「シュールな場面を書いたり 趣味が暴走した時もあったけど(笑)
カルト映画にせずに冷静にさせてくれるのも共同作業の良さ」
『函館珈琲』西尾孔志監督インタビュー
《函館港イルミナシオン映画祭》でシナリオ大賞を受賞した作品を、函館の街を舞台に映像化するプロジェクトがスタート。その第1弾となる映画『函館珈琲』が完成し、10月29日(土)よりシネ・リーブル梅田、以降、京都、神戸でも順次公開される。そこで、本作でメガホンをとった西尾孔志監督に、映画評論家のミルクマン斉藤がインタビューを行った。
――今回は他のインタビュアーには話さないようなことを聞き出そうと思ってるんだけど。
お手柔らかにお願いします(笑)。
――西尾監督のこれまでの作品はもう10年以上前から全国のあちこちの劇場で公開されてはいます。でも、『函館珈琲』に関しては、他者からのオファーを受けて映画を監督する、という“職業映画監督”としてのデビュー作ということになるのでしょうか。《函館港イルミナシオン映画祭》からの委嘱を受けた、ということですよね。
《函館港イルミナシオン映画祭》というのは1996年から一般公募で「シナリオ大賞」というのを設けているんです。僕は『ソウル・フラワー・トレイン』(’13)と『キッチン・ドライブ』(’14)で映画祭に招待されて。それがきっかけで今回、監督の話をいただいたわけです。
――このシナリオ大賞の受賞作からはすでに『パコダテ人』(’01)、『オー・ド・ヴィ』(’02)、『狼少女』(’05)、『うた魂♪』(’07)、『おと・な・り』(’09)などの作品が作られていますね。
でも今までと今回はちょっと違って。今までの作品は、基本的に東京のプロダクションに依頼して作られた感じなんです。今回は《函館港イルミナシオン映画祭》の委員会が自分たちで製作資金を集めて作品を作り、さらに興行までやる、という試みの一発目。これを最低10本は続けるという意気込みは相当なもんです。
――脚本家いとう菜のはさんが書かれたシナリオ大賞受賞作ありき、という時点でいくらかの制約はあったと思うのですが、僕としては『ナショナルアンセム』(’00)など黒沢清監督フォロワーのひとりとして西尾監督を認識しはじめたわけで。そうしたイメージと本作ははかなり遠いところにありますよね。
最初にホンを読んで、正直自分の得意なテイストではないなと思ったのは事実です。でも「30代のモラトリアム」というテーマにはとても惹かれました。いとうさんの書かれた最初のシナリオでは、今回の映画以上に静かで、(夢を追うアーティストたちがアトリエ兼住居として部屋を貸し与えられる)翡翠館でそれぞれのアーティストたちがお酒呑みながら語ったりする日常が描かれていて、お互い対立はしない、品があって優しい脚本でした。
――ということは相当ミニマルなものだったんだ。
作中の台詞にもあるように「函館は時間の流れ方が違う」というのがいとうさんのシナリオのテイストで、大きな事件は起きないまま、滔々と時間が流れるというスタイルだったんです。でも僕はもうちょっと物語に登場人物たちの葛藤を盛り込みたいタイプで。“何かが起こる可能性”では終わらせたくないなと。
――はいはい。史上最も日本映画が停滞した1990年代に流行りましたね(笑)。
変な対立項を作って煽らないでください(笑)。僕こそオールドスタイルだという自覚があるので。脚本改稿のやりとりで、いとうさんはあんまりこの作品で葛藤や対立は際立たせたくないと。僕はいまやオールドスタイルになってしまったけど、モーションでエモーションを描くのが映画の基本、登場人物の感情をキャメラや役者の動きで描くのが映画だと信じていますから、そこは意見を戦わせたこともありました。桧山(黄川田将也)と一子(片岡礼子)のキス未遂シーンも「一線を越えて欲しくない」といういとうさんのお題に、捻り出したものだったりする(笑)。
――でもあの「未遂」は良かったと思いますけどね、アクション的にもいいアクセントだし。それにキスしちゃったらもう次の段階に行くしかないし、そうなると作品世界が別のものになりすぎちゃう(笑)。テディベア職人の相澤(中島トニー)が一子に恋愛感情を抱いているというのも観ていて明らかなんだけど、あくまで雰囲気の範囲内ですね。
いとうさんとの共同作業の落とし所がうまくいきましたね。恋愛感情は直接描かないまでも匂わせています。翡翠館を出ていく直前にぽろっと告白するシーンも僕からの脚本の直しでは入れたけど、それもなくて良かったなと。僕だと直接描きすぎたかも。
――ということは、西尾版の改訂稿も存在するってことですか?
いえ、改稿のやりとりの中で、自分のやりたいことをマックスまで入れこんだ瞬間は確かにありましたが、プロデューサーに「西尾くん、登場人物が全員関西人になってるよ」って言われて。
――あはは。笑える部分を入れこんだとか?
そうなんです。僕はコミカルな会話の応酬の映画が好きなんですが、やりすぎました。それと桧山が(先輩の作った)椅子をずーっと持って歩くこともプロデューサーから疑問を持たれて、必死に説明しました。そこは脚本のいとうさんも後押ししてくれて。もとの脚本では、先輩はそもそも死んでないんですけど、僕はこの先輩との関係はちょっとホモセクシュアルな匂いがするくらいでもアリやな、といとうさんと盛り上がって。気配だけで、この映画に最後まで現れない先輩の不在をもっとクローズアップさせたい、と。そこで椅子を思いついたんです。できるだけ言葉を排して、桧山の感情の対象を椅子に託して、物語自体が椅子で始まり椅子に終わる、くらいの。
――そういう設定は『ソウル・フラワー・トレイン』にも通じるものがあって監督らしいですけどね。
脚本家との共同作業が大事だなと思ったのは、僕の趣味が暴走した時があって(笑)。(翡翠館のオーナーの)夏樹陽子さんがライダースーツにびっしり身を包んで、バイクの後ろに桧山を乗せて函館郊外から海に向かって爆走するというシーンや、そのバイクがスリップして崖に落ちて、以前に捨てたはずの先輩の椅子に引っかかって助かる、みたいなシュールな場面も書いたんですけどね(笑)。勝手にロケハンまでしてましたが、今思ってもやりすぎでした(笑)。カルト映画にせずに冷静にさせてくれるのも共同作業の良さです。
――映画好きとしては「うんうん、そうこなくちゃ!」だけどね(笑)。でもそうした「やりたいこと」と「やれること」の妥協点を探るのが、西尾監督が目指す「職業映画監督」の宿命かも知れませんね。
結果、『函館珈琲』は広い層に観て感じとってもらえる作品になったと思います。インディーズ出身から共同作業を通して成長の階段を昇ってるなぁと思えます。今後撮りたい作品としては、日本映画ではエグみの強いアメリカンコメディはウケない、とよく聞くんですが、地方の男たちの将来の無い日常を肯定的に描くジャド・アパトーの『40歳からの家族ケーカク』('12)や『無ケーカクの命中男/ノックトアップ』('07)みたいな映画に挑戦したいなと目論んでます。
――楽しみにしてます!
取材・文/ミルクマン斉藤
左:ミルクマン斉藤 右:西尾孔志監督
当初は、映画タイトルにちなみゆったりと珈琲でも飲みながらインタビューができたら~という話でしたが、映画話は朝まで続きました。この写真は「2軒目行こかー」と言ってるお二人。
(2016年10月25日更新)
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