人は1963年ごろまで渡航禁止ですからね。日本人のフラメンコは形やステップを真似てるだけで、それがあなたがしたいことなのか。形=フラメンコじゃない、中から出てきたものが形となってそれぞれ出せばいいんじゃないの、と。僕自身は踊りに関して全然分かってないんですが、言ってみれば盆踊りも含めて“踊り”というのは求愛行動ですからね」
 
――そうなんですか?
 
「そうなんですよ。そういうことも含めて中から出てくる表現だと思うんです。三味線に合わせて踊るシーンも映してますが「あれがフラメンコか」と言われると、あれが長嶺ヤス子のフラメンコで長嶺ヤス子のたぶん生き様なんでしょう。映画の中で使わせてもらった長嶺さんの言葉で「踊りには“怒り”がある、でも絵はそこまでいってない」というのがあります。売れる絵を描いてるんですよね。それって映画屋も同じで、売れる映画と納得する映画が一致すれば素晴らしいですが、なかなかそこは難しい話で(笑)。長嶺さんの踊り方、長嶺さんの考え方、そしてそうやって実際に生き抜いてきたことを尊敬しています」
 
――長嶺さんの踊りを観て泣き崩れている女性が映っていますが、実際に生で観るとそれぐらいの迫力があるんですか?
 
「憑き物だとか(笑)、宗教的な雰囲気を長嶺さんの踊りから感じられる方がおられるんですが、僕にはちょっとそれは分かりません。女性には分かる長嶺さんのパワー、テレパシーと言うんでしょうか? そういうものが憑いちゃうんじゃないかな(笑)?」
 
――踊りって言葉では説明し辛いものではありますが、踊りについてはあまり語っていませんね。
 
「長嶺さんはフラメンコダンサーではありますが、朝から晩まで踊ってるわけではありません。僕も最初はダンサーとしての長嶺さんに興味があったんですが、やっぱり人。震災直後に踊り手として著名な長嶺さんは、どう暮らして何を感じているのか。踊りは空気感とか匂いなども含めて生には敵いません。だからって今回はひいたわけではないですが、踊りに関してこちらもあまり聞きませんでした。情報としてはたくさんの猫や犬を飼っているというのは知ってたんですが、ダンス以外の長嶺さんにもどんどん興味が向いていったところで、震災後初めて帰るというので、じゃあ一緒に行ってみようかなと」
 
――印象的な言葉がたくさん出てきますが、長嶺さんが老犬ハチにかける言葉「手を握って愛情があれば生きてる意味があるけど、それもなくただ病院に入れてるだけでは生きてる意味がないじゃない」というようなことを言われていて、そのまま人間にも当てはまりものすごい心を揺さぶられました。
 
「死生観、終末医療に関しては僕の中でもずっと追いかけているテーマです。編集段階で、あの「手を握って~」という言葉については、こっちの考えを長嶺さんに代弁してもらってると捉えられるんではないかと思って、正直使うかどうか迷いました。今まで僕らが作ってきた映画の流れとリンクしてしまって…。でも、長嶺さんが言ったことは事実だし。あの言葉は長嶺さんの考えですが、僕らスタッフもシンパシーを感じた部分です。あと、介護施設などにいる、なかなか意思疎通が出来ないお年寄りの方々もあのように思ってるかもしれないなと。会いに来るか来ないかということだけではなく気持ちの問題ですけどね。長嶺さんは客観的に言ってますが、あの世代の方々の気持ちをも語っているというか。僕はそう感じてあの言葉を使わせてもらいました」
 
――あと、ハチの絵を描きながら、宗教とか関係なくごくごく自然に「ハチに昔世話してもらったかもしれないじゃない」というよなことを話されていて、非常に豊かな心を感じました。
 
「あの時、長嶺さんが描いていた絵ってそういうことを考えて描いたわけではないと思うんです。描いていたらあぁなって、自分でその絵を見て「もしかしたら~」と思ったんでしょう。そういうのも踊りに繋がってるかもしれないですね。あのハチは、編集中に死んじゃって「お葬式するけど撮る?」って言われたけど撮りませんでした。「映画の中でハチくんは生きてますから」ってね(笑)」
 
――「映画の中で生きてる」っていいですね(笑)。でも記録として全て撮っておきたいとは思わなかったんですか? 編集で残すか残さないかは考えるとして。
 
「僕はある程度、撮影の段階で記録する部分に制限を作りますね。今回も長嶺さんの東京の自宅には入っていませんし。」
 
――入ってないんですか!
 
「入りたくないというか、自分でセイブしたんです。見てみたい気もしますよ。でも、見たからなんだよと(笑)。長嶺さん、堂々と絵を描いてますが、あれ人の家ですからね(笑)!」
 
――ハハハ(笑)! 犬猫を多数飼うことで近隣とトラブルになるようなケースも聞きます。でも、トラブルを起こす人というのは人間がペットに依存して病んでることが多い。長嶺さんを見てるとペットじゃなく“命”でしかないと感じました。
 
「言葉で言うと「しゃあないな」です。しょうがない。今ここに苦しんでいる人、生き物、命があったらね。介護を含めた終末医療的なことにもみなさん仕事だったり、義務だったり決してしゃあないからやってるわけではないんですよね。でも同じやるんであれば、いい意味で「しゃあないな」と受け入れる。自分よりちょっと力の劣っている人間とどう接するかということでしか、人は語れないんじゃないかなと最近思います。そういったベースがあれば人間関係ってそんなにこじれないと思うんです。単純なことで、強い者が弱い者を助ける、弱い者はより弱い者を助ける。それは体力なのか知力なのかそれぞれ違うと思いますが」
 
――踊りもそうですが、犬猫の世話にしても全てのシーンから生命力がほとばしっていますね。
 
「僕は介護施設などで幸せな死を迎えるためにはどうしようかというところで奮闘している若者たちをそれまで撮っていたんですが、震災によってたくさんの方が亡くなられた。震災直後の復活というようなこともあって“命”を描くということを最初から意識していましたね」
 
――あと「本当の私じゃないかもよ」という言葉がすごく印象的なんですが、これを冒頭に持ってきた意図は?
 
「あの言葉自体は長嶺さんが僕を励ましの意味でかけてくれた言葉なんですが、結果的に冒頭に使ったのは僕の中で「ドキュメンタリーなんていうのは嘘つきなんだぞ」ということです(笑)。高齢な方の人物像を描く時、周りの方にインタビューして固めていくことがよくありますよね? でもそれって彼らが言ったという事実だけでそれを信じろというのもおかしいじゃないですか? 僕はそれが嫌なんです。本人が元気でいらっしゃるんだから聞きたいことがあれば本人に聞けばいい。亡くなった人を描く場合はしょうがないですけどね。生きている時にお付き合いのあった方にいろんなことを語ってもらってそれを立体的に想像してもらうしかないわけですからね」
 
――冒頭に入ってますが、最初に撮影依頼をして言われた言葉ではないんですね。
 
「僕ね、編集は基本的に早い方なんですが今回は編集だけで1年掛かったんです。撮影は12年の2月に終わってるのに編集は去年いっぱいかかってしまった。「どうせ本当の私じゃないかもしれないんだからいいのよ。何を悩んでるの」という長嶺さんの言葉はすごい勇気になりました。踊りや絵という具体的な活動をされてる方だから僕らがすることも同じ表現者として受け止めてくれてるのかなと思います。あんたはあんた、わたしはわたしと。いい意味で。だから長嶺さんの踊りの見方も自由で、私は踊りたいように踊るだけ!という感覚が生き方にも繋がるんでしょうね」



(2013年5月 3日更新)


Check
大宮浩一 監督●1958年生まれ。映画監督、企画、プロデューサー。日本大学芸術学部映画学科在学中より映像制作に参加。『ゆきゆきて、神軍』(87/原一男監 督)等で助監督を務める。93年、有限会社 大宮映像製作所を設立。主な企画・プロデュース作品に、『JUNK FOOD』(98/山本政志監督)、『踊る男 大蔵村』(99/鈴木敏明監督)等。 2010年、『ただいま それぞれの居場所』を企画・製作・監督し、平成22年度文化庁映画賞文化記録映画大賞を受賞。同年『9月11日』、2011年『無常素描』を企画・製作・監

Movie Data



(C)大宮映像製作所

『長嶺ヤス子 裸足のフラメンコ』

●5月4日(土)~24日(金)、第七藝術劇場
●6月1日(土)~7日(金)、神戸アートビレッジ
センターにて公開

【公式サイト】
http://hadashinoflamenco.com/

【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/161221/

Event Data

舞台挨拶決定!

【日時】5/4(土)11:55の回上映後
【会場】第七藝術劇場
【料金】通常料金

【登壇者(予定)】長嶺ヤス子