ホーム > インタビュー&レポート > 哲学仕掛けの世界を描いたデ・キリコを 覚醒させたイタリア広場の秘密を探る
文/写真:ナカムラクニオ
奇才ジョルジョ・デ・キリコ(1888-1978)の絵画は、非現実的なのに、なぜか自分ごとのように郷愁をそそる。まるで演劇セットのような世界観で描かれた虚構の箱庭だ。一体どのようにして、あの不思議な世界が生まれたのだろうか? その原点となったイタリアの広場を訪ねた。
サンタ・クローチェ広場で覚醒した憂鬱な午後
方向感覚を失わせる迷宮のような広場を描き続けたデ・キリコ。シュルレアリスムに大きな影響を与えた先駆的な画家だ。昼間なのに影がどこまでも伸びて、孤独な夢のようにも見える。それは、いつまでも解けない謎だ。
彼はいかにして、このモチーフを見つけたのか。そして、なぜ広場でなくてはいけなかったのだろうか。
デ・キリコが愛したフィレンツェのサンタ・クローチェ広場を訪ねた。そこは、フィレンツェの中心部にあり、ドゥオーモからも歩いてすぐの場所にあった。14世紀に完成したゴシック建築の聖堂が神々しく光っている。白い大理石に覆われた要塞に見えた。ここで彼は、自分が何を描くべきか悟ったのだ。
実は、仕事や旅行で何回もフィレンツェには滞在したことがある。もちろん、この広場にも何度も来ている。しかし、「キリコの目線で眺めてみる」という経験は初めてだった。
デ・キリコが歩いた時間の迷宮へ
13世紀に創建されたサンタ・クローチェ聖堂は、16世紀後半にジョルジョ・ヴァザーリによって改装され、ジョット、チマブーエ、ドナテッロが作品を残した。ミケランジェロやガリレイの墓もある歴史の塊だ。まずは、中に入ってみる。ミケランジェロの墓があまりに豪華で驚かされた。偉大な芸術家のエネルギーや情報量が、ぎっしり詰まった空間で、クラクラとめまいがしてくる。超現実的な時間の堆積だ。
聖堂のシンボル的存在として知られているチマブーエが描いた「十字架上のキリスト」が見えた。中世からルネサンスへと転換する最初期に位置する画家の代表作で、キリストの磔刑を主題としている。ビザンティン様式の華やかな装飾性と人間味を増した個性的な表現が融合していて興味深い。もちろん、デ・キリコもこの作品を何度なく、見たことだろう。
チマブーエのキリストは、絵の具が剥がれていて、全体に傷んでいた。1966年にフィレンツェを襲った大洪水の被害を後世に残すための災害遺構でもあるらしい。洪水の際、水位は5メートル近くまで達した。古典なのに、現代美術の作品のように見えた。
おそらく、サンタ・クローチェ聖堂という大きな芸術実験の跡地の存在こそが、デ・キリコを刺激したのではないか?と思った。彼にとって芸術の源泉なのだろうとも感じた。
デ・キリコは、<古典>という過去の偉大なる芸術を愛した画家だった。古典の中にある前衛的感覚、眠れるアヴァンギャルドを、ここで発見したのだろう。
サンタ・クローチェ聖堂の中庭にある回廊を歩いてみた。そこはまさにデ・キリコが描いた迷宮のようだった。半円形に切り取られた空間が、古代ギリシャやローマを想像させた。歩いているだけで、時間を遡ってしまうような空間だった。
デ・キリコの世界を読み解く鍵となるのは、古典という過去の偉大なる存在への深い愛情だ。特に、ギリシャとローマの古典的モチーフは、生涯繰り返し登場し続けた。
古典芸術の中に普遍的にある「悲劇」「ミステリー(神秘、謎)」「メランコリー(憂鬱)」といった中心的主題に立ち向かったのだろう。ルネサンス、バロック、新古典主義、ロマン主義などすべての様式を現代的に混ぜることで、単純化、抽象化された近代絵画の限界に抵抗していったのではないか、とも感じた。
過去と現在を衝突させた結果、方向感覚を喪失したような郷愁をそそる奇妙な絵画が生まれたのだ。
「謎以外の何を愛せようか」と悟った広場
聖堂前の広場に出て、デ・キリコが啓示を受けたサンタ・クローチェ広場のベンチに座ってみた。まるでキリコが過ごしたある日にように。確かに何かを感じる。名作をたくさん見たせいだろうか。
輝かしい記憶がぎっしり詰まった袋で頭を殴られたような感覚だった。サンタ・クローチェ広場には、人を過去の時間に呼び戻すような力があると思った。
当時、デ・キリコは腸の病気から回復中でほとんど絵を描いていなかった。病み上がりだったことも関係あるのだろうか。1910年の秋晴れの午後、いつもと同じベンチに座っている時、突然、啓示を受けた。目の前には大理石の噴水や聖堂のファサードなど、見慣れた風景が広がっていたはずだった。
そして、デ・キリコは突然、記憶の中の広場を描くようになった。そして、説明できないことは「謎」であり、「謎以外の何を愛せようか」と語った。
デ・キリコは、こんなことも言っている。
「自然の全て、建築物の大理石や噴水までもが私には病み上がりのように思われた。広場の中心には長いマントを羽織ったダンテの像が立っており、自身の著作を自らの身体にしっかりとつけるように握りしめ、月桂樹を被ったもの思わし気なその頭を地上に向けて傾けていた。(中略)そのとき私は、すべてを初めて見ているのだ、と奇妙な印象を覚えた。そして作品の構成が心に浮かんだ」
こうして彼の「形而上学的絵画」は誕生した。どこかの広場に長くのびた影、柱廊のある建物や不自然な遠近法、不安や憂愁などのモチーフが、デ・キリコの武器となった。目に見えない物体と不吉な影は、明るく澄んだ光によって対照的に浮かび上がっていた。
「形而上学絵画」と名付けられた哲学的な絵画は、何かを見てそのイメージを脳内で超えていくための舞台装置なのだろうと思った。
その後、デ・キリコが「第一次世界大戦中、繊維工場の発する麻の匂いで、トリップした」と語っている街フェラーラへ向かった。絵画にも描かれている硬いパンが名物の街だ。有名な《不安を与えるミューズたち》の背景にも登場するエステンセ城で祭りが開催されていて、まさに中世の都市に来たようだった。マクドナルドまでが芸術作品に見えた。
さらに、足を伸ばしてデ・キリコにとって初めて売れた記念すべき作品と言われる《赤い塔》(1913年)のオリジナル版を、ヴェネツィアのペギー・グッゲンハイム美術館に観に行った(これは、約20年経ってから再制作され、《バラ色の塔のあるイタリア広場》と呼ばれるようになる)。
それでもやはり、古代神殿のように聳え立つサンタ・クローチェ聖堂や広場のインパクトが大きいと思った。デ・キリコが描く哲学仕掛けの絵画は、生まれ育ったギリシャへの「ホームシック」から生まれたのではないか、とも思った。イタリア人の両親によってギリシャで育てられた幼少期の経験が大きく関わっているのだろう。誰もいない街の広場は、彼の心の寂しさを埋める小さな劇場なのだ。
(2024年11月12日更新)
ナカムラクニオ:1971年東京都生まれ。荻窪「6次元」主宰、美術家。日比谷高校在学中から絵画の発表をはじめ、17歳で初個展。現代美術の作家として山形ビエンナーレ等に参加。諏訪と輪島のアトリエで、金継ぎ作家としても活動している。著書に『金継ぎ手帖』『古美術手帖』『モチーフで読み解く美術史入門』『描いてわかる西洋絵画の教科書』『洋画家の美術史』『こじらせ美術館』『一気読み西洋美術史』など多数。現在、フランスとイタリア絵画に関する本を執筆中。
会期:2024年9月14日(土)~12月8日(日)
会場:神戸市立博物館[神戸市中央区京町24番地]
開館時間:9:30~17:30 ※金曜日、土曜日は20:00まで
※展示室への入場は閉館の30分前まで
休館日:月曜日
主催:神戸市立博物館、朝日新聞社、関西テレビ放送
お問合せ:078-391-0035(神戸市立博物館)
公式HP
https://dechirico.exhibit.jp/
神戸展HP
https://www.ktv.jp/event/dechirico/