ホーム > インタビュー&レポート > 映画というものと、それを作る意味に向き合う 『Playback』三宅唱監督インタビュー&初日舞台挨拶情報
――まず、監督のプロフィールから教えていただけますか。
三宅唱監督(以降、三宅と表記) 出身は札幌で、2007年に映画美学校フィクションコースを出ました。
―― 大学を出てから、美学校に入られたのですか?
三宅 いえ、大学在学中に入りました。
―― 映画美学校のフィクションコースということは、映画監督を志望して入られたということですよね。
三宅 そうです。大学でも映画研究会で自主映画を撮っていたのですが、3年生になって友人たちが就職活動を始めたので、僕も就活として映画美学校に入ったんです。まあ、親を泣かすな、とは思いましたけど(笑)。
――ちなみに大学はどちらですか?
三宅 一ツ橋の社会学部です。
――それは、確かに親を泣かせましたね(笑)。
三宅 いや、でも、親も大学入るときに「なんで大学なんて行くの?」って言うような人たちだったんで、まあいいかなと。
――映画監督になろうと思ったのはいつからですか?
三宅 大学に入るときには、映画監督か映画の研究者にはなりたいと思っていました。最初のきっかけは中学3年の文化祭で仲間と映画を撮って、これがすごく楽しかったことですね。高校ではサッカーばかりやっていたのですが、雨で部活動がない日は学校ではなく映画館に行くという感じでした。大学の映研で製作もしていたのですが、やっぱり物足りなくなって、美学校に入るときには監督になりたいと思っていました。
――実際に入られてみてどうでした?
三宅 それまでと違い、映画のことしか考えていないような人たちに囲まれて刺激を受けました。映画のことしか考えていないって、人としてどうかなとは思いますが(笑)。自主製作映画もたくさん観て、これだけの作品があるなかで自分が映画を撮る意味はあるのかと、そんなことを考えたりもしました。答えはまだわかりませんが、考えることで、いまも映画を撮り続けているモチベーションを得たとは思います。
――09年に、大阪市が自主映画作家を助成する催し、シネアスト・オーガニゼーション大阪(CO2)に応募されて、選ばれたわけですね。
三宅 はい。美学校で撮っていた『スパイの舌』という短編がエキシビション・オープンコンペで最優秀賞に選んでもらったのですが、それとは別に助成金の選考となるコンペにも企画応募していて、それを選んでいただきました。
――企画で応募するのですか?
三宅 そうなんです。他の映画祭だと出来上がった作品で応募して、選ばれれば次回作の助成を得るのですが、CO2の場合は企画書で応募して、選んでもらうと助成金ですぐに製作してイベント開催日に上映するというやり方なんです。この、企画書で選んでもらって製作に着手するというのが本格的で夢があっていいなと思い参加しました。
――そこで作られたのが『やくたたず』という作品ですね。これはどういった作品ですか?
三宅 故郷の札幌を舞台にして男子高校生3人を主人公にした、いわゆる青春映画です。僕自身や友人たち、それに弟などが高校生だった時の様子や環境、思いを題材にモノクロで撮りました。
――なぜ、モノクロで?
三宅 単純にモノクロの映像が好きなのと、札幌の雪景色を撮るのにカラーよりもモノクロの方がいいと思ったからですね。
――本作『Playback』もモノクロですが、ずっとモノクロ作品を撮るつもりですか?
三宅 いや、そんなことはないです。次回作はカラーで撮りたいですし、題材に応じて選んでいけばいいと思っています。
――『やくたたず』を観た、俳優の村上淳さんから連絡があって、それが本作につながっていったのですね?
三宅 そうです。村上さんが『やくたたず』を気に入ってくださって、所属事務所の人にも勧めてくれたみたいで。連絡もらって事務所の代表の方と一緒にお会いして、翌日にはもう「映画を作ろう」という話になったんです。まず話を書いてきてくれと言われて『Playback』の企画を持って行きました。
――この企画の発想は、どういったところから?
三宅 まず、俳優とはいったい何なのか、それを突きつめてみたいというのが発端でした。というのも、僕は映画を観始めたころからずっと「映画は監督のもの」という思いがあったのですが、それが前作の『やくたたず』を撮ったとき、自分が監督なのに自分が考えているものはなかなか映らないなという、ある種の挫折感があったんです。でも、人とか風景とか、あたりまえだけれど、ものとしては映っている。それなら自分の考え云々言う前に、カメラの前にあればあたりまえに映るものについて、もう一度最初から考えてみようと思ったんです。そこへちょうど村上さんから声をかけてもらって、よし、この機会に“俳優”というものについて考えてみようと思ったんです。それが「一緒に作ろう」と声をかけてもらったことへの返答にもなるかなと。
――そういった目論見は村上さんには伝えられたのですか?
三宅 いや、まったく伝えていません。俳優さんに「この映画で俳優の謎を解き明したいんです」なんて言うとプレッシャーでしょうし、この映画は俳優のための映画であると同時に、俳優をある意味で殺してしまうかもしれないなと考えていたので。村上さんには「映画の中で俳優役を演じてもらいます。それに、現在の自分と高校生のときの自分と二役をやってもらいます。あと、スケボーにも乗ってもらいます」とだけ伝えました。村上さんも「わかった。これは三宅君の映画だから」と言ってくださったので、そのままシナリオを書き進めていき、決定稿までに半年ちょっとかかりました。
――スケートボードを取り込んだのはなぜですか?
三宅 村上さんが、十代の頃はスケボーばっかりやっていて、ほかにはなにもしていなかったと言われたので、40歳を前にした男が再びスケボーに乗るのもいいなと。
――スケートボードの横に流れるように滑っていく運動は映画的ですしね。時空間をつなぐアイテムとしても面白い。
三宅 そうですね。ただ、僕が一番いいなと思ったのはスケートボードの“音”なんです。あの音って誰が聞いても気持ちよくなると思うし、あの音を映画で聞けるってのはちょっと贅沢じゃないかなと思ったんです(笑)。
――わかるような気がします。最初に村上さんに会われたのはいつでした?
三宅 2010年の9月です。
――ということは、シナリオ執筆中に東日本大震災が起こったわけですが、震災でシナリオが変わったということはありましたか?
三宅 いや、なかったです。実は映画で描いた世界でも数年前に大地震に襲われているというのを、始めから設定していたんです。だから、ほんとうに起こったときには驚きましたし、逆にこのまま作っていいのかなと迷ったりもしたのですが、僕が撮りたかったのは“俳優”であり、彼が抱えているであろう喪失感だったので、設定を変えずにやる方が誠実だし、倫理的にも正しいのではないかと考えて直さずにやりました。
――具体的に映画に落とし込むために、“俳優”をどのような存在として捉えられたわけですか?
三宅 まず、“俳優”って何だろうと考えたとき、同じことを何度も繰り返す人たちだと思ったんです。そう考えると、同じことを繰り返すという行為は、映画という表現そのものにも関係あるだろうし、人間が生きていくということにも関係してくるような気がしたんです。でも、同じことを繰り返すのはきっと疲れるだろうなというのを出発点して、俳優である主人公はきっと疲れていて逃げ出したいだろう、となると行く先は故郷かな、でも故郷も行ってみたら主人公が知っている街とはもう違っているのではないか…、そういう風に組み立てていきました。
――主人公が友人たちと故郷に向かう理由の一つに墓参りがあり、主人公の旅にはなんだか死の気配がするなと感じたのですが。
三宅 それは僕も編集しているときに、自分が思っていたよりも強くその気配が出ているなと感じていました。繰り返すという行為がもっと笑えるおかしみに転化するかと思っていたら、切なさや儚さの方に強く傾いていって、少しバランスを崩すとたちまち死の匂い立ち上がってきてしまう、そんな感じでした。
――繰り返すことで気配の濃度が増したのかもしれませんね。
三宅 そういうことで言うと、僕がこの映画で俳優とは何かということの他にもう一つ考えたかったのが、いま映画を撮ることの意味だったんです。僕は死が怖い。普段はぼーっと生きているのですが、「人生は一度きりだぞ」と思うと急に焦ってしまう。でも、そこから広がってくるエモーションもあって、それが映画を撮る力になっているように思います。だから、常にどこかで死を意識しているのかもしれません。
――人生は一度しかないからこそ、いま撮れるものをしっかり撮ろうということですね。
三宅 そうです。ちょっと変わった観方で言うと、例えば僕らが小津安二郎監督や山中貞雄監督の映画を観ると、面白くて観入ってしまうのだけれど、ふと気づくと、そこで僕らが観ている俳優さんの多くはすでに亡くなっているんですね。そう思うとなんだかとても奇妙な感じを覚えて、映画というものは本質的に死を内包しているのかなとも思う。でも、さらに考えると、そこには小津監督や山中監督が映画を撮っていたそのときの俳優さんたちの姿や演技がきちんと捉えられていて残されている。僕らはそれを再生=プレイバックという形で観ているわけです。
――確かに。すべての映画は記録という側面を持っていて、俳優たちの演技を捉えた劇映画ではあっても、それは俳優たちのそのときを捉えた記録でもある。
三宅 そうなんです。だから実はこの映画で一番観てもらいたいのは、主演の村上淳さんの顔なんです。村上さん自身も、映画の中で演じてもらっている俳優も、もうすぐ40歳になるのですが、よく40歳になると男は顔に責任を持たなきゃいけないなんて言うじゃないですか。ほんとにそうかなと疑うものの、やっぱり40前の男の顔って魅力があるんですね。傷のようなしわがあったりすると「これはいつごろ、どんなことで刻まれたのだろう」なんて考えたりして。この映画をモノクロで撮った理由も、村上さんの顔の陰影をそのまま美しく捉えるのにふさわしいと思ったからなんです。
――なるほど。映画のなかで、村上さんたちが、いまの顔のまま高校時代にタイムスリップしてしまう意図もそのあたりにありそうですね。
三宅 僕には十代のころの、本物の村上さんを撮ることはできないわけですが、いまの村上さんを映せるというのは、それだけでうれしいことではあるんです。ただ、なぜいまの顔のままタイムスリップしてもらったのかなどの解釈は、観てくださった人がそれぞれに判断してくださったらいいと思います。ただ、もう少し言うと、映画のそのときどきで村上さんの歩く速さも微妙に違っていて、それが映画のリズムになっているんです。そういうところも注意してもらうと作り手としてうれしいです、…なんて解釈はまかせると言いながら、けっこう話しちゃってますね(笑)。なんだか、作品についてざっくりと大きな話ばかりしてしまいましたが、気軽にリラックスして観てもらったらいいと思うんです。初めはちょっととっつきにくいかもしれませんが、入り口はちゃんと用意してありますから(笑)。東京で公開したときにはリピーターの方がずいぶん来てくださって。最高35回観たという人もいました。
――話題になっているのは知っていましたが、35回はすごいですね。最後に、この映画で俳優について考えたい、いま映画を撮る意味において、俳優・村上淳の顔をきちんと捉えたいということでしたが、映画を撮り終わって改めて考えたこととかありますか?
三宅 俳優というものをもっと知りたくなりました。それに村上さんだけじゃなく、今回出演していただいた俳優さんたちをずっと追い続けていきたいと思うようになりました。出演してくれた皆さんの“いま”をせっかく捉えたわけですから、数か月か、数年か、数十年の時を経て、もう一度そのときの“いま”を捉えることができたら、そこには時を経て刻まれたしわや、声の震えや、様々な変化があるはずで、それを記録し続け、いつでも観られるようにすることが再生=プレイバックという題名を持つこの映画の真の意味ではないか、と思うので。
(取材・文:春岡勇二)
(2013年3月26日更新)
●3月30日(土)~4月19日(金)、第七藝術劇場
●4月20日(土)~26日(金)、神戸アートビレッジセンター
●5月4日(土)~24日(金)、京都シネマ
にて公開
【公式サイト】
http://www.playback-movie.com/
【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/160544/
【日時】3/30(土)21:00の回
【会場】第七藝術劇場
【料金】通常料金
【登壇者(予定)】
三宅唱監督/三浦誠己/渋川清彦