注目の俳優、森岡龍と前野朋哉が漫才コンビに!
笑えない現実に直面したお笑い芸人の奮闘を描く
映画『エミアビのはじまりとはじまり』渡辺謙作監督インタビュー
『舟を編む』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞した渡辺謙作が、『フレフレ少女』以来8年ぶりに手掛けた監督作『エミアビのはじまりとはじまり』が、9月3日(土)よりシネ・リーブル梅田、京都シネマ、9月10日(土)よりシネ・リーブル神戸にて公開される。NHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」などの出演で知られる森岡龍と、auのCMで話題の前野朋哉が人気漫才コンビに扮し、笑いが生み出す“再生”の物語を描く。そこで、来阪した渡辺謙作監督に話を訊いた。
――まず最初に、漫才師を主人公にした映画を作られたきっかけは何だったんですか?
もともとは「身近な人の死からの再生」を描きたいというところから始まりました。2010年ごろ、親戚や友人の子どもなど、ぼくの周りで身近な人の死が続いたんです。涙が止まらなくなるほど悲しくなるけど、それをずっと引きずっては生きていけない。お葬式では、泣いた後に知り合いらと故人の思い出話で笑ったりもしますよね。それで、人間にとって「泣いて」「笑う」ことが、故人を忘れるのではなく自浄作用のように思えたんです。「泣く」と「笑う」はセット。それなら今回は笑いがテーマになるなと。では、いっそのこと漫才師を主人公にした方がよりテーマが明確になるんではと思って、漫才コンビを主人公にしました。
――監督はもともと漫才がお好きだったんですか? 劇中に出てくる漫才コンビ、エミアビはどなたか実際の芸人さんを参考にされたりしたんでしょうか?
ツービートやB&Bなどの時代のお笑いはよく見ていましたが最近はあまり見れていなくて、今回はYouTubeで勉強しました。サンドウィッチマンさんのような漫才から漫才コントになっていくものがエミアビのイメージに近いのかなと思います。しゃべりだけではプロにかなわない。せっかく役者が演じているわけですしコントで、かつ映像でしか出来ない漫才もできたらいいなと思いました。
――ネタを含め、漫才師の世界を描くのは難しかった部分も多いのでは?
台詞のやりとりなので脚本作りと似てはいるんです。漫才だと物語性をどんどん排除していく方向で話し合いながらネタを作っていったような感じです。でも、映画界では「泣かせるのは簡単、笑わせるのは難しい」というのが常識で、泣かせる映画は、仮に観客が泣かなくても「いい映画だった」と思ってもらうことは出来ますが、笑わせようとしてるのに笑えない映画は「最低の映画だった」と言われる。「お笑いのネタは全てその道のプロに任せた方がいい」「主役ふたりを本職の芸人にしたほうがいいのでは」とも言われましたが、ぼくは映画人で作りたいという気持ちが強かったです。
――映画人でお笑いの世界を描く。そこにこだわられた理由は?
今、お笑い界から映画界へどんどん素晴らしい才能が入ってきているじゃないですか。それが嫌だということではないのですが、その逆がないんですよね。だから映画人だけでお笑いの映画を作ってみたかったというのはあります。“笑い”は本当にハイリスクなものなので入れないで撮った方がいいと今までは思っていたんですけど、今回はこれをテーマにしようと決めたのでガッツリ取り組みました。お笑い芸人の話となると映画界も恐れるんですよ。先輩芸人役の新井(浩文)さんもネタを見て「絶対、スベりますよ」と言っていましたし(笑)。そんな中、主演の二人(森岡&前野)だけがポジティブに考えてくれて。コイツらとなら闘えるなと思いました。
――森岡さん、前野さんはお二人とも役者であり映画監督でもあることが作品に与えた影響はありますか?
漫才に関してはライターより演者のほうがアイデアが出ると思うんですよね。やってみることでおかしいなとか分かることとかあると思うんです。それが監督の職業とも似ている。ふたりは漫才師を演じながらどこか俯瞰で見る目線も持っていたのでそれが良かったように思います。監督もしているからキャスティングしたわけではないので偶然ですけどね。
――“笑えない”状況の中、必死で“笑わそう”とする場面が本作の見どころのひとつだと思うのですが、そこではどんな演出を心がけられましたか?
森岡龍という役者は随分前から知っていたんですが、何か物足りないと思っていたんです。それで、今回は彼を主役に置いて、逃げ場を全部ふさぎ追い詰めたらどうなるか見たかったんです。『ラブドガン』(2004年)では、20代前半の新井くんを責めるような演出をしたのですが、今回の森岡くんは、(新井演じる)黒沢が、後輩芸人の(森岡演じる)実道を責める設定だったのでそれを利用して、新井くんに「もっとやれ!」と何度も言わせて。そうする方が森岡くんは逃げ場が無くなるんですよ。スタッフ側にも俳優側にも逃げられない。森岡くん、本当に現場で寂しそうでした。暑い中ヅラを被ってムシムシする中でタバコを吸ったりして。本当にしんどそうでした(笑)。
――満身創痍の中から次の一歩を踏み出す実道とそれを演じている森岡さんは同じようなシチュエーションだったと言えるんですね。
実道は、物語の中で確かに満身創痍なのですが、どこか「俺は傷ついていない」とつっぱっている。傷ついていることを実感してから、(前野演じる)海野の飛翔で笑える。まずは泣けなくてはいけないし、それで、笑えなければいけない。そこが重要なのかなと思いますね。
――エミアビ・海野を演じる前野朋哉さんについては?
前野くんは非常にフォトジェニックで妙な芝居が達者。すごく才能がある俳優さんです。後ずさりして後ろにコケるという場面も嘘くさくなるかと思いましたが、とても上手でした。「YOKOHAMA HONKY TONK BLUES」を歌う場面もワンテイクOKだったんですよ。
――海野が歌う曲を「YOKOHAMA HONKY TONK BLUES」にした理由は?
僕の中で「YOKOHAMA HONKY TONK BLUES」は映画人の歌と認識していて。作詞が藤竜也さん、そして松田優作さんや原田芳雄さんが歌い継いできました。それを前野くんに…と思ったんですが、当の本人は「誰の歌ですか?」と聞いたこともない感じでした(笑)。あれはぼくの全映画人への思いです。
――マネージャー役の黒木華さんも今までに無い面白い存在感を放っています。
黒木さんとは『舟を編む』で面識があったので、山田洋次組の昭和な黒木華はニセモノだと思っていたんです(笑)。本当はもっと腹黒い部分もあるはずと思って。彼女は大阪出身ですし、最初に「ちょっと微妙な関西弁を入れてほしい」とお願いしました。ネイティブな人でないと出せない言葉のニュアンスは演出できませんからね。
――落ちた弁当を食べるシーンの黒木さんも印象的でした。
ぼく自身、彼女のあの行動をよく分からずに脚本を書いていたんですが、黒木さんは「わたし、なんとなく分かります」と言ってくれたんです。映画が出来上がってからじっくり考えると、あの時点で彼女に出来るのは落ちた弁当を食べることぐらいだったんですよね。漫才が出来るわけでもない彼女が、相方を亡くした実道の心を動かそうとしたのかなと、自分で書いておきながら後から思いました。
――最終的に新井さんが一番笑いを取っていたように感じたんですが、誰を主役にしてもこの映画は成立しそうですね。
ぼくもそう思ってシナリオを書きました。もし新井くんが「主役にしてください」と言ったら、そう直すこともできました。黒木さんの役もフィクサー的で、より黒木さんをフィーチャーした編集にすることもできたんですけどね。でも、森岡くんと前野くんが主役なのが一番美しいなと。
――中盤から幽霊が出てきたりファンタジー要素も出てきますが監督の中でそこに何かこだわりがありましたか?
ぼくの中でリアルとファンタジーの境界線がもともと無いんです。死んだ後のことは誰も分からない。人が死んで悲しむという行為は、死者のことを思って悲しむというより、残された自分を悲しんでいる。我々が知らないだけで、実は死んだ後も幸せに暮らしているのではないかって。だから、幽霊にも幸せそうに出てきてほしかったんです。
――では最後に。
海外の映画祭とかだと周りを気にせずみなさん自由に笑ってくださるんですが、日本のお客さんって身構えていてなかなか笑ってくれないんですよね。でもこれはどうぞ笑ってくださいという作品なので身構えずに観て笑っていただけるのではないかなと思います。大阪は笑いの本場なので反応が怖いですけどね。よろしくお願いします!
(2016年9月 3日更新)
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