インタビュー&レポート

ホーム > インタビュー&レポート > 自然を熟知した老人たちとの出会いを通して 暮らしを見つめなおす高校生たちの姿を映した 『森聞き』柴田昌平監督インタビュー

自然を熟知した老人たちとの出会いを通して
暮らしを見つめなおす高校生たちの姿を映した
『森聞き』柴田昌平監督インタビュー

 国内外のさまざまな映画賞を受賞した『ひめゆり』に続く、柴田昌平監督の最新ドキュメンタリー『森聞き』が大阪・十三の第七藝術劇場で公開中だ。“森の名人”ともいうべき自然とともに生きてきた老人たちと“聞き書き”をとおして交流した高校生4人の姿を追っていく。普段とまったく違う環境や生活、世代の人間と直面する中で変わっていく若者たちの表情が印象に残る。都市生活と田舎暮らしから、様変わりした日本社会も見えてくる秀作ドキュメンタリーだ。本作の公開にあたり、柴田昌平監督が来阪した。

 

 本作では、「森の“聞き書き甲子園”」に参加した高校生たちが“森の名人”たちに様々なことを問いかける姿が映し出される。そもそも「森の“聞き書き甲子園”」とは、日本全国の高校生が“森の名人”を訪ね、知恵や技術、人生そのものを“聞き書き”し、記録する活動のこと。まずは、なかなか耳慣れない「森の“聞き書き甲子園”」について聞いてみるとー 

 

監督 :この“聞き書き”プロジェクトそのものは、10年前から始まっているんです。森で生きている人って、なかなか注目されないんですよね、人間国宝にもならないし。最初は、このままでは消えていってしまう“森の名人”たちをなんとかして残せないかということで、“森の名人”を表彰しようと言い出したことが始まりでした。でも、(聞き書き作家の)塩野米松さんという方が、おじいちゃんやおばあちゃんに表彰状をあげても誰も喜ばないし、だったら高校生たちに伝えていく意味でも、彼らに聞き書きをしてもらって、おじいちゃんたちがやってきたことを残してもらった方がいいんじゃないか、とおっしゃったところから“聞き書きプロジェクト”は始まったんです。最初の1年は国がお金を出してくれて、2年目は国が半分出してくれて、3年目はなくなったんです(笑)。そうしたら、聞き書きを経験した高校生たちが、なんとか続けたいとNPOを作って、彼らが主体となって今まで続いているんです。

 

 監督は、そのように自主的に活動している“聞き書き”を経験した高校生の姿に感銘を受けて、映像に、映画にしたいと思った部分もあるそうだが、もうひとつ決定的な要因があったようだ。

 

監督:僕は、転校が多かったので、故郷がないんですよね。でも、大学生の時にたまたま山梨県のある村に授業で行った時に、すごくはまってしまって。その村で暮らしながら、聞き書きをしたんです。その経験で初めて自分の中に故郷というか、生きていくための尺度みたいなものができたという原体験があったので、聞き書きが面白いと思っていたんです。それと、ちょうどその頃自分の娘が中学3年生で、成績がどんどん落ちていたので、口うるさく「勉強しろ」と言っていたら、娘との関係が悪くなってしまって。それで、高校生たちが何を思っているのか知りたいと思って作った部分はありますね。だから、僕の中での映画の主人公は高校生なんです。

 

 主人公である高校生たちはそれぞれ、ほとんど質問ができなかったり、相手の反応も省みず質問をぶつけ続けたり、そして、「好きな職業に就くことが幸せ」だと教えられていることから、焼畑農法を60年以上続けているおばあちゃんに「なぜ焼畑農法を続けているんですか?」と聞くものの、おばあちゃんの返答の意味がわからないなど、現代っ子ならではの振る舞いも随所に見られる。しかし、おじいちゃん、おばあちゃんの話とそういう高校生たちの振る舞いのギャップも本作の魅力のひとつ。

 

監督:高校生たちの理解能力の低さも確かにすごいんですよね。何もわからないのに、ゾンビのようにおばあちゃんの後をついていって、「焼畑農業のどこが好きですか?」と聞きまくる姿は、僕も頭さがりました。現代っ子ですよね。学校で、「好きな仕事をやりなさい。好きな仕事ができないと人生失敗だ」と言われても、現実がそんなにうまくいくはずないこともわかっていて、そんな中で好きなことを探すのに一生懸命になって、どつぼにはまってるんですよね。だから、おばあさんも名人なんだから、(焼畑は)好きな仕事のはずだと思って聞いちゃうんです。でも、そういう職業=好きな仕事で、そうじゃなかったら失敗というのは、多くの高校生が思っている単純なことなのかもしれない。でも、そういう高校生とおじいちゃんたちのギャップが面白いと思ったんです。

 

 たしかに、右も左もわからない、年輩の方との接し方もわからない高校生の質問に答えるおじいちゃん、おばあちゃんの姿や発言には大いに心動かされる。しかし一方で、失われつつある“森の名人”たちの技術をもっと映してほしかった、という声も聞かれるようだがー

 

監督:今回の“森の名人”のような、プロフェッショナルのおじいちゃんを撮るドキュメンタリーは、これまでにやったことがあったんです。だから、おじいちゃんだけを撮るのではなくて、今から世の中に出ていく何も知らない子たちが、おじいちゃんたちにぶつかることによって何が生まれるのか、スクリーンにいつもおじいちゃんと高校生のふたりが映っているとどんな風に見えるのか、が見たかったんです。それに、どうしてもおばあちゃんたちばかりが画面に映っていると過去になってしまうじゃないですか。だから、これが失われつつあるんだ、寂しいなではなく、そこに高校生たちがいることでおばあちゃんたちを未来へと続く姿にしたかったんです。過去にしたくなかったんです。

 

 監督が語るように、本作で映し出される“森の名人”たちが働く場所には、必ず高校生たちがともにいる。しかし、“森の名人”たちが働く現場は、急斜面だったり奥深い森の中だったりと、過酷な撮影現場のように思えるがー

 

監督:僕とカメラマンのふたりで撮影してたんですが、けっこう大変でした。正直、萱葺きの家に使う萱を刈る急斜面はついていくことができなかったです(笑)。63歳のベテランのカメラマンさんに撮影していただいてたんですが、彼も子どもがいるので、高校生を映す目線がすごく優しいんですよね。普段は、職人肌で僕たちなんかにはすごく厳しい人なんですよ。撮る時も、映像としてはすごく難しいと思うんですが、必ず2ショットで画が完結するように撮ってくださったんです。高校生とおじいちゃんが一緒に映っているのが大事だと思うし、そうじゃないと未来に繋がらない。それに、この映画の中で交わされている会話は、意味がなさそうだけど行間に感じるものがあると思うんです。

 

 そのように熱く語る監督だが、“聞き書き”を経験する前と、経験した後の高校生の話す言葉が全く違っているように、本作は高校生たちの成長物語として映し出すこともできたはずだ。しかし、監督はー

 

監督:この映画を成長物語として映してしまうんだったら、ドラマでやればいいんじゃないかと。観ている人が、高校生でもなく、おじいちゃんたちでもなく、自分と向き合ってくれればいいな、と思ったんです。映画の中でも木こりのおじいちゃんが、山の中はギスギスしたところから離れて、自分自身と向き合える、反省する時間なんだっておっしゃってるんですが、そういう時間ってなかなかないじゃないですか。この映画が、そういう時間を持つきっかけになってくれればいいなと思います。

 

 本作からは、そんな“自分自身と向き合える時間”を持つ大切さを感じるとともに、“今”を生きる高校生たちのリアルな悩みや声を聞くことができる。だからこそ、高校生だけでなく、高校生の子どもを持つ親や、“自分自身と向き合える時間”を持てない中で悩みを持つ人にこそ観てほしい、と監督は話す。

 

監督:(この映画を撮って)今の高校生たちが未来に対して明るい展望を持ってないことに驚きました。僕たちは高度成長の時代に育ったから、未来は必ず明るいし、必ず良くなるという感覚で育ったんですよね。時代が変わってきているんだと思いましたし、映画の中で高校生が「世界が変わる時期にきている気がする」って言うんですが、そういう感覚も含めて未来に対するイメージが僕たちとは違うんだということを感じました。だから、高校生もそうですが、社会に出た方でも、迷っている人に観てほしいし、もうひとつは親の世代に観てほしいです。今の時代は、どういう風に子どもを育てていいかよくわからないと思うんです。何を目標にして生きていけばいいのかも(親からは)言いにくいし、学歴神話はとっくに崩壊してますし。答えがあるわけじゃないんですよね、子育てって。

 

 自然を熟知した老人たちとの出会いによって、暮らしを見つめなおし、変化していく高校生の姿を映した本作。章の間に流れる、フィンランドの国民的なボーカル・アンサンブル「Rajaton(ラヤトン)」による、フィンランドの伝統曲によって、様々なことを考えさせられるドキュメンタリーだ。




(2011年11月18日更新)


Check

Movie Data


(C)プロダクション・エイシア

『森聞き』

●第七藝術劇場にて公開中

【公式サイト】
http://www.asia-documentary.com/morikiki/

【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/156132/