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歌手生活45周年目前! 大阪が誇る歌姫、天童よしみに
新曲「女のあかり」や新歌舞伎座公演のみどころ
やしきたかじんとの交流など歌手人生についてインタビュー!

“演歌の本場”と言われる関西に拠点を置き、力強い歌声を届ける天童よしみ。美空ひばりに憧れた少女時代や代表曲となる「道頓堀人情」との出会い、そして、その歌声に惚れ込み、NHK紅白歌合戦に天童を出場させるための応援隊長を買って出たやしきたかじんとの交流まで、その歌手人生の歩みを振り返る。スケール感たっぷりな新曲「女のあかり」や9月に開催される新歌舞伎座公演の見どころなど、45周年を目前に、充実する近況についても話を聞いた。

天才少女の苦悩、人生を変えた1曲

--天童さんは幼い頃から歌謡番組やコンテストに出演されていたということですが、歌を好きになったのは、やはりご家族の影響で?

両親、祖父母みんな歌が好きで、その影響を受けて育ちましたから。両親は、私が義務教育を終えたら歌手にさせたいという気持ちが強かったみたいですね。わが家は家族全員が美空ひばりさんの大ファンだったので、「リンゴ追分」や「柔」など、ひばりさんの歌を聴いたり歌ったりする中で、私自身も歌手になりたいという気持ちを強く抱くようになりました。

--ひばりさんへの思いはカバーアルバムを発表されるなど、なみなみならぬものがあると思うのですが、天童さんから見たひばりさんの歌の魅力とは?

昔からひばりさんの歌声は“七色の声”と言われていて、声の表現方法を本当にたくさん持ってらっしゃったんですね。裏声を使ったり、地声で張ってみたり、時には抑えて歌うなど、その七色の声を駆使した歌い方が大好きでした。

--1972年にはアニメ「いなかっぺ大将」の主題歌も担当されましたが、そこから正式デビューへの経緯はどのようなものだったのでしょうか?

「いなかっぺ大将」の主題歌は「ちびっこのど自慢」という番組でグランドチャンピオンを受賞したことがきっかけで担当させていただくことになったんです。そこで初めてレコーディングを経験しました。それからすぐ「全日本歌謡選手権」というテレビ番組に出演して10週勝ち抜き、デビューのきっかけをつかんだんですけど、この番組は当時、ものすごい人気で、五木ひろしさんや八代亜紀さんのデビューのきっかけにもなった、スター歌手への登竜門のような番組だったんですよ。「いなかっぺ大将」もそうですけど、私が歌の道を目指す中でテレビの存在は切っても切れないもの。デビュー当時、新人なのに「全日本歌謡選手権」に出ていたことで、みなさんに名前を知っていただけていたのは本当にありがたかったです。どこに行っても「よしみちゃん、頑張って!」と声をかけていただけて。もし、これがまったく無名の状態でデビューしていたら、名前を知っていただくのに、もっと時間がかかっただろうなと思います。

--デビュー当時から大阪を拠点に活動を?

いえ、16歳でデビューしてすぐに母と上京し、都内で生活していました。いろいろと思うところがあって20歳で大阪に戻ったんですけど、その時にレコード会社をテイチクに移籍して「道頓堀人情」という曲に出会いました。

--その「道頓堀人情」は、天童さんのキャリアの中でも大きなターニングポイントになった1曲だと思います。この曲との出会いはどのようなものだったのでしょうか?

テイチクの制作部長さんが、私が大阪で活動していることを知ってくださって。そこから、「『道頓堀人情』という曲があるんだけど、この曲で心機一転、頑張ってみないか?」とお話をいただきました。もちろん二つ返事でお受けして、しばらくしたら曲が送られてきたんですけど、これが、もう聴いた瞬間に飛びつきましたね。

--手応えを感じて?

100%感じました。「ここまで自分にぴったりな曲は他にない!」と思ったほど。デビューからずっと苦労して、やっと芽が出始めるかという頃だったので、この曲で一気に花を咲かせたいと思いました。

--「道頓堀人情」に出会うまでは、いろいろな方向性を模索されました?

方向性というか、それまでもヒットに向けて制作や営業の皆さん、事務所も頑張ってくださったと思います。でも、当時は、やはり時代という大きな壁を越えられなかった。それは、演歌を歌うには若すぎてお客さまに響かないという、私自身の年齢的な問題もあったと思います。ただ、いろいろ反省点があったとはいえ、若くしてデビューし、さまざまな経験が出来たことは本当に良かったなと思います。

--「道頓堀人情」に出会って大きく変わったことは?

デビュー当時のキャンペーンではレコード屋さん前での歌うことが主だったんですけど、「道頓堀人情」の時は年齢的にも夜のキャンペーンが出来るようになって、夕方6時以降にスナックを十数軒回るという日々を繰り返していました。これは大変ではあるけど、本当に願ってもないことで、当時はそうやって歌いながらレコードを売っていました。今と違ってレコード屋さんもいっぱいあったし、歌う場所さえあれば、実際に売れたんです。レコード屋さんや会社の営業さんが一丸になることでヒットにつながる、希望が見える。そんな時代でしたね。

--一日に十数軒とは体力的にもつらそうですよね。

正直、大変でしたね。でも良い結果が生まれたら嬉しいので、ひたすら頑張っていました。

--「道頓堀人情」を発売されて以降は、1986年に有線大賞を受賞するなど、着実に実績を積み重ねられています。キャンペーンを続けていく中で、ご自身の人気の盛り上がりは感じていましたか?

行く先々でお客さんやファンの方が待ってくださって、その人数がどんどん増えていきましたね。「よしみちゃん、頑張ってるね!」という声をたくさんいただけるようになって、すごく嬉しかったです。

紅白出場を実現させた、たかじんの支え

--そんな中、天童さんの活動を支えたやしきたかじんさんとの出会いもあります。たかじんさんと初めて会ったのは、この時期ですか?

この時期から何作かを経て、「NHK紅白歌合戦」に出る2年ほど前。「酔いごころ」という曲を出した頃ですね。ある日、テレビを見ていたらたかじんさんが「俺は応援する。頑張れよしみ!」ってカメラ目線で、まるでテレビ電話のメッセージのような感じでおっしゃって。いきなりだったし、衝撃を受けました。実は、私の家の近所にたかじんさんの番組を手掛けている放送作家さんが住んでいて、その方も私の本名と同じ吉田さんなんですよ。当時は何のお仕事をされているか知らなかったけど、よく郵便物が間違って届けられるので、渡しに行くうちに親しくなって。それで、さっきの番組の翌日に、「実は僕、たかじんさんの番組をやっているんです。よしみさん、テレビ見ました? たかじんさんが、『絶対によしみを紅白に出す。俺はよしみにかける!』と言っているけど、やっていけますか?」と言われまして。後日、スタッフの方が家に来られて、紅白に向けてのプロジェクトチームが正式に発足しました。2年間、たかじんさんとスタッフさんが番組内にコーナーを作って私のことを紹介してくださり、おかげさまで1993年に「酒きずな」という曲で初出場を果たすことが出来ました。

--もともと面識があったわけではなく、たかじんさんが天童さんの歌を気に入って応援されていたんですね。

そうです。本当にありがたいことですよね。私、八尾に住んでいるんですけど、八尾名物にたかじんさんの大好きな旭ポンズというポン酢があって、テレビで八尾の話をされる時に必ず、私と旭ポンズ、そして「八尾のこって牛、放送作家の吉田!」と、その3つをパックで紹介されるんです。さし棒でバンバン机を叩きながら(笑)。

--たかじんさんとの出会いも、また一つの大きなターニングポイントだったんですね。

紅白プロジェクトではものすごく力を入れてくださったし、それ以後もすごくかわいがってくださいました。実は、たかじんさんがご病気される少し前にマネージャーと3人でお会いしたんです。その時に「俺の夢、聞いてくれる? 俺、よしみのプロデュースがしたい。真剣やねん。やるからには他に人を入れたくない。俺の思う通りにやりたいねん。曲作るし、世界まで行こう!」って言ってくださって。

--それは実現したものを聴きたかったですね……。

私も聴きたかったし、お話をいただいてから3年間、待っていました。うちのディレクターにも「たかじんさんが私の曲を考えてくれているので、その時は受けてくださいね」と話していましたが、まさか、お体がそんなに悪かったとは思わなくて……。たかじんさんと出会って応援していただけたことは、私にとって本当にかけがえのない思い出です。でも、やはり一緒に世界への夢を追い駆けたかったという思いはありますね。

--紅白出場以後、歌手活動に対する考え方に変化などはありましたか?

それまで小規模に活動していたのが、紅白に出たことで自分の中に責任感が芽生えてきました。昔のように、ただ歌が好きで自分勝手に歌うという思いを捨て、みなさんに歌を届けるために舞台に立つーーそんな気持ちが沸くようになりました。

--天童さんは大スターでありながらファンのみなさんに寄り添って活動され、ファンのみなさんも天童さんに対して、まるで親戚のような親しみを込めて応援されています。この親密なコミュニケーションの要因はどういったところにあるのでしょうか?

なんでしょうね~。私、ファンやお客さまと会った時は、ごく普通に話していますから(笑)。もちろんプロなので、歌では引き離しますよ。ガーンと思い切り行って、「すごい!」と思っていただかないといけないし、そのための努力はしています。でも、それ以外のところは、やっぱり普通だし、そういうコミュニケーションを取る中で、たくさんの方にかわいがっていただけることには感謝しています。

--特に関西の方にとっては「道頓堀人情」で元気づけられた部分もあったと思います。

それは、あるかもしれませんね。私、東京にこだわっているわけではないけど、東京でどれだけ仕事がたくさんあっても必ず大阪に戻ることにしているんです。東京にも家があるから、そこでまとまって過ごせばいいのに、結局、ほとんど大阪に帰ってきてしまう(笑)。大阪だと誰に気を使うこともないし、そこで自分をリセットすることで、また良い仕事ができるんですよ。

--今後の歌手活動での目標は?

今後こだわっていきたいのは、コンサート会場での音の響き。それを完璧にしていきたい。みなさんが耳に触れて、「うわ~、天童さん、音だけじゃなくてバックバンドの演奏もすごいね!」と思ってもらえるように。ここ3年ほど、ご縁があった一流ミュージシャンの方々とツアーやライブをしているんですけど、それによって私の歌や表現力も変わってきているし、お客さまもさらにノッてくださっているように感じます。やっぱり歌だけではなく、演奏のみんなも一丸にならないと、パワフルなコンサートはできませんね。

--これまで何度か行われたライブハウス公演なども音に対するこだわりの一つですか?

そうですね。フルバンドもいいけど、小編成での声が際立つような演奏も、また違った魅力があります。

--音の追求という部分でいえば、天童さんは本筋である演歌はもちろん、アルバム一枚まるごとロック・ポップスの「炎のよ・し・み」やバラードやなど、幅広い楽曲を歌われています。ご自身の音楽性の広さについては、どのように捉えていますか??

やっぱり私の土俵は演歌だし、ポップスばかり歌っていてはお客さまも入ってこられない。だから、幅を広げるのは良いけど、演歌をしっかり歌っていきたいですね。少しでも多くヒット曲や代表曲を作って、その中で、時には天童流のポップスやジャズを聴いていただく機会を作るというのが理想です。

--プライベートでポップスやジャズなども聴かれるんですか?

よく聴きます。私、トム・ジョーンズさんが昔から大好きなんですよ。あの歌い方が本当にかっこ良くて、私にとってのアメリカンポップス=トム・ジョーンズさんという感じ。公演を見るためにラスベガスまで行って、ご本人にもお会いしました。

お客さまやスタッフを照らす灯りに

--新曲「女のあかり」は12年ぶりに弦 哲也先生による作曲作品になります。マイナー調でスケール感のある曲調も久しぶりですね。

そうなんですよねー。弦先生のメロディーラインが、水木れいじ先生が書かれた歌詞の魅力を最大限に引き出してくれていると思います。近年はメジャー調の人生演歌やフォーク調の曲などを中心にやってきましたが、ここらで一度、落ち着きたい、語りたいと思っていたので、まさにうってつけの作品になりました。コンサートでも、この曲を歌っているとお客さまの拍手の響きが他とは全然違うんですよ。すごく反応が良いですね。

--歌詞では耐え忍ぶ女性像が描かれていますが、表現にあたって意識されたことなどは?

曲名は「女のあかり」ですが、私としては、自分がみなさんにあかりを灯したいという気持ちで歌っています。お客さま、ファンの皆様、そして私に携わっているたくさんの皆様に、「辛いこと、苦しいことがあっても、私はあかりを灯し続けてぬくもりをあげたい」という、そんな気持ちで歌っています。

--天童さんにとっては、そんなメッセージ性も含んだ1曲だったんですね。

その思いは強くあります。生きていたら、いろいろなことがありますからね。この曲が少しでも、みなさんにとって癒しや心のより所になればいいなと思います。

--弦先生とは曲について話をされましたか?

「よしみちゃんの歌い方を活かしたいので、マイナー調でいきます」と。曲の打ち合わせの時に弦先生がギターでこの曲を弾き語りをしてくださったんですけど、その時点で、すでに「いいな~!」って。思わずホロっと来ました。

--そんな「女のあかり」の聴きどころは?

カラオケ好きな方には、歌詞をじっくり読んでいただき、ぜひ、たくさん歌っていただきたいですね。また、この曲は歌が苦手な方でも、どこか歌ってみたくなる要素があると思います。自分で歌うことで、より親近感が湧いてくるメロディーだと思うので、ぜひ挑戦してください!

--「女のあかり」、今後、天童さんの新たな定番曲になりそうですね。

発売からすでに盛り上がって、近年にないヒットソングになる予感がしています!今後、もっとこの曲を知っていただくための企画やイベントをどんどんやっていこうと思っています。

--カップリング曲「桧」も力強く、聴き応え抜群です。

こちらは「女のあかり」とは対照的に、メジャー調でキリッとした人生演歌ですね。この曲も大好きで、コンサートでは両方歌っています。最初はこっちがメインでも良いかなと思ったほど気に入っています。

女優&歌手、2つの魅力で届ける新歌舞伎座公演

--9月には新歌舞伎座公演が行われます。第一部のお芝居「ガード下の靴磨き」は、どのような内容になるのでしょうか?

去年は「マッチ売りの少女」をやって、ここ2年はお芝居の中に歌が入るというパターンで、今回もお芝居の中で踊ったり歌ったりする場面がたくさんあります。昭和の一番どん底の生活から主人公が幸せになっていくストーリーで、こういう内容だと、歌を盛り込むことで、お芝居の内容がより深まると思いますね。

--一部・二部を通してさまざまな天童さんを見ることが出来そうですね。

第一部では“女優・天童よしみ”を、第二部は恒例のオンステージではガラッと変わって“歌手・天童よしみ”に戻ります。お芝居と歌を通して、みなさんを泣かせる、笑わせることに徹したいと思います(笑)。

--最後に、これから天童演歌の世界に触れたいという方に、その魅力をお願いします。

若い方に向けては、「よしみさんの生のステージってカッコいい、演歌ってカッコいいね!」と思っていただけるように、ライブやイベントなど演歌にふれる機会をどんどん作っていきたい。大人の方には、オーソドックスでホッとする演歌の魅力をこれまで以上に発信して、涙したり、「勇気をもらった」と言っていただけるように努めたいですね。

 

取材・文・構成/伊東孝晃(クエストルーム)




(2016年8月 8日更新)


Check

●Release

女のあかり

発売中

<シングルCD>
¥1204+税
テイチク
TECA-13653

<シングルカセット>
¥1204+税
テイチク
TESA-13653

<収録曲>
01.女のあかり
作詞:水木れいじ
作曲:弦 哲也
編曲:前田俊明

02.檜
作詞:水木れいじ
作曲:弦 哲也
編曲:前田俊明

03.女のあかり(オリジナル・カラオケ)
04.女のあかり(メロ入りカラオケ)
05.檜(オリジナル・カラオケ)

●Live

天童よしみ 公演
第一部 歌謡劇場「ガード下の靴みがき」
第二部 天童よしみオンステージ

発売中

Pコード:291-939

▼9月17日(土) 11:30
▼9月18日(日) 11:30/16:00
▼9月19日(月・祝) 11:30/16:00
▼9月20日(火) 11:30
▼9月21日(水) 11:30/16:00
▼9月22日(木・祝) 11:30/16:00
▼9月23日(金) 11:30(貸切)
▼9月24日(土) 11:30/16:00
▼9月25日(日) 11:30/16:00
▼9月26日(月) 11:30

新歌舞伎座

1階席-12000円
2階席-6000円
3階席-3000円

[出演]天童よしみ/仲本工事/山村紅葉/合田雅吏/室龍規/他

※特別席は取り扱いなし。未就学児童は入場不可。

[問]新歌舞伎座
[TEL]06-7730-2121

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文化パルク城陽 プラムホール 公演

発売中

Pコード:302-297

▼11月18日(金)13:30/17:30

文化パルク城陽 プラムホール

一般-6800円(指定)
高校生以下-2000円(指定)

※未就学児童は入場不可。車椅子の方はチケット購入前に会場まで要問合せ。

[問]文化パルク城陽
[TEL]0774-55-1010

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●Profile

てんどうよしみ●本名、吉田芳美(よしだ よしみ)。9月26日生まれ、大阪府八尾市出身。趣味はショッピング、クリスタル集め。1971年、『ちびっこのど自慢』に出場して優勝。その実力が認められ、フジテレビ系列の『いなかっぺ大将』挿入歌である『大ちゃん数え唄』をレコーディング。読売テレビ『全日本歌謡選手権』で10週を勝ち抜き、最年少で7代目チャンピオンに。1972年に『風が吹く』でデビュー。その後、『道頓堀人情』が大ブレークし、1997年『珍島物語』が100万枚の大ヒット。2000年には『NHK紅白歌合戦』で紅組のトリを務める。ドラマではフジテレビの『天草こずえの歌姫探偵』に主役で出演。2004年にはディズニー映画『ブラザーベア』で、フィル・コリンズ作詞・作曲の劇中歌『グレートスピリット』を歌うなど、ジャンルの枠を超えて活躍を続けている。