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「人間の心が180度ひっくり返る。
一見、話を聞くとそれはないでしょ? ありえない
と思うものが映画で見るとなるほどとなってしまう。」
『桜並木の満開の下に』舩橋淳監督インタビュー

 前作『フタバから遠く離れて』などで、国内外で高い評価を得る舩橋淳監督が震災後の茨城県日立市を舞台に描く異色ラブストーリー『桜並木の満開の下に』が4月13日(土)より、テアトル梅田、京都シネマにて公開に。突然の事故で最愛の夫を失いながらも、悲しみを乗り越えようとするヒロインの葛藤と運命を“日本のさくら名所100選”に選ばれた市内の美しい桜並木とともに映し出す。愛に揺れ動くヒロインを熱演した臼田あさ美をはじめキャストの好演も光る作品だ。そこで、舩橋淳監督に話を訊いた。

 

――茨城県日立市の映画製作支援制度“ひたちシネマ制作サポートプロジェクト”の助成を受けて製作とありますが、その経緯を教えていただけますか?
 
「2010年の夏に“ひたちシネマ制作サポートプロジェクト”の公募がありまして応募しました。それは日立市が町おこしの一環で行っていたプロジェクトで、とにかく日立市の町でホラーでもコメディでもジャンルは問わないから映画を撮ってほしいというもので。唯一の条件が、日立市は桜が有名なので桜を使ってくれというものでした。助成金も出るし、それだったらと思い、自分で企画と台本を書いて送ったら1等賞になったんです。」
 
――2010年ということは震災前の話なんですね。
 
「それで助成金も出て、2011年3月下旬から撮影を予定していたんですが、クランクインを目前にした3月11日に地震が起き、日立市も津波が来て被災したんです。それで、それどころではないということで企画自体がおじゃんになりました。市町村の自治体とかって年度で予算が変わるんですよね。だからその年、キャンセルになると次の年にはその予算はもうないわけです。もう別の予算になるので。なので映画自体の話がそこで終わってしまったんです。」
 
――地震以後は前作のドキュメンタリー『フタバから遠く離れて』を撮られてますよね。
 
「そう。それで『フタバから遠く離れて』の撮影をしていたんですけど、震災から半年経ったあたりの8月か9月頃に、日立市の方が「一旦はやめたけれど、せっかくだからもう1度やりませんか」と話をもう1度立ち上げてくださって。ただ、そう言ってもこちらは全部ばらしてしまっていたので、キャストも全部1からの決め直しでした。なので前回のキャストとはひとりたりとも同じじゃないんです。3.11から1年後の2012年4月に撮影しました。桜の咲く季節じゃないとだめですから。撮影は去年なのに何故か3年ぐらい経ったような気がしてます(笑)。」
 
――そうですよね。前の企画の段階から考えると。
 
「はい。それに、3.11以降というのはすごい密度が濃くて。2012年の3月は本当に遠い昔のような気がしています。」
 
――キャストを1から変えたというのは?
 
「脚本を少々変えたんです。決定的に変わったのが震災以後ということですよね。震災以後の日本を描こうとしたら、少し暗くしんみりした感じに変わった。そういうトーンそのものがまるっきり変わったので、キャストは1から考え直しました。」
 
――脚本の骨子は変わってないんですか?
 
「骨子は心理劇なんです。前に書いていた脚本も、旦那が事故で死んでしまって、不慮の事故とはいえ、その事故の引金となった男性を愛してしまう女性を描いていました。だから骨の部分は一緒なんだけど、その骨の周りについてる肉がちょっとづつ変わってきた。」
 
――その肉の部分とは?
 
「震災前はプラマイゼロをプラスにすることを考えていた。でも今はマイナスになってしまった。マイナスをどうやってプラマイゼロに持っていくか、というぐらいに日本の社会がなってしまったのかもしれないですよね。震災とか失ったものを取り戻すためにはどうするのかということを多くの人が考える時代なのかもしれない。例えば、三浦貴大演じる工が「あの日のことを忘れたことはありません」と言うんですけど、あれも不慮の事故の話なんだけど震災以後に観るとどの日のことかと思ってしまうんではないですかね。」
 
――工場の描写の細かさにもこだわりを感じました。
 
「労働を描きたかったんです。「近年の映画は労働を描く映画が少ない。そんな中これはすごいめずらしい。」と山根貞男(映画評論家)さんもおっしゃってくださいました。ドキュメンタリーを撮ってるからかもしれないですが、人が働いてるところを撮るのが好きなんです。それと、大げさに言うと現代日本を工場の中に全部入れたいと思って。」
 
――現代日本を工場の中に入れると言うのは?
 
「つまり、労働や景気の問題、日本は沈み、中国がどんどん来ている問題というようなものを詰め込むと、この工場の中で震災以後の斜陽になってきている日本が見える。どこか日本社会の縮図として、ここを捉えたいと思ったんです。もともと定点観測というか、ちいさな窓から全体が見えるのが好きなんです。『フタバから遠く離れて Nuclear Nation』もNuclear Nation=核の国というタイトルには、避難所の人をみつめることで日本の原発政策が見えてくる。原発でなりたっている日本が見えてくるということが出来ないかなと思ったんです。」
 
――なるほど。
 
「これは震災以後だからということじゃないですが、日立市で撮ると言った時に日立市を調べると日立製作所の本拠で、60年代70年代が1番景気が良かった。でも町をリサーチすると今は工場も半分くらいしか稼働してなくて、それがモノづくり日本そのものなんです。町全体が日本の陰りゆく姿をそのまま表象してるという感じで。それを写し取るようにしてこの映画が出来ないかなと思いました。」
 
――町をリサーチされたんですか。
 
「日立市の町も外国人労働者が結構いたので聞き込みとかして。中国人の方は労働意欲も向上心もあるから、経営を縮小する時に日本人を切るらしいんです。日本人は文句ばっかり言って。そういう現場があるということを聞いたので映画の中にも取り込みました。梅本洋一さん(映画評論家)が「その土地の人間を土地と繋がった形で撮る映画作家をいい」とおっしゃってたことがあって、ヴィム・ヴェンダースとか侯孝賢(ホウ・シャオシェン)とかのことなんですが。そういう土着的なのって好きなんです。その土着的な精神というのを映画の中に吸い上げたいと思ったというのもあります。」
 
――このお話自体はどういったアイデアから生まれたんですか?
 
「以前から心理劇を撮りたいと思っていました。日本映画の第1の黄金期が1930年代なんですけど、50年代60年代の第2の黄金期と言われた時代には、成瀬巳喜男や五所平之助、内田吐夢といったたくさんの映画作家が心理劇を撮っていました。それが僕にとってはめちゃくちゃ面白かったんです。あの時代の日本映画は人間の心を正面から掘り下げて描いている気がしていて。そういう映画がこの頃ないなぁと以前から思っていて。」
 
――そうかもしれないですねぇ。
 
「あの時代の日本映画がなぜ心理劇にフォーカスしていたかというと、無声映画からトーキーになったのが1920年代終わりから1930年代で、音を持った映画、台詞を喋る映画が当たり前になるのが1930年代。そこから20年経った1950年代にようやく文学で心を掘り下げたものを映画にも映すことが出来るんじゃないかということで、文学と映画の融合というのがとても花開きだしたんですよね。」
 
――そうなんですか。
 
「成瀬巳喜男監督の『浮雲』とかそうだと思います。男と女が「別れる」と言うのに別れられない。何回も別れるんだけど、別れられない人間の業のようなものを描く作品なんです。最初に観た時は高校生で、どう言い表していいのか言葉が出ないくらい打ちのめされて、大学に入ってからも観なおして、これはすごいなと思いました。別れ=悲しいという単純なことではなく、別れ=悲しいのもっと先がある。そういった一時代が日本にもあったんですよね。映画と言うのは総合芸術ですから文学や音楽から持ってきたり、そういうことを僕もやってみたいなと思って心理劇に挑戦したいと。それでこの映画を考えたんです。」
 
――監督の言う心理劇とは簡単に言うとどういったものですか?
 
「人間の心が180度ひっくり返る。嫌いが好きになる。好きが嫌いになる。次の作品も含めて何作か心理劇を作りたいと思っています。この作品も一見、話を聞くとそれはないでしょ? ありえないと思うけど映画で見るとなるほどとなってしまう。そんな映画を撮りたいなと。」
 
――確かに映画を観れば、主人公の栞の気持ちも分かります。
 
「好き嫌いの感情というのは人間特有なものじゃないかもしれないなと思うんです。ゴリラだって好き同士、嫌い同士っていますからね。本能なのかどうなのか。ただ人間特有なのはどこどこの出身の人だから好きとか、そういうのは人間が作った制度(フィクション)じゃないですか。それによって好きか嫌いか自分の中で理由づけをするんだけれど、その理由もころっと簡単に変わる。全部心の中で起きていることで、相手を肯定するか否定するか決まっていく。一見外から見てると、とても不思議な現象なんですよね。そこが非常に人間の面白いところだなと思ってて、そこを掘り下げることに興味があるんです。」
 
――主人公の栞の心は複雑でとても難役ですが、臼田あさみさんをキャスティングしたポイントは?
 
「テレビを見ていると演出がさせたことと本人がしたことは見ててだいたい分かるんです。だから演出が下手だなとか思いながら見てても、この子自体はいいかもと思っていました。キャスティングを決める時は他にも候補の方があがっていたんですが、DVDや最近はyoutubeなんかでいろいろ見て、この子は勘が良さそうだなと思い決めました。」
 
――演出はどのように?
 
「彼女は今回が初主演だったので、すごい気合いを入れてきていて、いっぱい議論しましたね。「私はこう思います」とかたくさん言ってきてくれて。そういった意味でとても充実していました。どの俳優も最近はテレビで演じることが多いからか、いわゆるテレビ用の分かりやすい演技をするんですがそれを少しづつ削いでいくというか。言わずとも表情や視線の向きなどで見せる演技に持っていくようにしたんですけど、時間とともに分かってくれました。」
 
――臼田さんとはどんなシーンで話を?
 
「たくさん話したんですが、旅館でのシーンで三浦くんの足に手を触れる意味や、どう触れるかとか。」
 
――確かにあのシーンはその晩にあったことを想像させる難しいシーンでしょうね。では、三浦くんは?
 
「三浦くんは、じっと見ているだけで何か考えている感じがする。彼の目線は何か鬱屈としたものが渦巻いてるようなところがいいなと思って。この目線はお母さん譲りでしょうね。山口百恵さんも目が良かったですから。憂いがあるというか。映画に向いてますよね。今回のキャストはみんな勘が良かったんで、演出の必要はあまりなかったです。大島渚さんも「キャスティングを終えた時点で自分の仕事はほぼ終わりだ」みたいなことを言っていましたが、演出で出来ることなんてしれていて、その人自身が持ってるものとか抱えてるものとか、そういうものが画面に映るんですよね。」
 
――三浦くんの目は確かにいいですよね。あと劇中、栞がバイクに乗ってるのも印象的でした。
 
「乗り物と言うのは人との距離を近づける空間で、友情とか愛情を表す場だと思っています。栞(臼田)は、研次(高橋洋)と一緒にバイクに乗る。でも、研次が死んでしまったらもうバイクには乗らない。彼女にとってはバイクはひとりで乗るものじゃないんです。人と一緒に乗って距離を近づけるものというか。僕の映画の中ではそういう意味合いで描いています。」
 
――そんな意味があったとは! あとは、やっぱり桜ですよね。
 
「撮影期間は10日間なんですが、その間に蕾から満開になったんです。日本の桜の開花予想って正確ですね。映画の冒頭に出てくる桜の蕾のシーンは、実は桜が咲いてるところで撮ろうと思ってたんです。蕾の話はしてないでしょ? 撮影初日に撮ったんですがまだ咲いてなくてしょうがないねということで蕾で撮りました。だけど、映画の中では逆に良い効果になったみたいで良かったです。」
 
――そうですね。蕾の季節から満開を迎える時間経過が見えて良かったです。
 
「結果オーライだったんですよね。」
 
――それにしても撮影期間10日間とは短いですね。
 
「しかも10日間で四季を描きました(笑)。冬の雪景色以外は。2月にロケハンに行った時、異常気象で日立市に大雪が降ったんです。最近の普通のスチールカメラって動画も撮れるじゃないですか? 冬の雪景色はあれで撮ったんです。僕がロケハンの時に撮ったやつなので映画をよく観ると手ぶれしてます(笑)。」 
 
 
 取材の中で、映画監督や評論家の言葉をたくさん用いて分かりやすくこの映画について教えて下さった舩橋淳監督。一度おじゃんになってしまった企画を震災以後に撮るということで変わった点はとても興味深い。臼田の熱演、三浦の目線、工場の描写、そしてバイクひとつにも細かな意味を持つ舩橋監督こだわりの1作に是非、ご注目いただきたい。



(2013年4月13日更新)


Check
舩橋淳 監督

Movie Data





(C)2012 『桜並木の満開の下に』製作委員会

『桜並木の満開の下に』

●4月13日(土)より、
テアトル梅田、京都シネマにて公開

【公式サイト】
http://www.office-kitano.co.jp/sakura/

【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/161528/

【STORY】小さな街工場で働く栞(しおり)はある日、作業中の事故で夫・研次を亡くしてしまう。事故を起こした若い工員・工(たくみ)は栞に謝罪しようとするが、栞は受け入れられずにいた。しかし、研次の死で危機に陥った工場を立て直すため必死に働く工の姿を見て、栞の心は揺れ動き……。