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「若松監督の作品は愚かな男たちを
描く先に必ず女性賛歌があった。」(井浦) 
佐野史郎、高岡蒼佑、井浦新が来阪した
『千年の愉楽』会見レポート

 2012年10月17日、交通事故によって逝去した若松孝二監督が、盟友・中上健次の代表作を映画化した人間ドラマ『千年の愉楽』が3月9日(土)より、テアトル梅田、第七藝術劇場、京都シネマにて公開。三重県・尾鷲市の集落、須賀利を舞台に、女たちに圧倒的な“愉楽”を与える血筋の美しい男たちの物語を、路地の産婆の視点と回想で描く。神話的な構成で、匂い立つような命の賛歌を謳い上げた若松監督最期の叙事詩を見届けよう。そして公開を前に、寺島しのぶ演じる助産師・オリュウノオバの夫、礼如役の佐野史郎、三好役の高岡蒼佑、彦之助役の井浦新が来阪し会見を行った。

――まずは公開を前に今のお気持ちは?
 

佐野史郎(以下、佐野):もちろん撮影中は、これが最後の作品になるとは思ってもみなかったんですが、振り返ってみると今までの現場とはどこか違って穏やかな時間が流れていた現場だったような気がします。そんな時間を最後に監督と共有できて本当に感謝しています。『実録連合赤軍 あさま山荘への道』以降は、戦争、革命と昭和史を振り返るような、この国に住む人々の在り方をファンタジーの形を借りてもう1回撮り直しているという風に見えましたし、神話の時代から現代までを幾層にも重ねて映画で表現する。一番やりたかったことが純化された作品になったような気がします。もちろん次回作も何本か企画がありましたので、実現すれば良かったなとは思いますが『千年の愉楽』の中にそういったすべての要素が入っているんではないかと今となっては思い返されます。参加できて本当に良かったです。

 
高岡蒼佑(以下、高岡):若松監督の現場に参加するのは初めてで、撮影日数は5日間くらいしかなかったのですが、聞いていた印象とは違って佐野さんがおっしゃったように現場は穏やかな時間が流れていて、温かい目で見つめてくれていたような気がします。とにかく時期が時期だったもので、やらなければいけない芝居を思いきってやるしかないと思って演じました。もっと一緒に楽しい時間を共有できれば良かったのに、と思ったこともありますが湯布院やベネチアの映画祭に連れて行ってくださったり、食事に誘っていただいたりした時間を大切にしていきたいです。監督も映画のキャンペーンで地方を回るのを楽しみにしていたので、すごく残念ではありますが公開最後まで監督の思いを自分たちが継いで頑張りたいと思います。
 
井浦新(以下、井浦):監督に「撮影するからスケジュール空けとけ」とずいぶん前に言われていて、どういう役かというのは撮影が近くになってから聞かされました。「この役はこの物語の軸となる。ま、1日だからサッと終わると思うけど。」と軽い口調で言われながらも「お前がこの作品のこのワンシーンで“中本の血”をちゃんと伝える。何かをそこに残す役目だ!」とプレッシャーをかけられ、撮影までは正直ものすごい緊張しましたね。実質の撮影は30分で終わったんですけど、ものすごい濃厚な時間を過ごさせてもらいました。若松監督とはそれが最後の現場となったんですが『実録連合赤軍 あさま山荘への道』『キャタピラー』『11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち』『海燕ホテル・ブルー』そして『千年の愉楽』と5作品参加させていただいて、何者でもないただの男を若松監督に役者に育ててもらって、それでいただいた『千年の愉楽』のワンシーン。もし、次の作品を撮っていたとしても僕の中には深く刻まれたワンシーンとなりました。
 
――現場での監督との印象的なエピソードは?
 
佐野:クランクイン前に、三重の須賀利という陸の孤島みたいな小さな村をみつけて「ここがいいんだよ!」と嬉しそうに話されてました。現場でも楽しかったんじゃないかな。楽しくてしょうがないという表情を多くしていた気がします。撮影自体はいつもどおりな感じなんですが、風景を前に満足げな顔をしていたのは印象的でしたね。
 
高岡:テストなしで一発本番という撮影が印象的でした。撮影がいいペースで進んで時間が余っちゃった時に、監督はせっかちなのでナイトシーンであっても撮ろうとしたりて。当然スタッフは準備が出来てなくて「なんで準備してないんだ!」と言ったりしてました(笑)。少年っぽさ、人間らしさがストレートに出ている感じの人だなと感じて楽しかったです。寺島さんとの別れのシーンもいいペースで撮影が進んで「もう明日のシーンも撮ってしまおう!」って言われて。ホテルに一度帰って役作りというか少し考える時間も欲しかったんですけどね(笑)。アッと言う間の出来事でした。
 
佐野:本当は撮らなきゃいけないシーンがあるのにせっかちなんで「はいカット」って早めにカットかけちゃったこともありましたね。普通は監督の言うとおりにしなくてはいけないんでしょうが、カメラマンは撮り続け、俺も勝手に芝居を続けたんです。で、終わったら監督が「ごめんごめん!」って(笑)。普段だったら「俺がカットって言ったらカットなんだよ!」と言いそうなのに謝った監督は今まであまり見たことがなかったかな。撮影中に咳き込んだりすることもあって今回何度か謝られましたね。
 
井浦:今回僕が出演するシーンが初めてファーストカットだったのでやっぱり緊張しました。いきなり本番スタートでどんな動きを役者がするのか、それでこの作品の世界を監督も掴むというみんな横並び一線のクランクインでした。でも、監督がこういった環境を与えてくれたからこそ、その一瞬にものすごい集中力が生まれたんだと思います。そのシーンで使用した小屋は、実はホームレスの方が使っていた場所をお借りして撮影したんですが、撮影が終わってスタッフがみんないなくなってから、監督がその方に頭を下げてる姿を後ろから見ました。職業や人柄や活動やそういったものは一切関係なく人間対人間、若松監督の作品の根底にある、監督がやり続けてきたこと。監督の生き様自体がこの物語の根底に流れてるものだと思います。
 
佐野:亡くなってしまったので、いつもとは違うなとどうしても思ってしまうこともあるんですが。監督とのずっと長い仕事の中でも、ファーストカットをいきなり本番というのはあんまり記憶にないので思い入れがとってもあったと思いますね。
 
――本作の主演、寺島しのぶについては?
 
高岡:僕は撮影日数が少なかったのもあって、そんなに会話をしてないんです。とにかく相手が寺島さんなので三好のキャラクターが死なないように頑張ろうって撮影に挑んだことだけは覚えています。あとは現場に入ったら寺島さんではなくオリュウノオバとしていてくれたんであんまり寺島しのぶさんとお芝居をしたという感じはなかったですね。
 
佐野:寺島さんは新(井浦)さんと同じく若松組の顔ですからね、堂々たるものでした。多くは語らなかったけど、とても居心地が良かったです。夫婦というのは20年以上過ごしていると何も言わなくても通じるというのは実生活でも感じますし、それに近いものがありましたね。でもそれも監督の大きな器があったからなんでしょう。監督と最後にふたりで呑んだ時、寺島さんのことを「半蔵(高良)が戻ってきたシーンの最初は気づかなくてアッと気づく演技。あの芝居は出来ないよ。」とすごく褒めていたのを覚えています。
 
井浦:『千年の愉楽』ももちろんですが、強烈に印象が残ってるのは『キャタピラー』ですね。お芝居のことはよく分からないんですが、監督も「皮膚で芝居が出来る数少ない女優さんのひとり」とおっしゃっていました。『千年の愉楽』では、日本の原風景がこれまで似合う女優さんってそういないなと思いました。衣装にしても、この衣装をずっと着ておられたんではないかと思ってしまう女優さんですね。
 
佐野:いいことばっかりでしゃくだな~(笑)。オリュウノオバの夫役だったからそう思うのかもしれないけど、若くて綺麗なイイ男が毎シーン毎シーン登場するので、なんか嬉しそうでしたよ(笑)。嫉妬してただけかもしれないですけど(笑)。
 
――過去の作品を振り返って若松監督が描きたかった人間像はどんなものだったと思いますか?
 
井浦:愚かな男たちを描く先にやっぱり女性賛歌があった。女性賛歌を歌うがために愚かな男性たちがいるのかなと。テーマではなくテーマの一部ですが、監督の作品には必ずそういった方程式が入っていた気がします。近年の作品でそれが色濃く出ていたのが『海燕ホテル・ブルー』ですね。監督は何百本という作品を撮られてきているんですが、何百本全部、タイトルもストーリーもすべて違うのでまったく違ったものを毎回観ている新鮮さもありますし、驚きもあるんですけども、その根底にあるものというのは人間の本質。よく言われる“性と暴力”だけでなく、言ってみれば若松監督は人間の本質というものを形やしくみ、物語、役者を変えて同じことをずっと描きながら監督自身が模索し続けたんだろうなって思います。
 
佐野:若松作品を初期から思い返してみると、同じテーマが繰り返されていて、60、70年代の作品と『実録連合赤軍 あさま山荘への道』以降の作品には見事に呼応しあうように双子のような作品が必ずあります。今回の『千年の愉楽』だと『聖母観音大菩薩』('77)ですね。監督はマザコンって言われてましたから(笑)、大いなる母性、女性に対する敬意というのはやはり根底にあったと思います。原発の問題だろうが被差別の問題だろうが戦争だろうが革命だろうが「映画で世の中を変えてやるんだ」という気持ちはあったかもしれないけど、映画は政治でも運動でもないんですよね。そういう物の見方がなかなか社会の中で通用しないもどかしさを日々現場でも感じながらも諦めずに少しでも伝わればいいなと思います。部落開放が目的ではなく、このニュアンスが伝わればいいなと思います。
 
 
 ひと言ひと言に若松監督への信頼が深く感じられ、この場に監督がいないことが不思議でたまらない会見となった。そして、告別式の時には「役者同士というよりは家族に近い思いがありましたね。」という佐野の言葉には確かな説得力を感じた。これだけの役者が同時にキャンペーンで地方を回ることはめずらしく、監督の遺志を継いで宣伝活動を行う彼らの熱い思いを感じてほしい。



(2013年3月 8日更新)


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Movie Data




(C)若松プロダクション

『千年の愉楽』

●3月9日(土)より、
テアトル梅田、第七藝術劇場、
京都シネマにて公開

【公式サイト】
http://www.wakamatsukoji.org/sennennoyuraku/

【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/160441/