ホーム > インタビュー&レポート > 「検視を通じて人間愛を描くことを目指した物語です」 内野聖陽主演で検視官・倉石の活躍を描く『臨場』が スクリーンで復活!『臨場 劇場版』内野聖陽インタビュー
2009年に連続ドラマ化され、翌年には続章が放送された、『半落ち』や『クライマーズ・ハイ』などの原作者として知られる横山秀夫による大人気シリーズ『臨場』の映画版『臨場 劇場版』が、梅田ブルク7ほかにて公開中だ。物言わぬ死者の声を読み取り、謎を解き明かしていく検視官・倉石の活躍と、事件の背後で展開される人間ドラマを描く。ドラマ版に続いて『探偵はBARにいる』の橋本一監督と主演の内野聖陽が再びタッグを組み、松下由樹、渡辺大、益岡徹、高嶋政伸らおなじみの出演陣も顔を揃えている。本作の公開に先立ち、検視官・倉石を演じた内野聖陽が来阪した。
腑に落ちないことは徹底的に追求し、遺体と現場に残されたあらゆる事象から死者の“声なき声”を根こそぎ拾っていく検視官・倉石。TVドラマで多くの視聴者の共感を呼んだ、そんな倉石の奔放だが人情味溢れるキャラクターはそのままに、映画では、無差別通り魔事件を発端に起こった連続殺人事件にまつわる人々の心情を濃密に描ききることで、より物語の奥深さが増した傑作ミステリーに仕上がっている。今回、映画版で倉石を演じることについて内野はどのように感じていたのだろうか。
内野聖陽(以下、内野):映画だから今回はこういう風にしよう、という考えはむしろありませんでした。無理に襟を正したり、肩肘はったりするのは違うなと…。テレビ版から数年経っていたので、それなりに僕もおっさん化が進んでいますし(笑)。TVドラマの時は43歳ぐらいの設定だったんですが、今回は50歳に近い男のイメージでやっていましたし、他の役者さんもそれぞれ他の仕事を経て『臨場』に帰ってきているので、それぞれの変化もあるだろうし、実際に倉石班の検視官チームも日々検視を重ねていたはずなので、その分の成長をお見せしたいと思っていました。
成長をお見せしたいというのは、成長した倉石を見せたいということだろうか。
内野:それもありますが、むしろ集大成のような倉石になればいいと思っていました。TV版では喧嘩っぱやい熱血系の男で、捜査にブレのないスーパーマン的な存在として意識していたので、なるべく今回は、普通の人間が理解できる倉石にしたかったんです。例えば、捜査1課に喧嘩腰で入っていく倉石も、本当はそういう軋轢が好きではないんだけれども、「自分が言わなきゃ誰が言う」という気持ちで、自分を奮い立たせていたんじゃないだろうかとか、倉石は苦しみを押し殺して戦う男だということを大事にして演じました。
確かに、映画版では疑問に感じたことは口にする倉石のキャラクターはきちんと描かれつつも、「本当はこんな軋轢を生みたいわけではない」という心の内も描かれている。内野は、そんな倉石の魅力をどのように感じているのだろうか。
内野:倉石は根こそぎ拾おうとする男なんですが、自分も役者として、限られた時間の中でどれだけ役を豊かにできるかという部分ではとことんまでやりたいタイプなので、そういう意味では倉石の根こそぎスピリットは、多かれ少なかれ役者としての自分の中にあるんじゃないかと思います。でも、倉石のすごいところは、「まぁいいか」で済ませないところですよね。根こそぎスピリットは僕の中にもあるかもしれないですが、倉石が自分の中の違和感を大事にして、それをきっかけに自分の推理、捜査をしていくというのは、すごくパワーのいることだと思うんです。ちょっと違和感を感じていても見て見ぬふりをして進めてしまうことってあるじゃないですか。組織を敵に回してもいいから、そこを突っ込んで、徹底的に拾い尽くす倉石の姿勢は素晴らしいですし、見習いたいですよね。だから、倉石の生き様はパワーを与えてくれると思うんです。どれだけ傷だらけになっても1本筋を通して自分の信じる道を貫くということは誰でもできることではない。それをきっちり演じることで、観客の方にもパワーを感じてもらえたらなんて思いながら演じてました。
しかし、そんな倉石の姿は原作とは異なる部分が多い。映像化するに当たって、内野は倉石像をどのように作っていったのだろうか。
内野:自分の場合は、ひとつの役に入ると全身全霊でその役に入り込みたくなってしまうので、原作を読んだ時に、自分に倉石ができるだろうかと思って、すごく緊張しました。最初は、亡霊が出るとまではいかないですが、原作の倉石像にすごく影響されていました。でも、ものすごい男だし、この壁はすごく厚くて高いけど、すごく勝負のし甲斐があるなと思ったんです。実際、TV版をやっていく内に、あくまでも内野聖陽が演じる倉石でいいんだという風に思えるようになってからは、より倉石像を原作にはない部分で膨らませたところはあると思います。
そんな倉石の姿の中で特に印象的だったのが、倉石班の後輩検視官たちに対して、何も言わない代わりに俺の背中から何かを感じてほしいという、後輩へ無言で指導する姿だ。
内野:倉石の後輩への指導なんて、多くを語らず自分の実体験で学べってことだと思ってました。先輩の姿というのは、いい意味でも勉強になるし、ああはなりたくないっていう反面教師的な勉強にもなると思うんで、そういうところは大事にしていました。TV版からのチームワークができていたので、逆に馴れ合いになりたくないという警戒心があって、撮影に入る前に一番注意したところはむしろそこでしたね。それでも、監督と相談して、後輩たちの成長を喜ぶ倉石ってのは大事にしましたけどね。
TVドラマから約1年半を経て再結集された検視官チーム。内野は、馴れ合いにはなりたくないと警戒していたようだが、久しぶりの再会についてはどのように感じたのだろうか。
内野:連続ドラマを2クールやってきたからこそ出せるものってあると思うんです。やっぱり、検視官チームのシーンにしても、ふとした何気ない動作の中に、初めて会った役者同士では絶対に出せない年輪のような空気感があったりするんです。そういうものは一朝一夕には出せないものなので、それは積み重ねの強さだし、あれだけ一緒に検視現場で過ごして辛酸を味わったチームだからこそ、無言の呼吸だけで台本に書いてないこともやってしまえるすごさがあると思うんです。そういう意味での安定感があるからこそ、お客様も安心して観れるだろうし、初めて観る人にも関係性の深さは伝わると思うんです。僕も改めて人間関係の演技というものは共に戦った人間たちの年輪のようなものが大きく反映されるものなんだなぁとつくづく思いましたよ。
TVドラマから多くの方に支持され、映画化されることとなった本作。この映画は、検視官・倉石の生き様を通して、私たちに様々なことを訴えているのではないだろうか。
内野:この映画は検視官の物語ですが、決して検視オタクの話ではないので(笑)。倉石は、検視という仕事に向き合いながら、何に向き合っていたかというと、人に向き合っていたんだと思うんです。それは、死者であり、残された被害者遺族の気持ちであり、果ては、犯人の人生にまで及ぶのです。結局この映画は人を見つめる物語だったような気がしています。シナリオでも、撮影現場でも、微にいり細にわたり、専門的な世界が広がっていたんですが、結局僕らは、検視を通じての人間愛を描くことを目指していたんじゃないかと思います。僕は、『臨場』がたくさんの要素を含めて評価されたと思っているんです。今まで全く知らなかった検視の世界を垣間見られる面白さや倉石の生き様、検視官チームの魅力もそうだろうし、色んなことが複合的に存在していると思うんです。僕が言えることは、間違いなく手は抜いてない作品だということですね。
(2012年7月10日更新)
●梅田ブルク7ほかにて上映中
【公式サイト】
http://www.rinjo-movie.jp/
【ぴあ映画生活サイト】
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