ホーム > インタビュー&レポート > 「上岡龍太郎さんに今の僕を見てほしい」 山田雅人がひとり舞台『かたりの世界』誕生秘話を明かす
――山田さんが"かたり"をやり始めたのは2009年、40代半ばを過ぎた頃。当時はご自身の中で芸風に迷いや葛藤があったと聞きます。
僕は"かたり"をやる前、自分のことを芸人と言うのが恥ずかしかったんです。だから自分のことをタレントと言っていました。芸人は、芸があるから芸人ですから。僕はそれまで芸がなかった。"かたり"と出会い、ようやく「僕は芸人です」と言えるようになりました。
――1988年から1990年にかけて、夕方の番組『ざまぁKANKAN!』(1988年~1990年/読売テレビ)が大人気を博しました。私は当時から、山田さんは"しゃべくりの人"という印象がありました。
あの番組は23歳のときから劇場で漫談をやってきた自分にご褒美をくださったもの、と捉えています。だから番組でもきっちりと喋ることができた。でも当時の自分は未熟で、芸が何もありませんでした。あの盛り上がりも、番組を作られた方がすごかっただけ。僕は、芸人としてはもっとも恥ずかしい時代だったとはっきり言えます。僕が芸というものをようやく実感できたのは、その後。大阪では『おはよう朝日土曜日です』で三代澤康司さんと、そして東京では『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』(1990年~1996年/フジテレビ系)で上岡龍太郎さんと司会をご一緒してから。このおふたりと出会って、僕の人生が変わりました。
――その後"かたり"と出会いますが、きっかけは放送作家の高田文夫先生のお言葉だったそうですね。山田さんはもともと競馬実況の再現を持ちネタにされており、高田先生が「俺のように競馬を知らない人でも分かるような"かたり"を作ってみないか」とおっしゃったと。
その後、高田文夫先生のリクエストもあり稲尾和久さんと長嶋茂雄さんの対決を"かたり"にし、春風亭昇太さんがプロデュースする公演で初めて披露しました。震えるような思いで舞台に立ちましたが、公演後、高田先生が僕の背中をポーンと叩いて、「これで食っていける、俺が保証する」と言ってくださいました。その言葉で僕も「やっていける」と思ったんです。
――そこで自信を深めた、と。
そういえば、ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』(1990年~2011年/TBS系)ではあまり喋らない板前役を10年くらいやらせていただきましたが、脚本家の橋田壽賀子先生が僕の"かたり"をご覧になり、「あなたにこんな素晴らしい芸があるとは知りませんでした」というお手紙をいただきました。きっと、僕がこんなに喋れるなんて思っていらっしゃらなかったのでしょうね(笑)。
――ハハハ(笑)。山田さんの"かたり"は臨場感もあり、実際に映像を見たことがなくても、その場面が頭の中で再現されます。でも実は山田さんも、たとえば天覧試合や、長嶋茂雄さんのデビュー試合の4連続三振はリアルタイムでご覧になっていないという。
そうなんです。もちろんその後、映像などで見たりはしていますが、でも、もともとは上の世代のみなさんから伝え聞いたものでした。僕が若かった頃、「古い話はやめておけ」と言う人はあまりいませんでした。「俺は金田正一投手を生で見たぞ」、「いや、俺は沢村栄治投手を見た」と話してくれるんです。今は「古い話ではなく、今の話をしようや」という雰囲気が強いですよね。それが良い、悪いではありません。ただ、僕自身は古い話を伝えてくれる人がいたのはラッキーだと考えています。

――つまり山田さん自身、昔からいろんな人の"かたり"を聞いて育ったと。
それに古い話でも、舞台の上ならそれが新しくなるんです。なぜなら"かたり"を聞いた人が、その話からいろんな発見ができるから。おもしろかったのが、プロ野球の江川卓さんと掛布雅之さんの対戦の"かたり"をやったとき、アンケートの中に「山田さんのお話を聞いて、ピッチャーとバッターが敵同士だということを初めて知りました」という感想があったんです。でも、そうやって"かたり"を通して新しい発見をしていただけたのがとてもうれしかったです。
――たとえばプロ野球で語り継がれている伝説的な選手のエピソードは、そのエピソードの大きさから「話を盛っているんじゃないか」と言われがちですよね。
僕はスポーツ選手から文化人まで、様々な"かたり"をやる上で必ず取材を行っています。そこで気付かされるのは、そういったエピソードは決して盛られていないということ。たとえば投手が投げる豪速球も、昔と今とでは球の測り方が異なるから、表示される球速の数値が違うんです。今の測り方だったらもっと速い数値だったと言われています。でも、そういう話があっても多くの方は「昔の人は話を盛る」と言いますよね? そんなことは決してありません。実際に取材すると、一時代を築いた方々はみなさん謙虚なんです。また、自分ではなくライバルを称える。江夏豊さんは「王貞治さんはすごかった」、掛布さんや山本浩二さんは「江川を打つためにこれだけ苦労した」と。そんな方々が話を盛るなんてことはしません。僕は、みなさんから聞いた真実を"かたり"を通して伝え続けるのが役目だと思っています。
――この取材での山田さんのひと言、ひと言も、インタビューの単なる受け答えではなく"かたり"として聞こえます。
それはとてもうれしいお言葉です。そういえば上岡さんは、僕が30歳の頃から「お前は50歳を超えたら芸能生活が楽になる、僕には分かる」とおっしゃっていたんです。僕がその後、"かたり"という芸を見出すことを予言されていたように思います。だからこそ本音を言うと、上岡さんには引退せんといてほしかったし、長く生きていただきたかった。今の自分を見てもらいたいです。
――山田さんにしか言えないお言葉だと思います。
思い返せば、上岡さんはずっと芸人の味方でした。『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』の企画で若手芸人がコントをしているとき、ディレクターさんが次の進行の説明をしに来られたことがあったんです。そのとき上岡さんは「人が芸をやってるときは、喋ったらあかん」と言ったんです。もちろん、進行説明をしに来たディレクターさんのお気持ちも分かります。でも、上岡さんの中には新人だろうが大御所だろうが関係なく、「芸をやってるときは真剣にそれを見なさい」というのがあった。芸人に差をつけない。あの言葉に、僕は多くのことを学びました。
――10月5日(月)に神戸朝日ホールで開催される公演では、そんな山田さんの"かたり"を堪能できそうですね。
今回は初めて、お客さまがリクエストする演目をやります。僕が新人の頃、藤山寛美先生が「リクエスト狂言」というのをやっていらっしゃいました。お客さまの拍手が多かった演目を、その場で演じられるんです。新人のときに中座でそれを見て「こんなことできるんか」と感動しました。そして「いつかこんなことをやりたい」と。芸能生活42年目になって、やっと挑戦できる。今までの自分ではそれはできませんでした。そういう意味では、神戸朝日ホールでの公演は自分の集大成のひとつかもしれません。
――あらためて同公演の見どころは?
その日の舞台は、その日しかありません。その日を楽しんでほしいです。もう二度とその瞬間は帰ってきませんから。上岡さんから教わったことがあります。それは「楽屋花というのは非常に大事だ」ということ。その日の舞台は、その日しか見られない。つまり、そこで死ぬんだ。だから「楽屋花は葬式花」なんだと。ライブは、その日にしかない貴重なもの。その日の僕は、その日が最後。
――インタビュー序盤で、ようやく芸人を名乗れるようになったとおっしゃっていました。「芸人・山田雅人」の今後は?
上岡さんから聞いた話ですが、亡くなった(桂)枝雀師匠が「芸なんて関係ないんだ。出てきて、枝雀が座っているだけで笑う。それが生涯の夢だ」とおっしゃったそうなんです。もちろん、僕は枝雀師匠の足元にも及びませんが、僕もいつかそんな芸人になりたい。たどりつくまで、芸人でいたいです。
取材・文:田辺ユウキ
(2026年9月29日更新)
チケット発売中 Pコード:660-514
▼10月5日(月) 18:30
神戸朝日ホール
全席指定-4500円
※未就学児童は入場不可。
※公演中止など、主催者がやむを得ないと判断する場合以外のキャンセル・変更・払い戻しはいたしかねます。ご了承のうえ、お申込みください。
[問]神戸朝日ホール■078-333-6540