インタビュー&レポート

ホーム > インタビュー&レポート > 「どんなに苦しいときも、心の中の炎は灯しておかなきゃいけない」 ONE OK ROCKがくれたチャンスとエド・シーランとの再会のドラマ 自作のループステーション制作秘話etcを全国ツアー中のReNが語る 『LIFE SAVER』インタビュー&動画コメント


「どんなに苦しいときも、心の中の炎は灯しておかなきゃいけない」
ONE OK ROCKがくれたチャンスとエド・シーランとの再会のドラマ
自作のループステーション制作秘話etcを全国ツアー中のReNが語る
『LIFE SAVER』インタビュー&動画コメント

 “どれだけバカになれるか”。インタビュー中に彼の口から何度も出てきたこのフレーズに、“若さゆえ”には留まらない決死の覚悟と熱量を感じるのは、きっと私だけではないだろう。ReNが音楽を始めたのは’15年。幼少から憧れたレーサーとしての夢も希望もクラッシュした彼がすがった、唯一の光。そんな音楽に導かれ、20歳の春からリアルタイムで演奏を録音→再生する“ループステーション”を駆使し、1人多重演奏のスタイルを確立。自らに課した100本ライブ『百戦蓮磨2015』を達成後は『FUJI ROCK FESTIVAL’15』に出演を果たすなど、地道に音と現場を重ねてきた。今年はONE OK ROCKの『“Ambitions” JAPAN TOUR』福岡公演への大抜擢に、シンガーソングライターを志す運命の一夜を作り出した、あのエド・シーランとスペースシャワーTVの特番内で再会するなど、まさにミラクルの連続! 一気に注目度が高まりつつある中、現在は最新アルバム『LIFE SAVER』を手に初の全国ワンマンツアー中のReNに、自らの足で、意思で、ここまで歩いてきたライフストーリーを紐解いてもらったインタビュー。こんなドラマが待っているから、人生は面白い。

 
 
胸を張って外を歩けてたのは自分に掲げるものがあったからで
それが失くなったとき、人ってこんな弱くなっちゃうんだって
 
 
――’17年も残り僅かですけど、今年は相当すごい年でしたね(笑)。
 
「自分が音楽活動をスタートしたのが’15年で、そこからほとんど毎日のようにどこかで歌ってきて。自分がもし大きいステージに立つことが何かのタイミングで起きたとき…人生にそういう大きいチャンスってそんなにないと思ってるから、そこで自分が培ってきたものを100%出せるようにって、この2年間ずっと意識して音楽をやってきて。もちろん最初の頃なんてお客さんなんて誰もいないし、その後100本ノックライブ(=『百戦蓮磨2015』をやったときも、まだお客さんは全然いなかった。でも、それが1人1人とだんだん増えていって…今年ONE OK ROCKのライブにゲストで出させてもらったときはプレッシャーもすごく大きかったんですけど、自分はやっぱりそういう機会を心待ちにしてて。とにかく自分の存在と曲を知ってもらいたかったから。今年は本当に大きい出来事の多い年で、ターニングポイントだったなぁって。それはONE OK ROCKのライブもそうだし、僕がすごく憧れていたエド・シーランに会えて話ができたこと…1つ1つ一生懸命に、邪念も雑念も捨てて、まっすぐに、純粋に、音楽を追求して、自分なりのやり方でも続けていればこういうことが起きるんだなって、肌で感じられた1年だったから。出来事が自分を強くしてくれた感じはありますね。そこで何を感じたかというよりも、出来事が起きたことで“自分は間違いじゃなかったんだな”って感じられたのが、すごく大きかった」
 
――チャンスがいつ舞い降りてくるか分からないし、そのときに全力を出し切れない自分だったら絶対に後悔する。年齢的にもキャリア的にも、そういう発想で日々音楽活動してる人って案外少ないと思う。めちゃくちゃ練習もするらしいですけど、その辺のストイックさというかは、同世代のシンガーソングライターとは違う感じがしますね。
 
「自分が音楽に懸けてるものが結構大きくて。僕は学校も16で辞めちゃってるし、自分が他にできることって、言ったらないんです。今自分が楽しいと思えて、純粋に時間も忘れて没頭できるのがギターと音楽で。人生を懸けたものだから、一生懸命やったらちゃんと人に伝わるんだっていう想いを大切にしたいし、とにかくガッカリされたくなかったんで。もちろん自分が楽しいから練習もライブもやってる時期もあったんですけど、それだとずっとは続かない。やっぱりどこかで人と人とのキャッチボールというかエネルギーの交換がなかったら、ライブって楽しくないというか、やってても意味がないんだなって感じるようになってきて。大好きなアーティストのライブ映像を観ると、もう全てが完璧で。自分もそう映っていたいし、そういうアーティストに元気をもらってきたから。“今のままじゃダメなんだ”っていろいろ感じながら、ライブの現実と理想を揃える作業をこの2年間ずっと手探りでやってきて、本当に今年になってようやくちょっと点と点がつながった感じですね」
 
――元々はレーサーを目指していたということで、ある意味、一度夢を失ってるというか。だからこそ音楽しかないという言葉がずっしりきます。
 
「本当に同じような気持ちで、“俺にはもうこれしかない”っていう男のプライドと生き甲斐をレースにも感じていたし、今までちょっと胸を張って外を歩けてたのは自分に掲げるものがあったからで、それが失くなったとき、人ってこんな弱くなっちゃうんだって初めて知って。僕は二十歳のとき、レースでケガをしてしまったんですけど、治療中の約3ヵ月間ずっと自分と向き合いながらいろんなことを考えてるときに、音楽に本当に救われたんですよ。痛みは取れないけど、心のモヤが取れた。それは魔法だなと思ったし、だからこそ、そこで巡り合った音楽は自分にとって“ライフセーバー”だった。今までは聴く立場だったけど、今度は自分がライフセーバーとしてみんなに音楽を届けることができたら…そこを目指して全力疾走の延長線上の感覚で今もやってるんですよね」
 
 
みんなと同じような目線でずっと音楽を作っていきたい
 
 
――エド・シーランもワンオクもそうですけど、今年は壮大な伏線が回収されているような気さえしますね。
 
「もう自分が一番ビックリしてて。僕はリミットとして22歳まで、大学生が社会人になる歳までは、やれるところまでやってみようと2年間やってきて。22の終わりぐらいに、そういった話が立て続けに起きたんで。’14年、ケガをした3ヵ月後に僕を奮い立たせてくれたエド・シーランのライブが、空っぽだった心に今でも続くようなガソリンになるエネルギーをくれたことにも、何か意味があると思ったし。そこから僕も、絶対に何かが起きると信じてやってたら、本当に起きてくれたんで。ここまで来たら、あとは自分がちゃんと掴むだけで。まだまだですけどね」
 
――エド・シーランの件も、幼馴染のマネージャーがReNくんが弱ってる姿を見て、ライブに連れて行こうと。しかも東京じゃなくて大阪のBIGCATに(笑)。
 
「治療とかがあって、大阪の日しか行けなかったんですよね(笑)。でも、そこで観たものが強烈だったんですよ。僕がレースの世界に入ったのは、今でも忘れない’04年の10月10日。僕は小学校4年生だったんですけど、F1グランプリを鈴鹿で観てね。その10年後に、僕はまたエド・シーランのライブを、レースよりももしかしたら強烈なものを間近で観た。しかも、距離がすごく近かったんで、僕たちはエド・シーランとライブ中に握手することもできて」
 
――当時の写真も見ました(笑)。思いっ切り派手なTシャツを着てて、ド真ん中で写ってるやつを。
 
「ライブに行く前の自分と、そこで写真に写ってる自分がもう違うんですよ。それはもう純粋に音楽の力だと」
 
――ライブ1本でマジで人生が変わったんですね。
 
「本当に変わった。自分もピュアだったんで、エド・シーランが声を、全身を使って奏でて、それを観に来た人たちがハッピーっていうその空間はすごいなって思って。そこで、“これから2年間で絶対にまたエド・シーランに会おう! 会って俺たちがここまで来たプロセスを伝えて、みんなに音楽の魅力を向けられるシンガーになろう!”って。僕は今それをやってる最中なんで」
 
――よく本当に会えましたよね。しかも、当時もらったピックを“あのときの”と渡しに行けるなんて。
 
「でも、それぐらいバカになってみようと思った2年間で、それぐらいバカにさせられたライブでもあったんですよ。もう他のことを考えられなくなるぐらいのものを観せられたので。“どれだけバカになれるか”は本当に大切だったなと思ってて。それが若さかもしれないし、今でも忘れちゃいけないことだし。20代のこの2年間で、“あのときすげぇ走ってたよね俺たち”って言える時間を作ろうとやってみた結果、願ってもないことが起きた。音楽ってすごいんだなって実感をさせてもらえたことでもあったし」
 
――ちなみに、実際に対談で会えたときってどんな気持ちだったですか?
 
「いやぁ〜1週間前から全然寝られなくて。とにかく質問を考えまくったら1000近くになってしまって」
 
――マジで!? インタビュアーの素質あるんちゃう?(笑)
 
「いやいや(笑)。すごく緊張したし、自分がアーティストとしてちゃんとギターを持って、スキルがある状態で会いたいと思ってたから、嬉しいのと同時に、自分の想いをちゃんと伝えたい、何かを吸収して帰りたいっていう気持ちもあったし。めっちゃ緊張して脇汗ガンガンかきましたよ(笑)」
 
――アハハ!(笑) そらそうやろねぇ。
 
「やっぱりライブ中に握手した思い出はデカくて、そのエネルギーが今でもずーっと僕の力になってて。そのときと同じ握手をまたそこでしてくれて、“この手だった”って思ったし、音楽には正解/不正解がない分、この2年間でいろんなことを言われたけど、この出来事で全部払拭された気がしました。その瞬間、ここから先は僕たちが音楽で人をもっとハッピーにして、同じ立場の人間になるところまで行きたいっていう目標に替わったんで」
 
――しかも、その対談の後にオーストラリアまでライブを観に行ったとか。
 
「話を聞いてたら、機材も新しくなって、新しいパフォーマンスもあって、“今回のライブはヤバい!”ってずっと言うから(笑)、そんなにヤバいんだったら観に行きたいって言ったら、じゃあチケットを用意するからって…。エド・シーランってそういう人で、それは僕が聴いてきた他のアーティストも多分みんなそうなんですよね。だから自分もそうありたいと思うし、お客さんに距離をあまり感じさせたくない。自分も等身大の音楽に魅せられて音楽をやるようになったから、みんなと同じような目線でずっと音楽を作っていきたいっていう気持ちにもなってますね」
 
――さらに、現地でビーチに遊びに行ったら、そこがライフセーバー発祥の地だったとか。この伏線野郎が!(笑)
 
(一同爆笑)
 
「その偶然は本当にすごかったですね(笑)」
 
 
自分と曲が変わっていった、この1年間の動きがそのまんま入ってる
 
 
――そんなエド・シーランとの対談でもらったヒントも、最新アルバムには生きてると。
 
「たくさんのアドバイスをもらったんですけど、どっちかって言うと、エド・シーランのメンタリティとか、音楽を作るときの姿勢がすごく響いて。意図しないものができたけど、それが結果的に自分の中で欲しかったものだったり、今回は本当に面白い出会い方をした曲が多いなぁって」
 
――エド・シーランからは、“ギターを持たず書いてみたらどう?”みたいなアドバイスもあったと。
 


「例えば『Life Saver』(M-2)は、最初にギターのリフがあったんですけど、その使い道が見当たらなくて忘れてたんです。そのリフを久しぶりに弾いてみたら、パン!と見えるものがあって。あとはそのリフだけを使って、倍速のスネアの音を鳴らしてみたり、目を閉じて観えた景色をたどって、コンピューターで音を積み上げていったんです。やっぱりギターで作る曲は、どうしてもリズムを後から付けなきゃいけなかったりするので、曲調が変わることもあるんで。けど、今回は自分の欲しいイメージが明確にあったから、それを先に音として僕が作ってみて、それを弾いて曲にしていく、歌にしていく、歌詞にしていく。だから、ちょっと新しい印象になったし、それを気付かせてもらえたのも、エド・シーランとの出会いやONE OK ROCKとの共演もあったりで、音楽には10通りのやり方があれば10通りの曲ができるんだって分かったから。僕はまだキャリアがないところが強みでもあるから、今までとは全く違うものができるのも楽しかったですね」
 
――出会いによって自分の新しい引き出しに気付かされるのは嬉しいですね。
 
「今まではギター1本で曲を作ってきて、自分のイメージを人に伝える作業が後にあったんですけど、この曲はほとんどが僕のiPadで作った音を使ってるんですよね。僕の部屋にあるリトルマーチンっていうアコースティックギターに、iPad上でエフェクターをかけて歪ませた音をそのまま使ってて。最初は、スタジオに入って録り直そうと思ってたんですけど、僕の部屋で作った質感がやっぱりよかったっていう。しかも30~40分でバーッと書けた、まるで意図してなかった曲だったんで。そういうことも初めてでしたね」
 
――今回のアルバムの収録曲の中では、割と初期にできた曲になるんですか?
 


「いや、一番最後です。『What I'm Feeling』(M-1)と『Life Saver』が一番最近にできた曲ですね。フォーキーな感じとちょっとダンスチューンというかサウンド重視な感じが混在してるんですけど、そこは多分僕のこの1年間の出来事が反映されてますね。制作の最初の頃に作ってた曲はギターが大切な軸としてあったんですけど、そこからいろんな出来事があって、自分と曲が変わっていった、この1年間の動きがそのまんま入ってる。だからもし、アルバムを作るもっと前にエド・シーランと会ってたら、またガラッと変わってたかもしれないけど。自分でも“あれ? この曲とこの曲は同じ人が歌ってるんだ”って思うような曲が入ってたりするので、それもまた面白いなと。世界観が両極端のこの2曲が大好きだから、どんどん広げていきたいなぁなんて思ってます」
 
 
もう1回立ち上がってトライしていくこと
それが自分の音楽に対する姿勢そのものなんで
 
 
――歌詞を見てちょっと気になったのは、“涙”という言葉がよく出てくるなと。でも、ReNにとってのそれは割と前向きなデトックスというか、悲しみというよりは浄化されるような印象を受けます。
 
「僕は結構涙を流してる時期があったんで(笑)。モータースポーツをやってたときもいろんなことがあったし、割と考え過ぎちゃったりするタイプなんですけど、泣いたら楽になることがあって。歳を取っていくと涙を流すことから離れていくけど、僕が関わってきた人たちはどんな歳になっても喜怒哀楽が前に出る人たちが多くて。すごく人間らしいと思うし、自分はそこに音楽で訴えかけるというか、メロディがハマれば必ず受け取ってもらえるという願いを込めて。僕は涙をマイナスだとは思ってなくて、流すことによってむしろプラスになることもあると思ってるので」
 
――喜怒哀楽のそれぞれのチャンネルがピークに達したときに起きる現象な気がしますね。あと、収録曲の中でも『Tell Me Why』(M-5)は核となる曲だと。
 


「この曲は詞から先にできた曲で、僕的には伝えたいことが伝えられたんだけど、しっくりくるメロディラインが出てこなくて、ライブの直前にコード進行だけ決めて、1回思い切って歌ってみたんですよ。そこで歌えたのがこのメロディだったんです。自分の中でやっと形に収まったっていうのと、あとはライブで気に入ってくれる人が多かったのがすごく嬉しくて。半信半疑ではあったんですけど、歌ってるとそのときの感情が蘇ってくる。そういう意味でも、核になったかなぁって」
 
――あと、前作『Lights』(’16)収録の『生きる』は本当に出発点という感じがしますけど、『DREAM』(M-4)とか『PASSION』(M-9)は、そこからちょっと進んで振り返るというか、改めて強く決意するような曲ですよね。
 
「『PASSION』は今の僕が思うことを、『生きる』と同じようなメンタリティで書いてみたんですけど、今までに苦しいことも、“やっぱり俺ってダメなのかな?”って思ういこともいっぱいあったんだけど、最初の気持ちを信じて追いかけてきて。つまづいても立ち上がるその繰り返しが、夢を追いかけること、生きていくことなんだろうなって。もう1回立ち上がってトライしていくこと=『PASSION』だと思ったし、それが自分の音楽に対する姿勢そのものなんで。僕にとっては音楽だけど、聴く人にとってはいろんな目標があるだろうし、結局、情熱が人を動かすし、そこがなくなってしまったら人はダメになっちゃう。どんなに苦しいときも、心の中の炎は灯しておかなきゃいけないっていう想いを、歌に残していきたいですね。あとは、そのときに悩んでた自分をぶっ壊したかったのもあります。“もう捨てちまえよ、そんな自分”って自分に言いたくて書いたという。弱いんですよね。自信をなくしやすいんで、だからこそ走り続けないと不安になっちゃうというか」
 
 
“俺、自分で作れるんじゃねぇか?”って思って(笑)
 
 
――ちなみに、今って弾き語りのライブでルーパー(=ループステーション)を使うシンガーソングライターが結構増えてきてますけど、ReNくんの機材は何と自作なんですね。
 
「元々は既製品をずーっと使ってたんですけど、自分が満足するまで音数を足していったときにノイズが乗ることが分かって、これってどうにかならないのかなぁっていうことで研究していくうちに、“俺、自分で作れるんじゃねぇか?”って思って(笑)。そこから自分でイギリスの2ちゃんねるとかを見たりして、“今こういう機材を作ろうと思ってるんだけど、誰かアイディアを貸してくれる人いない?”みたいなことを問いかけたら、“今こういうプロトタイプの基盤を作ってるんだけど、これって君の欲しいものに近い?”みたいに連絡をくれた人がいて。その人もエドっていう名前でこれもまた偶然なんですけど(笑)、プログラミングのデータだけを作ってくれて、そのチップを売ってくれたんですよ。後は、秋葉原に行って抵抗を買ってきて、そのチップをはんだごてでつなげて、配線のワイヤーがイギリスと日本だと電圧が違うから…とかいろいろやりながら作った機材なんですけど。スカイプをつなぎながらテレビ電話して、“そこは切るな!”みたいな感じで(笑)」
 
――時限爆弾(笑)。でもすごいね。そもそもそんなことができたの?
 
「僕は16で高校も辞めてるし、全く理数系でもないんですけど、本当に好きだったらできるんだなって(笑)。それもちょっと自信になってます。ペダルを作るときも、アルミを東急ハンズに買いに行ったら、穴は開けられるけど曲げられないって言われて。じゃあ板金屋さんだったらやってくれるんじゃないかと思って買ったアルミと自分で作った型紙を持って行ったら、“ロット100からでいいですか?”って言われて(笑)」
 
――アハハハハ!(笑)
 
「そうなるか! 工務店だもんなって(笑)。だから“僕はこういう者で…”ってCDを持って行って、パフォーマンスしてる動画を見せたら、“ちょっと待っててください、社長を呼んできます”って言われて(笑)。“う~ん…こんなオーダー今までなかったからなぁ。でも、これがないと困るんでしょ?”って、結局作ってくれて…家から500mほどチャリで行った商店街にある工務店だったんですけど、そういう出会いも僕はすごく嬉しくて。レースをやってたときに自分で企画書を作ってプレゼンしてた時期もあったので、そういう感じのことを音楽でもやってみようと思ったら、意外と…みんな優しくて、今の環境ができました(笑)」
 
――何でもちゃんと自分でやろうとするところがすごいなぁ。ルーパーにこんなエピソードがあるとは(笑)。
 
「もうキーワードは“バカになる”しかない(笑)。そこで言われたのが、“君がビッグになったら、またうちで作ってね。今度はロットから”って(笑)。あったかい人たちが本当いっぱいいるなぁって。感謝ですね」
 
 
自分の1枚のCDから夢みたいなことが本当に起きたんだって
僕はみんなに音楽を通して伝えていきたい
 
 
――リリースツアーは結構な本数がありますけど、ライブは基本1人でやってるんですよね。
 
「はい。アコースティックギターとループステーションを使いながらやるんですけど、基本的にはこの音源を1人で再現する。そこにライブのテンションで新しいフレーズを入れたりして、その日にしか観られないライブにしたいっていう気持ちがあるんで、みんなにとっても新しい発見があると思うし。あとは、ワンマンツアーっていう形で全国を回らせてもらうのも初めてなんで、1人の時間をみんなと共有できる機会が本当にこんなたくさんあるのが嬉しいですし、僕は今まで以上にもっともっと全力で、気合も十分でやりたいと思ってます。その土地土地のお客さんの温度があって、やっぱり音楽は人間同士で作り上げてるものなんだって。それがこれまで全国を回って分かったことなんで。各地のライブハウスのあの空気感がまた超楽しいんですよ。だからすっごい楽しみです!」
 
――今年はライブへの向き合い方にも変化はありました?
 
「もう圧倒的に変わりました。ONE OK ROCKのツアーに2日間出させてもらって意識も変わったし、自分がどういうライブをやりたいのかも、ハッキリ見えましたね。実際に立ってみて思うことはいっぱいあって、一番はみんなから強烈なエネルギーが放出されてるっていうことで。自分の歌を聴いてもらいたいだけじゃダメで、みんなも放出したいものがあってライブに来てて、僕はそこに応えなきゃいけない。そのキャッチボールにはやっぱりエネルギーもすごく使うし、でもそれがうまくシンクロしたときは猛烈に気持ちいいんだなって。そういう意味で足りない部分もいっぱい分かったし、あとは、会場の大きさが違うと音ってこんなに変わるんだっていう物理的な問題とか。本当にいろんな意味で肝っ玉を座らせてもらえたライブだったし、もちろんすごく緊張したんだけど、そこに自分が立てた自信と、それがみんなに届いた実感が返ってきたライブだったから。それはすごい財産になりましたね」
 
――しかも、誰か大人が動いてくれたんじゃなくて、Taka(vo)さんがReNに気付いてピックしてくれたという。
 
「いや本当にそれがビックリで。だって中学生の頃から学校で流れてたバンドですからね。その人が僕の音楽を聴いてくれてたって、“これ夢かな?”って思った(笑)。本当に今でもTakaさんと会って話すんですけど、僕とTakaさんの間で起きたことって“ピュア”なんですよ。ONE OK ROCKがライブにゲストを呼ぶことは、何の政治でもない。自分たちがいいと思った音楽を、いいと思ってくれたお客さんの前で観せたい。音楽が好きなヤツらが集まって新しい音楽を作るっていうことは、海外では普通なんだよっていう話をされたときにすごくいいなと思って。実際、そこに集まった2日間で3万人のお客さんに僕の音楽が届いてすごく嬉しかったですし、さらに音楽ってすごいなって思わせてくれたんで。自分の1枚のCDから夢みたいなことが本当に起きたんだって、僕はみんなに音楽を通して伝えていきたいし。どれだけバカになって頑張れるかで結構いろいろ変わるんだよって、僕はちゃんと音楽で見せていきたい。そうなったときに自分があたふたしてるかしてないかで、全部決まるっていうことを」
 
――最後に現時点での目標というか、未来予想図みたいなものがあれば聞きたいなと。
 
「僕はもう純粋に音楽が大好きなんで、音楽の魅力を頑張って伝えていきたいのはもちろんだし、あとはやっぱり自分という人間から出てくる言葉を大切に届けていきたい。僕に力を与えてくれたような、ライブに行って何かを持って帰れるようなアーティストになりたいですね。“この人すごいなぁ”じゃなくて、“頑張ろう!”って。僕が観たエド・シーランのライブはそうだったし、コールドプレイもそうだった。結果的に自分の居場所をちょっと見付けられたような気分で今はすごく嬉しいし、この居場所をどんどんみんなと大きくしていって、元気を交換し合えるライブを目標に…その後、何年も持続する充電ができるようなライブをしたいですね」
 
 
Text by 奥“ボウイ”昌史



(2017年10月24日更新)


Check

Movie Comment

熱い想いを動画でも!
ReNからの動画コメントはコチラ

Release

音で、言葉で、その輝きを示した
フォーキーでエレクトロな2nd!

Album
『LIFE SAVER』
発売中 2500円
booost music
REN-1004

<収録曲>
01. What I'm Feeling
02. Life Saver
03. Umbrella
04. DREAM
05. Tell Me Why
06. Little Green Bird
07. Moonlight
08. Be My Girl
09. PASSION
10. Life Saver(acoustic ver.)

Profile

レン…’94年2月28日生まれ、東京出身。10代でイギリスに単身で渡り、UKミュージックに衝撃を受け、20歳の春から本格的な音楽活動を始める。ギター1本でステージに立ち、演奏しながらループステーションを使ってビートやコーラスなどを次々に加え、重ねていくスタイルを確立。’15年には関東圏を中心に1年間で102本のライブを行う『百戦蓮磨2015』を達成。また、『FUJI ROCK FESTIVAL’15』などにも出演を果たす。’16年6月には満を持して自身初のアルバム『Lights』をリリース。iTunesオルタナティブ部門で1位を獲得。12月に東京・渋谷eggmanにて行われたツアーファイナルのチケットは早々とソールドアウト、超満員の中、大成功を収めた。今年はSpace Shower TVの“New Force 2017”に選出され、今後の活動が期待される中、ONE OK ROCK『Ambitions Japan Tour』福岡公演へも参加。このライブでもギター1本とループステーションのみの1人でパフォーマンスを行い、大きな話題となる。6月28日には、2ndアルバム『LIFE SAVER』をリリースした。

ReN オフィシャルサイト
http://ren-net.com/

Live

目の前で音楽が作り上げられていく
初のワンマンツアーが開催中!

 
『ReN「LIFE SAVER」ONE MAN TOUR』

【神奈川公演】
▼9月29日(金)BAYSIS
【宮城公演】
▼10月21日(土)LIVE HOUSE enn 2nd
【愛媛公演】
▼10月23日(月)Double-u studio
【香川公演】
▼10月24日(火)TOONICE

Pick Up!!

【大阪公演】

Thank you, Sold Out!!
▼10月26日(木)19:00
梅田Zeela
オールスタンディング3000円
GREENS■06(6882)1224
※未就学児童は入場不可。

【鹿児島公演】
Thank you, Sold Out!!
▼11月6日(月)鹿児島SRホール
【福岡公演】
Thank you, Sold Out!!
▼11月7日(火)Fukuoka BEAT STATION
【愛知公演】
Thank you, Sold Out!!
▼11月11日(土)アポロベイス
【新潟公演】
Thank you, Sold Out!!
▼11月15日(水)新潟CLUB RIVERST
【岡山公演】
Thank you, Sold Out!!
▼11月21日(火)CRAZYMAMA 2nd Room
【山口公演】
Thank you, Sold Out!!
▼11月23日(木)周南LIVE rise
【広島公演】
Thank you, Sold Out!!
▼11月24日(金)HIROSHIMA BACK BEAT
【東京公演】
Thank you, Sold Out!!
▼12月15日(金)LIQUIDROOM


【愛知公演】
『年末調整GIG 2017』
一般発売11月11日(土)
Pコード348-319
▼12月22日(金)18:30
名古屋クラブクアトロ
スタンディング3500円
[出演]DATS/ReN/他
ジェイルハウス■052(936)6041/
VINTAGE ROCK■03(3770)6900

チケットの購入はコチラ!
チケット情報はこちら


Comment!!

ライター奥“ボウイ”昌史さんからの
オススメコメントはこちら!

「“つて”があるわけでもない、政治力でもない。ReNの波乱万丈の人生を形成しているのは、紛れもなく自分でピンポンする能力=行動力と意思。その上で、ギターをちゃんと突き詰めるまではバンドで簡単に気持ちよくなっちゃいけないとか、シンセパッドでリズムを多用するのもダメだとか、自分にちゃんと釘を刺していくストイックさというか、若いのにその辺の視野があるのはしっかりしてるなぁと。とは言え、『LIFE SAVER』には焦がれる歌が多いというか、気持ちを募らせるというか、本当に幸せな気持ちって『Be My Girl』(M-8)ぐらいで、何かを失ったり、何かが手に入らなかったり、みたいなことがやっぱり音楽になってる。あんまり幸せじゃない方が曲が書ける、“シンガーソングライターあるある”が発動してるところもニクめないなぁ(笑)。いや~熱いインタビューになりました。また1人、再会が楽しみなシンガーソングライターが増えましたよ」