インタビュー&レポート

ホーム > インタビュー&レポート > 「やるしかないんですよ。振り向かないって決めたんで」 メンバー脱退の最大の危機を乗り越えたFBYの新しい方程式 『FUN BOY'S YELL』と激動の1年をTGMX(vo&syn)が語る FRONTIER BACKYARDインタビュー&動画コメント


「やるしかないんですよ。振り向かないって決めたんで」
メンバー脱退の最大の危機を乗り越えたFBYの新しい方程式
『FUN BOY'S YELL』と激動の1年をTGMX(vo&syn)が語る
FRONTIER BACKYARDインタビュー&動画コメント

 バンドマンとして幾多のキャリアを重ね、たどりついたバンドは結成10年をゆうに越え、なんて不惑の音楽人生となると、良くも悪くもハプニングなんかはなかなか起こらない。ましてやライブや音源で何度もケミストリーを感じさせてきた歴戦の男たちなら、なおさらだ。が、しかし。思わず耳を疑う報が届いたのは今春、FRONTIER BACKYARDの一角を成すメンバーKENZI MASUBUCHI(g)の衝撃の脱退。予想だにしなかったこの急展開は、リスナーやオーディエンスのみならず、そのバンドをともに長年形成してきたTGMX aka SYUTA-LOW TAGAMI(vo&key)、福田“TDC”忠章(ds)にもズシリとのしかかる…。以下のインタビューを読んでもらえればお分かりの通り、バンドの存続のみならず人生の岐路に否が応にも立たされたFBYだったが、ここで彼らが出した回答は、その歴史に幕を下ろすでも、立ち止まるでもなく、『FUN BOY'S YELL』という何ともまばゆい新作! ギターレスかつホーンとシンセを大胆に駆使した生命力と予感に満ちたまさかの一手で、第二章の始まりを高らかに告げている。この急転直下の1年とFBYにいったい何が起こったのか? 1つ1つ言葉を選んで想いを切々と語るTGMXの姿に、このバンドが確かに刻んできた足跡と、これからの未来を見た――。

 
 
最悪バンドを休止してもいいと思ってたんですけど
まさか辞めるとは思わなかった
 
 
――今年の田上=TGMXさんは何やかんや忙しかったですよね。まぁインフルから始まった1年でしたけど(笑)。
 
「ホントそうなんですよ。しかも大阪だそれ(笑)。インフルエンザ始まりでね」
 
――メンバーの脱退劇もありつつ、Benthamのプロデュースもありつつ、カバーアルバム『音楽関係2』も作りつつ、SCAFULL KINGのライブもあってと怒涛の’16年でしたけど、新作の話を聞くにあたって聞かざるを得ないのは、やっぱりKENZI MASUBUCHI(g)さんの脱退についてで。ちょっとビックリというか。
 
「今思えば、人が真剣にやってることだから、本気で作ってるから、“やっぱりここは譲れない”っていう考え方のちょっとした差異があって…何かそこかなっていう気はしますけどね。そのバランスが崩れちゃうと、やっぱり上手くできないんだなって」
 
――バンドを続けている中で、FRONTIER BACKYARDにもこういうことが起こる予感がずっとあったんですか?
 
「いや、ないですね。でもまぁどっちかって言うと、バンドが続く方が奇跡だと思ってるんで。やっぱりバンドマンって基本“濃い”じゃないですか。そういう濃いメンバーが意見を合わせつつ、帳尻を合わせつつ、共存してバンドを作っていけるのはむしろ奇跡だし、よく続いてきたなぁと思った。残ったドラマーの(福田“TDC”)忠章くんとも、まぁよく続いたなぁと。エゴをぶつけ合い、譲りつつ…もう本当にそれの連続ですよね。でも、僕らも辞めてしまったKENZIも、真面目に考えた結果なんで」
 
――それってKENZIさんの方から切り出されたんですか?
 
「そうですね。最悪バンドを休止してもいいと思ってたんですけど、まさか辞めるとは思わなかったんで。バンドとしては歩幅を合わせていきたかったんですけど、もう“辞める”となっちゃったら…それこそ大人だから、ちゃんと考えて、相当悩んで“辞める”と言ったと思うので。だから引き止めもせず、もうそれはしょうがないんだなっていう話で。だって僕らも、残ったメンバーで続けるかどうかっていう、また別の問題が勃発しちゃったわけじゃないですか。そのときは本当に…今年の頭はしんどかったですね。ぶっちゃけ、実家に帰っちゃおうとまで言ってましたから。地元に帰って何か仕事をしつつ、ミュージシャンを続ければいいんじゃない?みたいな。もちろん大切なメンバーだったし、残った2人だけでそもそもやっていけるのか?って」
 
――ここまでキャリアを積んできたバンドが、こんなに翻弄されることになるとは。
 
「でも、いつでも起こり得ることじゃないですか? 例えば、会社が倒産しちゃうのとかもそうだし」
 
――でも、やっぱり田上さんも喰らったわけですよね?
 
「そうですね。もしかすると僕がバンドを辞めて、他のメンバーが残る可能性だってなくはなかったと思うので。だから結構…いや、かなり喰らいましたね。僕もいろいろバンドをやってきましたけど、メンバーが抜ける経験はほぼないんで。どういう風に対処したらいいのか…まずどうやってファンの皆に言う? そもそも言う必要があるのか? でも、応援してくれてる人たちにも悪いよなっていうところから始まって…いやぁ~そういう意味では、とても難しかったですね。メンバーが抜けるって、いろいろ大変なんだなって」
 
――それにより、メンバーが抜けても続くバンドのすごさも感じつつ。
 
「そうそう。あと、社会的責任をすごく感じました。僕らのバンドが止まっちゃうと悲しむ人が多少でもいるんだと思ったら、“あぁ、社会性を帯びてるんだな、バンドも”って」
 
――ただ、脱退の発表がされたときは相当驚きましたけど、この早さで新譜が出たことも驚きです。
 
「もうダメかもと思ってた時期から、残ったメンバーともレーベルともたくさん話しましたし、あとはサポートメンバーの松田“chabe”岳二くんとかKONCOSのTA-1だったりと話せたのはデカかったですね。“やるならまた全面的にサポートさせてください!”って言ってくれたんで。だから、僕たちはたまたまバンドを続けられたけど、“続かせてもらったんだな”っていう気がしますね。だからこそ、やるって決めたからには、やるしかないんですよ。振り向かないって決めたんで。本当に今でも結構、今年の頭ぐらいのことを急に夢を見たりもしちゃうんですけど…振り向いてもしょうがないなって。もう起きちゃったことだし」
 
――よく一念発起じゃないですけど、やるぞ!となりましたね。
 
「そこは本当に思ったんですけど、やっぱり“音楽が好き”だったんですよ。曲を作りたいなとか、皆さんの前で歌いたいなとか、単純にそれだけですね。あの頃は、やっぱり友達のライブを観に行っても、つまんないんですよ。バンドが止まってたから、“今度一緒にやろうよ”もクソもないから(苦笑)。ライブはソロで弾き語りばっかりだし、例えばそれでバンドさんと一緒にやるときとかでも、“いいな…バンドって”って(笑)。ちょっと前までバンドマンだったくせにね。1人になるとすんげぇ寂しいんだなって」
 
――『fifth』('13)のインタビューのときも話を聞いていて思ったのが、プロデュースもソロもといろいろとやっている中で、田上さんがめちゃくちゃバンドマンであることに執着していたことが、すごく嬉しかったいうか。
 
「あぁ~そうですね。話しててまた今もそう思いました。“自分はバンドマンなんだな”っていうのを。やっぱり“バンドがしたい”ってすぐに思ったんで。そこだけですね、原動力は。また目立ちたいなって思ったんでしょうね(笑)」
 
 
やっぱりまだバンドがしたいと思うということは、相当頭がおかしいなと(笑)
 
 
――そして、田上さんのTwitterをたどると4月24日、28日に“FUN BOY’S YELL!! !! !!!”と唐突に呟かれています。
 
「何か恥ずかしいですね(笑)。chabeくんは近い立ち位置にいてくれた人なんで、彼から“新しいメンバーを入れようが、どんな曲をやろうが、ファンとか世間に見せるスタイルとして、とにかく早くライブをした方がいい”って言われて。何回も話して、結局chabeくんがやってるLEARNERSのイベントにシークレットで出たんですけど、新しいライブメンバーとのリハが終わった後に“これはイケる!”と思ったんですよ。そのメンバーがホーン隊だったりSAWAGIのKOICHI(key)くんとかで、要は竿がいない状況で。しかもシークレットで出たときのバンド名“FUN BOY’S YELL”は、“FBY”=FRONTIER BACKYARDをもじってて、chabeくんが匂わせてくれたんですよね。やったのは4曲とかでしたけど、お客さんは結構ビックリしてましたね。ちょっと前に脱退の発表があったばかりなのにすぐにライブしたから。だから、僕も何かヘンな気持ちだった。“何だ? このバンド!?”って(笑)。何か変わった音楽ができそうだなぁって、そのときはちょっと嬉しかったですね」
 
――そこで確信を持って、じゃあもう盤も作るぞと動いたんですね。
 
「そうですね。そのときのライブで確信して。よく“これからはギターは誰が弾くんですか?”って聞かれるんですけど、例えばKENZIと同じようにコーラスができてギターが弾ける人を入れるより、もう一歩変わったことしたいと思ったんですよ。ピンチだからこそバンドとしてクリエイティブなことができると思ったんで。そこからホーンを入れる発想になったんですよね。あとはコードを司る鍵盤がもう1人必要かなと。そこからギターが入ってない音楽をひたすら探して聴くっていう(笑)。どうやったらギターがなくてもアッパーに感じさせられるのかなって」
 
――FRONTIER BACKYARDの新譜ではありますけど、作り方は全く今まで通りじゃないですね。
 


「そうそう。続きのようで、続きじゃないような、新しいバンドを作った感覚に近いですね。『always remember』(M-1)はちょっとジャズっぽい感じではあるんですけど、ただジャズをやりたいわけじゃないんで、そういう意味では変わった音楽ができそうだなと感じた1曲ですね。『UNKNOWN』(M-2)『excuse to』(M-3)は今までFRONTIER BACKYARDがやってきたようなラインだったんで、ギターがなくてもそれが再現できるかもって思えた曲。このあたりで“もしかしたら盤にできるかも…!?”って」
 
――『Journey of music』(M-4)なんかはめちゃくちゃキャッチーに耳に飛び込んでくるし、最後の『shout out good-bye』(M-6)のリズムのアプローチもすごく新鮮でしたね。
 
「今まであえてやってこなかったラインも、もうやってもいいかなぁと思って。例えば、今まではジャズとかモータウン、ソウルだったり、いわゆる古典的なことはなるだけ避けてきたんですよ。それはジャズバンドでもソウルバンドでもそうですけど、ちゃんとやってるヤツらに勝てるわけがないと思ってたんで」
 
――FRONTIER BACKYARDは音楽的には雑食性が高い方だと思いますけど、以前もそれぞれの畑の本筋でやってる人たちへの、“後ろめたさ”みたいなものは感じてましたもんね。
 
「あぁ~そうです! だからどっちかしかないと思うんですよ。掘り下げてる人たちはその道に自信を持ってるし、僕たちは逆にそれを掘り下げないところに重きを置いてやってきたので(笑)。ルーツを追う音楽と追わない音楽があって、僕らはどっちかって言うと追わないようにしてきたバンドなので。好きな音楽ではあるんですけどね」
 
――しかしこの盤は、ものすごく生命力に溢れてますね。
 
「ありがとうございます。“バンドをまたやるよ”っていう、ちょっとした意思表明にもなったというか。そういう意味でも、“愉快な男たちの叫び”じゃないけど(笑)、歳こそ取ってきたけど、やっぱりまだバンドがしたいと思うということは、相当頭がおかしいなと(笑)。もう本当に実家に帰りそびれてるもん(笑)」
 
――アハハ!(笑) 世間一般の40代の会話で、“俺、バンドがしたいんだよ”なんてなかなか言わないですよ(笑)。
 
「忠章くんなんて、“じゃあもうフロンティアは終わりにした方がいいんじゃない? 新しいバンドやろうよ田上”みたいなことまで言ってたんですよ? 何でそんな高校生みたいなこと言うんだ!って(笑)。でも、“あ、そうなんだ…っていうか、辞めることなくない? かえって説明しにくいだろ!”って(笑)。まぁ同級生なんでね。KENZIも含めて高校がらみの先輩後輩だったりするし、もう運命共同体以外の何物でもない(笑)」
 
 
僕らの新しい方程式を作っていく
 
 
――レコーディングで何か苦労した点、逆によかった点はあります?
 
「やっぱり歪んだギターをジャラ~ン!って弾いたら簡単に説得させられるのに、それがないのは結構大変だなと思いました。ヘンな言い方ですけど、鍵盤だと泥臭さを出すのが意外に難しくて、いちいちオシャレになっちゃうんですよ。ここにきてロックにおけるギターの重要性を感じましたね(笑)。あとは、TA-1のシンセベースと、chabeくんが弾くシンセと、KOICHIのそれとで、今ではシンセが3つあって。要は高いか低いかすごく低いかなんですけど、ギターがないからその1つ1つと歌がクリアに聴こえるんですよね」
 
――それがこの盤が持っているある種の華やかさの理由の1つかもしれないですね。
 
「あ~かもしれない! あとは、シンセ3台にホーンがいるバンドってあんまりいないというか、聞いたことないんで。ただ、“キーボードさーん!”って呼ばれても3人いるし、“どれですか?”っていう(笑)。そういうのもいちいち大変ですけどおもしろいですね。ギターが欲しくなったら入れたらいいだけだから、深くは考えてないんですけど」
 
――いや~しかし驚きました。この最大のピンチに上がってきた音の“へこたれなさ”に。
 
「“バンドがやりたい”って改めて強く思えたから、何かやっと新しい船ができたみたいな。ここからまた海に出るためのね。この編成はちょっとおもしろそうだぞと思ってるんで、しばらくは突き詰めていきたいなと。サウンドがめちゃくちゃ激しいわけじゃないけど、今まで通りパンクバンドとかとも一緒にやりたいし、マインド的には変わってない感じですね。うん、本当に全く変わってない」
 
――冒頭でも話しましたけど、今年は田上さんはプロデュースワークも『音楽関係2』もありましたけど、それとの並行の作業ってどうしてたんですか?
 
「単純に1日の時間を3で割るなり4で割るなりする感じですね。例えば、朝の3時間はプロデュースするアーティストに使って、午後は自分のために使って、夜はバンドのために使って、みたいな。毎日そういうイメージで、自分のことをやるときだけちょっと喫茶店に行くとか、モードを変えつつ。まぁそれもこれも、フロンティアがこんなにすぐにまた始まっていくとは思ってなかったから」
 
――そのときはまだそう思えなかったんですね。じゃあ嬉しい誤算というか。
 
「そうですね。今はライブをどうしようかなぁとかいうのが、ちょっとワクワクですけど。ギターがいなくなってアレンジもし直すわけですから、また新しい聴かせ方ができるかなって。特に今回のリリースツアーの大阪は、前回のライブをインフルエンザで飛ばしちゃってるから、何としてもやりたかったんです。しかも飛ばしたその大阪で、KENZIとやるのは最後ってもう決まってたんですよ。KENZIも最後までしっかりやりたいと言ってくれてたし。そしたら僕もKENZIもインフルエンザになっちゃって…(苦笑)」
 
――そんな舞台裏があったんですね。結局、自分たちの中で最後を噛み締めながら立つステージがなく。
 
「ホント尻切れトンボで終わっちゃったって感じ。ビックリしましたよ。だからすげぇ悲しかったですね。やりたかったなぁ…。まぁでも、ここまでくると笑っちゃいますけどね。KENZIが抜けるのを知ってた人たちは、それこそchabeくんとかTA-1は“マジっすか!? KENZIくんとやるのは最後だから、楽しみにしてたのにな”って」
 
――とは言え、道は変われどお互いに音楽は続けるということで。
 
「もちろん。KENZIに才能があるのは僕らも重々分かってるから。とてもいい曲を書く人材だし、音楽を辞めちゃうのはもったいないから」
 
――フロンティアの音楽もまだまだ続きますね。
 
「そうですね。本当にバンドを辞めちゃおうとも思ってたんで、またやりたいと思えてよかったです。結構…1週間ぐらいですけど、かなり落ち込んでたんですよね。東京にいても意味ないなぁとも思ったし。やっぱりchabeくんが早くライブをやった方がいいって言ってくれたのがデカかった。chabeくんの客観的な目というか、ファン目線というか、親目線というか(笑)。じゃなければこんなに早く、またバンドがやりたいって思わなかったかもしれない」
 
――もう田上さんはある種、生かされてますね。自分1人の音楽人生じゃなくなってる。
 
「うん。ありがたいです、本当に。まぁ今後は、ライブをまた作り直す作業だからちょっと大変だなとは思うんですけど、それはもう数をこなしていかなきゃしょうがないし、だんだんとライブのスタイルを再構築して、僕らの新しい方程式みたいなものを作っていく感じかな。震災のときも本当に思ったけど、やっぱりその都度その都度一生懸命やってないと後悔するんで。やれなくなってからじゃもう遅いから。年齢的なところもありますし、どこかでケガして声が出なくなったりしたら、そんな辛いこともないだろうと思うんで。今は…やっぱりバンドがしたかった。何かやりたいことがあったらすぐにやった方が、どんどんやっていかないとダメだなって」
 
――ライブもどうなっていくのか楽しみです。
 
「もちろん! 僕ら自身が超楽しみにしてるから。ていうか、今は本当にライブができる喜びがあるから、1本1本が楽しくてしょうがないんですよね。“ライブで何を着ようかな?”から始まりますから(笑)。自分の身の周りに起こったことを後悔したり、“何でこうなっちゃったんだよ”って思っても、もう時は流れてるから。戻せないから。やっぱり何でも肯定的に生きていくのが一番いいのかなって思いましたね。全てのことを抱え込んでたら、重くなり過ぎて動けなくなっちゃうから。人生をポジティブに、客観的に見ていく。そうすると辛いことも、ちょっとはマシになるのかなって。それを今回のバンドに起きたことによって学んだ気がしますね、うん」
 
 
Text by 奥“ボウイ”昌史
 




(2016年12月20日更新)


Check

Movie Comment

なぜか大阪のハワイからお届け!?(笑)
TGMX(vo&syn)からの動画コメント

Release

ギターレスで挑んだまさかの新境地!
鍵盤とホーンが冴え渡る充実の最新作

 
Mini Album
『FUN BOY'S YELL』
発売中 1700円(税別)
Niw! Records
NIW-125
※TOWER RECORDS限定発売

<収録曲>
01. always remember
02. UNKNOWN
03. excuse to
04. Journey of music
05. 2016
06. shout out good-bye

Profile

フロンティア・バックヤード...写真左より、TGMX aka SYUTA-LOW TAGAMI (vo&syn)、福田“TDC”忠章(ds)。ライブ時はサポートに、CUBISMO GRAFICO、LEARNERSの松田“chabe”岳二、KONCOSの古川太一(ex.riddim saunter)らが参加。SCAFULL KINGの活動休止後、'01年に東京で結成。’04年に1stアルバム『FRONTIER BACKYARD』をリリース以降、現在までに5枚のアルバムを発表。今年4月には結成以来のメンバーであるKENZI MASUBUCHI(g)の脱退が発表された。最新作は11月2日リリースのミニアルバム『FUN BOY’S YELL』。

FRONTIER BACKYARD
オフィシャルサイト

http://www.frontierbackyard.com/

Live

楽しいヤツらの叫びは続く
年末年始も新体制でアゲます!

 
【東京公演】
『COUNTDOWN JAPAN 16/17』
Thank you, Sold Out!!
▼12月30日(金)昼12:00
幕張メッセ 国際展示場
1~11ホール・イベントホール
12/30 1日券11500円
[出演]雨のパレード/おいしくるメロンパン/岡崎体育/OKAMOTO'S/KANA-BOON/きのこ帝国/木村カエラ/空想委員会/グッドモーニングアメリカ/クリープハイプ/GLIM SPANKY/Cocco/Gotch& The Good New Times/サカナクション/Suchmos/サニーデイ・サービス/佐野元春&THE COYOTE BAND/シナリオアート/ストレイテナー/Czecho No Republic/DECAYS/東京スカパラダイスオーケストラ/TOTALFAT/never young beach/HUSKING BEE/HAN-KUN/ヒステリックパニック/BIGMAMA/フジファブリック/FRONTIER BACKYARD/MONOEYES/MONGOL800/UNISON SQUARE GARDEN/yonige/lovefilm/RIP SLYME/wacci
[DJ]kz/タナシンドローム/DJダイノジ
ホットスタッフ・プロモーション■03(5720)9999
※6歳未満は保護者同伴に限り無料。出演者・開演時間は予定のため変更の可能性あり。出演者変更に伴う払戻し不可。


【東京公演】
『YY NEW YEAR PARTY
-ワイワイニューイヤーパーティー-』
チケット発売中 Pコード315-746
▼1月14日(土)17:30
WWW X
オールスタンディング3900円
[出演]FRONTIER BACKYARD/bonobos/LEARNERS/天才バンド
WWW X■03(5458)7688

チケットの購入はコチラ!
チケット情報はこちら

 

Column1

「今までの10年を
 好きに壊しちゃってもいいんで」
バンアパ、QUATTRO、イルリメ、
Sawagi、Wienners、
フルカワユタカら盟友と挑んだ
『Backyard Sessions #002』
を語る前回インタビュー

Column2

ソロ15周年のLOW IQ 01と
結成10周年FBYのTGMX
筋を通してきた男たちの思い出話と
今を生きる言葉が飛び交う
'14年のアニバーサリー対談

Column3

Niw! Recordsの10周年記念!
代表・山口氏、土井コマキ、TGMX
FLAKE RECORDSのDAWAが
Niw!の歴史を紐解くお祝い対談!!

Column4

発見と興奮を火種に築き上げた
バンドマン・イズム、天職としての
音楽を全うするパーティ・アクト
意義と意思ある2年ぶりの新作
『fifth』とバンドの現在を語る
'13年の名言連発インタビュー!

Column5

ライブへの想いが詰まった
2年ぶりのアルバム
『sunset,sunrise』
'11年の初登場インタビュー

Comment!!

ぴあ関西版WEB音楽担当
奥“ボウイ”昌史からのオススメ!

「様々なキャリアのアーティストにインタビューしていて思うんですが、やっぱりパイセンのミュージシャンと話してると、取材を超えてこっちがもらうものがすごく多いんですよね。TGMXこと田上さんはとりわけそうで、ちゃんとオトナでありながらいくつになってもバンドマンなスタンスと、痛みを知る男の言葉が、本当に生きるヒントになる。田上さんと話したことを、また他のアーティストに伝えることも多々あって、この間なんてそれをきっかけにアルバムまで生まれましたから(笑)。だからもうこのインタビューは僕と田上さんと読者だけの問題じゃないんです。音楽シーンに影響を与えてる(笑)。今回は音源のみならず、長年連れ添ったメンバーの脱退という難題を、本当に一生懸命、お茶を濁さず話してくれた田上さんに、感謝とリスペクトを。その目にうっすらと光るものが見えたのは、僕の思い違いでしょうか」