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「これが最後の1本になるかもしれないという気持ちで挑んだのが
『SR サイタマノラッパー』でした」本年屈指の傑作との呼び声も高い
“SR サイタマノラッパー”シリーズ最新作第3弾
『SR サイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』入江悠監督インタビュー

 夢を追い求め、心ならずも社会の底辺へと堕ちてゆく若者のあがきと捨てきれない希望を鮮烈なラップのリズムに乗せて描き、本年屈指の傑作との呼び声も高い『SR サイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』が第七藝術劇場にて上映中、その後6月2日(土)より京都みなみ会館、6月16日(土)より神戸アートビレッジセンターでも公開される。公開初日、詰めかけた観客で場内は満杯、立ち見も出るなかで行われた舞台挨拶の前後に、入江悠監督に話を訊くことができた。ゆうばり国際ファンタスティック映画祭でグランプリを受賞した、2009年のシリーズ第1作『SR サイタノラッパー』以来、次世代を担う才能として注目を集め続ける入江監督に、シリーズ全体から最新作までの話をうかがった。

 

――凄いですね、会場は超満員ですよ。

 

入江悠監督(以下、入江)嬉しいです、ほんとに。シリーズの3本目ですが、その間に『劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ』という作品も撮っているので、4本目にして初めて大阪で満杯になりました。東京では1本目から渋谷のユーロスペースや池袋のシネマ・ロサに大勢のお客さんが来てくださってたんですが、大阪ではなかなか苦戦していましたから。ちょっと感慨深いものがあります(笑)。

 

――その1本目である『SR サイタマノラッパー』(以後『SR1』と表記)を撮られたころの状況からうかがっていきたいのですが。最近監督が出版された本「SRサイタマノラッパー ―日常は終わった。それでも物語は続く―」などによると、もし、この映画でダメだったら映画監督をあきらめようという、いわば背水の陣といった感じで取り組まれたようですね。

 

入江:ええ。高校生のころ、大好きだった映画を作る仕事があるということを知り、なんとか一生の仕事にできないかと考えたんです。それで、大学1年のときから自主制作を始めて10年近くが経ち、年齢も20代の終りになって、ここまでやってきてなんにも認められなかったら、それは才能がないってことなんだろうなと思ったんです。短編映画も数本撮って特集上映をしてもらったり、Vシネマも何本か仕事として作ってきましたけど、自分としてもどうもしっくりこなかった。だから、ここでほんとに撮りたいものを1本撮って、もし、これで評価されなかったら将来を考え直そう、これが最後の1本になるかもしれないなっていう気持ちはありました。

 

――そこで撮ろうと考えられたのが、監督の地元である埼玉を舞台に、ヒップ・ホップミュージシャンを目指す若者達の物語だったわけですね。

 

入江:そうです。いわば半自伝のようなかたちで自分自身の青春を描こうと思ったんです。そうなると、やはり自分の原点を見つめなおさなくてはいけない。埼玉を舞台にしたのはそういうことです。

 

――ヒップホップを題材にされたのは?

 

入江:音楽映画を撮りたかったんです。失敗して映画をあきらめることになっても、どうせならやりたいものをやって大きく外してもいいやという感じでしたね。ヒップホップを選んだのはまず好きだったということ。ヒップホップってロックの暑苦しさというか、オトナの説教みたいな部分がないし、ジャズやブルースの渋さもちょっと貧乏臭い感じもないじゃないですか(笑)、あとヒップホップの歌詞に載せたら少々恥ずかしいことも歌の力で言えてしまうし、楽器が要らないからどこでも始められる。路上でもお店の中でもできる。コミュニケーションの延長として歌が発生する瞬間を捉えることができるのもヒップホップの魅力ですよね。

 

――確かに、いろいろ面白く撮れそうな表現ですね。でも、これまであまり映画で採り上げられてこなかった表現だし、“怖さ”みたいなものはなかったですか?

 

入江:いや、それは考えませんでした。この映画を作っているときは、完成してもどこで上映してもらえるのか、ほんとに人に観てもらえるのか、それすらわからないような状態で、大きく失敗してもいいやって思っていましたから。それよりも考えていたことは、自分の青春を描くのだから、この映画をカッコイイものにしては絶対いけないな、ということでした。とりあえず恥ずかしい部分をきちんと描こう、そして恥ずかしいんだけれども、どこか本気な部分もあるはずなので、それを捉えなくてはと、そればかりを考えていました。

 

――そうして自主映画をやっていた仲間が再結集したわけですか?

 

入江:以前からの仲間は撮影の三村和弘だけですね。他のスタッフや役者は、大学の同級生や後輩を紹介してもらって選んでいきました。

 

――役者さんはラップができる人を選んだわけですか?

 

入江:ええ、そのつもりで初めて会ったときに訊いたんですよ「ラップ歌えますか?」って。そしたら「歌えます」って言うんで、良かったって思って選んだら実は全然できなかった(笑)。全員がカラオケでちょっと歌ったことがあるぐらいで(笑)。しょうがないので「さんぴんCAMP」のDVDを観せて、好きなアーティストの真似をしてもらうところから始めたんです。

 

――それは大変でしたね(笑)。どれくらい練習されたんですか?

 

入江:2ヶ月ほどですね。それから3週間の撮影に入って。撮影も合宿態勢で行っていたので、毎日、撮影後に自分達の歌を練習してもらう、そんな感じでした。

 

――自分達の歌というのは、劇中で歌われる上鈴木兄弟が作詞しているラップですよね。上鈴木兄弟との関係は?

 

入江:弟の上鈴木伯周が大学の同級生です。でも『SR1』を撮り始めるまで親交はなかった。同級生で、昼間は普通のサラリーマンをしてるけど、週末にはステージに立ってラップを歌ってる奴がいると聞いて行ってみたんです。そこからです、結局シリーズ3本とも兄の上鈴木崇浩と一緒にラップ指導を請け負ってもらって、劇中のラップのほとんどを作詞してもらいました。センスとか、自分と似ているところがあったのでいろいろ頼みやすかったですね。

 

――撮影中、また完成後はどんなお気持ちでした?

 

入江:撮影中は楽しかったですね。悲壮感なんて全然なくて。久しぶりに仲間と自主映画を作っている感覚で。完成後は、最初にゆうばり国際ファンタスティック映画祭に出品したんです。以前、参加したことがあった、あの映画祭にまた行きたいなと思って。そしたら入選して上映してもらえることになった。あれが『SR1』が初めて世に出たときでした。ただ、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭には以前2回入選してるんですが、2回とも賞からはもれていたので今回もダメだろうと思っていたのにグランプリに選ばれて、正直、驚きました。

 

――ゆうばりでのグランプリを皮切りに、海外の国際映画祭での受賞や東京の映画館での観客動員など数々の記録を残していくことになるわけですが、そのころはどんなお気持ちでした?

 

入江:自分が10代の頃に聞いていたヒップホップアーティストの人達や、いとうせいこうさんやライムスターの宇多丸さんに褒めて頂いたりしたんですが、そういうことも意外でしたし、映画館でロングラン上映してもらえたこともまったく予想外で、自分を取り巻く環境も一年でガラリと変わっていったんですが、なにか実感としてはもうひとつピンときてなかったんです。『SR1』の手応えを感じたのは実はもっと別の出来事でした。

 

――というと…?

 

入江:ゆうばりで何度目かの上映がされた後、会場の片隅で僕が煙草を吸ってたら、ゆうばりの地元の、70歳ぐらいのおじいさんがやはり煙草を吸いながら僕の隣に来て一言「なんか、わかるんだよなぁ」って言ってくれたんです。あれが嬉しかったですね。自分とまったく違う文脈を持っている人にも映画が届いたような気がして。その後の上映活動や映画製作はあの一言に支えられてやってこれたように思います。海外の映画祭にもいろいろ行きましたけど、どこでも僕が求めているのは同じなんです。どこかの映画祭での上映後、いい歳をした年配の女性二人が、ラップをしながら帰って行ったんですね。あれもゆうばりのおじいさんの一言に通じているような気がしました。あの一言が実感ある“手応え”でしたね。

 

――『SR1』の高い評価を受けて、第2作『SRサイタマノラッパー2~女子ラッパー☆傷だらけのライム~』(以後『SR2』と表記)、そして第3作『SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』(以後『SR3』と表記)とシリーズ化されていくわけですが、これは初めから構想されていたわけですか?

 

入江:いや、それはなかったです。『SR1』がゆうばりでグランプリに選ばれたことで、次作の製作に使う資金、スカラシップを得ることが出来たんです。「あ、自分はもう一本撮っていいんだ」という感じでしたね。でも、そのお金もすぐに出るわけじゃなくてけっこう大変でしたけど(笑)。ともかく、もう一本やろうという気になって。なにを撮ろうかと考えたとき、『SR1』で“仲間”を撮る面白さっていうのがあったんですね。それで今度はラップをやる女の子達をやろうと。あと、『SR1』で、スタッフもキャストもラップのスキルをせっかく身につけたのに、これを一本だけで終わらせるのは惜しいなっていう気持ちもあって(笑)。それが『SR2』の始まりでした。

 

――『SR1』の主人公のIKKU(駒木根隆介)とTOM(水澤紳吾)も出てきますが、舞台が埼玉から群馬に変わったのはなぜですか?

 

入江:『SR1』の単純な続編にはしたくなかったということと、実はかつての東映のプログラム・ピクチャーが好きで、ほらあったじゃないですか、『網走番外地』とか『トラック野郎』のシリーズで、主人公は同じなんだけど舞台が毎回違うという…。

 

――各地を転々と移動するんだ(笑)。

 

入江:そう、あれをやりたかったんですよ(笑)。シリーズ化を決めたときにそういう構想が浮かんで。だから『SR3』の舞台は栃木で、北関東3部作としたんです。

 

――シリーズ3本を通してワンシーン・ワンカットの手法が貫かれていますが、ワンシーン・ワンカットへのこだわりはどこからきているんですか?

 

入江:まずはカッコイイ音楽映画には絶対にしたくなかったっていうことです。先ほども言いましたけど、このシリーズはずっと悶々としていた自分自身の心情をそのまま描く、いわば半自伝的作品と考えていたので、絶対にカッコイイ映画にしてはいけないと思っていました。一般的に音楽映画というのはカットを短く割ることによって映像にもリズムが生まれてカッコイイ映画になっていくんですね。だから、その逆をやろうとしたわけです。それとワンシーン・ワンカットというのはとても非効率的な手法なので、商業映画の現場ではなかなかさせてもらえないんです。だから、実は自主映画ならではの、とても贅沢な手法でもあるんです。自分はやっぱり、映画を撮るときには常に自分にしかできないものを目指しているので、そういう意味でもしっくりくる手法なんです。

 

――『SR3』のクライマックスである野外のライブイベントのシーン、それにラストの透明な壁越しにIKKUとTOM、それに『SR3』の主人公のMIGHTY(奥野瑛太)がラップ・バトルを行うシーン、どちらも圧巻と言いたい迫力でした。ワンシーン・ワンカットは役者さんも大変ですよね。

 

入江:カメラ・ポジションのこともあるので現場でテストを繰り返します。役者をどんどん追い込んでいく感覚はありますよね。でも、こういったことも他の現場では時間の制約があってなかなかできないことなので、貴重な体験ではあるんです。撮る方も撮られる方もいい意味で鍛えられていきますから。『SR3』はほとんど順撮りを行っているので、MIGHTYの表情がラストに向けてどんどん変化して、良くなっているのを観てほしいですね。

 

――確かに。今回MIGHTY役の奥野さんが素晴らしいですね。それと『SR3』はまずMIGHTYというキャラクターがいい。『SR1』『SR2』に比べても、やるせない青春の純度が高まっているように思います。

 

入江:そこには、昨年の東日本大震災の影響が大きいと思います。あの地震と原発事故を体験したことで脚本が変わりましたから。

 

――どのように変わったわけですか?

 

入江:『SR1』ではIKKUがのんびりと炬燵に入って夢見てる、といったようなシーンがあったんですが、もうあんなぬるい表現はできなくなったということです。現実に、あんな恐ろしい、すさまじいことが起こってしまったわけですから。それと坂口安吾の「堕落論」じゃないですが、落ちるのなら徹底的に落ちなくてはいけないということです。おかげでMIGHTYの青春のやるせなさは鋭さを増したように思います。

 

――なるほど。ただ、『SR3』はやるせない青春を鋭く描いてはいるけれど、脱力系とも言えるユーモアがうまく仕込んであって効果をあげています。特に感心したのが、野外イベントの会場からMIGHTYがお金を奪って逃走用の車に戻ってきたところ。ここでは詳しいことは書けませんが、あそこでのワンクッション的展開には、「やられたっ」と思いました。

 

入江:そうですか、嬉しいです(笑)。先ほども言ったように僕はかつての東映プログラム・ピクチャーが好きなんですが、あそこでの展開は、それこそ東映映画によくあった空気感なんです。東映魂というか(笑)。ああいうのが好きなんです、なんか人間臭くって。実は僕が映画を志したのは、高校2年のときに、東映映画ではないけれど、岡本喜八監督の作品に出会ったからなんです。『独立愚連隊』なんて凄いじゃないですか。あんなに悲惨な状況なのに、それを笑い飛ばす表現で戦争の愚かしさをアクション映画として撮りきっている。見事な批評精神ですよね。あんな表現が出来るのなら一生の仕事にしたいと考えたんです。「笑い」は映画の最後の武器なんじゃないでしょうか。それから東映映画の深作欣二監督、鈴木則文監督、加藤泰監督らの作品に夢中になった。短めの尺(映画の長さ)で最後もスパッと終わる、あのスタイルは日本映画のひとつの到達点だと思います。深作監督には、亡くなられる前に会いにいって、いろいろと話をうかがわせてもらったりしたんです。アナーキーな感覚にあふれた魅力的な人でした。

 

――『SR』シリーズの笑いは、ただ滑稽なだけではなくてそこにせつなさがある。それが入江監督作品の特徴の一つかなとも思うのですが。

 

入江:それは恥ずかしい青春を描くことを目指したからじゃないでしょうか。僕も『SR』シリーズを撮るまで、どこか格好つけた映画を撮ってたんです。タランティーノが流行ったら、その亜流みたいな作品を撮ったりして。それでしっくりこないな、なんて考えてたんです。でも『SR1』で裸にならなきゃと思った。恥ずかしい自分をそのままさらけ出さないとダメだと思った。そういう映画の笑いって、やっぱりせつないですよね。

 

――今後はこういった映画づくりを目指したい、といったものはありますか?

 

入江:世代的に1990年代のハリウッド大メジャー作品も観てきているので、いつかああいった娯楽大作も撮ってみたいと思いますが、どんな作品であっても、これは自分が本当に撮りたい作品か、自分にしか撮れない作品かという問いを大事にしたいです。自分をごまかしたり、自分に嘘をつくような作品は撮りたくないですね。

 

取材・文:春岡勇ニ




★初日舞台挨拶レポート★

5月5日(土・祝)に第七藝術劇場で行われた舞台挨拶の模様をレポート!

 

sr_butai1.jpg GWも終盤に差し掛かった5月5日(土・祝)に第七藝術劇場で昼と夜の2回行われた『SR サイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』舞台挨拶。入江監督の呼びかけで、出演者、スタッフら総勢15名ほどが登壇し、自己紹介とともにラップを披露した。監督らの計らいで、映画の舞台挨拶には珍しく、“写真も動画も何でもOK!”だったため、通路までいっぱいの立見の方まで、一斉に携帯やカメラを持ち出し、半ば撮影会に。

 

 

sr_butai4.jpg そんな中でも、出演者たちによるラップが始まると、場内は総立ちで手拍子はもちろん、手を高く振り上げライブ会場のような盛り上がりをみせていた。最後に、4月30日から大阪でひとりゲリラ宣伝活動を展開していた主演の奥野瑛太ことマイティが登場し、壮絶なラップを披露すると場内は、今日一番の盛り上がりと興奮を見せ、あっという間に舞台挨拶は終了した。

 

 

 

 

 その後も、売店では映画関連グッズを買い求める人でごったかえし、劇場が6Fにあることから、ひとまず1Fに降りた出演者たちが、1Fでファンの方に囲まれ、にわか写真撮影&サイン会のような様相を見せていた。大阪では、シリーズを通して満席になったことがないことを嘆いていた入江監督も、今回ばかりは喜んでいたはずだ。

(2012年5月15日更新)


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入江悠監督

Profile

いりえ・ゆう●1979年、神奈川県生まれ。埼玉県育ち。2003年、日本大学芸術学部映画学科卒業。短編映画『OBSESSION』(2002)と『SEVEN DRIVES』(2003)がゆうばり国際ファンタスティック映画祭オフシアター・コンペティション部門に2年連続で入選を果たす。その後、『SR サイタマノラッパー』(2009)が、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭のオフシアター部門グランプリに輝き、単館系劇場でロードショーされ、記録的な大ヒットを果たし、第50回日本映画監督協会新人賞受賞。2010年には、続編『SR サイタマノラッパー2 女子ラッパー☆傷だらけのライム』が全国公開、2011年には人気バンドをモチーフに青春群像劇を描いた『劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ』が公開され、高崎映画祭で若手監督グランプリを受賞するなど、若手映画監督の筆頭として注目を集めている。4月よりテレビ大阪にて連続ドラマ「クローバー」が放送中。

Movie Data


(C)2012「SR3」製作委員会

『SR サイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』

●5月25日(金)まで、第七藝術劇場にて上映中
●6月2日(土)より、京都みなみ会館にて公開
●6月16日(土)より、
神戸アートビレッジセンターにて公開

【公式サイト】
http://sr-movie.com/

【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/158460/