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「神様は地面にいるかもしれない。
 神目線ってなんでいつも上からなんだろうって」
『俳優 亀岡拓次』横浜聡子監督インタビュー

デビュー時から“天才”と多方面のクリエイターらから評価された横浜聡子監督が、『ウルトラミラクルラブストーリー』以来6年ぶりに手がけた長編映画『俳優 亀岡拓次』が現在、テアトル梅田ほか全国にて上映中。横浜監督と言えば、映画美学校時代の卒業製作として撮った『ちえみちゃんとこっくんぱっちょ』が2006年、大阪の映画祭《CO2》のオープンコンペ部門で最優秀賞を受賞。そのときの助成金で撮った『ジャーマン+雨』が全国公開となったという経歴がある。そこで、当時の《CO2》に運営ディレクターとして参加し、自身も映画を撮る側である西尾孔志監督に聞き手となっていただき、インタビューを行った。

キーワード① アウトローで不器用なキャラクター

 

――『ジャーマン+雨』、『ウルトラミラクルラブストーリー』、そして今回の『俳優 亀岡拓次』と、過去作を振り返っても、どこかアウトローで不器用な人のお話というのが一貫していると感じました。横浜監督がお洒落な男女の映画を撮るイメージがないんですよね。

『俳優 亀岡拓次』は、昨年の東京国際映画祭で上映されたんですが、そこで観た海外の映画の中にお洒落な男女がお洒落な恋愛をする映画があって。自分には全くない世界観だったので、世の中にはいろんな人がいるのだなと驚きました。

 

――ネガティブな目線を向けるのではなく、底辺こそがポップでパンクな精神の放たれる場と信じているようにさえ感じます。横浜監督がこういう題材に惹かれるのはどうしてなのかご自身で思うところはありますか? 

自分自身に対する不満なんじゃないかなと思います。昔から、周りの人と馴染めないのがコンプレックスで、それが自分の中で一番大きな柱になっているんです。友達が全くいないわけではないですけど、ものすごく少ないですし、世の中の流行に合わせて生きるとか、子どものころから難しく感じていました。じゃあ、そんな自分はどの道を進めばいいのか。そんなことを考えながら日々生きていて今に至ります(笑)。

 

――主人公、亀岡とも重なりますよね。人を寄せ付けない雰囲気があるわけではなく、居酒屋でも気さくに話せるソフトなイメージはあるんだけど、一定の距離感を保っていて。深く付き合う友達がいなさそうな。

そうですね。亀岡って親友はいないっぽい。でも、亀岡は一定の距離を保ちながらもその時間が楽しく過ごせればいいかなという感じで、人の懐に入りたいとかいう願望がない男なのかなと思いますね。

 

――戌井昭人さんが書かれた原作から「ここが映画になる」という横浜監督にとっての表現の軸となるようなポイントはありましたか?

『ちえみちゃんとこっくんぱっちょ』のときから、日常から非日常にスッと飛んでいくような、その区別をなくして見せるようなものを実は撮り続けていて。別に意図してきたわけではなく、それが自分の好みだったというだけのことだとは思うんですけど、この原作と出会って、それが亀岡という人間を通して存分に発揮できるなとは思いました。俳優って、虚構と現実を生きている人ですし。今誰もやらないようなスクリーンプロセスもやりました。

 

――スクリーンプロセスっていうのは、後ろに映像を流して役者がその前で演じることですね。“実際の撮影現場(日常)”と“映画の中の現実(日常)”、そして“映画の中の夢(非日常)”。その境界がいつしか分からなくなってくる。とくに亀岡の俳優仲間である宇野が指先で亀岡の進むべき方向性を示す場面は、その後に続く場面での指の動きへと計算されていて、亀岡の運命を幻想的に表現していて感動しました。

あの動きは撮影当日に思いついたんですけど、すごく映画的に深く観てくださってありがとうございます。亀岡が歩く(現実の)距離を(非日常で)埋めたいと思って、宇野は亀岡をあちら側の世界へ導く妖精です。

 

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キーワード② お酒

 

――横浜監督って昔よく酔いつぶれていましたよね(笑)。「酔いつぶれても平気」という強さがある。この映画は酔っぱらい映画とも言えますよね。

そうですね。酔っぱらい映画です(笑)。でも、昔はよく酔いつぶれていたんですが最近はセーブするようになっちゃって、ここ5、6年酔いつぶれていないんですよ。酔って暴言を吐いてしまうのが怖くなって。次の日にはみんな忘れているから大丈夫かもしれないけど、怖いんです(笑)。それで、最近は酒の席が楽しめなくなってしまったんですけど(笑)。

 

――では、映画の中でその欲望を出した感じでしょうか?

そうかもしれないです。それと、亀岡って強いキャラクターの持ち主ではなくて、原作から抽出できる特徴って何だろうって考えたら「酒を飲む」「寝る」「女の人が好き」、あと「おしっこをする」だったんですよ。おしっこをしている場面なんて普通ならいち早くカットする箇所で、亀岡にとっての“無”の時間。観ている側にとってもくだらない場面でしかないかもしれないけど、そのくだらなさを絶対に死守しようと思って、トイレに行って放尿する場面は絶対けずりたくないと思っていました。あと、安田顕さんがおならを自由に出せる人で。

 

――え? 本当にその場で「やってください」と言ったら自由に出せるんですか。

「やってください」と言わなくてもやると言うか。アドリブです(笑)。ご本人が考えたタイミングでブッと。それに「OK」出すか、おならをしないテイクも撮るか迷ったんですけどOKにしました。映画の中でおならを2回するんですけど、2回ともアドリブです。

 

――安田さんもすごいですが、横浜監督がやらせたのかなと思いました。そう思わせる横浜監督もすごい。

今までの映画でもうんことか出てきますしね。どうしようもないことじゃないですか。食べることと同列で、どんな美人でも誰もがやることですし。

 

――台詞の中に韓国映画の話が出てきますが、韓国映画と日本映画の違いって暴力描写とかいろいろあるんですけど、細かいところで言うと、お酒を飲んだり、ゲップしたり、韓国映画にはよく出てくる。昼間から呑んでいたり。それがそのキャラクターをより魅力的に見せたり。

おならは安田さんのオリジナルですけど(笑)、実はゲップも自由自在に操れるんです。安田さんの超越した身体能力が亀岡拓次をよりいっそう魅力的に見せてくださっているんです。ホン・サンス監督の映画とか、お酒を呑むシーンが本当に素晴らしいし、とにかく酒が美味しそうに見えるんですよね。どうやったらあんなに酒が美味そうに見せられるんだろうって思いますよね。

 

――お酒を吞んでるシーンって観ている側も安心して何でも許せてしまう雰囲気になりますよね。この映画の中でもフィリピンパブのシーンなんか本当に秀逸だなと思いました。

人間の生理的な部分を撮るって難しいじゃないですか、食べる、吞む、おならをするとかもそうですけど。西尾さんはどう撮っています?

 

――やっぱり役者自身がどういう動き、表情をするかが大きいのかなとは思いますよね。キャスティングってやっぱり大きいですよね。

やっぱりそれにつきますかね。安田さんと宇野さんは撮影の待ち時間とかにも一緒に吞みに行ったりして、ふたりで楽しく吞むという関係性を築かれてました。

 

――役者同士がそういった関係性を作っていて、それを横浜監督がどう撮るか。

わたしが何か言うまでもなく、出来上がっていたのはありがたかったです。

 

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キーワード 旅の気配

 

――この映画を観て、横浜監督はこの映画を一種のロードムービーとして撮っているのではと感じました。シーンのつなぎ目に電車が走るカットが入っていたり。映画の現場を旅先と考えれば、いろいろな現場や役を旅するひとりの男のロードムービーなのかと。

仰るとおり、俳優は旅人だと思います。撮影中は別の人間になって、違う時間を生きる。日常と非日常を行き来しなくてはいけない、ものすごく大変なお仕事。妄想の中さえも旅だと思います。

 

――亀岡が巨匠監督のオーディションを受ける場面なんて映画でしか表現できない“内面の旅”のようでした。この映画は、撮影現場を舞台にしてるが故に横浜聡子版の『アメリカの夜』(1973年/フランソワ・トリュフォー)と言われそうですが、職人が日本各地の職場を転々とする人情劇という意味で『喜びも悲しみも幾歳月』(1975/木下惠介)のような趣きも感じました。

電車に乗っているシーンはいつも亀岡は映っていなくて車窓だけんなんです。それで最後のスクリーンプロセスで初めてバイクを運転しています。今までは電車に揺られて運ばれていた亀岡が自ら運転するんですけど、背景は作り物っていう。そこに車窓から見える実景との対比があって。ロードムービーのような形を取りたいというのは結構早い段階から考えていました。なので、亀岡の自宅を描くかも悩みました。家に帰らせたくなくて。

 

――そうか! 家が出てこないからロードムービーに見えたのかも。

でも、黒沢清監督の『岸辺の旅』ってロードムービーだけど途中家に帰るんですよね。それがまた印象に残るんですけど。

 

――黒沢監督といえば、実はこの映画で黒沢清監督と横浜聡子監督で決定的な違いを感じた場面があったんです。先ほども話した“指差し”の場面なんですが、『アカルイミライ』(2002/黒沢清)に出てくる指差しシーンは人間を俯瞰で見下ろして、上から下へ特殊な指令を出している感じだったんですけど、横浜監督は後輩の宇野から先輩の亀岡への指差し。それは下から上に向かっている。横浜監督は黒沢監督と裏表なところにいるのかもしれないなと。

『アカルイミライ』の浅野忠信さんは神みたいな存在でしたもんね。でもわたしは、神様は地面にいるかもしれないと思っています。神目線ってなんでいつも上からなんだろうと常に思っていて。別に地面から見ていてもいいですよね。

 

――「神様は地面にいる」って良いですね!横浜さんのキャッチコピーになりそう。

 

(聞き手:西尾孔志)




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【最後に西尾監督から一言】
 
『俳優 亀岡拓次』を観て、その演出のマジックに感嘆したことを細かくメモに取り、横浜監督に質問でぶつけた。ところが、だ。いくつかは「あ、意図してなかったです。確かにそうなってますね!」と驚いた顔をされた。いやいや、こっちが驚いたって話なのに。
 
言い訳になるが、僕は過ぎた“深読み”は嫌いで、「観たら実際にそうなってる」というある意味“科学的な”目線に立って映画を観るよう心がけている。だから僕が勝手に深読みして横浜さんを困惑させたんじゃなくて、横浜監督の意図しない偶然、というか奇跡に驚かされて、僕が困惑したのだ。つまり「横浜聡子の野生の勘、ハンパねぇのな!」ということになる。世の中にはこういう天才とか天然とかいう逸材がたまにいるから困る。楽譜を読まなくてもとんでもないグルーヴを出してしまう天才ギタリストとか、デッサンは狂ってるのに見るものを惹きつけるカルト漫画家とか、横浜監督も同じ、天性のカルトポップスターなのかもしれない。
 
『俳優 亀岡拓次』は戌井明人さんの面白い原作と、安田顕さんの味わい深い芝居で誰が観ても楽しめる素敵な映画になっている。だが、更に横浜聡子さんの演出のせいでハマる人にはめちゃくちゃハマる奇跡の場面が沢山ある。きっと忘れられない映画になると思う。

(2016年2月 2日更新)


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Movie Data


©2016『俳優 亀岡拓次』製作委員会

『俳優 亀岡拓次』

●テアトル梅田、TOHOシネマズなんば、京都シネマ、シネ・リーブル神戸ほか全国にて上映中

出演:安田顕
   麻生久美子/宇野祥平/新井浩文/染谷将太/浅香航大/杉田かおる/工藤夕貴
   三田佳子/山﨑努/ほか
監督・脚本:横浜聡子
原作:戌井昭人
音楽:大友良英

【公式サイト】
http://kametaku.com/

【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/168181/

★『俳優 亀岡拓次』
主演・安田顕インタビュー
https://kansai.pia.co.jp/interview/cinema/2016-01/kametaku-yasuda.html