インタビュー&レポート

ホーム > インタビュー&レポート > 大阪市西成区釜ヶ崎で30年間続いている施設“こどもの里“ を取材したドキュメンタリー『さとにきたらええやん』 重江良樹監督インタビュー

大阪市西成区釜ヶ崎で30年間続いている施設“こどもの里“
を取材したドキュメンタリー『さとにきたらええやん』
重江良樹監督インタビュー

大阪市西成区釜ヶ崎。日雇い労働者の街と呼ばれたこの地で38年間続いている子どもたちの遊びと生活の場、「こどもの里」。そこに遊びにくる子や暮らす子、そして「こどもの里」に悩みを抱えてやってくる親をも支える館長やスタッフの姿を真摯に捉える一方、釜ヶ崎の日常や子どもたちと路上生活者の交流も映し出したドキュメンタリー映画『さとにきたらええやん』が、関西では7月2日(土)より第七藝術劇場を皮切りに順次公開される。

本作が初監督作となる重江良樹監督が、「こどもの里」で5年間ボランティア活動をした後、子どもと大人の居場所になっているこの場所で親子が葛藤しながら成長する姿を丁寧に描き出した。子どもたちの笑顔だけでなく、釜ヶ崎出身のミュージシャン、SHINGO★西成のソウルフルな歌声にも力をもらえる作品だ。そこで、本作を手がけた重江良樹監督にお話を伺った。

撮りたいというより
純粋にその魅力にハマってしまった「こどもの里」

――専門学校の卒業制作を撮る題材を探す中で、偶然、釜ヶ崎の「こどもの里」と出会ったそうですね。

当時は、釜ヶ崎=危険な街という刷り込みがあり、そこに行けば撮影する社会的なテーマがあるのではないかという気持ちで足を運んだのが「こどもの里」との出会いです。ブラブラしていたときに、裸足で子どもたちが飛び出してきたのに驚いて、常に扉は空いているので中を覗いてみると、子どもたちがキャアキャア言いながら遊んでいたのです。職員の方がいらっしゃったので話を聞いたりしたのですが、僕も若かったのでいきなり「代表の人と話せますか?」と切り出してしまって。映画でもデメキンの愛称で登場する館長の荘保さんに「なぜ、こんなことをしているんですか」と聞くと、「子どもが好きだからです」とピシッとおっしゃったのでなんて素直な大人なのだろうと思いました。そのうち館内で野球をやっている子どもたちに誘われ、気づけば一日が終わっていました。撮りたいというより、純粋にその魅力にハマってしまったんですね。

 

――卒業後も、仕事の合間に「こどもの里」へ頻繁に通っていたのですか?

休みが取りやすい仕事を選んで、「こどもの里」に行く時間を作っていました。里では遊ぶことがボランティアだと言われていましたが、子どもたちと一緒に遊んだり、職員の仕事の手伝いもしましたし、時間を作って通っていた5年間で、里で行っているこども夜回りのような活動や様々なことが分かり、勉強になりました。小学校1年生でも参加できるスタディーツアーでは、沖縄に行って沖縄戦のことを学んだり、ポーランドにも行ったり、学校だけでは学べない濃い内容の体験をしてくるんですよ。荘保さんたち曰く「覚えてなくてもいいねん。なんか体で体感してくれたらそれでいいねん。それが残るから」と。カッコいいですよね。

 

――5年ほど「こどもの里」で子どもたちと触れ合ってきた重江監督が、このタイミングで映画にしようと思った動機は何ですか?

2012年、橋下市長が大阪市独自でやっていた「子どもの家事業」を廃止し、学童保育に統合することになり、荘保さんをはじめ皆が力を合わせ、メディアにも出て訴え、言うべきことを言っていたのが、僕には子どものために闘っているように見えたのです。保護者も一丸となっていましたし、街のおっちゃんも署名をしてくれ、皆が守ろうとしている姿に心打たれました。僕は映像の仕事をしており、ドキュメンタリーを撮りたいという気持ちがあったはずなのに、里の居心地の良さに浸ってばかりでいいのか。自分が何をすべきなのか葛藤が生まれ、半年ぐらい悶々とした後、映画を撮ろうと決めました。

 

――この作品は「こどもの里」だけでなく、里がある釜ヶ崎の街の今を映し出す映画でもありますが、このような構成にした狙いは?

「こどもの里」と関わり、こども夜回りを一緒にするうちに釜ヶ崎やそこに住んでいる人のことを知るようになりました。釜ヶ崎という街は、色々なことを抱えて不器用な生き方をしている人がすごく多いと思ったのです。釜ヶ崎は歴史のある街で、古くから支援の輪が広がる土壌のある場所で、だからこどもの里が生まれたと思うのです。ですから街のことや、子どもとおっちゃんが、ちゃんと関わっていることも描きたかったですね。

 

親だけがバッシングされるのは子どもにとっても不利益 親と子どもの間に「こどもの里」のような場所がある関係性は新しい家族の形

――監督は、メインキャラクターとなる子どものお母さんにもカメラを向けています。愛情はあっても、子どもと一緒にいると上手く子育てできず葛藤する姿は他人事と思えない人も多いのではないかと思いました。

荘保さんは「子どもがしんどいということは、親がしんどいということよ」とおっしゃっていました。僕自身は納得できるのですが、通常子どもは可愛そうと思われても、親のしんどさは自己責任で片付けられてしまいがちです。小学生の頃から母と離れて里で暮らしている高校生の女の子は、ずっとお母さんのことが大好きなのですが、第三者の僕からすれば一緒に暮らしていない母親のことをなぜこんなに思えるのが疑問でした。そこは知りたいと思って直接お母さんにお話を伺うと、娘と一緒に暮らすとうまくいかないけれど、離れていても娘のことを強く思っていることが伝わってきたのです。他のお母さんも、子どもと一緒に暮らすとなかなかうまくいかない人はたくさんいますが、だからこそ「こどもの里」のような場所が必要です。

 

――子どもをいつでも託せる場である「こどもの里」は彼女たちを救う場所でもありますね。

普通は親子間で何か問題が起こると、子どもが児童相談所や施設に措置されてしまい、学校に通えなくなったり、友達と会えなくなってしまい、最後に「親に見捨てられた」という感情を抱いて生きて行かなくてはいけない。地域の中に「こどもの里」のような場所があると、地域で暮らすことができ、親も近くにいるのでお互い会いたいときに会うことができます。この微妙な関係性を保っている場所であり、親と子どもの間に「こどもの里」のような場所がある関係性は新しい家族の形だと思うのです。親だけがバッシングされるのは、子どもにとっても不利益で、僕自身も非常に気持ち悪く感じていましたから。もちろん生死に関わるようなケースの場合は別ですが。

 

――冒頭で登場する他、実際のライブシーンや挿入歌など、音楽面で非常に強いインパクトを残す地元釜ヶ崎のアーティスト、SHINGO★西成さんは「こどもの里」の子どもたちにどんな影響を与えているのですか?

SHINGO★西成さんは無名の頃から釜ヶ崎の街中で活動しており、「こどもの里」のクリスマス会などにも歌いに来てくれています。本作に登場する中学生の男の子も彼のことが大好きです。近所のお兄さん的存在でありながら、歌を歌って、憧れの人という適度な距離感がすごくいいですね。僕は最初、特に意識してSHINGO★西成さんを撮っていた訳ではなかったのですが、ジョウ君の肩を抱いて「お前のこと、気にしてるで!」と声を掛けている姿を見て、これはひょっとして…と思い、その時初めてご挨拶しました(笑)。

 

釜ヶ崎は「誰が来てもいいし、誰が来ても生きていける」街。
その多様性が「こどもの里」とリンクしている。

――祭りをみんなで楽しむ姿を見ていると、大人と子どもの垣根がない街だと感じましたが、重江監督からみて釜ヶ崎はどんな街だと思いますか?

殺伐としていないですよね。「来たい人は、来いや!」というのがすごくいいと思います。誰が来てもいいし、誰が来ても生きていける。一番社会でしんどい人が集まると思うし、色々な人がいる街です。その多様性が「こどもの里」とリンクしているし、今のようにどの街も同じような街づくりを謳うのは、気持ち悪いのです。同じような街づくりから弾かれて釜ヶ崎のような街ができる。それすら許さないのが今の世の中ですから。

 

――子どもを取り巻く環境や行政側の子育て施策が変わっていく中、「こどもの里」を続けていけるのは強い志を持つ荘保さんの存在が非常に大きいですね。

「子どもたちに私が変えられたし、里の形も子どもたちが作っていった」とよく荘保さんが語っていますが、そもそも学童保育をしたのが始まりで、そのうち子どもたちの背景が見え、一人一人の子どもに対応していくうちに、現在の姿になっていったそうです。とにかく根っこには「子どもが好き」という思いがある方ですから、子どものしんどさをいつでもキャッチし、対応したいという理念を強く持っていらっしゃいますね。人生で学んだことを具現化していく荘保さんを尊敬しています。荘保さんの歩んできた歴史は、出来ればもっと映画に入れたい部分でした。

 

――こども夜回りは長年続けているのですか?

「こどもの里」では越冬期を中心に、地域の団体と連帯しながらやっています。山下公園で野宿の男性が殺される事件がありましたが、子どもたちに聞いてもなぜおじさんたちが野宿をしているのか分からないし、寝ている人に石を投げたことがある子もいたそうです。当時は日雇い労働者の子どもが多かった時代なので、親の仕事も知らないことに荘保さんは衝撃を受け、「分からないなら、実際に野宿のおっちゃんに話を聞こう」というところから始まったそうです。子どもは裏表がないし、人を癒す力があるので、おっちゃんもよく話をしてくれるし、夜回りが終わって「おやすみ」と言い合える関係になれます。

 

――タイトルの『さとにきたらええやん』は、「こどもの里」のことを端的に言い表していますね。

僕は最初『さと』がいいと主張したのですが、プロデューサーに検索したら某飲食チェーンが出てくるから無理と猛反対されて(笑)。実は、子どもたちが夜回りで体調の悪いおっちゃんに「さとにきたらええやん」とよく言っていたんですよ。また、「こどもの里」に来たばかりで、我が子のことで不安そうなお母さんに、子どもたちが「さとにきたらええやん」と言ったりして。長く来ている子は分かってるんです。『さと』にいけばなんとかしてくれるって。ただ、「こどもの里」と同じことをするのではなく、やりたい人がやりたいことをやっていく。そうすれば、もっと色々な人が繋がっていけるのではないかと思います。

 

――最後に、これからご覧になる皆さんにメッセージをお願いします。

ただの「子どもが元気な映画」ではないですが、まずはこの子たちに元気をもらえるはず。そして観終わってモヤモヤしてもらいたいです。「この子たち、最高でしょ!」という、僕の想いが伝わればいいなと思います。

 

取材・文/江口由美




(2016年6月29日更新)


Check

Movie Data

©ガーラフィルム・ノンデライコ

『さとにきたらええやん』

▼7月2日(土)より、第七藝術劇場
 7月23日(土)~8月5日(金)、
 神戸アートビレッジセンター
 秋、京都シネマにて公開

監督・撮影:重江良樹
音楽:SHINGO★西成

【公式サイト】
http://www.sato-eeyan.com/

【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/170066/


Profile

重江良樹

しげえ・よしき●1984年、大阪府出身。 ビジュアルアーツ専門学校大阪卒業後、映像制作会社勤務を経てフリーに。 2008年、「こどもの里」にボランティアとして入ったことがきっかけで2013年より撮影し始める。 本作が初監督作品。