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「人の感情ってそれぞれまったく違うはず。それが分からない人に
どう向かうかを僕たちはいつも問われてるんじゃないかな」
『ぼっちゃん』大森立嗣監督インタビュー

 『まほろ駅前多田便利軒』や『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』の大森立嗣監督が、2008年に発生した秋葉原無差別殺傷事件の犯人をモチーフに描く問題作『ぼっちゃん』が6月1日(土)より、第七藝術劇場にて公開。孤独を内に抱える派遣労働者の青年が、厳しい社会環境の中で居場所を失い、追い詰められていく様を描き、ひとりの青年の姿から、現代日本の社会の様々な問題を炙りだそうとする作品だ。そこで、来阪した大森立嗣監督にインタビューを行った。

――題材は“秋葉原無差別殺傷事件”という、とても笑えない悲惨な事件ですが、意外にもたくさん笑えて面白かったです。映画としてフィクションを作る上で、どうしてこういう見せ方にされたんでしょうか?
 
「この映画は実際の事件をモチーフにしていますし、最初は主人公の家庭環境や親との関係を実録風に描こうともしたんです。でも、それでは事件を説明しているようで、逆に説明さえも出来ていないんじゃないかと思えてきて。複雑な家庭環境に育ったからと言って事件を起こすとは限らないし、それで「ちょっと待てよ」と思いなおして…」
 
――それでフィクションとして。
 
「そう。やっぱりフィクションにすると分からないことがいっぱい出てくるんです。僕自身も(本作の主人公・梶のモデル)加藤智大という人物にどう迫ったらいいのか追い込まれて。事件までの過程をなぞった描き方では“分かった風”にしかならない。でも、僕たちがやらなければいけないのは“考える”ということじゃないかなと。僕も演じてる俳優も、たぶんお客さんも考えることを続けるしか事件に迫ることは出来ないと思ったんです」
 
――本作には登場人物が叫ぶシーンが多く出てきます。大声で叫ぶことと携帯電話をカチカチしてネット上の掲示板で叫ぶことの対比が面白いなと思いました。
 
「ひとつ、この“叫び”を入れたのには明確な理由があります。僕が映画を始めた90年代頃から、いわゆる“自然な演技”が主流になって、自分のふり幅から外れない演技をする俳優が増えたなと思っていて。技術的にもカメラが小さくなって、どこか映画が“日常の中”から出てこなくなった気がしていたんです。感情のふり幅を引き上げるには、演出方法としてふたつあって、ひとつは外から大きい声を出して感情が引っ張られていくという方法。それともうひとつが心をぐちゃぐちゃにすることによって叫び声が出てくるという方法。それを今回はやりたいなと思って。つまり、役者のふり幅を大きくして外に向かう力を大きくしたかったというのが1番の理由です」
 
――そんな理由があったんですか。
 
「それと結局、加藤という人は、携帯電話のカチカチでしか叫べなかったと言われているけど、実際事件の時に叫んでるんですよね。この映画のラストのシーンでも梶は叫ぶ。車の中で叫ぶ。でも、窓ガラス1枚を通した外側の秋葉原の人たちは彼に見向きもせず普通に歩いている。映画を作った後に、これが現実じゃないかなと思いました」
 
――大森監督の作品には、どこか社会からはみ出している人を描いているという共通点がありますが、そこに惹かれる理由は何なんでしょう?
 
「『ぼっちゃん』で言えば、ブサイクとイケメンという風潮も含めて、法律や道徳など“社会”という枠でしか物事をはからない世の中に対して「どうなの?」という思いがあるのかもしれない。政治が、100人のうち99人を救ったとしても、映画や文学、絵画や写真とかも同じだと思うんですが芸術みたいなものに少しでも力があるとしたら、その、あとひとりの気持ちを伝えることが出来るんじゃないかなと思って。だからかな(照笑)。そういう人に興味を持ってしまうというか。映画の可能性というのは、もしかしたらそういうところにあるのかもしれないと思って」
 
――確かにそうかもしれません。ダメ男を描いた映画はたくさんありますが、その多くは共感を呼ぶ映画。でもこの映画は共感に近いけど共感とはまた違う目線もあり、そこが面白くて興味深かったです。
 
「“共感する”や“感情移入する”みたいなことも、ひとつの映画の見方だと思うけど、それだけではないと思うんです。自分の気持ちと役者が演じる感情が重なるって、公約数的に見てすごく雑な感情な気がする。人の感情ってそれぞれまったく違うはずで、分かる人のことは別にいいじゃない(笑)。分からない人にどう向かうかを僕たちはいつも問われてるんじゃないかなと思うんですよね」
 
――この映画は、どうしてあの事件は起きたのかではなく、どうすればあの事件は起きなかったのかという監督の優しい目線が映し出されている気がします。
 
「“愛すべきダメ人間”じゃない“ダメ人間”が世の中には結構いる。スクールカーストとか最近よく言われてるけど、例えば学生時代になんとなく運動できるグループや頭がいい子たちのグループとか出来てる中で、自分の身の回りのこともうまく出来なくて、机の中にパンを隠してるような子とかいませんでした? 持って帰ればいいのにと思うんだけどね(笑)。でも、そういう子だって僕らのすぐ横にいて、その子を僕たちとは違うとかって触れないでいる風潮に、「パン持って帰れよ~」と軽くひと声かけるだけでも彼にはコミュニケーションになるかもしれないじゃない?」
 
――そうですね。
 
「そういうことを自分たちで決めていこうよと。誰かがなんとなく作った風潮みたいなもので、なんとなくイケメンはこっち、なんとなくブサイクはこっちとなってる感じが嫌なんです。「おまえはどうする?」「オレは関わりたくない」というのもひとつの選択肢ではあるけど「オレは一緒に下校してみようかな」とか。自分で考えるからその行動には責任を問われる。その立場にみんなが立てれば、もうちょっとだけ社会が良くなるんじゃないのということをメッセージとして(照笑)」
 
――梶という男の役は、事件を起こした実在の人物をモデルにした難役だと思いますが、どういういきさつで水澤紳吾さんに演じてもらうことになったんですか?
 
「キャスティングはね、つまらない話ですよ(笑)。南朋が「水澤いいんじゃない?」って言って「そうだねー」って(笑)。よくよく考えてみると水澤とは数回しか会ったことなくて、やたら腰が低かったんだよね(笑)。なんか変なヤツって感じだったな。僕の家で毎年忘年会をするんですが、呼んでもないのに勝手に来たのが一番印象に残ってる(笑)」
 
――ハハハ(笑)! 水澤さんがどこかのインタビューで「僕の演技を観たことないのに主役に抜擢された」と答えていましたが。
 
「本当にそうですよ。『SR サイタマノラッパー』は観てたけど、それが決めたポイントではないし(彼の)演技は観てないも同じようなもので(笑)。飲みの場で喋ってる時や僕と喋ってる時、誰かと喋ってる時の水澤の姿を見て“役者としての覚悟”みたいなものを感じたんです。俳優だけでなくモノを作る人にはみんなあると思うんだけど、孤独を背負う、あるいは背負える強度を持ってる。そういうものを水澤が持ってると思ったんです」
 
――そういえば水澤さんが『タクシードライバー』のロバート・デ・ニーロか? というシーンがありますよね。
 
「え? あのアレ? 南朋の事務所に(とある小道具が)あったから「これ使おうぜ!」って使ったの。覆面も「これあるから使おう」とか言って。割とそういうノリ(笑)」
 
――ハハハ(笑)! そうなんですか。水澤さんも南朋さんと同じ事務所ですよね。
 
「この映画が終わって入ったの。南朋が誘って。それまではフリーだったから」
 
――そうなんですか。南朋さん、水澤さんを気に入ってらっしゃるんですね(笑)。それでは、梶に出来る唯一の友人、宇野祥平さん演じる、田中のキャラクターはどのように生まれたんですか?
 
「田中はナルコレプシーという睡眠障害なんですが、それは伊集院静さんが小説家の色川武大さんのことを書いている小説『いねむり先生』というのをその頃たまたま読んでて。色川さんはナルコレプシーで、麻雀で負けてる時に寝る回数が多いとか書いてある本です(笑)。あと、僕が小学生のころに同級生にそういう子がいたというのもありますし、急に寝てしまうことで話を断絶することを面白く描けるのではと思って」
 
――梶と田中が仲良くなってふたりで出かけるシーンがすごく面白いですね。
 
「シナリオを書いてる時はあまり深く考えてなくて、ナルコレプシーだと車の運転が出来ないだろうし、田舎でどこも行くとこないし「ドライブ行こうぜ」という話になるだろうなぁ、そしたら何も出来ない人はお弁当くらい作るかなぁとか(笑)。それと加藤の趣味が車でドライブのテクニックがあったらしいので、ドリフトしてるところとか入れたり(笑)。でもそんなに車乗らない人は酔っちゃうんだろなぁとか。割と自然の流れで書きました。ただ脚本を書いていて、ずっと自然の流れが続くと面白くないので“トビ”というんですが突然、意表をつくことをやってみたりしてます」
 
――では、淵上泰史(フチカミヤスシ)さん演じる岡田(黒岩)は?
 
「黒岩は、加藤がネット上でなりすましをされた時に「もうひとりの自分がいる」と書き込みをしていて。それを見て、加藤のある種、一番ダークな部分を黒岩というキャラクターに乗せてしまったんです。もうひとりの自分のようだけど他人であるという風に作り上げて。だから最後は梶と黒岩は一緒に秋葉原に向かってしまう。どこかふたりでひとりのようなキャラクターとして作りました」
 
――その、ラストシーンに込めた監督の思いは?
 
「脚本を書いてる時も、撮影の現場でも、ずっとラストをどうしようか悩んでたんです。僕は水澤が演じる梶という男にその後の行動を起こしてほしくないと思ったんだけど、あの後、突っ込むのかもしれないし。そこはお客さんに担ってる部分です」



(2013年5月31日更新)


Check
大森立嗣 監督●1970年、東京生まれ。前衛舞踏家で俳優、大駱駝艦の麿赤兒の長男。弟は俳優の大森南朋。大学入学後、8ミリ映画を制作。自らプロデュースし、出演した『波』(01/奥原浩志監督)で、第31回ロッテルダム映画祭最優秀アジア映画賞"NETPACAWARD"を受賞。その後『赤目四十八瀧心中未遂』のスタッフ参加を経て、2005年『ゲルマニウムの夜』で監督デビュー。その後の監督作品に、『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』(2010)で日本映画監督協会新人賞を受賞。『まほろ駅前多田便利軒』(2011)では、キ

Movie Data




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『ぼっちゃん』

●6月1日(土)より、第七藝術劇場にて公開

【公式サイト】
http://www.botchan-movie.com/

【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/161038/

Event Data

舞台挨拶決定!

【日時】6/1(土)14:30の回
【会場】第七藝術劇場
【料金】通常料金
【登壇者(予定)】
大森立嗣監督/水澤紳吾/淵上泰史