音楽にふさわしいサイズの空間で弾くのは
いつも心地良いことです。ー 鈴木秀美
J.S.バッハ『無伴奏チェロ組曲』全曲演奏会
大阪市中央区にある大正建築、大阪倶楽部。大阪を代表する近代建築として往年の面影を偲ばせ、今も社交クラブとして利用されている名建築だ。この大阪倶楽部の4階ホールで定期的に行なわれているのが、コジマ・コンサートマネジメントの大阪倶楽部シリーズ。レトロな雰囲気の中で室内楽が楽しめる演奏会として、好評のうちに回を重ね、来年2月には100回を迎える。このシリーズ100回を前に、2015年の暮れ、12月3日(木)、4日(金)に登場するのが、バロックチェロの奏者、指揮者として日本の古楽演奏を牽引するひとり、鈴木秀美。2夜に渡ってバッハの『無伴奏チェロ組曲』を演奏する鈴木秀美に聞いた。
■クラシックの大ファンであり、古楽にも興味がある、という方を除けば、バッハの無伴奏もカザルス以降のモダンチェロの音色に親しんでいる人がほとんどだと思われます。バロックチェロでの演奏の、こういった点が現代楽器とは異なりますよ、とか、あるいは、ここが魅力なのですという点などがあればお聞かせください。
鈴木:第一に留意すべきは、モダンチェロの音色というのも一つではなく十人十色ですから、一括りにして言うのは妥当ではないこと、またバロックの奏者も同様、演奏・録音は人それぞれ大きく異なるということです。電子音の氾濫、何でもCDで事足れりとしてしまう姿勢、マイク・アンプの濫用や楽曲に不適当な大ホールでの演奏等から、現代の私達は音質や音色、音の形やスピード感などを聴き取る能力、また音楽をメッセージとして受け取る能力が衰えてきているのではないかと思っています。古いスタイルの楽器、また手頃なサロンでの演奏は、そういった力を再び取り戻させるものと言えるでしょう。そのような楽器や弓は総じて発音が良く、またガット弦の音色は人の声のようにざらつきや温かみがあって、音楽を言葉として扱うこと、言葉ひとつひとつに違った質感を与えることに適しています。
■「無伴奏チェロ組曲」において、そして特に古いスタイルの楽器において、その言葉や質感が良くわかる部分はありますか?
鈴木:バッハの組曲は舞曲の連作で、朗々と歌うものではありません。その中には、大人数の踊りもあればひとりの、またカップルだけの踊りを彷彿とさせるところもありますし、《アルマンド》など物語風な部分では、文章の中にカギ括弧入りの対話や独白などがあるように、幾つかの「人格」がそれぞれのラインを構成していることもあります。そんな躍動感や声部の弾き分け・語り分けなども、現代の道具よりは行い易いと言えるでしょう。しかし楽器は道具であり、弾いている人間が何をしたいかということ、頭の中にあることが聞こえてくるのです。躍動感も語り分けも、現代の楽器ではできないと言っているのではありません。
■鈴木さんは、オーケストラの演奏者として、またはソリストとして、さまざまな環境で演奏されています。大阪倶楽部のような、親密な空間で弾く時、というのはどのような心持ちなのでしょうか?
鈴木:小さめの空間で弾くと、それだけ言っている言葉の端々まで聴いてもらえると言えます。その分気を遣うということもありますが、その音楽にふさわしいサイズの空間で弾くのはいつも心地よいことです。
■繰り返しバッハを引き続けて思うこと。または繰り返し無伴奏チェロ組曲を弾き続けて思うことなどを、お聞かせください。
鈴木:何度弾いても飽きない、毎回違ったところが見えてくる、すべてが思ったとおりにはならない、その時、その会場と聴衆の前で弾いてみなければどういう流れになるかわからない…などでしょうか。難しい、だから面白いということです。
(10月30日 メールでの取材を元に構成しました/逢坂聖也:ぴあ)
(2015年11月 9日更新)
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