ホーム > インタビュー&レポート > 「映画という場で“福島菊次郎”に会ってほしいんです」“伝説”の ジャーナリストと称される報道写真家・福島菊次郎の実像を映す ドキュメンタリー『ニッポンの嘘~報道写真家 福島菊次郎90歳~』 長谷川三郎監督インタビュー
敗戦直後より66年にもわたるキャリアを持ち、“伝説”のジャーナリストと称される報道写真家・福島菊次郎の姿と、彼が伝えようとしてきた“真実”を描くドキュメンタリー。『ニッポンの嘘~報道写真家 福島菊次郎90歳~』が、テアトル梅田、シネ・リーブル神戸にて上映中、その後京都シネマにて公開される。福島がライフワークとしている、被爆者の撮影や安保、学生運動など様々な被写体を、権力と戦いながら撮り続け、現在も福島の真実を伝えるために活動する精力的な姿に圧倒される。本作の公開にあたり、長谷川三郎監督が来阪した。
キャリア66年、6000点もの写真を発表して“伝説”の報道写真家となった福島菊次郎。驚くことに現在は、自らの信念に基づき、年金や援助を断り原稿料のみで自活中。カメラは、そんな彼のひとりの人間としての姿と“報道写真家”としての姿を映し出していく。1970年生まれで42歳の監督はどのようにして福島と出会い、福島の映画を作ろうと思ったのだろうか。
長谷川三郎監督(以下、長谷川):僕は、福島さんが精力的に写真を残された敗戦直後の広島や1960年代~70年代にかけての学生運動や安保闘争など、戦後に大きく時代が動いた時をリアルタイムで知らないんです。でも、初めて福島さんの写真を見た時に、僕の知らない日本が菊次郎さんの写真の中にあって、三里塚で怒りの声をあげて闘っていた日本人の顔や被爆者の方の苦悩など、こんな日本人がいたことに衝撃を受けて、直接会いに行こうと思ったんです。それで、福島さんにお会いして「福島さんが撮ってこられた日本って何だったんですか?」とお聞きしたら「ニッポンの嘘だ」とおっしゃられて、福島さんが暴こうとした“ニッポンの嘘”の正体を知りたくて、さらに福島さんに興味を持ちました。また、僕は、ドキュメンタリーの仕事をしているので、(被写体の方が)ここまであからさまに、カメラの前で自分が苦しんでいる姿をさらけだしていることにも驚きましたし、それを撮りきった福島さんのすごさにも衝撃を受けました。ちょうど、僕自身が被写体の方との向き合い方に悩んでいる頃だったので、たくさんの日本人たちを見つめてきた福島さんに、ドキュメンタリー監督として興味を持ったことも理由のひとつです。
そのように監督の福島への興味から始まった撮影だが、遥かに年上で自分が生まれる前から報道写真家として活躍している福島と初めて会う時は、さすがに緊張したのではないだろうか。
長谷川:これだけの写真を撮られてきた方ですし、自衛隊を欺いて潜入取材をしたという武勇伝も聞いていたので、どれだけ怖い人なのかと思いながら会いに行ったんですが、会った瞬間に福島さんの人柄に惚れてしまいました(笑)。会ってすぐに、自分が今まで撮ってきた戦後の話をイキイキと話す姿を見て、僕がその時代にタイムスリップしたような感覚になったんです。だから、帰りの新幹線の中ではもう、自主制作でいいから撮ろうと決めていました。実は、福島さんとお会いした当時で88歳だったので、もう引退されていると思ってたんです。ところが、気持ちは衰えていませんし、福島さんの心の中に炎がメラメラ燃えているような印象を持ったので、そのパワーの源を知りたいと思いましたし、福島さんの撮ってきた写真のすごさや撮ってこられた現場の生の感覚を証言として残したいと思いました。
本作からは、福島の写真のすごさや、その時代の現場の空気が感じられるのはもちろんだが、90歳を目前にした福島の規則正しく、きちんとした生活ぶりからも何か感じられるものがあるはずだ。
長谷川:福島さんは、自分で食べるものは自分で作って、飼っている犬のロクとの生活も楽しんでいますし、何より仕事をしていますからね。普通だったら引退していてもおかしくないと思うんですが、あそこまでの仕事をしてきたからこそ、今の日本に対して自分がどんなメッセージを残せるのか、考えてらっしゃるんです。最近は、目も悪くなっているので、カメラマンとしては全盛期のように自由に撮ることはできないとおっしゃってはいるんですが、目が見えなくなった分、自分が見た戦後を言葉で補おうとされていて、90歳近い方がこれだけ自分の人生と向き合って、最後に自分は何ができるのかということを追求されている姿に感動しました。だから、この作品の裏テーマとして、福島さんの日常を映すことで、老いの中でどうやって生きていく目的を見つけて誇り高く生きていけるのかということも描いたつもりです。福島さんは、生活を大事にされているからこそ、人々の暮らしを踏みにじろうとする国家や社会に対して怒りを持ってらっしゃるんだと思います。日常を大事にする福島さんの心と、あの力強い写真にはどこかで繋がっていると感じました。
確かに、福島の写真からは福島が抱える怒りはもちろん、被写体の力強い意思のようなものが感じられる。監督は、取材を通して福島菊次郎という人物をどのように感じたのだろうか。
長谷川:「僕は私怨で生きてきた」と福島さんがおっしゃっていたんですが、福島さんは被爆者の方に仇をとってくれ、写真を撮って告発してくれと言われたことからカメラマン人生をスタートして、学生運動や三里塚や公害など、場所が変わってもそこで闘っている人たちの思いを背負っていって、現場で福島菊次郎は作られていったんだと思うんです。今でもあれだけ元気でいらっしゃるのも、その人たちの思いを背負っているからじゃないかと思うんです。ここまで色んな人の思いを背負って生きてらっしゃる福島さんの姿を見て、敵わないと思いました。
日常生活でも、90歳を前にしても力強さを感じるぐらい元気な福島だが、さらにパワーアップするのがカメラを持った時だ。カメラを持つとまるで野性動物のように俊敏に動く姿が印象的だった。
長谷川:福島さんにとってカメラは肉体の一部なんですよね。全盛期に比べると目は確かに悪くなってらっしゃいますが、身体や指で被写体との距離を感覚で測って撮ってらっしゃるんです。学生運動や三里塚の写真にしても、構図を考えて撮っているんじゃなくて、何も考えずに現場の中に突っ込んでいって、そこで感じれば自分の立ち位置が決まって、何を撮るべきなのか定まってくるそうです。それだけ真摯に現場に向き合ってらっしゃるからできることですよね。福島で写真を撮っている姿を見ても、現場に飛び込んで行っている感じがしました。福島の酪農家の方を訪ねた時も、ずっとその方の話を聞いてらっしゃって、あんまりシャッターは切られてないんです。どんな思いで過ごしてらっしゃるのか、その思いを受け止めることに一生懸命で、そういう風に人と向き合う方だから、あそこまでの写真を撮ることができるんだと感じました。
監督は福島で、福島菊次郎が撮影する姿を見たことが、本作の「ニッポンの嘘」というタイトルについて再度考えるきっかけになったそうだ。
長谷川:取材をしている時は、菊次郎さんが撮ってこられた過去のニッポンの嘘を指していると思ってタイトルを考えていたんですが、実は、僕らの知らないところでその嘘って続いていて、今に繋がっているんだと思うんです。というのも、菊次郎さんと一緒に福島に行った時に、菊次郎さんが草で覆われた墓地で写真を撮ってらっしゃった時に、墓石が野ざらしになって、草で覆われているのを見て「広島と福島は同じだ」とおっしゃってたんです。原爆の後で、広島は巨大な平和都市を作って原爆の痕跡を覆い隠したんですよね。それと今の福島の姿が重なったんだと思います。
最後に、映画の中に登場する福島が撮ってきた写真や、福島の日常生活、また福島が写真を撮っている姿から監督が受けた印象と、本作への思いを聞いた。
長谷川:僕は今まで、学生運動の話を聞いても、いまいちリアリティを感じられなかったんですが、福島さんの写真を見た時は、当時の日本人がすごくかっこいいと思ったんです。あんな風に声を荒げて怒っている姿や、機動隊と向き合っている子どもたちにも、人間としての誇らしさを感じました。福島さんは、今の時代を生きるチャーミングなチェ・ゲバラだと僕は思っているんです(笑)。彼はカメラを武器にして闘ってたんだと思います。僕は、スクリーンで福島さんが撮ってきたニッポンと出会ってほしいと思って、映画にしました。そこで、何かを感じて持ち帰ってほしいんです。説明は最小限にしても、お客さんは必ず何かを受け止めてくれるはずだと思ったので、お客さんが参加してそこで想像力を働かせて日常に持ち帰ることで最終的に完成する映画という場で“福島菊次郎”を体感してほしい、“福島菊次郎”に会ってほしいと思ったんです。
(2012年8月31日更新)
●テアトル梅田、シネ・リーブル神戸にて上映中
●10月中旬より、京都シネマにて公開
【公式サイト】
http://www.bitters.co.jp/nipponnouso/
【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/159505/