ホーム > インタビュー&レポート > 東日本大震災後の東京の街で前野健太が 歌い、叫び、さすらう姿を映し出したドキュメンタリー 『トーキョードリフター』松江哲明監督インタビュー
東日本大震災後の2011年5月、ネオンが消えた東京の街を、ミュージシャン・前野健太が歌い、叫び、さすらう姿を綴ったドキュメンタリー『トーキョードリフター』が第七藝術劇場にて公開中、その後京都みなみ会館、神戸アートビレッジセンターでも公開される。『ライブテープ』など、独特なアプローチで映画を撮り続ける松江哲明監督が、“いま、この東京の姿を記録しておきたい”と、土砂降りの雨の中、新宿や渋谷で撮影を敢行。見えない放射能の影に怯える東京と、この街で生きる人々の“いま”を映し出す。本作の公開にあたり、松江哲明監督が来阪した。
東日本大震災後のネオンが消えた新宿にバイクにのった男が現れ、おもむろにギターを取り出し弾き語りを始める。そしてカメラは、夜の街をさすらいながら歌う男の姿を揺れ動くフォーカスで捉えていく…。それだけと言えばそれだけの映像から、東京の“いま”の姿が浮かび上がってくる本作。震災直後は映画を撮ることも考えなかったという監督だが、本作を撮るに至ったきっかけについて聞いてみるとー
監督:3月11日の東日本大震災の時、僕は韓国の映画祭に参加していて、帰国したのは23日でした。帰国してまず、東京が暗いことに驚いて、東京も被災地だと感じたんです。でもその時は、映画を作ろうとは思いませんでした。逆に、映画を作ってはいけないというか、映画を作るためには電気も使うし、撮っていること自体、迷惑をかける行為だし、時間がかかるものだし、ただ風景を撮るだけでも映画の場合は考えて撮らなきゃいけないので、映画を撮るつもりはなかったんです。それでも撮ろうと思った大きなきっかけは、4月10日に高円寺で原発反対のデモを見ていた時に、デモに参加していない人が「原発に反対するんだったら、東京電力ができた時に言えよ」と言っていたんです。それを聞いてすごく違和感を感じて家に帰ったら、ちょうど都知事選の日で、石原慎太郎さんに当選確実が出ていたんです。そうしたらキャスターの方が「東京に大地震がくる確立は30年以内に70%~80%だから、強い東京を作ってください」と言ったんです。その時、1ヶ月前に1000年に1度の地震があったのに、もう30年後の東京の心配をしていることにびっくりして、直感的にこれから東京が明るくなると思いました。僕は東京に戻ってきて、東京が暗いことはいいことだし、それに慣れなきゃいけないと感じていたので、節電で暗くて弱々しい東京を肯定したくて、それを撮りたいと思ったんです。
そのようにして4月10日に映画を撮ることを決意したものの、撮影したのは5月末。その約1ヵ月半という期間はどのように過ごしていたのだろうか。
監督:その間は、銀座やお茶の水の方に行ったり、六本木ヒルズに行って東京タワーを背景にして歌ってもらおうかと思ったり、色々なところをロケハンしていました。でも結局、この映画は観光地を撮るんじゃなくて、東京に住む自分たちがリアリティを感じる風景を撮ることが大事なんだという考えに至るまでの時間が必要だったと思うんです。そうすると、映画の話ではなくてスタッフの人生観についての話になってきたんです。スタッフの中でも、実家が被災して車が津波で流された人、友だちと連絡が取れない人、中には、今は映画は作れないという人もいました。震災の最中に映画を作っていて、ほんとに辛くて、今は音楽も映画もやりたくないという人、家族を西の方に避難させている人もいる一方で、やろうという人もいて、ひとりひとり考え方が違ったんですよね。それについてお互いが話をして、すり合わせる時間が必要でしたね。
気持ちをすり合わせていく時間が必要だったと語る松江監督だが、その一方で徐々に明るくなっていたであろう東京の街の様子に焦りを感じてはいなかったのだろうか。
監督:撮影した5月末はまだギリギリ暗かったですね。8月ぐらいになったら、びっくりするぐらい明るくなっていましたから。今回の節電は、電気を使わないことについてもっと真剣に考えなきゃいけないのに、単純に消費電力が●●%だから節電しなきゃ、という風になっていたんですが、もっと根本的に、なぜこんなに必要だったのかということまで考えられるきっかけだったのに、それが無視されているような気がしました。だからといって、そういうことを映画で描きたくはなかったんです。これからも、強い言葉で何かを表現したり、映画の中で何かをアピールする映画は出てくると思いますが、僕はそういうことが好きじゃなくて。むしろ映画は、声が出せない気持ちを表現したり、声の小さい人のことを表現することが僕は大事だと思うんです。だけど、これからはメッセージ性の強い映画が増えていくような気がします。
本作を撮るに至ったきっかけから暗い東京の街への思いを熱く語ってくれた松江監督。そんな松江監督が、前作『ライブテープ』にも出演しているミュージシャン・前野健太と出会った経緯はどのようなものだったのだろうか。
監督:前野さんと僕が知り合ったのは、前野さんが最初のアルバムを出した時ぐらいでした。実は、前野さんに会う前にある人から、「松江くんはきっと前野さんを好きだと思うよ」と勧められていたんですが、あんまり人から勧めてもらうのが好きじゃなくて(笑)。映画でも、「この映画好きだと思うよ」と言われて観たら、そうでもなかったりしますよね(笑)。前野さんにも正直、期待しないでおこうと思っていたんですが、初めて前野さんのライブを聞いてすぐに、前野さんに「何か一緒にやりましょう」と言うぐらい好きになっていました。特に、「新しい朝」という歌に、“僕のお祖父さんのお祖父さんはどんな朝を見て、僕の子どもはどんな朝を見られるのかな”という歌詞があるんですが、自分を軸にして表現する前野さんのスタイルが、僕が作っている映画にすごく似ているように感じたんです。
監督がシンパシーを感じる前野健太が、東京に降りしきる雨の中で歌い、叫び、さすらう姿からは何か痛烈な思いが感じとれる。あの雨の中での撮影というのは、監督の意図したものだったのだろうか。
監督:スタッフには、雨が降っても撮れるようにと言っていましたが、実は前野さんには雨が降ったらやらないと言っていました。今だと少し違うと思いますが、あの時期は雨に対してすごくナーバスになっていたんですよね。もし仮に、前野さんやスタッフに「雨の中では撮影できません」と言われていたら僕が止めることはできなかったし、それぐらいあの時期と今では雨の捉え方が違っていました。それに、雨が降ることはわかっていましたが、最初からではなく途中から降ってくるのであれば、映画として成立すると思っていたんです。前野さんは、撮影中止だと思っていたので、正直映画の始まりはすごく不機嫌でしたが、前野さんにとっての歌のベストが、映画のベストとは限らないし、むしろベストを目指してこの映画を撮ってはいけないし、ただ記録するだけにしようと思っていました。
そんな雨の中での撮影に加えて、本作で印象的なのは揺れ動くハンディカムによる映像だ。特に、高いビルの上から、真っ暗な東京の街で歌う前野を捉えるオープニングの映像はインパクトたっぷり。なぜ本作では、ハンディカムで撮ることを選択したのだろうか。
監督:この映画をハンディカムで撮った理由は、震災の映像を見ていた時に、テレビ局で放送された映像よりも、YouTubeにUPされていた、画像は荒いし手ぶれもしているし、声も入っていますが、誰かがハンディカムで撮っていた映像の方が震災の状況が伝わってきたんです。だから、機材の大小ではなくて、ちゃんと“ここ”を見つめて撮ることが大事だと思ったんです。お客さんにそのことを覚悟してもらう意味でも、敢えて一番難しい撮影のシーンを最初に持ってきました。画面が揺らぐ感じやピントが合わせられない感じが、今の自分たちの状況と合っているようにも思えましたし。でも、すごいのはあの映像を撮った(撮影の)近藤くんです。音も聞こえないし、小さなファインダーで見ているだけなので、前野さんがどこにいるかわからないんですよ。僕からすると、映っているか映っていないかもわからなかったですし。意図的ではありましたが、さすがにこれで大丈夫なのか不安にはなりましたね。そうしたら近藤くんが、「この映画はこういう映画です。これでいいんです」と言ってくれて、すごく気が楽になりました。この映画はそういう風に、スタッフが色々と考えてくれていたので、それで僕の覚悟が決まったところもありました。
また、揺れ動く映像に加えて、本作で特に印象に残るのは、思っていた以上に暗い東京の街並みだ。特に、映画の中に登場する渋谷や新宿は、煌々と明るいネオンばかりが輝いているのが記憶にあるだけに、より街の暗さが印象に残る。しかし、ひと言で暗さを表現すると言っても、監督はどのように考えて表現したのだろうか。
監督:僕は、ずっと東京の暗さを撮りたいと言っていましたが、ただ暗いところを撮るだけでは何も映らないんですよね。じゃあ、デジタルの一眼レフで綺麗に撮っていいのかというと、それはしちゃいけないと思っていました。(撮影の)近藤くんぐらいになると、彼の技術で暗く見せないこともできるんですが、それは違うと思いました。そうすると、以前は明りが点いていた場所で、今は点いていない場所を撮ることが、東京の暗さを表現することになるんじゃないかと思ったんです。だから、強い明りとともにある消えている看板を撮影したりしました。多くの人が、「ここって電気点いてたよね」と思う場所を映すことで暗さを表現しました。だから、元から暗い場所よりも明るかったはずなのに今消えている場所を撮影しました。映画の中で信号の明るさが印象的だったという声をいただくんですが、それが僕らの目指した表現なんです。
機材や暗さの表現、撮影方法など様々な監督とスタッフの思いが込められた、この映画で映し出される映像は、いわば、もう二度と撮影することはできない映像だ。
監督:(この映画を)残しておけてよかったと思います。この映画を作るためにみんなで話したこととか、10時間雨の中で撮影した後、すごく疲れてファミレスでご飯を食べたことがすごく楽しかったし、それを確かめ合えたからこそ生きていけるというか、確実に僕の力になりました。この映画を撮った時の雨の印象は、震災以前の雨とは絶対に違うし、風景も3月11日以前には戻せない。この映画で迎える朝は、絶対に違う新しい朝だし、ただ朝が来るということをこの映画で描きたかったんです。それが希望だと取るのかどうかは人それぞれだと思いますが、もしかしたら朝が来ることによって希望を描きたかったのかもしれないです。そして、この映画を観てくださる方に、朝が来ることの心地よさを体感してもらいたいんです。
(2012年1月25日更新)
まつえ・てつあき●1977年、東京都生まれ。1999年に日本映画学校(現・日本映画大学)卒業制作として作った『あんにょんキムチ』が山形国際ドキュメンタリー映画祭アジア千波万波特別賞などを受賞し、注目を集める。その後も、『童貞。をプロデュース』(2007)や、2005年に急遽した女優・林由美香を追った『あんにょん由美香』(2009)で第64回毎日映画コンクールドキュメンタリー賞を受賞するなど、数々の刺激的な作品を世に送り出している。また、本作にも出演している前野健太が吉祥寺を歌い歩く74分ワンシーンワンカットの『ライブテープ』で、第22回東京国際映画祭日本映画・ある視点部門作品賞を受賞するなど、今後の活躍から目が離せない若手実力派監督。
●第七藝術劇場にて上映中
●1月28日(土)より、京都みなみ会館にて公開
●2月11日(土)より、神戸アートビレッジセンターにて公開
【公式サイト】
http://tokyo-drifter.com/
【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/157643/