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最新シングル「河口湖」も大好評!
山本譲二のサポートの元、日本デビューを果たした
パク・ジュニョンの軌跡を辿ったインタビュー!

2012年に「愛・ケセラセラ」でデビューしたパク・ジュニョン。故郷・韓国ですでに歌手としてのキャリアを積んでいた彼が海を渡り、山本譲二のサポートの元、日本デビューを果たすまでには、どのような経緯があったのか? 現在、日本の演歌・歌謡界の中で破竹の活躍を見せているジュニョンにロングヒット中の「河口湖」やサードアルバム、4月に開催されるCS放送・歌謡ポップスチャンネルの人気番組「演歌男子。」のイベントライブに向けた抱負など、たっぷりと話を聞いた。

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■日本デビューへの思い、韓国音楽業界の現状

――ジュニョンさんは日本でのデビュー前に韓国で歌手活動をされていましたが、どのような経緯で音楽の道を志されたのでしょうか。

中学生の頃に周りの友だちから「歌がうまいね」と言われるようになってプロ歌手になりたいと思うようになりました。大学に入学してからカラオケ大会やラジオ番組主催のコンテストなどに参加して、そういった活動の中で、ある作曲家の先生に「歌手にならないか?」とお誘いをいただきました。そこからエイジェックスというグループに加入して2002年にデビュー。プロ歌手の道を歩むことになりました。

――その頃はどのようなジャンルの楽曲を歌っていたんですか?

僕、もともとバラード歌手になりたかったのでアマチュア時代はコンテストでもバラードを中心に歌っていたんですけど、エイジェックスはバリバリのダンスグループで、正直、自分がやりたかった音楽とはかなりかけ離れていました。それでも、とにかく歌が歌いたかったのでジャンルは違うけど、これをきっかけに頑張ろうと思って。

――韓国ではビッグネームにならないとバラードを歌えないという話を聞いたことがあります。

その通りです。バラード歌手として成功する人は限られていて、本当に数人しかいません。なので、まずは名前を知ってもらうためにインパクトのある激しいダンスミュージックやビジュアルに訴えかけるようなことをやらないといけないんです。それで僕も最初はダンスミュージックからスタートしました。

――では、その時はダンスもされて?

はい。でも僕、本当にダンス音痴ですよ。そんな言葉があるのかわからないけど(笑)。苦手だったけど猛練習して、ある程度、他のメンバーに迷惑かけないぐらいには踊れるようになりました。

――エイジェックス以降は、どのような活動を?

エイジェックスが活動停止した後、ザ・ストーリーというボーカルグループに加入しました。ボーイズバンドみたいな形態で、バラードやダンスナンバーを歌っていました。

――日本との接点ができたのは、どのような経緯で?

当時、ソウルに日本人の友人がいまして、その人の伯母さんが「冬のソナタ」が大好きで、韓国に旅行に来られたんです。せっかくということで僕が韓国の名所などを案内させてもらったところ「今度はうちに遊びに来てください」と言っていただけて。ちょうどザ・ストーリーが活動停止して時間もあったので、同じ年の夏に初めて日本に。その方がお住まいの兵庫県赤穂市を訪れました。

――赤穂にいらしたことはプロフィールで見たのですが、そういう経緯だったんですね。

僕にとっては日本で初めて見た場所ということで、赤穂こそが日本のすべてでした。一週間ほど滞在して、すべてが初めての経験でしたが、その時にお会いした方がみなさんすごく優しく接してくださって。それから日本のことが大好きになりました。

――日本で活動したいという思いもその時に芽生えて?

友人の伯母さんが氷川きよしさんを応援されていて、「ジュニョンくんもいつか日本でデビューして、氷川くんのような歌手になってね。応援するから!」と言ってくださり、それを機に僕も日本デビューという夢を持つようになりました。

――韓国に帰国してからは音楽活動を再開されたんですか?

はい。やっぱり歌手をやりたいと思い、ザ・ストーリーⅡという名前で新しいグループを結成しました。それから日本で知り合った姫路の方にご支援をいただき、韓国よりもまず姫路の方で大々的にキャンペーンをさせてもらったんです。

――では、そのグループで日本デビューをされて?

いえ、韓国でもインディーズで活動していて、キャンペーンも姫路のみなさんがいてくださったからこそ実現したもの。それが日本での最初の活動で、姫路や赤穂などでキャンペーンをしていくうちに少しですがファンも増えました。それから、僕だけがメンバーの中で日本での活動を望み、方向性の違いでグループは解散してしまい、ソロとして日本での再出発を決めました。日本でお世話になったファンの方々に恩返しがしたかったんです。

――後に日本での師匠となる山本譲二さんとは、どのように出会ったのですか?

日本での活動でできたファンの方の中に山本譲二さんの親友と仲良くされている方がいらっしゃって、その方を通じて所属事務所であるジョージプロモーションに自分の資料を送らせてもらいました。僕としては、すぐにリアクションがあるとも思っていなかったのですが、日本と韓国を行ったり来たりしている間に事務所の方で早々に話をまとめてくださり、山本譲二さん自ら会ってくださることに。本当にありがたいことです。

――初めて会った譲二さんの印象はいかがでしたか?

僕、当時は日本の演歌・歌謡曲のことをほとんど知らなかったので、失礼ながら山本譲二さんのことも存じあげなくて……。紹介のお話があってから動画サイトの映像で見たのですが、とても力強く歌われている姿がかっこいいし、画面からオーラが伝わってくるし、すごいな~と思って。ただ、その時の映像が30年以上前のものだったので、お会いした時は想像していたお姿と違っていて驚きました(笑)。

――実際にお会いしての印象はいかがでしたか?

最初はやっぱり緊張しました。でもお話したらとても気さくで優しくて。山本譲二さんは僕のことを息子と呼んでくださるのですが、僕にとっても日本のお父さんと言える存在です。

――デビューするまでの間は、どのように過ごしていましたか?譲二さんから歌を教えてもらうことなどは?

山本譲二さんからは歌手の大先輩として、いろいろアドバイスもいただきました。デビュー後も、僕がステージングのことで悩んでいる時に、「ジュニョン、ステージに上がったら自分の世界なんだから、気持ちを楽にして歌えばいいんだよ」とお言葉をくださいました。

――譲二さんのステージングを見ていて勉強になるところなどは?

やっぱり、お客さんとのやりとりですね。その場にいる方をどう楽しませるかということにおいて、譲二さんは本当に隅々まで気を配られていると思います。

――歌手活動をするために日本に移住をされましたが、日本の文化や生活習慣に慣れるのに苦労しましたか?

外国で生活するには、まず食べ物が合わないとなじめないと言うじゃないですか。僕の場合、日本のごはんはすごく口に合うし和食も大好きなので、その点は全然問題ありませんでした。韓国と日本って文化や食べ物で近い部分もありますし、本当に楽しく生活させてもらっています。

――デビューが決まった時は、どのような気持ちでしたか?

移住して1年後にデビューしたんですけど、まさか僕が日本のような大国でメジャーデビューできるなんて、本当に夢のようでした。

――韓国で活動されているシンガーで日本デビューへのビジョンを持っている方って結構いるんですか?

そうですね。韓国では売れていないと歌える場所が本当にないんですよ。音楽のジャンルが多彩じゃないし今はK-POPアイドルが主流で、他のジャンルの人は本当に厳しい状況です。日本のように音楽産業が盛んで歌う場所もたくさんあるのは素晴らしいことだと思います。

――日本デビューしてファンの方とふれあう中で、嬉しかったことなどは?

僕はファンの方=家族と思って接しています。歌手=手の届かない存在ではなくて、家族と思っていただくことで僕もみなさんと親しくふれあったり、お話もできるし。みなさんも僕のことを息子や孫のように思ってくださって。それがすごく嬉しいですね。

――日本デビューしてからは念願だったバラードや「チャラ」のようなアップテンポな曲まで幅広く歌われていますが、ご自身の音楽観もかなり広がったのでは?

その通りです。「自分はこんな音楽がやりたかったんだ!」というものが日本の演歌・歌謡曲の世界にありました。韓国で歌っていた時は、音楽をメロディー中心に聴いていたんですよ。それが演歌・歌謡曲に出会ってからは世界観が広く、人生を語る深い作品にたくさん出会って、今はメロディーと同等に歌詞にもじっくり耳を傾けるようになりました。

――歌詞のお話が出ましたが、日本語はどのようにして修得したんですか?

僕、日本に来て語学学校に通っていなかったんです。とにかく実際に人と会話したり、外に出て道を訊ねたり、お店に入ったら店員さんに話しかけたり事務所の皆さんにも教えていただいて。それで失敗しながらですが徐々に覚えることができました。デビューしてからはステージのMCで間違えることもあるじゃないですか。そんな時にはみなさんが優しく、「ジュニョン、そこはこうだよ」と教えてくださって、さらに勉強になりました。

――日本で活動をしていく中で歌手としての自信がついたのは、いつぐらいからですか?

実は、まだ自信はないんです。どうすればみなさんに楽しんでいただけるか、歌の世界に入って表現できるか、まだまだ悩むことばかりです。自信はないけど、そういう僕を応援してくださるみなさんがいて、その中で僕も少しずつ成長していくという感じですね、今は。

――日本デビューされた時は30代を迎える直前でしたが、今、30代まっただ中の心境はいかがですか?

30代は楽しいですね!40代、50代はさらに楽しくなると思いますが、20代に少しずつ頑張っていたことが形になってきて、今、本当に楽しいんですよ。

――今後、歌ってみたい曲や挑戦したいことなどは?

デビュー以来、浜圭介先生に曲をいただいて、先生の作品はどれも独自の世界というか、一本、筋が通っているのですが、僕が歌わせていただくにあたっても、その世界がぶれないように、まっすぐ歌っていきたいです。僕は歌う時、1つの曲を3~4分の映画やドラマだと思って、歌詞の世界をドラマにして頭の中で演じながら歌っているのですが、表現力を高めるために、機会があれば俳優にも挑戦してみたいですね。そして、来年、デビュー5周年にあたって、大きい夢かもしれませんが全国コンサートツアーをやりたいです!

――今、日本の音楽業界では韓国の方がたくさん活躍されていますが、そんな中でもジュニョンさんは、すごく日本のファンの心に寄り添って活動されているように感じます。

僕のブログのタイトルが「日本の心」というんですけど、日本の心を持った韓国出身の歌手といいますか。もちろん韓国の心も持っているので、今後も2つの心で演歌・歌謡曲を表現できればと思っています。

■ロングヒット中の「河口湖」、名曲カバー満載のサードアルバム

――昨年8月に発売された「河口湖」がロングヒットを続け、今年2月にはジャケットとカップリング曲をリニューアルしたバージョンが発売されました。この曲がみなさんに愛され続けている理由、魅力は何だと思いますか?

まず、歌いやすい、口ずさみやすいというのが大きな魅力だと思います。これまでの曲は、歌おうと思うとちょっと難しいものが多かったんですけど、この曲は本当に歌ってくださる方が多いんです。ステージでもサビのところをみなさん一緒に歌ってくださって、これは歌手として本当に嬉しいことですね。そして、日本の方に馴染み深い「河口湖」というそのままのタイトルのインパクトもあると思います。





 

――懐かしく、ちょっとセンチメンタルな曲調ですが、こういった作風はジュニョンさんの曲の中では初めてですよね。

そうですね。歌詞は切ないのに曲調はリズム感があって、そのギャップがおもしろいなと思います。カラオケで歌っていただく際も、そのあたりを意識していただけたら。

――今回のカップリング曲「原宿竹下通り」ですが、こちらもどこか懐かしさを感じさせる曲調です。

そうですね。みなさんこの曲を聴くと若い時の恋の記憶を思い出されるようで、「青春時代に戻るね!」という声をいただいています。

――「河口湖」と同日にサードアルバム「さよならは言わせない」もリリースされました。こちらの制作で印象に残っていることなどは?

3曲目のタイトルトラック「さよならは言わせない」は作詞を日本で、作曲を韓国で行った日韓合作の曲で、レコーディングも韓国でさせていただいたんですよ。その時に作曲家の方に会って曲についてのお話も聞くことができ、思い出深い体験ができました。

――カバー曲の中では韓国語でカバーされている「Oh My Julia」(元曲はチェッカーズの「ジュリアに傷心」)が印象的ですね。

実は「Oh My Julia」は、韓国でもカバーされて大ヒットし、僕もカラオケに行くと必ず歌う1曲なんです。今回は僕が翻訳した韓国語の歌詞で歌わせていただきました。

――韓国語に翻訳する際に意識したことは?

原曲のイメージを崩さないように翻訳しました。ほとんど同じ内容ですが、日本と韓国で言葉の表現が違う部分もあるので、そこは韓国風に変えています。

――他のカバー曲についてはいかがですか?

「J」は韓国で大ヒットした曲で日本では門倉有希さんがカバーして有名になりましたが、僕はこのアルバムで初めて歌いました。こちらも韓国ではカラオケの定番で、僕の両親も好きな1曲です。今後もまだ歌っていない名曲のカバーに挑戦したいと思っています。

――たとえば譲二さんのカバーなどはいかがですか?

それは怖いですね!(笑)譲二さんの曲は、どれもご本人の印象が強いので、おいそれとは歌えないですし。歌うとすれば、もっと修行してからですね。

■時代の寵児が集結!「演歌男子。LIVE」

――4月29日(金・祝)にはIMPホールで開催される「演歌男子。LIVE」に出演されます。「演歌男子。」が始まって、歌手活動に変化はありましたか?

番組が始まったことで「演歌男子。」という一つのジャンルができてから、歌手同士でメールを交換したり飲みに行くようになったり積極的にコミュニケーションを取るようになりました。これまでもお仕事でお会いすることはあったけど、コミュニケーションもその場限りのものだったし、ここまで仲良くなることできたのは番組がきっかけですね。

――仲間意識みたいなものも芽生えて。

もちろん良い意味でのライバル意識というのもあると思うんですけど、それ以上に仲間意識は出てきたと思います。

――大阪で初となる「演歌男子。LIVE」への意気込みをお願いします。

関西の皆さんに演歌男子。4組による楽しいステージを見ていただきたいです。普段も会っている仲の良い仲間なので、その雰囲気もお届けできれば。他の方とのジョイントなど普段できないことも挑戦できるかなと思いますし、ぜひともご期待ください!

――最後に読者へのメッセージをお願いします。

デビューして4年、まだまだ修行中の身ですが、一人でも多くの方に歌を聴いていただけるように、これからも一生懸命頑張ります。応援よろしくお願いします!

 

構成・取材・文/伊東孝晃(クエストルーム)




(2016年4月18日更新)


Check

Release

シングル『河口湖』(昼盤)

発売中 \1300(税込)
キングレコード
KICM-30703

<収録曲>
01.河口湖
02.原宿竹下通り

Live

演歌男子。

発売中

Pコード:291-127

▼4月29日(金・祝) 16:00
松下IMPホール
全席指定-5800円
[出演]ジェロ/はやぶさ/パク・ジュニョン/川上大輔
※未就学児童は入場不可。
[問]サウンドクリエーター
[TEL]06-6357-4400

http://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventCd=1608712


Profile

パク・ジュニョン●1982年3月12日生まれ、韓国・釜山出身。2002年、ダンスグループ「エイジェックス」で韓国メジャーデビュー。2010年に山本譲二にスカウトされ、2011年に日本移住。2012年3月にキングレコードよりキングレコードより「愛・ケセラセラ」でデビューした。シングル「河口湖」(昼盤)と同時に「さよならは言わせない~パク・ジュニョン サードアルバム~」もリリース。