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「“イノセントさ”をキーワードに」
マーティン・スコセッシ監督が絶賛した窪塚の演技とは―
『沈黙-サイレンス-』窪塚洋介トークイベントレポート

名匠マーティン・スコセッシ監督が遠藤周作の同名小説を映画化した必見作『沈黙-サイレンス-』が、いよいよ1月21日(土)より公開される。本作は、スコセッシ監督が1988年に原作と出会って以来、映画化を熱望し、長年暖め続けてきた待望のプロジェクトで、江戸初期の長崎に派遣された若きポルトガル宣教師と、幕府の弾圧に耐えながらキリシタンであろうとする日本人の姿を描いている。そこで、遠藤周作研究者の関西学院大学細川正義教授と、遠藤周作と親交のあったノートルダム清心女子大学の山根道公教授が、若き宣教師を長崎に案内する日本人キチジローを演じた俳優の窪塚洋介に話を訊いた。

――まず、実際に出来上がった作品をご覧になっての感想をお聞かせいただけますか。
原作にもある要素だと思うのですが、すごく懐の深い作品だなと思いました。“答え”が何かを示すのではなく“答え”に到達するための事実を積み重ねてくれているような。キリスト教賛美でもなく、仏教賛美でもなく、一人一人の中に答えがあることを僕らに委ねてくれている。僕はそこがこの作品の一番の醍醐味なのかなと思いました。“答え”は自分で見つけるものだから、神は意味があって沈黙しているのかもしれなくて、「それでいいよ」と背中を押してくれているような作品だと思いました。
 
――撮影時のスコセッシ監督の様子はどうでしたか?
撮影時のスコセッシ監督は、ワンカットごとに顔が確認できるところまで近づいてきて「良かったよ」というサインをくれるなど、僕ら日本人キャストらにとても敬意を払ってくださいました。しかも、その敬意は僕ら日本人キャストだけでなく、京都・太秦から呼ばれていたかつらの職人さんたちなど美術面の日本人スタッフらに対しても同じでした。
 
――確かに美術も素晴らしい作品です。台湾で撮影されたとのことですが、見事に江戸の雰囲気が再現されていますよね。
最初は台湾で似たような村を探してきたのかと思いましたが、実は村ごと作っているんですよ。京都の有名な美術職人さんらが、戸の開き方や、ニワトリの種類など隅から隅までまでこだわって作られえていました。スコセッシ監督も時代考証の面や長崎弁がきちんと喋れているかなど、すごく細やかなところまで気を払ってくださったので、僕らもすごくやる気が出ましたし、本当に嬉しかった。セットや美術にも、とても力をもらいました。
 
――スコセッシ監督の中の“日本的”は、日本人が観てもしっくりきます。
スコセッシ監督は僕らがもともと持っている日本人らしさがカメラに映るように気を配っていたように感じました。古い日本映画もたくさん観られていて『雨月物語』が好きなんだそうです。お寺のカットで鐘がなるタイミングとか、情緒感が日本人に近いなと感じるところが多々あって、観る人にはそれも楽しめるポイントかなと思います。映画を観れば「これをあのスコセッシ監督が撮ったのか!」と感じると思いますよ。
 
――キチジローという役を窪塚さんご自身ではどういったキャラクターと解釈されて演じられましたか?
醜くて、弱くて、ずるい。まるで負のデパートみたいに原作では書かれていますが、例えば“踏み絵を踏む”という行為一つとっても、踏んでしまう弱さと、踏むことのできる強さという二つの見方が出来ると思うんです。絶対に誰も踏めないような状況で踏み絵を踏むことは、弱いことなのか、強いことなのか。もはや分からないですよね。
 
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もちろん台詞はありますが自分のことを語るような場面はないし、原作でも誰かの目線を通してのキチジローしか描かれていない。なので誰にも分からない“余白”がとても多いキャクターなんです。それで、その“余白”部分に何を埋めれば僕はキチジローを生きられるのかを考えたとき、“イノセントさ”がキーワードになりました。イノセントだから弱く、強く、裏切ってしまう。誰もがそうだったと思いますが何が良くて何が悪いのかが分からない、子どもの頃のまま成長してしまったという役の捉え方をしました。
 
――キチジローは行動と気持ちにギャップがあって挌闘している。それを周りが信じてくれないことの辛さもあります。
彼は“踏み絵マスター”と言ってもいいくらい踏み絵を踏むようになりますが、晩年まで懺悔させてほしいと願い出て疎ましがられます。信仰と宗教って違うものなのかなと僕は思うところがあって。宗教は親や牧師、お坊さんに教えてもらい学び、“魂”を磨くもの、信仰はもっと自然なもので、太陽を見てありがたく感じて手をあわせたりするようなものなのかなぁと。どちらをキチジローが選択していたのか、ひょっとすればブレブレだったのかもしれませんが、それすらキチジローのイノセントさの中に収まってしまうんじゃないかなという気持ちになりました。
 
――原作ではロドリゴの視点で描かれていて、ロドリゴがキチジローを嫌なやつと思っているから、読んでいる側にもそう見えてくるんですよね。学生らと共に「沈黙」を読むと、最初はキチジローのことを皆イヤだと言うんです。でも読み深めるとキチジローが一番自分たちに近い人間らしい存在だと気づきます。遠藤周作自身も「キチジローは私」と言っています。
遠藤さんがそうだったように、スコセッシ監督もキチジローを大事に思っていて、みんながキチジローの中に自分を見てしまうのかなと思います。
 
――窪塚さんが演じるキチジローについてスコセッシ監督から意見はありましたか?
スコセッシ監督は、もともと役者を信頼する監督なんだとは思うんですが、今回、一切キチジローの人となりの話をしていないんです。キャスティングした時点で全てを委ねてくれているように感じました。オーディションの最後に「よし、キチジロー来たからカメラまわせ~」って、カメラないのにふざけて言ってて。もしかするとそのときから信頼してくれていたのかもしれません。「28年間、映画化を思い続けてきた作品の一番重要なキチジローという役が、イメージしていたキチジローではなく、本当のキチジローが撮影現場にいました」というようなことを言ってくれたときには感激しました。
 
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――それはすごい! 映画のために多くのキャストが痩せられたようですが。
僕はもともと痩せているので体作りに苦労はしなかったんですが、撮影中にどんどん痩せていかなくてはいけなかったので、アメリカ人チームとかは1日スープ一杯とかサラダだけとかで大変そうでした。僕はその横で普通にフレンチフライとか食べて、申し訳なかったなと思っています。
 
――アンドリュー・ガーフィールドと演技についての話はされましたか?
アンドリューはメソッド俳優なんです。寝ても覚めても役になりきるというやり方。なので、撮影の後半では周りに不快感を与えていた時もありましたが、出来上がった作品を観ればそれだけのものを背負い込んでいたんだなと分かって、すべて許せました(笑)。
 
――撮影はかなり大変だったんでしょうねぇ。
きつかったですが、完成した映画を観ればそれも全て喜びになれました。初めて観たときにあまりにも素晴らしい作品だったので思わず手を合わせしまうほど「ありがたい」気持ちになって。この作品に参加できたことが本当に嬉しいです。山の上でみんなで震えながら撮影した場面もあるんですが、寒かろうが長く待とうが正座が辛かろうが、今はすべてが喜びの一つと思えます。
 
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――最後にメッセージを。
日本の役者たちの力強さや、堂々たる仕事ぶりが、カッコよくて泣きました。映画も素晴らしい作品になっています。正直(役者を)辞めてもいいかなと思うぐらいの手応えがあり、新しい場所にたどり着けた気持ちになっています。みなさん劇場で体感して沈黙してください。嘘です。いっぱい広めてください。よろしくお願いします!!」



(2017年1月19日更新)


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Movie Data

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『沈黙-サイレンス-』

▼1月21日(土)より、全国公開

出演:アンドリュー・ガーフィールド
   リーアム・ニーソン
   アダム・ドライバー
   窪塚洋介 浅野忠信
   イッセー尾形 塚本晋也
   小松菜奈 加瀬亮 笈田ヨシ 
原作:遠藤周作「沈黙」(新潮文庫刊)
監督:マーティン・スコセッシ

【公式サイト】
http://chinmoku.jp/

【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/171243/