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「平成が終わるこの時代でも普遍的な言葉を伝えたい」
劇団コケコッコーを主宰するプリマ旦那・野村尚平に
第3弾上演作品『雨やどり』についてインタビュー

漫才師プリマ旦那・野村尚平主宰の劇団コケコッコー。野村が作・演出・主演を担う第3弾公演が間もなく幕を開ける。「雨やどり」と題した本作は、古い木造アパートのいずみ荘を舞台にした、器用だけど孤独な弟、不器用でも人望が厚い兄を中心とした群像劇だ。昭和を愛する男、野村尚平が平成最後に贈る人情喜劇について、また、自らが生み出すものへの思いや、これまで歩いてきた道のりなどを聞いた。

――劇団コケコッコーの第3作目『雨やどり』ですが、あらすじと着眼点を教えてください
 
いずみ荘という時代錯誤な古い木造アパートがあって。そこは夢を追いかけている人とか、社会的に弱かったり、いろんなものを抱えているごくごく普通の人たちが集っているアパートで。ポスタービジュアルにあるように、僕とラニーノーズの洲崎が兄弟の役ですが、家族という立場でお互いの軋轢があったり、自分の職業や置かれている環境に不満を抱えながらもそこから逃げられないという普遍的な内容です。戦っている人たちや忙しなく生きている人たちが、ちょっと足取りを止めて、自分の人生を考える時間みたいな意味で『雨やどり』と。実際に雨をよける意味合いだけではなくて、そういう意味合いにも取れるなと思って、このタイトルをつけました。
 
――タイトルは飲み屋でつけたとか。
 
いい加減なもんで、いつも僕が帰り路に寄る飲み屋があって。今日は真っ直ぐ帰ろうと思ってたんですけど、雨がさーっと降ってきたもんで、実際に雨宿りして。その時はお客さんが僕だけやったんですけど、2時間も飲んでりゃだんだんとつられるように雨宿りで入ってくるお客さんで賑わいを見せたときに、何かこう雨宿りって人が集まるツールにもなっているんだなと何となく感じて。いつもメモ書きを持ち合わせているんですけど、お酒の勢いで書き出して、後半部分はもう読めませんでした。失念しているので、何が書きたかったのかもわからず(笑)。
 
――確かに雨宿りって一つの場所に人が自然と集まるような感じですもんね。人が自然と集まって。自然とコミュニケーションが発生して。
 
平成が終わるこの時代でも普遍的な言葉が伝わらないかなと。僕が見てきた演芸、映画というのが、そういう昭和の香りが強く残っているものだったので。今、見返しても褪せないですよね。やっぱり日本人に備わっているもののような。原風景だったり…。僕が面白がっていることも、よしもとで12年漫才やってますけどあんまり変わっていないのと同じで、伝えたいことは普遍的なことですね。人の生き死にや色恋だったり。生活の上でごくごく当たり前に起こりうることを、ちょっと僕の解釈を入れるファンタジーが入ったりしますけど(笑)。
 
――本作では野村さんがお兄さん役で、洲崎さんが弟役。お互いにないものねだりのような関係性だそうですね。
 
弟は、自分は要領よくやってきたつもりだけど周りに人が集まっているかと言うとそうではなくて、何やっても長続きしない、できない兄貴の周りには気づいたら人が集まっているという。僕も兄貴がいてるんですけど、この年になって一緒に飲んだりしていると、こっちが抱えていたコンプレックスに、向こうも逆の目線があって。ああ、ないものねだりやったんやなって20代の時に思って。今回の芝居はうちの兄弟とは逆で、うちは兄貴が何でもできるクチで、僕はできの悪い弟やったんで。親戚の集まりとかでもずっとバカにされていたので…(笑)。兄貴は末は博士か大臣かみたいな感じで、僕はただ根暗で、内輪でいちびってボケてる感じで、「お前大丈夫かみたいな」ってことあるごとに兄貴と比べられていたので。でも、兄貴は兄貴で「みんな、末っ子の方に行くよね」みたいな。
 
――お兄さんとは何歳離れているんですか?
 
7つです。親父がパチンコにはまって家の金に手をつけたとき、離婚騒動になって。仲直りの日に宿ったみたいです。親父がその日のパチンコ負けたけど、ええ出玉やったと言ってました(笑)。
 
――今回は逆の関係性ですけど、お兄さんの方がよく出来るというふうに言われてきた体験も、芝居には含まれている?
 
そうですね。漫才もコントも落語もお芝居もやらせてもらっていていつも思うのは、全部僕なんです。今回、僕を含めて13人のキャストが出るんですけど13人ともある種、僕で。13人ともお客さんの生活圏内30センチ以内のどこかにいる人だと思うんです。僕がそのままやると角が立つけど、女の人がやるとちょっと丸くなったりとかっていう、ずるいやり方をしています。
 
――あて書きでもあるんですか?
 
他のインタビューでも言ったんですけど、よしもとの大人と演劇ファンの方にはもっと本気で芝居やれみたいな声をいただいたんですけど、僕は飲み仲間とやっている社会人劇団というつもりなので。もちろん、外部のお芝居で精力的に頑張っている方が多いので、皆さんのお力に僕が依存しながらやらせてもらっているので…。普段劇団員と飲ませてもらっていて、外から映っているところと、内面ではズレがあって。「あんたって本当はこっちの面があるのに、みんなこっちばっかり言うね」みたいな。「そうですね、そっち出したいんですよね」というのを芝居の中で出したりとか。だから全く素にないことはないですね。今回は特に普段の活動をご存知の方からするとギャップもあるかと思うんですけど、でも面白いですね。
 
――ちなみに、このメンバーとはどういうお話するんですか?
 
タイプにもよるんですよね。それぞれがお話する角度が全然違うんで。あかん先輩の話もありゃあ、今気になってるあの子にこないだ振られたんですとか、彼氏彼女と喧嘩しました、別れました、またより戻しましたみたいな、アホな話、下世話な話ばっかりです。芸の話をするのは当たり前なので、それ以外でとなると、なんていうんでしょうね……人間なんですよね。できのいい後輩が一人もいないんです、ある種(笑)。全員がいい感じに僕のことをちょっとだけナメてくれているので、それがやりやすいですね。本当に家族経営みたいな雰囲気です。
 
――今回は爛々の萌々さんが新しく入られて。
 
萌々は面白いんですよ。漫才のネタももちろんなんですけど、人がすごく面白くて。「ああ、なるほど」と。「20代の頭の時の僕は、先輩にこう映ってたのかな」って思うんですよ。若い時の自分を見ている。そこまでオジイじゃないんですけど。ただ、僕は生意気だとか言われていたんですけど、萌々はかわいげがある。人を惹きつけるものがあって。萌々のやる芝居に興味があって、短編芝居に誘ったんです。10分ちょっとのものだったのですが、もう評判が上々も上々で。裏方さんも、もちろんお客さんも、書いた僕のことをほったらかしてずっと萌々をほめてたので。やっぱりええなあと。みんな漫才あって、コントあって、ピンあって、新喜劇あって、アイドルあってなので、劇団は腰掛けみたいなネガティブに思われることもあるんですけど、そうじゃなくて、軸足は皆さんそれぞれ元々の方に置いて。僕自身も漫才師ですし。その中で集まって。僕以外はこれからお茶の間で育っていく人じゃないかと思うぐらい素敵なやつらが集まってる劇団なので、それぞれを愛してあげてほしいですね。もちろん、またそれぞれの活動の舞台に足を運んでもらえたらと思いますね。
 
――演出家としての野村さんはどんな感じなんでしょう?
 
演出家としてはダメダメでしょうね…。イメージでは灰皿投げるみたいなものがあるかもしれないですけど、僕も投げてみたい気持ちあるんですけど、タイミングがないんですよね(笑)。
 
――描くものがきっちり決まっているのか、柔軟に意見を取り入れながらみんなで作っていくタイプなのか、どちらに近いですか?
 
どちらかというと前者ですね。僕が作るものって、漫才、コント、落語、芝居も全部、景色があるんですよね。その台詞を言ってる時にどういう映りをしているか、映像が先行しているところもあるので。だから、キャスティングさせてもらって、台本を書かせてもらっている上で、彼ら彼女たちにないことを要求することはほとんどないです。それは、さっき言ったように、僕が飲み屋で見ている「本当はあなたこっちの顔もあるよね」のところをお願いしたりとか。やり慣れていないことをする上で苦労されてる方もいらっしゃったんですけど、そこはお互い向き合って。大多数が芸人という手前もあって、ちょっと笑いを取りたいという色気はあるので、それを無碍にはできない。僕も人情喜劇がしたいので、逃げる気もないんですが、でも芸人がやる芝居って何か欲どおしい笑いの取り方をするんですよね。緊張と緩和で、ピンと糸を張ってるところでふざけたらウケるっていう話で。もっと言えば素が見えたから面白いという笑いもあると思うんですけど、そこには行かないでおこうねっていうお声がけはしています。スベったら俺の本のせいやから、本の中で踊ろうやっていう話はよくしていて。ただ、芸人ってお客さんの前でネタを当てて、笑いをもらったり、反応をもらったりでしか答え合わせができないじゃないですか。それがウケた時に「正解!」じゃないですけど、そういうのを僕も見ていて、「やっぱり彼のこの間やからお客さん突き刺さるものがあったな」とか、「彼女のこの間やから今、ドンとウケたな」っていうのがあって、演出をやっていてそこが面白くもあります。
 
――すでにあるものからはみ出して笑いを取りたいというのは芸人さんの性としてあると思うんです。しかも、ウケる、スベるの答え合わせは、芸人さんはものすぐ早い。自分が作ったものをネタ下ろしをして、すぐ観客の反応見て。でもお芝居は、1ヶ月、2ヶ月かけて作り上げるので、答えが出るまでがすごく長い。実際幕が開くまで分からない。そういうところで、台本の中で踊るというのは芸人さんとしては異なる環境だと思うのですが。
 
僕ら、今を生きる芸人はとにかく賞レース至上主義に飲まれて、会社から平気で「短距離走を走れ」って言われるんです。僕は長距離ランナーになりたくてこの会社に入ってきたので、とにかくいろんなことがしたいし、僕の知ってる限り面白いと思うことは手当たり次第やりたいんです。面白いと思う仲間と。それは漫才コンビの相方もそうですし、劇団の彼らもそうです。僕個人でいうと、なりたい自分は自分の中でしかなくて、完結してるんですよね。そうやって12年、続けている中で苦労があって。1つ壁を越えたと思ったらまた壁が出てきて、20代、30代と歳を重ねていく過程でまだ僕はクリアできてない壁がぎょうさんある。答えなんて提示できないので、僕の作るものは「1回、一緒に考えてみようか」みたいなものが多いですね。「ちょっとこれ、おかしいと思わん?」と聞いてるようなところがあるんですよね。相方に投げかけているようで、お客さんに投げかけているんです。
 
――野村さん、30歳になりましたが、この年齢を意識することはありますか?
 
けつまずいてきた人生なので、それは自分の走り方が悪かったときもあれば、横やりに足ひっかけられたりっていうこともあって。でも他になにもしたいことがないんですよね。嘘でもこれでお金をもらっているから、これ以上僕は贅沢を言えない人生というか。僕、末っ子なんですけど、うちの母から「あんたを生んで人生の大半は終わった」と。「生きた証ができた」と。「でもあなたは男やから産めないから、あなたは作品を売り続けないと生きている意味がないんでしょうね」みたいな話をされて。それで、なるほどなと。出産を経験できない男子にとっては、創作は生みの苦しみとも言うので…。まあ、こんなものではないと重々思うのですが。生きる営みですね、作品を作るというのは。この年になってっというのはアレですけど、当たり前の話、死ぬので。子どもの時から死生観がすごくあって。こんな決まっていることないじゃないですか。もれなく死ぬので。となったら、何で今、これをしているんだ、この時間は何なんだみたいな。自分がおかしくなってきたときに、違う違う、そんなことしにここに来たんじゃない、1回全部変えてみようって20代中頃過ぎたあたりからガラッと自分の生活を変えたんですよね。
 
――どう変えたんですか?
 
会社に必要としてもらえる芸人にどうやってなるかとか、先輩に好かれる後輩たるものはどういう行動なのかみたいなことに対して「違うぞ俺。それをしに来たんじゃないぞ」と。でも、自分がしたくないことへの根性は人一倍ないので、ひと月足らずでやめたんですけど、じゃあ、何しようとなったときに、ものを作る、考える、書くしかないなと思って。ほなら書いてできる遊びはなんやろと。映画は、2歳からずっとライフワークで見続けてきたので、映画が好きで。映像はでもお金も人も時間も使うしって。そのタイミングとはまた違うんですけど、演劇に招待されて見にいくタイミングがあったんですけど、失礼な話、退屈だと思ったんですよ。もっと俺、おもろいもの作れるなと思って生半可な気持ちでやりだしたらえらい目に遭うて。ほぼ毎日誰かに怒られながらやっています。
 
――その死生観は野村さんの芸の礎になっている感じですか?
 
子どもの頃、仏壇横に飾っているひいじいちゃん、ひいばあちゃんの写真を見たときに、すごく怖かったんですよね。60年、70年一生懸命生きた人の証が、この写真一枚で、たった数代後の僕に声も届かないんだって。その時、ひとかどの人間にならないとっていうのを幼稚園の年長の時に思ったんです。その時、何かしないというっていう感覚がありました。でもその後は、いわゆる大阪的なクラスの中心人物でいちびって、よしもと行けやっていう声が上がって、土曜は早めに帰って、塩ラーメン食べながら新喜劇っていう。そっからがまあ、転校先でいじめられたり、担任にいじめられたり。本当、いろんなことがあって、いろんな回り道して、結果、直接的ではないにしろよしもとに入って。僕自体の人生が回り道続きなんですよ。まっすぐ行けないんですよね。
 
――自分では真っ直ぐ行っているつもりで?
 
うーん、行ってるつもりなんですけど、気が付いたら全然違う方に行っていたり、全然違う方へ案内されていたり。
 
――人生回り道。でも端から見たら真っ直ぐに思ったりもするんですよね。
 
そういう意味でいうと、早いうちにテレビでお世話になって。あれは完全に「ものは試し」で使われていただけであって、当時からこれは若いだけでもらっている仕事やと。自分の実力じゃないと。だからもう2、3年でなくなるし、なくなってからが勝負やってずっと相方にも言っていて。相方には「そうか?」と言われたんです。で、予見どおり仕事がなくなって。先輩らから「調子良かったのにくすぶってんな」と言われて。いや、違う違うと。こんなん見えてたし、こっからやと。舞台中心になったから、舞台でやれることにどれだけ時間使えるかって。相方はタレント志向でテレビに出たいっていう思いはあると思うんですけど、遠回りする時間が長くあって。でも愚直に続けてきたら、ちょっとずつやりたいこと、言いたい言葉が伝わってきたのかなって思います。だから遠回りしてよかったなってこの年になって思いますね。一生懸命やっているから報われるとか、そう信じたいのでいまだに続けてるんですけど、報われるかどうかは僕が死んでから分かることかもしれない。だから止められない。ひたすらやるしかないんですけど、やり方にもうまい下手があるので。劇団のメンバーはそれぞれが日々戦っているやつらで。でも愚痴っぽくはならないんです。飲みの席でも気がついたら馬鹿笑いしているような、そんな感じです。

取材・文:岩本和子



(2019年3月19日更新)


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劇団コケコッコー第三回公演
『雨やどり』

【公演日程】
3月22日(金) 19:00開演
3月23日(土) 15:00開演、19:00開演
3月24日(日) 14:00開演、18:00開演

場所:大阪府 ABCホール(〒553-8503 大阪市福島区福島1丁目1番30号)

【キャスト】
野村尚平(プリマ旦那)、洲崎貴郁(ラニーノーズ)、伊丹祐貴、北野翔太(吉本新喜劇)、大西ユースケ、中谷祐太(マユリカ)、堀川絵美、辻凪子、樋口みどりこ(つぼみ)、鮫島幸恵(吉本新喜劇)、佐々木ヤス子、吉岡友見(吉本新喜劇)、萌々(爛々)

【チケット料金】
前売3,500円 当日4,000円

Pコード:492-149
Yコード:506-563

[問]チケットよしもと 0570-550-100

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