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「ノムさんの名を“大阪球場”に残そう!」
クラウドファンディングが進行中

現役時代はパ・リーグ初の三冠王に輝くなど数々の実績を残し、監督としては4球団を率いてヤクルト時代にはセ・リーグ優勝4回、日本一3回を達成。球史にその名を燦然と刻む野村克也氏が、2020年2月に逝去した。
 
野村氏は選手として3球団に在籍したが、全盛期といえるのが南海ホークス時代。南海にはテスト生を経て'54年に入団し、3年目にレギュラーの座を得る。それから頭角を現わし、本塁打王9回、打点王7回、首位打者1回を獲得。卓越した打撃技術だけでなく、徹底的に考え、頭を使った配球術は、当時の日本プロ野球界において革命的だった。'70年からは選手兼監督を務め、'73年にはチームを7年ぶりのリーグ優勝に導くなど、野村氏が南海ホークスの偉大なるレジェンドであることに、異論を挟む余地はない。
 
野村氏が通算24年在籍した南海は、1988年に球団をダイエーに売却し、チームは福岡へ移転。本拠地だった大阪球場は2003年に商業施設なんばパークスに生まれ変わり、館内には開業時から球団の50年の歴史を総覧するギャラリー「南海ホークスメモリアルギャラリー」を常設。名選手やチームの歴史を辿ったパネルや、当時のユニフォーム、優勝ペナント、トロフィーなどが展示されている。しかしここには写真パネルをはじめ、野村氏の姿がない。
 
そこで“ノム”さんこと野村氏の名を南海ホークスメモリアルギャラリーに残すべく、南海時代にともにプレーした江本孟紀氏が発起人となって、クラウドファンディング企画「おかえり!ノムさん 大阪球場(なんばパークス)に。」を立ち上げた。
 
今回のプロジェクトの目的は、ギャラリー内に野村氏の写真パネルや遺品を展示し、その名を残すこと。本企画を立ち上げた経緯について、江本氏はこう語る。
 
「大勢の人に参加してもらいながら、『大阪球場があった“なんば”の、“なんばパークス”の、“南海ホークスメモリアルギャラリー”のなかに野村さんが入って、歴史をつないでいく』ことが実現したら本当にすばらしいんじゃないかなと。野村克也の名は野球界のためにも、そしてときどき南海ホークスを思い出してくれるファンのためにも、絶対に残すべきです」
 
このクラウドファンディングには最低3000円から支援でき、返礼品には野村氏の復刻サイン入り記念ボール、南海ホークス復刻メモリアルユニフォーム、オリジナルキャップなどが用意されている。
 
募集期間は2021年1月11日(月・祝)まで。クラウドファンディング用HPは以下。昭和のプロ野球に胸を熱くしたファンならば、見逃すわけにはいかないはずだ。



「おかえり!ノムさん 大阪球場(なんばパークス)に。」
https://camp-fire.jp/projects/view/334783

<問い合わせ先>
おかえり!ノムさん 大阪球場(なんばパークス)に。実行委員会事務局
TEL:06-6191-6109(平日10:00~17:00)
メール:okaeri.nomusan@gmail.com

(2020年12月 9日更新)


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