「この映画は僕にとって一生忘れられない財産になる」
フィリピンの名匠ブリランテ・メンドーサが実話を映画化
映画『義足のボクサー GENSAN PUNCH』
プロデューサー兼主演・尚玄インタビュー
カンヌ国際映画祭で女優賞を獲得した『ローサは密告された』などで知られるブリランテ・メンドーサ監督が実話を基に映画化した人間ドラマ『義足のボクサー GENSAN PUNCH』が、6月10日(金)より、大阪ステーションシティシネマほか全国にて公開される。義足のために日本でのプロボクシングライセンスが取得できず、フィリピンに渡りプロボクサーを目指した土山直純の実話を基に、夢を追い続ける男の光と影を映し出している。『ハブと拳骨』の尚玄が企画からプロデューサーとして携わりながら主演も務めた本作の公開を前に、尚玄が作品について語った。
──まずは尚玄さんがプロデューサーを務めることになった経緯を教えていただけますでしょうか。
僕が本作のモデルになった土山直純君と仲良くなり、話を聞く中で彼の人生を映画にしたいと思い、承諾を得たのが始まりです。僕自身、日本ではなかなか役をもらえず、ニューヨークで芝居を勉強して海外のオーディションを受けて作品に出ている。そういう自分の経験と共鳴したことが大きな理由でした。彼の話を聞いた時に、彼の役はどうしても自分でやりたいと思いました。
──結果的に、彼の人生を映画にしようと思ってからは何年かかったのでしょうか?
直純くんの承諾を得てからは8年です。監督がなかなか決まらず難航しましたが、ブリランテ・メンドーサ監督に決まってからは早かったですね。
──本作の監督を務めたブリランテ・メンドーサ監督とはどのように出会われたのでしょうか?
僕のデビュー作『ハブと拳骨』のプロデューサーである山下貴裕さんに相談して、日本の監督を探しましたが、大半がフィリピンでの撮影なので、英語を話すことのできる監督となると難しくて。僕達が一緒に仕事をしたい海外の監督にダメ元でもあたってみようと考え方を変えました。そこで、僕が親しくしているエリック・クー監督(『家族のレシピ』など)に相談して、2019年の釜山国際映画祭でメンドーサ監督を紹介してもらいました。
──メンドーサ監督はすぐに引き受けてくださったのでしょうか?
メンドーサ監督には、たくさん企画が持ち込まれていますが、一度も外部からの企画を受けたことがなかったそうです。僕たちも最初は難色を示されましたが、何度もお会いして話をし続けたら、フィリピンのスタジオに招待してくださったので、間髪入れずに伺いました。ようやく僕たちの本気度が伝わったようで、一度は彼の弟子に撮ってもらうことになったのですが、シナリオハンティングに同行してくれる内に「俺が撮る」と言ってくれました。
──撮影についてメンドーサ監督とはどのようなお話をされたのでしょうか?
彼はスポーツ映画を撮ることも初めてで、いわば挑戦でしたし、クリエイティブに関しては完全に監督にお任せしていました。ただ、この映画をどう終わらせるのかはメンドーサ監督もずっと考えていたようです。僕は直純くんの人生について知っていますが、監督から台本を渡されていなかったので、監督がどのように脚色するのか全くわからず、ああいう終わり方になることも映画祭で完成版を観て初めて知りました。
──完成版を観た時はどのように感じられましたか?
初めて観た時はどのように受け止めていいかわかりませんでした。東京国際映画祭でもう1度観て、ようやく受け止めることができました。エンドロールに入っているメイキングを見ていただければわかると思いますが、使っていないシーンがたくさんあって。監督は、ドラマチックな表現をストイックに削ぎ落しています。僕は全てのシーンを全力で演じていたので、正直、あれを切ったか…と思うシーンもあります(笑)。でも、それでこそメンドーサ監督らしいな、と。
──何かを具体的に明示するわけではないラストシーンは特に、メンドーサ監督らしさを感じるものでした。
本作に対して、監督が「ビタースウィートメモリー」という言い方をしています。人生で辛いことがあっても、許せるようになることや、自分が先に進めるきっかけになることもありますよね。若い時期にあることに打ち込んで、もしその夢が叶わなかったとしても、その先に何かを見つけられることも。自分の親友が成功したとしても、祝福する気持ちと羨む気持ちがあるのは当然です。そういう様々な人間の感情が凝縮されたシーンだと思いました。しかもそれを一切言葉で説明しないのが、メンドーサ監督ですよね。
──ラストシーンもそうですが、本作は全編通して台詞が少なかったように感じました。
監督は一切説明しませんでしたが、実は様々なところにトリガーを散りばめているんです。例えば、僕が演じる尚生(なお)が沖縄でバスに乗るシーンで、乗客の中に外国人の男性と日本人の女性のカップルがいましたが、監督は僕には何も言わずに用意していました。監督は、それに対する僕の自然な反応や表情を撮るんです。
──そのようなメンドーサ監督のやり方はいかがでしたか?
元々、僕はメンドーサ監督のファンだったので、監督のやり方を信頼していました。監督も自分のやり方は特殊だとおっしゃった上で、ただ純粋に何もせずにカメラの前に居てくれればいいと言われていました。
──言葉よりも肉体が語るようなシーンも多かったと思います。特に、尚玄さんが演じたのはボクサーとして身体で示さなければいけない役でした。ボクサーの身体を作っていく上で苦労したことはありましたか?
身体的なことはやろうと思えば誰でもできると思うんです。大事なのはフィジカルな部分よりもメンタリティの方だと思ったので、撮影前から週に5、6回ジムに通って、ボクサーがどのように考えているのか、普段どんなことを感じながらボクシングを続けているのかを感じながら研究していました。
──精神面の方に重きを置いていたということでしょうか?
なぜこの役を僕がやるのかと考えると、芝居ができるからです。そうでなければ、ボクサーがやった方がいいと思いますし、実際、土山君がやればいいんじゃないかという提案もありました。僕は俳優という芝居で魅せる職業なので、ボクサーとしての身体を作るというのは当たり前のことでした。
──身体を作るのは当然のことだったとおっしゃいましたが、それでも試合のシーンで背後から映った時の背中は、ボクサーそのものでした。
背中はそうですね、ボクサーの筋肉だと思います。元々、僕は重い物を持つワークアウトをしていて、もっと胸囲があったのですが、それはボクサーの身体ではないと聞いたので、ワークアウトをやめてボクシングだけで筋肉をつけていました。
──そのような身体作りや主演としての立場に加えて本作では、尚玄さんにはプロデューサーという肩書もありました。以前から自分で映画を手掛けたいと思ってらっしゃったのでしょうか?
僕のデビュー作である『ハブと拳骨』の時も、シナハンから同行していましたし、物語を作っていく段階から参加していました。特に、ここ数年の僕が参加している映画は台本の時から入って、キャスティングにも関わって僕も出演するというスタイルを続けていたので、自分で作ることが純粋に好きなのだと思います。
──そんな風に作品に関わり続けてきた集大成が本作だったんですね。
自分が今までやってきたことがあったから『義足のボクサー』もあったと思いますし、今後も俳優を続けながら、こんな風に自分で映画をプロデュースしていきたいと思っています。
──今回、全世界にHBO ASIAで配信されると聞き、驚きました。
僕もびっくりしました(笑)。日本だけはどうしても映画館のスクリーンで観てもらいたいという思いが強かったので、交渉して劇場公開できることになりました。
──5月末には沖縄での先行公開を迎えます。公開を控えた今の心境を教えていただけますでしょうか。
劇場で公開されることがすごく嬉しいですし、沖縄は僕の家族がいる故郷であり、今は直純くんも沖縄に住んでいるので、皆に最初に観てもらえることが嬉しいです。メンドーサ監督の作品は会話が極端に少なくて、言葉にならない会話でささやかな心の機微を描いているので、大きなスクリーンで観てもらった方が細かいところまで見ていただけると思います。
──本作は尚玄さんにとってどのような存在になりましたか?
この映画を作ったこと自体がすごく意味のあることだったと思っています。映画の企画を立ち上げて海外で映画を作るというのは日本ではあまりポピュラーなことじゃないので、その前例を作ったのは僕にとって意味のあることだと思っています。また、自分のキャラクターを落とし込んでおけば、カメラの前で何もする必要がないというメンドーサ監督の教えによって、演技の基本に立ち返ることができました。俳優としても学びが多かったですし、この映画は僕にとって一生忘れられない財産になると思います。
取材・文/華崎陽子
(2022年6月 7日更新)
Check