ホーム > インタビュー&レポート > パレスチナの惨状の中で生き続ける子どもたちを映した渾身作 『ぼくたちは見た-ガザ・サムニ家の子どもたち-』 古居みずえ監督インタビュー
'08年末から始まったイスラエル軍によるパレスチナ・ガザ地区への侵攻で、町は破壊され、3週間で1400人のパレスチナ人が犠牲になり、その中には300人以上もの子どもたちが含まれていたという。20年近くパレスチナに通い続けるジャーナリスト・古居みずえが、現地の子どもたちの日常を追いながら、戦争が子どもたちの心にどんな傷跡を残していくのかを訴えかけていく渾身のドキュメンタリー『ぼくたちは見た-ガザ・サムニ家の子どもたち-』が大阪・十三の第七藝術劇場で公開中、10月には京都と神戸でも公開される。本作の公開にあたり、古居みずえ監督が来阪した。
20数年もの間、パレスチナに通い続けている古居監督は、今回のイスラエル軍による侵攻は今まで見た中で一番ひどい出来事だったと感じ、パレスチナに入ることを決めたそうだ。今までパレスチナの女性や子どもを追いかけていた監督だからこそ、子どもが300人以上殺されたことを伝えたいと強く思ったそう。
監督:子どもが300人以上殺されたということを、やはり何かのかたちで残さないといけないんじゃないかという思いがすごくありました。侵攻の直後は日本でもニュースになっていたんですが、1ヶ月2ヶ月経つと様々なニュースの中に埋もれてしまうんですよね。そうすると忘れ去られてしまって、このままだと何もなかったかのようになってしまうと思ったんです。
古居監督がパレスチナに入り、撮影することができたのは3週間にも及ぶ侵攻が終わり、停戦が宣告されてから5日後のこと。監督が、パレスチナの子どもたちのことが気になりながら現地に入ると、がれきの中での出会いが…。
監督:現地に入った時に、がれきの中を歩いていたらひとりの少女に出会ったんですが、その少女の表情が放心状態で、話しかけてもかぼそい声で何かボソボソと言うだけだったんです。そこで、家族を訪ねて行くとお母さんが「彼女は学校で爆撃にあって、同級生の首が足元に転がってきた。それ以来、色んなものを怖がっている。ひとりになることを怖がるし、トイレにも行けない、窓の近くにも行けない、あらゆるものにおびえ続けてる」と話してくれました。会った時は、侵攻から1ヶ月以上経っていたんですが、子どもたちが傷ついていることを目の当たりにして、子どもたちを映そうという思いを強くしました。また、1軒の家に親族を全て集めてそこにミサイルを落とすという非人道的な出来事があったサムニ家の話も聞いてたので、そういうひどい状況の中で生き続けている子どもたちがいることを伝えたいと強く思うようになりました。
その監督の思いをうけて、この映画にはたくさんの子どもたちが登場している。10人前後の子どもたちが登場するにもかかわらず、ほぼ全員が、侵攻の際の爆撃や空爆のことをすごく淡々と話しているのがとても印象的だった。
監督:最初は私も驚きました。日本でこういうことがあったら、日本の子どもたちはとても話してくれないし、触れさせてもくれないと思うんです。彼らは占領されている中で生きていて、日常的に空爆もあったと思いますし、道路封鎖で学校に行けなかったりと、彼らは日々の中で経験しているので、彼ら自身も子どもながらに伝えたいという気持ちがあったと思います。でも子どもは子どもだし、話すことは辛かったと思います。だから感情を入れずに淡々と話す男の子や、ずっとしゃべり続けている女の子がいたりと、すごく異常な感じはしました。侵攻の直後は特に、子どもたちの中に怒りの感情がすごくあって、それを吐き出したいと思って話していたんじゃないかと思います。
この映画で映し出されるのは、侵攻後すぐの子どもたちと、その8ヶ月後の子どもたちの現状だ。特に侵攻後すぐは、イスラエル軍への怒りを銃の薬きょうを集めたり、自分の父親の血がついた石を集めたりと、何かをすることで表現している子どもたちが多かったが、8ヵ月後には“この生活を守りたい”という思いが伝わってくる。
監督:たしかに、子どもたちの中にも怒りの感情はあると思います。侵攻の直後は、怒りを抱えた子どもたちが多かったです。だいぶ前でしたら子どもたちでも石を持って闘うことはできましたが、今は空爆や戦車などで闘う戦争状態で、子どもたちが石を持って闘うことなんてできませんし、子どもたちも力で闘うことの無力感はわかっていると思います。彼ら自身は、普通の生活をしたいとか、生き続けたいという思いの方が強いんじゃないでしょうか。今回の侵攻は、短い間にここまでの攻撃があったことも初めてですし、やり方も非人道的でした。学校に爆弾を落としたり、国連の倉庫に爆撃したり、病院やモスクを攻撃したり。牛だって殺される必要性はどこにもないですから。特定のグループや人物がターゲットなら、工場や農地を爆撃する必要なんてありませんし。今回の侵攻でパレスチナの人たちの生活を根こそぎ壊したんですから。
そして監督は、子どもたちの現状を伝えたいと同時に、ニュースだけでは伝わってこないパレスチナの現状があることに加え、またパレスチナへのステレオタイプなイメージを払拭したいと語る。
監督:子どもたちがなかなか学校に行けなかったり、お父さんも仕事がなかったりという現実や、今も続いている地区の封鎖、燃料や建築資材、食料や医薬品が足りなかったり、普通に生活するうえでの大変さなどを伝えることは非常に難しいですし、新しいニュースはどんどん増えていきますし。(パレスチナに対して日本の人たちには)、あまりにもイメージが作られすぎていて、パレスチナ人=テロリスト、24時間闘っている、イスラム原理主義とか、あまりいいイメージがないんですよね(笑)。ニュースだけだとパレスチナの人たちについて“普通の人”というイメージが少ないと思うんです。彼らの生活や顔が見えるものを作って、彼ら自身が私たちと変わらない“普通の人”なんだということを伝えていかないと日本の人たちの胸に届かないと思いました。パレスチナ人全員が闘っているわけではありませんし、パレスチナの人たちの大半は農民や漁民なんです。だから、力関係で言えばイスラエルとパレスチナは、言わば赤ん坊と武装した大人なんですよね。その辺りのギャップを、映画やドキュメンタリーで現実に近いかたちで伝えていきたいんです。
最後に、本作『ぼくたちは見た-ガザ・サムニ家の子どもたち-』に加え、現在第七藝術劇場でも公開中の少女の目に映るエルサレムを描いた感動作『ミラル』など、昨今パレスチナを題材にした作品が数多く公開されているが、本作も含めた監督のパレスチナを題材にした映画への思いを聞いたー。
監督:色々な切り口の作品があって、一辺倒ではないですし、これらの映画は、政治を描いているのではなくて人間を描いた映画なんです。パレスチナの人たちの考え方は日本の昔の考え方にすごく似てると思うんです。義理人情が強くて、浪花節的なところもありますし、人のことをすごく親身になって考えますし、家族の団結力も強いんです。そういう自分たちに近い人たちの物語として受け止めてもらいたいです。パレスチナというとステレオタイプなイメージがあると思うんですが、普通の人たちを出すことによって、私たちと変わらない人たちがパレスチナ・イスラエル問題で苦しんでいることを肌で感じてもらえると思います。
(2011年9月 8日更新)
●第七藝術劇場にて公開中
●10月1日(土)より、京都シネマにて公開
●10月より、元町映画館にて公開
【公式サイト】
http://whatwesaw.jp/
【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/156367/