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「小さな遊園地に来たくらいの幸福感を」(津田)
マルセイユが初のなんばグランド花月単独ライブ!

ツッコミの津田康平とボケの別府貴之からなるコンビ、マルセイユ。2013年、NSC大阪30期生の津田と、同32期生の別府がコンビを組んだ。それぞれコンビを解散したあとの、再起をかけた結成だった。そして結成5周年を記念して2019年1月、なんばグランド花月での初単独ライブを行うことが決定した。ゲストには、テンダラー、吉田たちも出演する。センターマイク前でしゃべり続ける津田と、津田がどこに言葉を投げようとも巧妙にキャッチし、自在に動き回る別府。その高い身体能力も見どころだ。衣装も白スーツに紺のジャケットと、目にも鮮やか。そのコントラストが印象的な2人の結成から今に至るまでを聞いた。

――まずは津田さんと、別府さん、それぞれお笑いを目指したきっかけは?
 
津田康平(以下、津田)「僕は中1ぐらいの時にテレビで見た『M-1グランプリ』(以下、『M-1』)です。笑い飯さんの奈良歴史民族博物館のネタですね。それまではほぼ漫才って見たことなかったんですが、衝撃を受けて。そこから興味を持ち出したのがきっかけでした」
 
――それまでは、そこまで興味はなかったんですか?
 
津田「僕は大阪なので、吉本新喜劇とかは小さいころから見ていたんですけど、漫才は見たことがほぼなくて。お笑いの番組も少なかったですし、なおさら衝撃を受けました。もうあれがおもしろすぎて。その時、漫才をやりたいとは思わなかったんですけど、漫才ってこんなにおもしろいものなんやって思ったのを覚えています」
 
――それが中1のときで、高校を卒業するまでは劇場に通ったりは?
 
津田「まったくしていないですね。別府と組む前の相方がすごくお笑いが好きなヤツで、文化祭で何かやろっていう、よくあるじゃないですか。それでネタをやってめっちゃウケたんですよ。そら、知っているヤツがボケるんで笑うじゃないですか。それで勘違いして、そっからもう毎日、VHSに録画したお笑い番組を見て、僕も売れるんやみたいな感じでいて。そうやってはっきりと思ったのは高2の時ですかね。きっかけは中1だと思うんですけど」
 
――前のコンビの方と高校の時に一緒に漫才をされて。その時はボケとツッコミどっちだったんですか。
 
津田「ずっとツッコミです」
 
――どういうネタだったんですか。
 
津田「ちゃんとウケるネタをした記憶があります。“学校の先生ボケ”とか入れてなかったような気がします」
 
――それでステージ上から喝采を浴びて、その快感を得て。
 
津田「あれで勘違いしましたね。あれが僕の人生を狂わせました」
 
――そうして高校卒業してNSCに。
 
津田「そうですね。それまでは全くやろうとは思ってなかったんですが…」
 
――では、別府さんがお笑いを目指したきっかけは?
 
別府貴之(以下、別府)「僕はわりかし小学生ぐらいのころから思っていたんです。だからきっかけがわからなくて。母親に“お笑いがやりたい”って言ったら、実は母親も昔、芸人をやっていたらしくて、それは遺伝だったという…」
 
津田「どこでやってたん?」
 
別府「福岡でフリーで…」
 
津田「素人やん!」
 
――(笑)、お母さんはもしかしたらお笑いやっていたんかな?って思ったことはなかったんですか?
 
別府「それは思ったことなかったんですけど、ひょうきんだなとは思っていました。ずーっと喋ってましたね。ボケたりもしてました。宮崎なので、ボケているという感覚もわからなかったんですけど、今思えばそうなのかなって」
 
――お母さんからの“遺伝”もあったのかなと思いつつ、ぼんやりとお笑いを目指していて。NSCに入られたのは?
 
別府「25歳です。ちょっと遅いんですけど、高校の同級生と大阪に出てきまして。僕も高校の時は文化祭で1年から3年まで漫才をやって。剣道部だったんですが、武道場でお客さんを集めてやってみたいな。でも、全部カバーでした」
 
――カバー?
 
津田「パクったってちゃんと言えよ。ええように言うな、カバーって」
 
別府「はい、全部カバーさせてもらいました(笑)」
 
津田「それ言うのはミュージシャンだけ」
 
――何をカバーされていたんですか?
 
別府「COWCOWさんとか、ライセンスさんとか…。最後は自分たちで考えていたんですけど、高校3年生の文化祭でやっていたのはそれです」
 
――お客様にはカバーだということは言っていたのですか?
 
別府「言っていなくて」
 
津田「それカバーじゃないですよ、パクっているんですよ」
 
別府「カバーって言っていなくて。今、大人になって友達に会ったら“あれ、パクリやってんな”って言われます。宮崎はお笑いの情報があまりないので周りのみんなが知らなかったんですよ。その時、僕らはbaseよしもとのVHSを見てカバーしていました」
 
津田「むかつくな、カバー(笑)」

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――高校卒業して大阪に来られて。
 
別府「同級生と2人で大阪に来たんですけど、2人でショーパブでバイトしていました。水玉れっぷう隊さんとか、テンダラーさんがいらっしゃったお店で働いていて」
 
――そこでダンスを。
 
別府「はい」
 
――そういうショービジネスの世界にはいたんですね。
 
別府「そうですね、ダンスやコントをやらせてもらっていました」
 
――津田さんが2年早くNSCに入られて。NSCはいかがでしたか? たとえば津田さんだったら高校の文化祭で喝采を浴びたけど、NSCに入ってみたらツワモノばっかりだったとか、そういうことはありましたか?
 
津田「あ~、大体それでみんな辞めて行くんですけど、僕はもう1つ痛かったので。講義の1時間前には必ずNSCに行って、必ず最初にホワイトボードに名前書いて。他のヤツのネタでは絶対笑えへんみたいな…(笑)。そういう激烈イタタイプでした。激烈イタ病だったんで、僕は」
 
別府「でも一応、教えもありましたもんね、笑うなって」

津田「本当に尖っているのもあるし、笑わんとこって思うのもあったんですけど、能力別クラス判定が夏にあって、ABCでクラス分けされるんです。Aが5組。同期やったら尼神インターとか、ツートライブがAにいて。Bが30組くらいで、Cがその他大勢、500人ぐらいがそこにいて。BとAがまだマシみたいな感じやったんですけど、僕はBやって。何でBやねん!?って。激烈イタいのでもちろんAと思っていて(笑)。Bで初めて、アイロンヘッドのネタを見てむちゃくちゃ笑ってもうて、そっから打ち解けていくようになったのを覚えてますね」
 
――入学して4ヶ月くらいは…。
 
津田「一切笑ってなかったですね。ポップな漫才しているのに斜に構えた感じでいました。笑うなっていう教えは僕らにはなかったんですけど…」
 
別府「ああ、ほんまですか」
 
津田「みんな思っているけど、一定のところを越えたらみんな笑っていたような気がします。バンビーノとか」
 
――30期ってみんな仲良くて、今も残っている芸人さんが多いというイメージがありますね。
 
津田「そうですね、数は多いかもしれないですね。まあ、でも、ある程度おもしろいヤツやってなってから、こっちが折れたんじゃないですかね。それまではずっと精神的にケンカ強いって思われなあかんみたいな、ヤンキー校のイキリみたいなんがあったんですけど、そこから打ち解けてみんなとしゃべるようになったりとか、遊ぶようになったりとか」
 
――NSCにはヤンキーの人とかいなかったんですか?
 
津田「ヤンキーもいましたね。逆にそれで面白かったヤツはあんまりいなかったですけど(苦笑)。爆ノ介は坊主に剃り込みでめっちゃムキムキやって。そんなヤツが“ネタ見てや”とか、いろいろ聞いてきたりとかして(笑)。ただ、NSCでは初めて学校じゃないところでのカーストの楽しさみたいなものはありましたね。全然ちゃうジャンルやけど、みんな面白いことを目指してやっているから、他ジャンルでも相まみえるというか、そういう記憶はありました「
 
――それは入学してどのくらいだったんですか?
 
津田「9月くらいだったので、約半年経ってからイキっているのが恥ずかしくなってきましたね(笑)」
 
――元々イキっていたんですか? 高校生の時とか。
 
津田「高校の時とかはイキっているとうより、自分のことをおもろいヤツだろうなって思っていました。“漫才をやったら負けへんやろ”という方が近いかもしれないです。自分が面白いというより、“俺が書いた本やったら絶対売れるやろ”みたいなイキリやったと思います」
 
――そうなんですね。ヤンキーのようにイキっているというのではなく。
 
津田「それは全然なかったです。学級委員とかやっていて、大真面目でした」
 
――NSCに入って若干キャラクターも変わって?
 
津田「まあ、その殺し合いやみたいなそんな感じで(笑)、ヤンキー的なイキリじゃなくて、内面のイキリというか、気持ちの部分ですね。実際にメンチ切っている感じじゃなくて。見た目は普通でした。でも、周りの同期とかはめちゃくちゃ真面目なヤツって思ってたみたいですね」
 
――教室にも1時間前から行って。
 
津田「そうですね、“社員の評価も上がんねやろうな”みたいな、いやらしい考えも持っていました、当時から(笑)。そんなことを考えながらやってましたね、必死で」
 
――別府さんはどうだったんですか。
 
別府「僕は全く逆で、入学式の時に遅刻して行って。普段は1期上の人が入学式でアシスタントをするんですけど、僕たちの時は2期上の人もアシスタントしていて…津田さんもいたんです。その時、津田さんに怒られていたのを覚えています」
 
津田「僕は全く覚えてないんですけど」
 
別府「そこから不真面目が始まって。僕は逆で、見た目からイカツさで入ろうっていうので、坊主でヒゲでみたいな感じで。授業もそんなに出てなかったですね。さっきも言っていたクラス決めの時は、最初はCにいたんですけど、Bに上がったり、不真面目すぎて下に落とされることもありましたね」
 
――不真面目になってしまったんですか? それとも元々そういう要素があったんですか?
 
別府「そういうところはあると思います。でも、自分が行きたいって思う先生の手見せとかは全部行っていました。ダンスとか、発声の授業は行っていなくて。手見せだけ」
 
――BとかCとかを上下していても、NSCを辞めようとは思わなかった?
 
別府「そうですね。NSCっていう名前がかっこいいなと思っていたので」
 
津田「なんやそれ。わけがわからん(笑)」
 
別府「何期なん?ってみんな言うじゃないですか」
 
津田「あ、そういうことね」
 
別府「はい。NSCで“あれと同期なん?”みたいな話もしたいなって思って」
 
――それを後々持っておくためにも1年間通って。NSCって割と規律が厳しいというか、みんなきっちりしているイメージがありますが。
 
津田「僕らはめちゃくちゃやったんで…。中間発表で成績が良かった人が2分ネタに出られるんですけど、みんな10分くらいやって。ブチ切れられてCクラスに落とされるっていうこともありました。おもろかったらええやろみたいな。まだ学校法人になる前だったので、僕らは。行きたい授業だけに行って良いしみたいな感じだったので、ほんまにダメでしたね…(笑)」
 
――自分のスタイルで見せたいと。
 
津田「そういう人たちが多かったですね。何で怒られてんの? おもろかったらええやんみたいな。今考えたらダメですけど。開場の時間とかもあるので、今やったらわかるんですけど、昔はええやんけみたいな。僕だけじゃなくてみんながそういう感じやったんです。ただ、軒並みそういうヤツらが残ってます。同期とかでも。普通にやっていたヤツはもれなく辞めていっています」
 
――別府さんは、32期生ってそういう特徴ありましたか?
 
別府「いや、そんなになかったと思います。ネタを10分やるとか。もう決められた時間でやっていた気がしますね」
 
――その年によって特徴が違うのでしょうか?
 
津田「全然違うと思いますね」
 
別府「それだけちゃんと時間を守ってきたからというのはあれですけど、やっぱり今、出てきているヤツがあんまりいないので…(笑)」
 
――同期は今、誰がいるんですか?
 
別府「東京に行っちゃいましたけど大自然とか。大阪に居るメンバーで言うとニッポンの社長の辻とか、武者武者とか。やっぱりボーンと出てきてないですね。30期さんくらい型破りじゃないと…」
 
津田「型破りではないけど…」
 
――20期生は割と積極的に同期イベントをやっている印象がありますね。
 
津田「そうですね。僕らがずっと言っていたのは“26期を倒す”。それを目標に、当時のbaseよしもと、5upよしもとの人らをひっくり返さないと、僕らの時代は多分10年、来ないみたいなことをNSCの頃から言っていました。そういう考えのヤツらが多くて。別府の前のコンビとかまっすぐな漫才が多かったんですけど、バンビーノとかちょっと種類が違う。プリマ旦那くらいですかね。真っ直ぐなのは。そういう色があるヤツが多かったのはいい刺激でしたね。
 
――別府さんは、入学式に遅れて行って津田さんに怒られたとのことですが、その時はなんて怒られたんですか?
 
別府「相方が先に来ていたんです。コンビで入るヤツらはコンビで座ってて。僕の相方はいるので隣が1席だけ空いていて。僕は確実にそこに座るじゃないですか。で、急いで席に着いて、相方に笑いながらごめんなみたいなことを言ったら、“おい、別府! 何笑ってんねん! 遅刻してきて!”とかって」
 
津田「いやそれも裏があって。そういう時に僕らが怒りに行かなダメなんですよ。何でやねん!とか思いながらアシスタントの中でじゃんけんで負けたヤツが怒りに行く。こいつ、当時、坊主でソリコミでデカくて、そんなヤツにビビりながらも行かなあかんっていうのが背景ではあったんです。何で俺が怒らなあかんねんっていうのは覚えてるんですけど、別府とはまさか思わなかった」
 
――後々コンビを組むなんてと。
 
別府「そうですね。でも、そこから喋ったことがなかったですね」
 
津田「一切ない」
 
――お互いそれぞれ別のコンビを組んでいて、同じ年に解散したんですよね。解散してからお互いを意識した感じなんですか?
 
津田「まったくないですね」
 
――何で組むことになったんですか?
 
津田「当時の担当してくれていた社員さんがおすすめしてくれたんです。僕らめちゃめちゃビジネス的に組んでいるので…。それまで喋ったことがなかったですね」
 
――顔を合わせた時はどんな感じだったんですか。お見合いみたいな感じですか?
 
津田「普通に電話して、飲みに行きました」
 
別府「知らん番号からかかってきて。ちょっとメシ行かへん?みたいな」
 
――お互いの存在は知っていたんですよね。
 
別府「はい。ネタも見たこともありました」
 
――5upよしもとの頃ですかね。
 
津田「そうですね。後期くらいでした」
 
――劇場では会ったりはするけど、特に仲良いわけではなく。
 
津田「はい全く。だからすごいビジネス的です」
 
――コンビを解散して一人になった時に、津田さんは社員さんから別府さんをおすすめされて。
 
津田「まずは自分から“誰かいませんか”って聞きました。解散して、そこで立ち止まったら多分辞めると思ったんで。ピンでやっていたんですけど、漫才をしたいという気持ちが強かったので、社員さんが何人か挙げてくれて。1回メシ行って喋ってみますわ~みたいな感じやったのがきっかけです」

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――何人かの候補の方と全員お会いになったんですか?
 
津田「会ってないです。会ったのは別府だけですね」
 
別府「……それは初めて聞きましたね」
 
――そして飲みに行ってみて、お互い合うかなと。
 
津田「最初は保留になったんです。お互い、ありがたいことに何人か声をかけていただいていたので、そこから決めましょうかという感じで」
 
――別府さんも誰か紹介してもらっていたんですか?
 
別府「僕も2人ぐらいですけど紹介されていて。でも当時、吉本新喜劇にも興味あったり、ここで辞めようかなとか、いろんな葛藤があって。そのときに、津田さんはすごくお笑いのことに対して熱い方だったので…」
 
津田「組んでどうするかとか、結構具体的な話をして。とにかく時間がないので」
 
――いち早く組んで、とにかく漫才をしたいと。
 
津田「劇場のカーストの上に行っておかないと、俺、どうなっていくんやろうみたいな感じだったので…」
 
――解散する前のコンビはどのくらいのランクにいたんですか?
 
津田「多分同じくらいで、3軍、2軍の間を行ったり来たり。時にはオーディションに行ったりとか」
 
――上の方にいて勢いに乗っていたら解散とはならなかったかもしれないですね。
 
津田「どうでしょうね。もしそうだとしても、何かあったと思います、僕は。根本の部分だったりするので」
 
――コンビを新しく組んで、オーディションからですよね?
 
津田「もちろん。とにかく早く組まないと置いていかれるという感覚はありましたね」
 
別府「僕もありました。…そうですね、解散して、その後どうしたいかって考えて、結局またやりたいって思ったので、津田さんに連絡してやらせてもらえませんかって」
 
――それはブランクどのくらいだったんですか?
 
別府「1ヶ月くらいありました。津田さんと会って」
 
津田「あ~そうやな、保留が長かったです(笑)」
 
――その間に津田さんは?
 
津田「ピンでやってましたね」
 
――ピンでやりながら、別府さんの答えで次第でまた違う人にあたろうと?
 
津田「そうですね。ほんと、すごいビジネス的です(笑)」
 
――それだけ待っているということは、津田さんは別府さんに何か感じていたんですか?
 
津田「どうなんですかね。でもお互い、消去法だったと思います。運命的なことを言えたら良いと思うんですけど、消去法で考えたら僕は別府しかいなくて、別府も俺しかいなかったという」
 
――それは実力の面ですか?
 
津田「そうですね。自分を過大評価しているわけじゃないですけど、お互いそう感じたんだと思います。オーディションを1回も受かっていない子とかでも、おもしろいって聞きますよって言われてもそれってどうなんやろうって」
 
――即戦力には…。
 
津田「そうですね、やるか、やらないか、もう辞めるかっていう選択だったので」
 
別府「ただ、漫才の種類が似ていましたね。あとテンポも」
 
津田「そうですね。そこのあたりがある程度描けていたかもしれないですね、お互いに」
 
――別府さんは1ヶ月悩んで、津田さんに別府さんから電話して組んでもらえませんかと。
 
別府「はい。それで結成して、エントリーとかして」
 
――それが2013年の末くらい?
 
津田「そうですね」
 
――その年の『M-1グランプリ』は終わっていたんですね。
 
津田「そうです」
 
――それで、マルセイユを結成しますとなって。コンビ名をなぜマルセイユにしたんですか?
 
津田「最初は「桜田ファミリア」がいいって言っていて。桜田門外の変の「桜田」にカタカナで「ファミリア」。僕、何でもよかったんで、“もう、何でもいいよ”って言っていたんですけど、3日後くらいに“やっぱり違います”って。何を一人でやってんねんと。お前がいいって言って、“ええんちゃう?”って言ったらそれはやめますって。で、ヨーロッパの都市がいいですって。ミラノ、パリがいいですみたいね。でも、“はい、ど~も~、パリですー”って漫才するのは俺は嫌で。「パリです」はちょっとダサいって(笑)。バレンシアっていうスペインの地名があるんですけど、「ん」がつくのと爆発音がつくのが良さそうっていうのがあったので、僕が“バレンシアはどう?”って聞いたら“いや~、バレンシアはそうすね…”みたいな。何が納得いかんねん、パリのほうがダサいやろとか思っていて。で、「ブラックマヨネーズ」みたいな2つの言葉を足そうと。お互い好きな言葉を持ち寄ろうと言って、僕はサッカーが好きなので「ターン」で。こいつは「ナポリ」が好きやって。これを足したら「ナポリターン」っていう史上最高にダサいコンビ名ができあがって。書類を出さないと行けない5分前とかにこれではいかん、これはいかんってなって。それでもう、何でもええわって言ったら1回も出てきてない「マルセイユ」を出してきたんです。だから何の思い入れもないんです」
 
――別府さんはなぜマルセイユに?
 
別府「ヨーロッパの地名を使いたいなと思って。でも津田さんが出してきた「ターン」が…。ジダンの「マルセイユターン」っていうのがあって…」
 
津田「サッカー選手のジダンが使っている「マルセイユターン」っていう有名な技があるんです」
 
別府「で、ターンをどうにか残したいなと思って、別名の「マルセイユルーレット」にしたんですけど、長いなっていうので、じゃあルーレットを取ろうということで“マルセイユ”になったんです」
 
津田「何の思い入れもなくて。僕らほんま、そういうのがないんですよね。こういうときに熱い話をした方がいいなと思うんですけど」
 
――でもコンビってビジネスでもありますからね。
 
津田「そうですね、はなからそれでやっているので…(笑)。もう20何歳と30歳前だったから、とにかく早く行かないと終わるぞっていう思いが強かったですかね」
 
――コンビを組んでネタ作りはどういうふうに始められたんですか?
 
津田「今は僕が書いているんですけど、別府も前のコンビで書いていたので最初は書くことになっていたんですけど、別府は台本を書くのは喋りながらじゃないと無理みたいなことで」
 
――口述筆記で。
 
別府「そうなんです。国語力に自信がなくて」
 
津田「それで喋りながら書いて、しゃべくりをずっとやっていました」
 
――その時からボケとツッコミは決まっていて。
 
津田「それは決まっていました」
 
――最初はそういうふうにしてネタを作っていって。その時の第一印象というか、実際に漫才をやりますよとなったときに、思っていたとおりだったのか、あれ?という違和感はあったのか…。
 
津田「最初はあれ?の方が多かったですね」
 
別府「はい」
 
津田「多分、お互いに気を遣っていたんですよね。俺は前の相方のときに100:0で本を書いていて、それをやってもらっていたんですけど、初めて人の台本で。ボケが絶対ボケたいものをやった方がいいから。でもこのボケってお前には合ってないよなって思いながらやっていたのはめちゃ覚えてます。ダンスできるけど、ダンス入れるのは嫌がるとか」
 
別府「最初はそうやったかもしれないですね」
 
――今はもう、ダンスの印象がありますが。
 
別府「踊りでウケるのかなっていうのがあって」
 
津田「前のコンビも一切、動きがなかった。多分、嫌やったんだと思います。喋りでいきたいと」
 
――踊りを入れるコンビもいますが、それはなかった?
 
別府「当時はそうですね、自分は動きを入れておもしろくできるのかな?って思っていました」
 
津田「僕はそれを出した方が絶対ウケると思うけどなとか、作家はこっちの方が好きやと思うけどなと思いながらも(笑)。オーディションはやりたいことをやった方がええんやろうなと思いながら最初の半年くらいはやっていましたね」
 
――それが変わるきっかけはあったんですか?
 
津田「5:5で台本を書いていたのを、7:3ぐらいに変えたんですよ。僕が7にして。しゃべくりはオーディションでは受かるんですけど、バトルでは負けるみたいな感じやったので、最初の頃は」
 
別府「ほんまそれでしたね、ずっと」
 
津田「それでもう、振り切ってやってみいへん?って言って、僕が7:3くらいで書き出して、それでポンポンポンって上がって行ったんです。それは僕が偉いとかじゃなくて、動きを入れたっていうだけなんです。動きとテンポを上げて。それとギャグも。ギャグをちゃんと入れてから、半年ぐらいで劇場メンバーになって。入れ替え戦だけずっと負けていて、その時は型というか、自分たちはどんな漫才の形なんやろうってお互い探りながらやっていて。舞台数も月1、2回とかしかなかったので、バトルで新ネタかけるっていう感じだったんです。で、なんとなくこっちで行こうかっていうのでやりだして、劇場メンバーに入ったという感じでしたね」
 
――2015年くらいから結果が出てき始めるというか、『第4回ytv漫才新人賞』で3位を獲得したり、次の年に『第6回MBSラジオ演芸ヤングスネーク杯』で優勝したりとか、だんだん結果が出てきているなと思ったのですが、そこが分岐点だったのでしょうか。
 
津田「僕はそこやと思いますね。別府はどう思っているかわからないですけど、お互いに気を遣っていたのを、“もうごめんやけど”って、台本を出してから話し合うようになって。今までは台本を作る段階で話し合っていたんですけど、ベースの部分を僕が書いて、そこからどう思うかやってもらって、動きとギャグ、リズムを変えようってやったら、たまたまそれが『ytv漫才新人賞』で当たって。最初の半年はうーんって感じでしたけど、これはやっぱり行けるんだ!という手応えはありました」
 
――台本を書く比率が変わって、やり方も変わって。別府さんはどう思っていたんですか?
 
別府「今まで自分がやっていたやり方でやった方がいいのかなって思っていたんですけど、津田さんが書いてきてくれたものがやりやすいなっていうのが自分の中にあって。だから多分、そういうところだと思います」
 
――任せるというか、津田さんにもうお願いしようと。
 
別府「はい、お願いしますという形で」
 
――そういうことで、ネタに対する精神的な負担というか、気が軽くなったとか、そういうことはありましたか?
 
別府「それはあんまりないんですけど、でもダンスをやった方がいいんやとか、ギャグも面白いって言ってくれるんやというので…」
 
津田「ギャグをギャグって言った方がいいとか、最初はそんな作戦からでしたね。ちゃんとギャグって言ってなかったので」
 
別府「“僕のギャグです”って押した方が絶対いいとかって」
 
――押さえるところをちゃんと押さえるという感じだったんですか?
 
津田「漠然と面白いと思われているところをこう面白いと思われた方がいいよって思ったので。別府とはどういうヤツかっていうのがなかったので、僕はギャグと動き系のボケ。まずそこで別府がどういうヤツかわかってもらう方がいいんじゃない?って最初の頃に話したのを覚えてますね」
 
――ギャグをギャグと言わないっていうのは、思うところがあったんですか?
 
津田「お客さんにギャグとして認識していただけてなかったので」
 
別府「“すぐそうやって言うやろ?”“何やねん、それは”で終わっていたので」
 
――あのフレーズ自体をギャグとして固めていったんですか?
 
別府「最初はさらっと言っていたんですけど、マルセイユを組んでから言い回しを変えて」
 
――マルセイユの前から言っていたんですね。
 
別府「前も言っていたんですけど、流す感じというか。でもちょっとしつこく言う方がウケました」
 
――そうやって、いろんなことを固めていったんですね。
 
津田「外堀をまず埋めようと。そんなことをやってましたね、最初の頃は」
 
――今、漫才でも、いわゆる静と動の対比。それがマルセイユのスタイルになっているなという感じですが、そういうことも組んで半年ぐらいから段々と確立させていって?
 
津田「漫才の音を変えるとか、そういうのが意外とこの時代におらんなって。あざといぐらいちゃんとしてるヤツらがおらんからいけんちゃう?って」
 
――なるほど。漫才の見せ方がいろいろある中で、マルセイユはどういうふうにして確立して行ったのかなと思っていたんです。
 
津田「“色もの”に対しての憧れもありました。尼神インターみたいな漫才はできないし、霜降り明星みたいなフレーズもないし。でも大多数の人が好きな、最大公約数がかたまるところが絶対あると思って、そこを突いていってそれにプラスアルファしたら…。テンダラーさんもそうだと思うんですけど、あれだけ切れがあって、テンポよくやったら、おもしろいですよね。中川家さんもそうだと思うのですが。僕らは変わったことをするよりそっちの方が早いんちゃうかなって思ったのを覚えています」
 
――2017年にテレビ東京『にちようチャップリン』のお笑い王決定戦で優勝して、今年はMBS「お笑いジャイアントキリング~しばり漫才王決定戦~」でジャイアントキリングを獲得されて。ステップアップしているなという手応えは感じていますか?
 
津田「僕はそう思うようにしています。そういうふうに思わないとやっていけないので。ネガティブになったらダメなので。だた、よく考えたら5年前には見られへんかったところをちゃんと見られているなと思います」
 
別府「『M-1』も今年は去年と比べると…」
 
津田「そうですね。今まで比べると全く違う負け方やったので。だから来年準備していこうっていう感覚でいられるのは初めてのことなので、そういう面では成長してるかなって思います」
 
――そういう勝負の場で心が折れることは?
 
津田「それもなくなりました。『M-1』の準々決勝で緊張しているかと思ったら、こいつは出囃子が鳴っているときにあくびしてたんで(笑)、全然余裕やと思って。それ見て安心しましたね」
 
別府「今までやってきたネタで自信もあったので、もう大丈夫だろうというのと、いろんなことを経験させてもらっていて、まだここは準々決勝やぞって。決勝はもっと緊張するんじゃないの?って。まあ、あくびはアカンですけど…(笑)」
 
津田「いや、アカンことない(笑)」
 
――でもそんなにガチガチに緊張せず。
 
津田「しなかったですね、今年は」
 
――それで結成5周年記念で初のなんばグランド花月(以下、NGK)での単独ライブが決まって。いつ頃、決まったんですか?
 
津田「もう1年前から決めていました」
 
――そうなんですね。劇場でずっとやっているからそれを認められて大きな会場でとか、そういうプロセスではないんですね?
 
津田「あ~、僕らは全くそんなんじゃないんですね」
 
――自分たちで決めて?
 
津田「そうですね。負荷をかけない限り…。よしもと漫才劇場は埋まるけど、それ以上でもないしみたいな。じゃあ自分たちに負荷をかけていくって別府には言っているんですけど。2018年5月にルミネ the よしもとでやって、11月か2019年1月にNGKでやると。それまでにこの賞とこの賞は獲りに行こうっていう感じだったので…。組んだときに5年以内にルミネとNGKではやろうって言っていて…」
 
――それだけできるって思われたから、NGKでやりますと言ってもOKが出たんですよね?
 
津田「そうですね…その筋道だけは先に作っとこうと。例えば、“このコンビがやりたいって言っているんですけど”って相談したら、“あ、いいよ”って言われる下地を敷いていたら、あとはこっちが頑張って埋めたら文句も言われないだろうしっていう感じでやっていましたね」
 
――別府さんは、そこはもうついていくっていう感じなんですか?
 
別府「そうですね。僕、そういう先のこととかは考えることができないので。全部ビジョンはあるので、そのためにやらせてもらっています」
 
――ついていけないとか、しんどいというのはなかったんですか? プランに対して。
 
津田「しんどいと思いますよ、僕みたいなやつは…」
別府「音ネタ系は僕がそのネタが入ってこないというか…。それで、めちゃくちゃ教えてもらうっていうのはあるんですけど、でもついていかれへんっていうのはないと思います」
 
――5年って過ぎてみればあっという間ですけど、5年前の自分の実力とかポジションを考えると、結構気が遠くなるようなプランだと思うんです。
 
津田「そうですね…」
 
――それでもついていこうと。
 
別府「はい。その時多分、僕の中でもそんなことできるのかなって漠然としていたんですけど、今ここに来てできたっていうことが、やっぱりビジョンを考えるのは大事やなって思いますね」
 
津田「やる、やらないで迷っている人らがすごく多いですけど、僕らは“やる”を選択してきたので。点さえ作っちゃえばそれが線になるから、それをやる作業をやっていった方が今の時代はいいと思うので…。別府からしたら負荷はあると思うんですけど…ネタをいきなり渡して覚えてとか」
 
――別府さん、どうですか?
 
別府「はあああ!ってなりますけど…(笑)」
 
津田「でも、やらないと。僕らは他の人より遅れて始めているので。こいつらの同期より4、5年スタートが遅いので。単純にネタ数でも100%負けているわけじゃないですか。追いつくには質を上げていく作業をしないといけないので。毎月単独ライブをした年もありましたし、逆に今年はポンポンポンと打っていくやリ方に変えたりとか…」
 
――そうなんですね。今、そういうことをしつつ、どういう漫才師を目指していますか? マルセイユとしてどうなりたいでしょうか?
 
津田「各々仕事があっても何も思わない2人やと思うんです。コンビでロケとか、コンビで冠番組とかあんまり思ってないと思います。でも、漫才は帰ってくるところであったらいいなってずっと思っていて。漫才がおろそかになって売れるよりも、漫才があって、そこで“おお~”ってなるのが一番いいのかなっていう感じですかね。多分、こいつはテレビに出たいタイプだと思うんですけど、僕はそんなに…。まあ、出たいですけど、なんとしてでも出たいなとかはあんまり思わないので」
 
別府「僕もどっちかというと変わってきて。最初は東京に行きたくて、行きましょうって1回、話したこともあって。でも、『チャップリン』で優勝してから漫才をしっかりした方がいいなって。優勝して自信がついたっていうのもあったんですけど…。おそらく『チャップリン』で優勝したら東京行こうってなってたと思うんです、自分の中で。東京行きたかったから」
 
――今は、東京行きは考えてないんですか?
 
別府「今は全くなくなりましたね」
 
津田「だからこそ行かないっていう、僕はそういう考え方なので…(笑)」
 
別府「今は呼んで頂く機会も前よりは増えて…」
 
津田「呼ばれている方が賢いなって。何もなかったときに行くもので、今はこっちでやり尽くしたい」
 
――大阪で漫才をやるメリットは何なんですか?
 
津田「大阪で漫才をやるメリットよりも、東京で漫才をやるメリットがあんまりない。今の劇場システムでもう1回、オーディションからやるなら、こっちでちゃんとやっていって。漫才を磨ける環境が大阪にあるので」
 
――1からまたやるよりかは、今ある環境を存分に活かしたい。
 
津田「そうですね。やっぱり試せる場所もありますし…。呼ばれていなかったら違うかもしれないですけど、ちょこちょこ呼ばれているので、これくらいの環境が一番いいなって思っています」
 
――NGKでの単独ライブの話を全然聞けていないのですが、最後に意気込みをお願いします。
 
津田「そうですね。とにかく漫才をやって一番気持ちいい劇場なんです。5周年の節目でもあるので、新ネタをたくさんできたらいいなと思います」
 
――オール新ネタですか?
 
津田「そのへんはまだ決めかねてはいます。ただ、単独に関しては、ほんまにエンタテインメント的なこともやっていて。茶番とかもやっています。小さな遊園地に来たくらいの幸福感で帰ってほしいというのがずっとあって。それを目標にやっていて、何か来てよかったなと思っていただける内容にしたいと思っています」
 
別府「僕は1回で終わらせず、年々やっていけるように。NGKに立たせてもらった気持ちをまた次につなげていけるように」
 
――NGKってやっぱり違いますか?
 
津田「ウケた時の何か返りが全然違いますね。お笑いに特化している劇場なので全く違います。音が抜けない。そのかわりスベッたらスンってなりますけど、ウケた時のドドドドド!って笑いが来る感じがやっぱり…。だから3分のネタが5分になったりする、そういう劇場です」
 
別府「そうですね」
 
――それだけ漫才師の気分を乗せてくる。お客さんも乗ってくるし、漫才師も更に乗ってくるという。
 
津田「そうですね、すごい劇場だなと舞台に立つたびに思います」

取材・文:岩本和子



(2018年12月13日更新)


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マルセイユ結成5周年
NGK初単独ライブ
『TRANSITION』

チケット発売中 Pコード:490-476
▼2019年1月25日(金) 19:00
なんばグランド花月
全席指定-2500円
[出演]マルセイユ
※5歳以上または身長110cm以上の方はお席が必要となります。(膝上でのお子様の観劇は1名様のみ可能です。)16歳未満の方は保護者同伴に限り入場可。ビデオ・カメラ、または携帯電話等での録音・録画・撮影・配信禁止。出演者は変更になる場合がありますので予めご了承下さい。変更・払戻不可。車椅子の方はチケット購入前にチケットよしもとコールセンター[TEL]0570(041)356まで要問合せ。
[問]チケットよしもと予約問合せダイヤル■0570-550-100

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