ホーム > インタビュー&レポート > 平田オリザの“演劇”を通して、 現代社会における芸術の役割が見えてくる 台本やナレーション、BGMなどを排した「観察映画」の最新作 『演劇1』『演劇2』想田和弘監督インタビュー
『選挙』や『精神』など、台本やナレーション、BGMなどを排した、自ら「観察映画」と呼ぶドキュメンタリー作品で、国内外から注目を集める想田和弘監督の最新作『演劇1』と『演劇2』が、11月29日(木)まで第七藝術劇場にて上映中、その後、11月10日(土)より22日(木)まで神戸アートビレッジセンターにて、12月8日(土)より京都シネマにて公開される。『演劇1』では、複雑なセリフ回しと現実を模写するかのような演技で構成される平田オリザの舞台の表裏を映し出し、『演劇2』では、財政難と不況で存続が危ぶまれる“演劇”が、社会にとってどれだけ必要なものであるかを説く平田オリザの姿を通して、商業至上主義に傾倒する現代社会に疑問符を突きつけている。本作の公開にあたり、想田和弘監督が来阪した。
東京・駒場の東京大学卒業の想田監督と、東京・駒場を本拠地とする平田オリザ主宰の劇団「青年団」との出会い。普通に考えれば、大学時代から「青年団」の存在は知っていて、改めて観直したら…というエピソードが聞けそうな気がするが、実は想田監督が初めて「青年団」の演劇を観たのは2000年10月のニューヨーク公演のこと。その際、上演された、平田の岸田戯曲賞受賞作『東京ノート』に監督は強い衝撃を受けたそうだ。
想田和弘監督(以下、想田):平田さんの演劇は、ニューヨークが初めてでした。でも、よく考えてみると僕は1989年に駒場にある東大に入学していて、アゴラ劇場で『ソウル市民』という平田さんの代表作が発表されたのも1989年なんです。そんな近くにいたのに、その頃の僕は全く演劇に興味がなかったんです(笑)。声を張り上げたり、不自然な台詞まわしという、いわゆる“くさい”演技が、僕の中に演劇のイメージとしてあったんです。でも、ニューヨークで平田さんの『東京ノート』を観た時に、その偏見が払拭されました。平田さんの強力な意思で芝居くささという、演劇についていた手垢みたいなものを拭い去っているように感じたんです。しかも、それがドキュメンタリーを舞台上でやっているかのように感じました。その頃の僕は、駆け出しのディレクターだったので、素直に驚きました。それは、ドキュメンタリーを撮っていたからこそ骨身にしみました。カメラを向けると、それまで生き生きしていた人が意識して急に白々しくなったり、現実を撮りたいと思っても、何か戦略がないと無理なんです。でも、平田さんの演劇は、まるで日常生活を切り取ったかのようで、すごく自然で即興にすら見えるんです。それはありえないし、どうしているのかと思っていて、2006年にもう1度ニューヨークに「青年団」が来たので、観に行きました。そうしたら、全く別の作品なのに同じようなトーンなんです。これは、すごいものに出会ってしまったと思いました。
平田の演劇に衝撃を受け、会場で売っていた平田の著書をむさぼるように読み、平田オリザという芸術家にどんどん魅了されていった想田監督。その後、友人で俳優の近藤強が「青年団」に入団したことをきっかけに、この映画の企画は具体化されていった。撮影は2008年から断続的に始まったようだが…。
想田:2008年の7月~9月にかけてメインの撮影をさせていただいて、もう終わりにしようかと思ったんです。でも、平田さんが色んな人に「11月には世界初のロボット演劇があるよ」と言っているのを聞くと、撮らないわけにはいかないと思いました。さらには、7月~9月に稽古していた『冒険王』や『サンタクロース会議』の舞台が11月、12月にあると聞いたので、じゃあもう1回撮影しにこようと。そうしたら、2009年の2月、3月にはフランスで公演すると聞いたので、海外公演も撮りたいと思うじゃないですか(笑)。その時点で300時間以上回していたので、これで十分だろうと思っていたら、政権交代が起こって、平田さんが内閣参与になって鳩山さんのスピーチを書くわけですよ。それも撮りたいと思ったんですが、さすがに『Peace』の撮影や『精神』の海外上映が重なったので、そこで打ち切りにして、そこまで撮ったもので何が描けるのか考えて編集していきました。
その300時間以上撮影した映像を2年以上かけて編集し、完成したのが本作『演劇1』と『演劇2』だ。『演劇1』と『演劇2』に分けることはいつ頃から考えていたのだろうか。
想田:それは、最後の最後ですね。それまでは、できれば1本の映画にしたいと思っていました。ただ、そんなわけにはいかないだろう、というのは頭のどこかにありました(笑)。これだけ撮っていて1本にまとまるわけがないですし。それは、僕が本を書いている時に感じたことなんですが、同じ文章でも1章と2章に分けると急にわかりやすくなったりするんです。人間は区切りがつくだけで、長いものでも耐えられるんですよね(笑)。本を書いている時にそういう性質に気付いていたので、“分ける”という手はあるなと薄々感じながら編集していました。
『演劇1』が2時間52分で、『演劇2』が2時間50分。上映時間を聞くと、観客はもちろん、本作を上映する劇場や配給会社も多少はためらうことが予想されるが、それでも観始めるとあっという間に時間が過ぎてしまうのが本作のすごいところ。
想田:(上映時間を)短くしようと思えば、いくらでもできると思うんです。ただ、それはベストな作品にはならない。それは妥協ですし、別の作品になってしまう。僕も、だんだん分別もついてきたので(笑)、2作合わせて5時間42分の映画を、ジリ貧の映画界で上映することがどういうことを意味するのかはわかっているんです(笑)。これはなんとか短くしたいという気持ちもあったんですが、何度観てもこれ以上切れないし、切ったらベストではなくなると思ったんです。だから、今までの作品を配給してくれていた配給会社や、公開してくれていた劇場がやってくれるかどうかが試金石だと思ったので、まずはそういうところに「観てほしい」と投げてみました。そうしたら、皆さんが「これはやりましょう」と言ってくださったので、「じゃあ、お願いします」と(笑)。
そこまで苦労を重ねても、想田監督が撮りたいと思った平田オリザと、彼が率いる「青年団」の演劇。初めて観た時に衝撃を受けたと語っていた監督だが、どの部分に惹かれたのだろうか。
想田:平田さんがやってらっしゃるのは、俳優さんたちが普通に見える演劇なんです。だから、一見すると誰にでもできそうに見えてしまうんですが、決してそうではないんですよね。一見自然でありふれているように見えるんだけど、それはものすごい操作と計算と精進の結果なんです。それは撮っていてすごく感じたことだし、それをきちんと描きたいと思いました。それは、自分もそういうことをしているという自負があるからなんですが、やはりカメラで何かを映す時は、絞りや画角、カメラの動きやフォーカスなど、色々な要素があって初めて自然に見えるんですよね。しかもそれは編集の段階で、あたかも何も操作されていないような操作をされているんです。ドキュメンタリーを撮っている僕だからこそ、平田さんのそういう部分に目がいってしまうのかもしれません。
「一見、自然でありふれているように見えるが、それはものすごい操作と計算と精進の結果」と監督が語る平田の演劇。では、平田オリザ自身をカメラで撮っていて、そのような操作や計算を感じたことはあったのだろうか。
想田:最初は平田さんのことをすごく撮りやすい人だと思ったんです。「カメラは基本的に無視してください」と言えば、本当に無視するんですよ、こっちが寂しくなるぐらい(笑)。ただ、だんだん撮っていくと、この人は「人間とは演じる生き物である」という持論の持ち主で、どうやったらリアルに見えるかということを追求してきた超一流の劇作家であり演出家で、俳優さんたちも自然な演技を追求している、じゃあ僕が今撮っているのは何なんだと、思いだしました(笑)。カメラを意識しすぎてコチコチになったり、カメラ向きのパフォーマンスになる、そういうカメラを意識した振る舞いをどう打ち砕くかがドキュメンタリストの腕の見せどころなんですが、「青年団」の場合は、一見全く演技をしていないように見える自然な振る舞いで、素の状態をそのまま撮れているような感じがするんです。でも、よく考えると、平田さんの無視の仕方は尋常じゃないし、平田さんは僕に構うこともなく稽古を始めてしまうんです。これほどまでに無視するということは、カメラがないかのように振る舞うことを徹底しているに違いないんです。ただ、僕からすれば、その演技の裂け目みたいなものにカメラを向けていきたくなりますし、時々素の感情が撮れたんじゃないかと感じる時もありましたが、結局本当のところはわからないんですよね(笑)。でもそれは、今回の被写体が「青年団」だったからここまで考えたわけですが、今までの作品でも同じだったんじゃないかというところに行き着きました。つまり、どこまで自己演出が入っているのかは藪の中だし、もしかしたら本人でさえわからないのかもしれない。普段のコミュニケーションでも、そうですよね。相手が話していることに、どこまで演技的要素が入っているのかなんてわからないじゃないですか。
監督の話を聞いていると、平田オリザの演劇論と監督自身の映画の撮り方や考え方がすごく似通っているように感じられる。監督は、最初から平田オリザに対してシンパシーを感じていたのだろうか。
想田:平田さんに自分自身を重ねている部分があったんだということには、最近気付きました。僕は、観察映画の手法にのっとって映画を撮っていますが、テーマありきで映画を撮ってはいませんし、撮りたいという気持ちは衝動なので、改めて分析してみないとよくわからない部分があるんです。今、本を書きながら、苦労して4年もかけて俺は何をやっているんだろうと考えてみて初めて、平田さんに対して鏡を見ているような感覚がどこかにあったんだということに気付きました。ただ、平田さんは巨匠で、僕はペーペーなので、あくまで僕の勝手な思い込みですが、主観的にはそういう思いがありました。
平田オリザの演劇論に加え、監督は本作で社会における演劇の役割や立ち位置を映し出している。それは、助成金の申請や劇団の運営に四苦八苦する平田の姿や、民主党の議員と平田が会合している場面、県や市という自治体から招待されてワークショップを行う平田の姿などから、社会の中に位置する“演劇”という芸術の姿が見えてくる。
想田:それは、僕が自然に社会に目がいってしまうからだと思います。観察映画シリーズってある意味連作のような部分があって、例えば『選挙』で政治家の方たちを撮ると、政治家の動きにすごく敏感になるんです。普通に町を歩いていても選挙のポスターを見ると、これはどこの地盤だとか考えますし(笑)。そうすると撮影中でも、平田さんが民主党の若手議員と会合すると聞くと、「おっ!?」と思いますし、鳥取のイベントに市長や知事が来ると聞くと、それはもう嬉々として撮ってしまうんです(笑)。そういう視点がどうしても入ってしまいますよね。また、『精神』を撮っていたので、平田さんがメンタルヘルスの会合で講演すると聞くと、「是非、行きます」と言ってしまいますし。まるで変奏曲であるかのように、主旋律とは違う音を奏でていって、それが色んなところで繋がっていくんです。今までの僕の作品と、一種の連作のように観ていただけると嬉しいです。
たしかに、想田監督が今まで撮ってきた『選挙』や『精神』と、本作には見えない繋がりがあるように感じられる。その一方で、現在、社会的に騒がれている文化行政についての監督の思いも感じられた。
想田:この映画を撮っている時は、今の状況を全く予見していませんでした。ただ、編集の段階では、無意識にそのあたりのことも視界に入れていたような気がします。今まであったドキュメンタリーは芸術の内容や、芸術を作るための方法論だけに焦点を当てていたと思うんです。だから、『演劇1』みたいなタイプの作品はけっこう作られているんです。僕も作り手だから実感することなんですが、芸術を支えるための経済活動や社会活動が、芸術家にとってはかなり重くのしかかっているんです。それは自転車の前輪と後輪みたいなもので、どっちかがなくなっても活動できないんです。両方があって初めて自転車になるんです。でも、その問題意識は今だからということではなくて、僕も作り手なので映画をどうやって世に送り出すか、次から次へと作品をコンスタントに作っていけるかということについては、元々関心を持っていたんですが、演劇は特にその傾向が強い、元々社会的な芸術なんですよね。ひとりで完結できるものではないですし、社会に認知されないと芸術活動そのものが成り立たないですし、演劇をやることイコール社会とコミットしていくことだという部分があるので、それは大きなテーマとして描きたいという気持ちは最初からありました。
そのように、本作では演劇業界を取り囲む社会の現状を描くことによって、監督の映画界への思い、広くは芸術への思いを昇華させたということだろうか。
想田:平田さんの活動を描くことは、映画作りを描くことでもあって、それは一致しているんですよね。日本では芸術家が理論武装できていないから、社会的に芸術が弱くなっているんじゃないかと思うんです。そんな中で、平田さんはすごく稀な芸術家だと思いますし、今は芸術家にとって理論武装が必要な時代だと僕は個人的には思っています。僕はこの映画でこうでなければならない、というメッセージを伝えたいわけではなくて、期せずして今の状況とすごくシンクする作品を作ってしまったということなんです。冷戦が終わって、共産主義や社会主義が駄目で、資本主義万歳という価値観が猛威をふるっていて、それまでは福祉のような社会主義的発想や、芸術や伝統にも一定の価値があるというコンセンサスみたいなものがあったはずなのに、それがどんどん崩壊しかけているような気がするんです。そういう中で芸術をやっていくこと自体が逆風なんだという認識は新たにしています。やはり、芸術には資本主義的価値観とは相いれない価値観があると思うんです。儲かればいいという人は芸術をやらないですから(笑)。
2作合わせて5時間42分という上映時間を聞くと、思わず尻込みしてしまう人も多いだろう。しかし、本作は、平田オリザの舞台を観たことがない人でも、平田が劇団員へ稽古をつける姿や、学校でのワークショップで平田が子どもたちに向けて話す姿、そして様々な講演で演劇について話す姿を見ているだけで、演劇の素晴らしさや演劇の生む感動に魅せられているはず。そして同時に、ナレーションもテロップもないドキュメンタリーを飽きることなく観続けていたことに気付かされた時に、想田監督の偉大さに驚かされるはずだ。
(取材・文:華崎陽子)
(2012年11月 2日更新)
●11月29日(木)まで、
第七藝術劇場にて上映中
●11月10日(土)~22日(木)、
神戸アートビレッジセンターにて公開
●12月8日(土)より、
京都シネマにて公開
【公式サイト】
http://engeki12.com/
【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/160167/
●11月29日(木)まで、
第七藝術劇場にて上映中
●11月10日(土)~22日(木)、
神戸アートビレッジセンターにて公開
●12月15日(土)より、京都シネマにて公開
【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/160168/