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被災地で彼らがどのように振る舞い、どのような映像を撮ったのかを
包み隠さず撮影することでメディアの倫理観や在り方までも問いかける
『311』森達也監督インタビュー

 作家、映画監督、ジャーナリスト、映画プロデューサーとそれぞれ違った形でメディアに関る森達也、綿井健陽、松林要樹、安岡卓治が撮った異色のドキュメント『311』が、第七藝術劇場にて上映中、4月7日(土)より神戸アートビレッジセンター、その後京都シネマにて順次公開される。彼ら4人が被災地でどのような映像を撮り、振舞ったのかを包み隠さず撮影することを通して3.11に発生した震災を題材にしながらも、メディアの倫理観や在り方までも問いかける作品だ。本作の公開にあたり、森達也監督が来阪した。

 

 当初は、“震災をその目で確認すること”だけが4人の共通の目的だったが、実際の被災地の悲惨さは想像を遥かに超えて4人を圧倒し、当初の目的を徐々に変化させていく…。原発への接近を試みるも、想像を遥かに超えた、目に見えない放射能の怖ろしさからハイになり、8kmまで近づいたところで車がパンクする。そして4人は、原発に接近することを諦め、津波の被害が大きかった石巻へと向かう。随所に目を背けたくなるような彼らの言動を挟みこみながら、カメラは被災地と彼ら自身を映し出していく。森監督が本作の取材で被災地へ行くこととなったのは、安岡卓治からの誘いだったそうだが、どのような経緯があったのだろうか。

 

森達也監督(以下、森):震災後、2週間ぐらいずっと家でテレビを見ていたんですが、ずっと鬱のような状態で、言わば擬似的PTSDだったと思うんです。僕は被災したわけでもないですし、誰か大切な人を亡くしたわけでもない。でも、気分はそんな感じだったんです。それって、被害者感情の共有化という、今の日本社会を覆っている大きな要素ですよね。まさにそれに自分がなりかけていて、これはまずいと思ったので、擬似だったら擬似を取るしかないと思って、実際に現場に行くしかないと思ったんです。だから、ものすごくエゴイスティックな理由ですよね。

 

 そのような経緯で被災地に向かった森だが、映画にしようという意識はいつから芽生えていたのだろうか。

 

:そもそも作品にするつもりはなかったんです。僕は、自分の記録用にと思ってカメラを持っていっていましたし、いずれどこかで活字にすることも考えるとレコーダーは必要だという意識はありました。たしかに、どこかで映像も形になるかもしれないぐらいのことは考えていましたが、いずれにしても映画にすることは全く考えてなかったんです。

 

 では、映画にしようと思ったのはどのタイミングだったのだろうか。

 

:東京に帰って1ヶ月ぐらい経ってから安岡が「みんなの素材を仮編集した」と言うので、みんなで集まって見たんです。ただ、その時点では尺も2時間半ぐらいあったので、このカットはいらないとかみんなで言い合って、それを安岡がまた編集してまた集まってというのを何度か繰り返して、今の尺になりました。でも、その段階でもまだ映画にするつもりはありませんでしたね。というか、今でもわからないんですよ、この作品のことが。つまり、4人も監督がいるわけじゃないですか。本来監督が4人なんて有り得ないんですよ。ドキュメンタリーは一人称単数ですからね。もし最初から4人で1本作るという話だったら、誰も行ってなかったと思うんです。みんな、それぞれが勝手に作品を作るんだと思っていたから、もちろん計画性も脚本も何もないですよね。結果的に、それが偶然作品になってしまったという感覚なんです。そんな時に釜山や山形の映画祭から上映してみないかという声がかかって、(映画館で上映するかどうか)自分たちで決められないから、観客に聞いてみようということになったんです。そうしたら、賛否両論があって、どうしようかと思ったんですが、逆に賛否両論が起こるということは作品に何かポテンシャルがあるんじゃないかという話になって、上映へと動き出したのが昨年の11月でした。

 

 映画化へと動き出すまでには、様々な紆余曲折を経たようだが、森自身は初めて2時間半バージョンを見た時は、どのように感じたのだろうか。

 

:“後ろめたさ”や“負い目”というワードを、撮影中に僕がちらちら口走っていたし、安岡にもこれを作品にするならそれがテーマだな、みたいなことを聞こえよがしに言っていたんです。そういうことを汲んでくれたと思いましたし、描きたいことは描かれていると僕は感じました。

 

 その“後ろめたさ”という言葉にはどのような意味が含まれているのだろうか。

 

:僕たちはメディアとして取材する側、報道する側として現地に行ってますから、結局僕らは不幸を撮りに行ってるんですよ。より大きな不幸はないか、泣いている人はいないのか、そういう視点で探さざるをえないんです。場合によっては、遺族にマイクを向けて「お気持ちどうですか?」って聞いているわけですよ。普段からそういうことはしています。でも、普段はどこかでこれを伝えなきゃいけないし、仕事だしってどこかで誤魔化してるんですが、あの規模だったら誤魔化しようもないんです。僕たちだけじゃなく、他のメディアの人たちも呆然としていました。まずは、そのメディアとしての“後ろめたさ”ですよね。そして、同時に僕自身の“後ろめたさ”もあったんです。

 

 では、監督自身が抱えていた“後ろめたさ”とはどのようなものだったのだろうか。

 

:僕は、3月11日に東京で打ち合わせの予定があったんですが、震災が起こって中止になって、携帯も繋がらないし、電車も止まっていたからどこにも行けないので、みんなでお酒を飲んでいたんです。しかも、夕方から飲んでいたのでベロベロになって、夜中にテレビをつけてやっと震災の状況がわかったんです。考えたら、多くの人が亡くなっていた時間帯に僕らはビールを飲んで大騒ぎしてたんですよ。たかだか200kmぐらい離れたところでそういうことが起こっているのに、自分が全く気づかずにいたことに気づいて愕然としましたね。

 

 そんな“後ろめたさ”が本作の根底にはあるのだろうが、彼らが放射能の怖ろしさからハイになる様や、被災地で被災者の方々に話しかけている姿などは、たしかに非難されても仕方がないと思えるほど露悪的だ。自分たちにカメラを向けるという発想はどこから生まれたのだろうか。

 

:ドキュメンタリーを撮る人ってみんな被写体を探してしまうんです。(被災地で撮影していた時は)作品にしようとまでは思ってなかったですが、どうしても本能的に、一貫した被写体がほしくなるんです。ところが、僕たちは日ごとに移動していたので一貫した被写体がいないんです。そうすると撮影のフォーメーション的に僕が前にいることが多かったので、僕がいつも(誰かのカメラに)映りこんでいるんですよね。だから結果的に安岡が編集で僕が被写体になっている映像を多く使うことになったんです。それに、“後ろめたさ”をテーマにするのであれば、当然(自分たちも含めた)メディア批判にもなるので、自分たちの見苦しさやだらしなさをしっかり出さないと、(自分たちが)高みに立って批判することになってしまうので、敢えて見苦しい部分はしっかり入れました。

 

 特に、福島第一原発の近くまで4人で車で行く最中の映像は、森が外に出た時の森自身はもちろん、車内に残ったメンバーのパニックぶりも相当なものだ。そういう映像をカットすることなく、入れたのも見苦しさを表現するためなのだろうか。

 

:(僕たちの)ちゃらんぽらんさを表現するにはぴったりだと思ったからです。何の考えもなしに僕たちは原発に行こうとしていたんですから。車のパンクがなかったら、一体どこまで行っていたのかもわからないですし、原発の正門まで行ったとしても、正門まで行ってどうするのかは誰も考えていませんし、むしろタッチして帰ってこようかなんてバカなことを言っていたぐらいですから。露悪的かもしれませんが、そのバカさ加減は出したいと思ったんです。そうすることで、僕たちを含めた誰もが“後ろめたさ”や矛盾を抱えていることに気づいてもらえたら、何かが変わると思うんです。




(2012年4月 4日更新)


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森達也監督

Profile

もり・たつや●1956年、広島県生まれ。学生時代から自主制作映画や演劇活動などに関わり、テレビ制作会社入社後は、報道系、ドキュメンタリー系番組を中心にディレクターを務め、1998年にオウム真理教の青年信者たちを描いたドキュメンタリー映画『A』を発表し、ベルリン国際映画祭をはじめとする国内外の映画祭で高い評価を受ける。その続編『A2』(2002)も、山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を同時受賞する。その後、著書「A3」で2011年に講談社ノンフィクション賞を受賞するなど、作家としても好評価を受けている。

Movie Data

(C)森達也・綿井健陽・松林要樹・安岡卓治



(C)綿井健陽

『311』

●第七藝術劇場にて上映中
●4月7日(土)より、
神戸アートビレッジセンターにて公開
●順次、京都シネマにて公開

【公式サイト】
http://docs311.jp/

【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/158445/