「歌の出どころであり原種の姿、そして人間の原点
それと出会い、発表出来たというのがこの映画の価値」
『スケッチ・オブ・ミャーク』大西功一監督インタビュー
沖縄本島から南西に310キロの位置に存在する宮古諸島“ミャーク”にある古謡(アーグ)と神歌(カミウタ)とそれを口伝する島の人々や神女達(ツカサンマ)の暮らしを追ったドキュメンタリー『スケッチ・オブ・ミャーク』が第七藝術劇場にて公開中。生活と信仰と歌が直接的に結びついていた時代を忘れないように、との願いを込め、歌い継がれ、神に捧げられている“神歌”の真実のドラマと、歌を守り続ける人々の姿を描き出す。と、説明するとドキュメンタリー映画ということもあり難しい映画ではないかと敬遠する人もいるかもしれないが、観始めるとそんな感覚はすぐに無くなる。今まで知らなかった素晴らしい音楽に出会うというだけでも観る価値があるかもしれない。神女達が東京で神歌を歌った貴重なコンサート映像も必見だ。そこで、大西功一監督に話を訊いてみた。
――ミュージシャンの久保田麻琴さんが原案・監修・出演もされていますが撮影はどのように始まったんですか?
「久保田さんとは10年来の付き合いだったので、彼が古い歌を訪ねて2007年に宮古島に入り、出会った歌の数々をCDで発売されていた状況は知っていました。それで、彼が宮古で出会った方々を東京へ呼んで2日間に渡って開催したコンサートの記録を最初は相談されて、その記録ビデオには演奏のみを記録するのではなく、畑仕事や島での暮らしを挟み込んでいったほうがベストだなと思いました。戦前から島の暮らしの中で神歌は生まれ、それを体験的に知っておられるのは大正生まれの80代~90代のご婦人たち。映像の作り手として、神事が残っていたという素晴らしさと、いつ消えてもおかしくないという事実を知ってしまった以上、僕がここで記録せずに途絶えてしまったら申し訳ない気持ちになるだろうと。その思いが強くて、これは映画にしようと腹を決めました。勝手な責任感と勝手な義務感です(笑)」
――宮古の方々はみなさん明るくて笑顔が素敵ですね。親しくなるには苦労しませんでしたか?
「わりとすぐ親しくなれました。もともと久保田さんとの繋がりがあったというのもあるかとは思いますが、沖縄の中でも宮古の人たちはオープンな人たちが多かった気がします。関西の中での大阪みたいな感じでしょうか(笑)。出会ってすぐに「(家に)あがってご飯を食べて行け」と言われたこともありました。家にあがり、一緒にテレビを見たりして過ごして、色々な話を聞かせてもらい、その合間に撮影をするというような状況でした」
――すごいですね。オープンな人が多いとは言え、神事などは撮影NGなものもありそうですが…。
「神事が残ってる地域自体が少なくなっているんですが、集落ごとで神事にも違いがあり、仲良く喋っていても神様の話を始めると口を閉ざして何も喋らないおばあさんもいました。どこか外国の研究班がそこに来て、写真を撮り取材をして、奇妙な宗教と発表したことがあり、それからは「神様が怒ってる」と取材は駄目になった集落もあります。しかし、今回映画で撮らせてもらった佐良浜地区は完全にウェルカムでした。何世紀にも渡って先祖から受け継いできたものを自分たちの代で終わることを食い止めたいという、藁をも縋る気持ちだったんだと思います。だから積極的に撮影して欲しいと、神事に関わるスケジュールも教えてくれて、ご飯もすべてご馳走になってました」
――神歌とは違いますが、まだ小さな雄太くんが一生懸命、宮古の民謡を歌う姿は可愛かったですね。
「雄太の姿は“希望の象徴”になると思いました。しかし、彼らが継承出来るのは民謡に過ぎない。神歌は50歳を過ぎた女性のみが口伝いに継承していくものというのが基本で、長い曲は2時間くらいあります。3分にまとまってて楽譜があるわけではないんですよね。神歌にも色々あり、家で歌っても別に構わないものもあれば、神様に奉納するものなのでステージでなんか歌えないというものもあります。儀式と共に無くなっていくものと言って差し支えないと思います。なので、残念ながら雄太では無理なんですよね。そもそも男だし(笑)」
――雄太くんが歌っていた民謡や神歌も含めて監督は宮古で出会った様々な歌をどう感じましたか?
「沖縄にも色々なタイプがあるのかもしれないけど、沖縄の民謡と宮古の民謡は明らかに違うんですよね。沖縄のも僕は大好きなんですが、宮古の歌を初めて聞いた時はたじろぎました。「なんだこれ」と。信仰から発生していったものというように言われていますが、まさにそんな感じがします。そして、神歌には電磁波のようなビリビリするものを感じます」
――まさにそうですね。わたしも痺れました。聞いたことないのにどこか懐かしい感じもして不思議な歌でした。この作品を監督自身はどのように思っていますか?
「最初は、背景にあるものや歌の記録、そして危機の伝達ということを考えていました。でも、それとはまた別の話で、音楽が大好きで色々な音楽を聴いてきましたが、素晴らしい音楽に出会える可能性を信じられなくなっている自分がいました。本当にいい音楽ってどうやって出会うのか。本当に素晴らしい歌手って、例えば美空ひばりなど、すでに亡くなった人や高齢の方は思い浮かびますが、今は思い浮かばない。撮影を進めていくにつれて、島の人にとっての歌は、お金儲けのためのものではないし、厳しい生活の中から自然に生まれていたことに感動しました。それは歌の出どころであり原種の姿で、人間の原点でもあると感じたんです。それに立ち会い、触れたいという思いがどんどん出てきました。そしてそれと出会い、発表出来たというのがこの映画の価値だと思っています。是非、たくさんの人に観ていただきたいですね」
(2012年11月21日更新)
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