岡田将生×峯田和伸の異色タッグが実現した舞台
『物語なき、この世界。』東京公演観劇レポート
良い芝居を観たな、としみじみ思う。ふっと心が脱力する感じ。主人公はどうしようもないクズ男、なんだけど。岡田将生と峯田和伸の異色タッグが実現した舞台『物語なき、この世界。』。作・演出の三浦大輔が「この世の中に物語というものは存在しない」というテーマに挑む最新作だ。
新宿・歌舞伎町。売れない俳優・菅原裕一(岡田将生)は、訪れた風俗店で高校の同級生、今井伸二(峯田和伸)と10年ぶりに再会する。今は売れないミュージシャンをしているという今井と気まずいながらも行動を共にした先で、二人は橋本浩二(星田英利)という中年男に絡まれる。口論の末、つかみ合いとなり、はずみで倒れた浩二の頭から大量の血が流れて―――死んだのか!? 菅原の同棲中の彼女・鈴木里美(内田理央)や今井の後輩・田村修(柄本時生)、スナックのママ橋本智子(寺島しのぶ)らを巻き込み、冴えない二人の一夜の逃亡劇が始まる。
劇中ボソボソと交わされる会話は、喫茶店の隣席から聞くともなく漏れ聞こえる会話のように他愛ない。が、聞き耳を立てずにはいられない面白さがある。時代のムードを反映した言葉選びの上手さは三浦ならでは。リアリティーを追求しながらも、全体をユーモラスな空気感が包み込む。時折テーマに絡めとられて説明台詞に陥りそうな時も、例えばそれを酔っ払いの戯言として語らせる。「意味分かんな~い」というママのぼやきを合いの手に、思いの丈を一気にまくしたてる。会話の間やツッコミの角度も絶妙で、サイコーに笑わせるのだ。
互いに話を盛ったり、虚勢を張ったり。小さなマウントの取り合いに、似た光景を見たなと、ぼんやり思い返す。ふいに舞台に視線を戻しても大丈夫。取り立てて進展もないまま、彼らは変わらずそこに居てくれる。そしてまた自身の記憶と劇世界を行ったり来たり。このテンポ感が心地いい。物語が饒舌でない分、かえって見る側の脳内は饒舌になるのかも? そう考えると冒頭、無数の人影の中から菅原や今井が立ち現れるのは示唆的だ。雑踏を行き交う誰でもない誰か。つまりこれは、誰かにとっては誰でもない“わたし”の物語にも思えるのだが、どうだろう。
登場人物はみな“誰かに似ている”という点で、リアリティーがある。素の自分とファンタジーの境界をたゆたう俳優たち。岡田将生が担うだらしなさや、峯田和伸のまだ本気出してないだけ感はナチュラルすぎて、ずっと見ていられる。内田理央から漂う隙、柄本時生が土壇場ではしごを外す感じなど、いずれも身に覚えがあるか、知っている感情だ。既視感でいえば、宮崎吐夢が扮する風俗店の店長もこれしかないと思わせる。星田英利が背中で語る哀愁、寺島しのぶの人生を心得た様も、共に芝居巧者らしく堂に入っている。また、三浦作品に欠かせない米村亮太朗がかつてないほどに善良な役というのは新たなるステージへの布石か、印象に残った。
歌舞伎町のメイン通り、路地裏のスナック、風俗店の待合室など。町の風景を雰囲気ごと立ち上らせる緻密な舞台美術も没入感を加速させる。スムーズな場面転換はまるでロードムービーを見るよう。物語のわずかな起伏を捉える音楽も、場面ごとに異なる色彩を放ち効果的。そして歌だ。峯田が弾き語ると、途端に日常が物語になる。エモーショナルな波動に包まれ、歌の威力を実感できる。現役ロックスターの面目躍如だ。
過去の作品の否定からしか新作のモチベーションが湧かないという三浦大輔。本作では持ち味でもある人間の本質を暴くような、露悪的な居心地の悪さは影を潜める。すべてを削ぎ落したら、残ったのはピュアな優しさだけだった、とでもいうように。おとぎ話の中を彷徨うような不思議な浮遊感が味わえる。
京都公演は8月7日(土)から11日(水)、京都劇場にて。チケット発売中。
取材・文:石橋法子
(2021年7月30日更新)
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