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「原点回帰というより、新しいバンドを組み直したイメージ」
175R活動再開! 休止期間の真相にルーツに
7年ぶりのアルバム『GET UP YOUTH!』制作秘話まで
SHOGO(vo)が復活の大阪野音前に語るインタビュー&動画コメント

 ‘10年の突然の活動休止から6年を経て、昨年12月に行われたライブイベント『SKULLSHIT 20th ANNIVERSARY 骸骨祭り』にて劇的な復活を遂げた175R。4月5日には7年ぶりのアルバム『GET UP YOUTH!』をリリース。その帰還を祝福するようなバグパイプの音色から颯爽と幕を開ける今作は、リスタートの決意を込めた先行配信曲『これから』、メンバーを鼓舞する『Weakness』、HEY-SMITHのホーン隊が華やかに吹き鳴らす『ROMAN ROAD』、ライブでの熱いシンガロングが目に浮かぶ『Walk your way』etcと聴きどころ満載のナンバーが続き、メロコア的疾走感で爽快に煽っていく。他にも、活動再開のきっかけにもなったという今は亡き恩人への感謝を昇華した『シャナナ』、SHOGO(vo)のルーツとなる大事な1曲でもある槇原敬之のカバー『遠く遠く』(‘92)など、原点回帰なシンプルさに深みと説得力を増した全13曲が収録されている。休止中は「自分から何かメッセージを発したい気持ちにはならなかった」と語るほど憔悴し切った精神状態から、再びポジティブでストレートな言葉を迷いなく発するまで、7年ものインターバルが必要だった理由とは? 大阪城音楽堂での単独ライブ『活動祭開!青き春の野音!』を前に、活動休止当時の心境から舞台やソロ活動を行うようになった経緯も含めて、じっくりとSHOGOが語ってくれた。

 
 
あのまま続けて解散してしまうのだけはイヤだった
でも、活動休止が1~2年じゃ“休止サギ”な気がして(笑)
 
 
――’10年に活動休止してから、SHOGOさんは舞台に出たりソロ作品をリリースしたりとしていたので、そのままソロ活動に専念すると思っていた人も多いのでは?
 
「“175Rを再開すると思わなかった”って言う人もいましたけど、自分の中では175Rをまた動かす気持ちはずっとあったんです。メンバーには“少なくとも5年は動かないから”と伝えていたんですけど、休止中にそれぞれの音楽活動を頑張ってもらいたかったんですよね」
 
――でも、5年って結構長いですよね。
 
「まぁ、ちょっと長かったかな…でも、活動休止が1~2年じゃ“休止サギ”な気がして(笑)」
 
(一同爆笑)
 
「活動休止と言うからには5年は休まないと、例え再開しても何も新しいことができない気がしたし。僕はまず1年は海外に住むと決めていたし、結果的に6年休んだんですけど、体感としては2年ぐらいな感覚であっという間で」
 
――休止してすぐにイギリスに留学されたのはなぜですか?
 
「東京にいたらきっといろんなお誘いもあるだろうし、音楽から離れられないなと思ったので。自分の精神をフラットな状態にするために、まずは日本から離れようと決めたんです。一応、アコギだけは持って行ったんですけどね。イギリスには友達がいたので、何度か遊びに行ったりはしていたんですよ」
 
――そこで新たに刺激を受けるようなことは?
 
「そういうことはあんまりなかったですね。ただ、僕がロンドンにいたときに、日本のアーティストが結構来まして。日本ではライブを観たことがないのに、(マキシマム ザ )ホルモンとか、ギターウルフ、DIR EN GREY、X-JAPANも観に行きましたね。海外のアーティストもたくさん観に行きましたけど、日本にいるより日本のアーティストを観ました。自分でも意外だったんですけど」
 
――やはり音楽から完全に離れることはできなかったんですね。
 
「でも、すぐにバンドがやりたいとか、歌を歌いたいっていう気分にはならなかったですね。僕は昔からカラオケが好きで、それである程度発散できるんですよ。ただ、何かメッセージを発したいっていう気持ちにはならなかったんです。音楽って自分の中で唯一誰かに言われたわけじゃなく始めたものだから、嫌いになりたくなかったのがすごく大きくて。あのまま日本でバンドを続けていたら、音楽が嫌いになるんじゃないかっていう想いも強かったし…それぐらい思い悩んでたんだなって、今になって思いますね」
 
――それが’10年の休止時の心境だったと。
 
「やっぱり自分が好きでやってる音楽だから、歌いたくないときは休むべきだと思うんです。でも、現実的にはレコード会社との契約があったり、休むと人気が落ちていくんじゃないかっていう不安があったりして、簡単には歩みを止められないわけで。けど、そうまでして絞り出すメッセージっていったい何なんだろう?って、どんどん疑問に思っちゃって…。“歌いたい”から歌っていたのに、もしかして“歌わされて”いたり、“歌わなきゃいけない”状況になっていたりしたのかなって。それは自分らしくない生き方だなと思ったんです。だから、あの頃の175Rにとっては止まることがそれほど恐怖じゃないというか…逆に止まらないことの方が恐怖。あのまま続けて解散してしまうのだけはイヤだったんです」
 
――それで、解散ではなく休止にしたんですね。
 
「僕は解散は考えていないんですよ。もし解散したとしたら、自分がソロで175Rの曲を歌っているのが見え見えだなと。それでお客さんが喜んでくれても、何かダサいなって。やっぱり、このメンバーのグルーヴがあっての175Rなんで。ソロで175Rの曲を歌うのは違うんですよね」
 
――ちなみに活動休止を切り出したとき、メンバーはどんな反応だったんですか?
 
「“もうちょっと考えないか”と言うメンバーもいたんですけど、ここはリーダーとしてワガママを通すべきだと思って。10代の後半からずっと走り続けてきたけど、一度個人としての人生を優先すべきときなのかなと思ったんです。‘10年の9月に休止を発表したんですけど、元々はそのタイミングでHPのリニューアルがあったので、ちょうどBEAT CRUSADERSが解散したタイミングだったし、“ビークルなき後、お面バンドは175Rが受け継ぎますよ”っていう、すっげーフザけた写真をアップする予定だったんです(笑)。結果、それとタイミングが重なったんでフザけた格好で休止を発表して…(笑)」
 
――そんなに暗いイメージでの休止ではなかったんですね?
 
「そうですそうです! あくまでも前向きな活動休止なので。ただ、ファンのみんなはすげー悲しんだと思うんですけど。ただ、自分たちの気持ちに嘘をついて続けるのはイヤだったんで。正直に生きた結果ですね」
 
 
1つ1つの点がどんどん意味のあるものに変わっていった
 
 
――活動休止中、SHOGOさんがソロ作品をリリースした経緯は?
 
「イギリスから帰ってきて、たまたま誘われた舞台にハマッちゃったんです。でも、音楽を辞めて役者さんになるのはマズいなと。その舞台を観に来たファンの人たちからも、“音楽はやらないんですか?”って聞かれるんですよ。メンバーがCDをリリースするような表立った活動があまりにもなかったし、自分としてはちゃんと音楽をやっていくことをみんなにアピールしたかったので、ソロをやることにしたんです」
 
――ソロ作品はスタイリッシュな大人のイメージで、175Rとは違うスタイルでしたね。
 
「どうせやるなら175Rとは真逆の、僕のルーツである尾崎(豊)さんや安全地帯のようなことがやりたいなって、“目標はブルーノートだ!”って始めたんです。実際に玉置浩二さんと共作してシングルを出したり、175Rでは共演したことがなかった人と絡めたのですごく新鮮でしたね。ショッピングモールツアーで1日2回ライブをして、その間にサイン会をしてみたり。そういうことはバンドでやるのは厳しいけど、SHOGOのソロだからこそできるし、ファンに喜んでもらえるならやりたいなと。でも、その1つ1つの点がどんどん意味のあるものに変わっていったんですよね」
 
――そういう体験を通して実感したことは?
 
「例えば、地方のサイン会に泣きながら来てくれるファンの人が結構いて。175Rをテレビでしか見たことがなかったり、ライブ会場に行けなかったりした人たちが、“初めて生で歌が聴けました”とか、“この距離で聴けることがすごく嬉しい!”って言ってくれたんです。子供のときに175Rを聴いていた人たちも結構いい大人になっていて、デビューから時間が経っているんだなって感じましたね」
 
 
メロディアスであっという間に聴き終わるようなアルバムが作りたい
 
 
――昨年12月に活動再開したときはどうでしたか?
 
「お客さんはもちろん、第一線で活躍する若いバンドマンから“コピーしてました”とか、“初めてチケット買って観に行ったのは175Rでした”とか、“175Rがきっかけでバンドを組みました”とか言われたんですよ。それでシーンの世代が変わったのを感じると同時に、それぐらい僕らがキャリアを重ねてきたんだなって驚きましたね。ソロは本当に楽しかったし、自分の好きなものを好きな人たちと作れたので、活動再開に踏み切れたと思うんですよね。舞台は舞台で演出家にプロデュースしてもらう側になって、1つの歯車として自分から何かを提示する面白さがあり、175Rではセンターに立って、全部自分で作詞作曲する。そのプレッシャーとかストレスを発散するために、ソロや舞台でバランスを取ってるんだと思います。175Rだけに専念したら、上手くいかなくなると思うんですよね」
 
――そもそも活動再開した直接的なきっかけは何だったんですか?
 
「それは『骸骨祭り』ですね。’12~’13年頃に主催者から、“20周年をバンドで祝ってくれ”っていうオファーがあったんです。それで復活のライブが決まって、それに向けてリハーサルをやりだすと新曲もやりたくなって、アルバムができるっていう、すごくいい流れだったなと思います」
 
――それが7年ぶりのアルバム『GET UP YOUTH!』につながっていったんですね。新作は原点回帰というか、前のめりで疾走するような勢いがみなぎっていますが、作り始めるときはどういう意識だったんですか?
 
「メロディアスであっという間に聴き終わるようなアルバムが作りたいなと思っていましたね。休止前からメロコアとかパンクを避けていた自分もいたんですけど、休止中にソロで歌モノのアウトプットができたので、その反動もあって。僕の中では原点回帰というより、もう一度新しいバンドを組み直したようなイメージなんです。活動を再開するにあたって、メンバー1人1人と“辞めたかったらいつでも辞めていい”とシビアな打ち合わせもした上で、“またみんなでやる!”という答えが出て動き出したので。そういう意味で、今回のアルバムは1stアルバムっぽいんですよ」
 
――今作には槇原敬之さんの『遠く遠く』(‘92)のカバーも入っていますね。
 
「メジャーデビューアルバム『Songs』(‘03)でもカバーを1曲やっていて(※堺正章の『さらば恋人』(‘71))、今回は1stアルバムのイメージで作っているんで、急遽カバーを入れたんです。昔、ハイスタ(=Hi-STANDARD)のアルバムにもよくカバーが入っていたし、そもそも最初は13曲じゃなくて、どんどん増やしていったんで。実際、もっといっぱい録っているんですよ。何曲か余分に録って、その中からアルバムに入れる曲を選びたかったから。やっぱりこの春にリリースするにあたって、絶対に『遠く遠く』は必要だと思ったし、それぐらい思い入れが強い曲なんです」
 
――『遠く遠く』の歌詞はSHOGOさんが地元の北九州から上京したときの心境と重なるものもあったんですか?
 
「これは槇原敬之さんのアルバム『君は僕の宝物』(‘92)に入っている曲で、当時からよく聴いていたんですよ。この曲で歌われている物語って、“同窓会の案内が来て、すごく行きたいけど欠席に丸を付けた。みんなの顔を見たいけど、僕は遠く離れた場所で夢を叶えて、みんなに頑張っている姿を伝えていくから”っていう内容なんです。それを聴きながら12歳の僕は、絶対にこういう曲を歌う歌手になりたいと思った。それからずっとカラオケで歌ってきたんです。1stアルバムのイメージで作った今回のアルバムだからこそ、『遠く遠く』もカバーするべきだと思ったし。オープニングがバグパイプの音で始まるところもそういうところですね。何か7枚目っていう感じがしないんですよね」
 
――だからすごくフレッシュな勢いに満ちたアルバムになったんですね。あと、収録曲の中には、自分のルーツを歌う『1999』(M-9)みたいな曲も入っていて。
 
「『1999』で歌っているようなことも、このタイミングだからこそですね。『1999』はHEY-SMITHのホーンセクションが参加してくれているんですけど、かなす(tb)はHEY-SMITHに加入する前に僕がソロでバンドを組んでいたときのメンバーなんです。だから、僕が今までたどってきた点と点が全てつながっていくような不思議な感じですね」
 
――『新世界』(M-13)に“永遠なんてないから”という言葉がありますが、そういうことも今だからこそ歌える?
 
「今までの人生で悟ってきたというか、『Songs』を出したあの頃には書けなかったことなのかなって。やっぱり経験ですよね。それは絶対にあると思う。僕らが10代でハイスタに憧れて作ったアルバムと、今30代中盤で作るアルバムは違うと思うし、子供について触れている歌詞が書けるのも、今だからこそ意味があるんだと思います」
 
――そうやって聴いていると、疾走感ある楽曲が多い中にも細部にいろんな聴きどころが詰まっている13曲ですね。
 
「活動再開を楽しみに待っていてくれた人には、“これでしょ!”って喜んでもらえる自信作ができました。でも、このアルバムをきっかけに175Rを初めて聴く若いリスナーの反応もすごく楽しみなんですよ。その子たちにとっては本当の意味で1stアルバムなので。初回限定盤は『175R(e) BEST』(新録音源のベスト盤)がついていて、正直、オリジナルよりも自信のある、活動再開のタイミングで新たに録った『ハッピーライフ』(‘03)や『空に唄えば』(‘03)が入っています。元々僕は再録が好きじゃなくて、オリジナル音源が絶対にいいと思っていたんですけど、違いましたね。やっぱり歌い慣れているし、20代前半の頃の歌詞を今の自分が歌うと説得力も違う。『175R(e) BEST』も本当にたくさんの人に聴いてもらいたいので、ぜひ初回限定盤をゲットしてもらいたいですね。自分のメジャーデビュー時を思い返すと、みんながロックバンドを聴くきっかけだったり、ライブハウスに行くきっかけになっていて。そういう入口的な役割だったのかなって思うんですよ。175Rの曲はキャッチーで歌詞も覚えやすいと思うんで、改めて今回のアルバムが、ロックの入口やライブハウスに行くきっかけになれたら、すごく幸せだなと思っています」
 
 
こんなにモッシュ&ダイブがやりたくなる
アルバムができちゃってどうしよう?(笑)
 
 
――確かにバンドシーンは今、再び活性化してきてるし、メロコアをルーツとする175Rのようなバンドが新鮮に聴こえるような時代が巡ってきているように思います。そして、この新作リリース後には、東京と大阪の野音で開催されるライブがありますね。野音はSHOGOさんにとってどういう舞台ですか?
 
「やっぱり175Rにピッタリな場所ですよね。日比谷野音の独特の雰囲気も好きだし、お祭り感があって、休止前から毎年やっていたんですよ。そういう野音ならではの空気感を楽しんでもらえるといいなと思ってます。こんなにモッシュ&ダイブがやりたくなるアルバムができちゃってどうしよう?って心の中では思ってますけど、それはまたライブハウスでやるときのお楽しみにしてもらって(笑)」
 
――大阪城音楽堂に関してはどうですか?
 
「実は初めてなんです! だから、すごく楽しみで。あと、ワンマンはこの東阪の野音の2本以降、まだ決まっていないんで、もしかしたら今年はこれで見納めになるかも…(笑)」
 
――えっ!?  そうは言っても、来年は175R結成20周年ですよね。
 
「そうです! 僕らが休んでいる間に、大好きだったSHIBUYA-AXとか、渋谷公会堂もなくなっていて(現在改装中)、いろんなことがこの6年で変わったんだなって。だからこそ、ここからまた175R旋風を巻き起こしていきたいなと思うんですけど、そうは言いながらマイペースにやっていくという(笑)。今後もいつどうなるか分からないですけど、正直に生きている感じが僕ららしくていいなって思っていますけどね」
 
 
Text by エイミー野中
 




(2017年4月14日更新)


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Movie Comment

復活と初の大阪野音をうまいこと
語る(笑)SHOGOの動画コメント!

Release

初回盤はベスト付き! 往年のファンも
初見のキッズも魅了する大充実作

Album
『GET UP YOUTH!』
【初回限定盤2CD】
発売中 3500円(税別)
ユニバーサル
UPCH-29246~7

【通常盤】
発売中 2500円(税別)
UPCH-20444

<DISC1収録曲>
01. 歓びの詩
02. これから
03. Weakness
04. ROMAN ROAD
05. トカイノネオン
06. シャナナ
07. Walk your way
08. 君にまで
09. 1999
10. 4seasons
11. 遠く遠く
12. Restarted
13. 新世界

<DISC2収録曲>
『175R(e) BEST』
01. ハッピーライフ
02. 空に唄えば
03. YOUR SONG
04. 僕の声
05. 「手紙」
06. SAKURA

Profile

イナゴライダー…写真左より、KAZYA(g)、SHOGO(vo)、YOSHIAKI(ds)、ISAKICK(b)。’98年、北九州にてSHOGOのわがままにより結成。 国内外問わず数々の大物バンドのツアーサポートや自主企画のイベント等を行い、’01年に初のCDをリリースしインディーズチャート1位を記録。続いてリリースされた1stアルバムがオリコンチャート6位(インディーズチャート1位)を記録し、早くも頭角を表し始める。 ‘03年、シングル『ハッピーライフ』でメジャーデビュー。同年4月にリリースしたシングル『空に唄えば』ともにオリコン初登場1位という日本のロックバンド初となる快挙を成し遂げ、デビュー直後に行われた渋谷・代々木公園のフリーライブには25000人の観客が集まり話題に。同年の大晦日には『NHK紅白歌合戦』に出場。翌’04年には初の日本武道館公演も行った。’07年に10周年目突入を記念し初のベストアルバム『サンキュー・フォー・ザ・ミュージック』をリリースし、初の全都道府県ツアーを敢行。同年には初の海外公演(韓国)も開催。’10年2月には、バンド史上最長・最大曲数を収録したフルアルバム『JAPON』をリリース、同年9月に年内のライブ活動をもって無期限の活動休止を発表。’11年より活動休止。’16年12月、6年間の活動休止から活動再開。’17年4月5日には7年ぶりのオリジナルアルバム『GET UP YOUTH!』をリリースし、4月8日に東京・日比谷野外大音楽堂、15日には大阪城野外音楽堂にて『活動祭開!青き春の野音!』と題した6年ぶりのワンマンライブを開催。数々のツアーや夏フェス、イベント出演など、ライブバンドしての評価も高い4人組ロックバンド。

175R オフィシャルサイト
http://www.175r.com/

Live

東京・大阪のみの貴重な復活ワンマン
初の大阪城音楽堂公演が間もなく!

 
『活動祭開!青き春の野音!』

【東京公演】
チケット発売中 Pコード317-858
▼7月9日(日)17:30
日比谷野外大音楽堂
指定席3900円
ディスクガレージ■050(5533)0888
※6歳以上はチケット必要。6歳未満は保護者同伴に限り入場可。雨天決行。

Pick Up!!

【大阪公演】

チケット発売中 Pコード330-903
※販売期間中は店頭、インターネットでの直接販売のみ。
▼4月15日(土)17:00
大阪城音楽堂
指定席(当日引換券)3900円
キョードーインフォメーション■0570(200)888
※雨天決行、荒天中止。6歳以上は有料。6歳未満は保護者同伴に限り入場可。※公演当日、開場時間より当日券売り場にて座席指定券と引換え致します。お席は連番でご用意可能です。お渡しするお席は先着順ではございません。予めご了承ください。

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ライター・エイミー野中さんからの
オススメコメントはこちら!

「インタビューの準備をしながら、初期からの代表曲『ハッピーライフ』や『空に唄えば』のよさを再確認させられました。特に『ハッピーライフ』にはSHOGOの人生哲学が刻まれているようにも感じられてハッとします。“自分の人生、これでよかったのかな?”と不安になったとき、複雑になった頭の中をスッキリさせてくれるような、シンプルで大切なこと。時代が変わってもスタンダードとして残っていく楽曲の底力がそこにあり、突き抜けていくボーカルの爽快感とバンドの疾走感に背中を押されます。今回のニューアルバム『GET UP YOUTH!』もまさにそうで、ここからスタート、もしくはリスタートする季節にふさわしい内容です!」